気がつくと、
「ロックさん! ロックさん!」
セルリスの顔が近くにあった。
「セルリスか」
「セルリスかじゃないわよ! 昏き神の加護が消えたと思ったら、急に倒れるんだから」
ずいぶんとはっきりした夢を見ていたような気になる。
だが、モルペウスさまとの会話は実際にあったことだ。
それも確信できた。
「俺が倒れてどのくらい経った?」
「二秒ぐらい?」
「それならよかった」
俺が倒れるのをみて、セルリスが抱き留めてくれたらしい。
「なにも良くないわ」
俺は立ち上がる。
精神世界と違い、ちゃんと服を着ていた。魔神王の剣もある。
そして、昏き神の加護は消えていた。
賽の神の残滓と融合しつつあるモルペウスさまの姿も変わらない。
「ケーテ、グランさん、覚えているか?」
「もちろんである。指示を頼むのである!」
「はい」「ここ」
ケーテは力強く、グランは口を閉じたまま返事をする。
そして、グランの口の中からゲルベルガさまの声が聞こえてくる。
「ルッチラ!」
「はい!」
「状況は?」
「ぼくは、グランさんのおかげで、加護と結界の外に出られたので、外から壊しました」
「どうやった?」
「覆っていたのは、地竜の里入り口にあった溶岩の幻術にちかいものです」
「なるほど」
あれも溶岩の外見を持ちながら、熱くは無かった。
あれと同様に、魔法そのものと発現する効果の位相をずらしていたらしい。
昏き神の加護のコアも同様にずらして隠していたのだろう。
非常に面倒で厄介だ。
そうかもしれないと考えて調べなければ、見つけられまい。
「よく気付いたな」
「外から見れば、幻術は見破りやすいですから。それにロックさんが昏き神の加護を弱めてくれたので」
魔神王の剣でモルペウスさまを斬ったことで、昏き神の加護が弱まった。
モルペウスさまの体の内部にも、昏き神の加護のコアの一部があったらしい。
「見事だ。素晴らしい」「ここ」
グランの口の中からゲルベルガさまも褒めている。
「ルッチラ、手伝ってくれ」
「はい!」
モルペウスさまから、教えてもらった情報を詳しく共有している暇はない。
だから端的に言う。
「あれは賽の神の残滓に融合しかけたモルペウスさまだ。今からモルペウスさまを救出する」
「え? はい!」
「そうなの?」「了解でありますよ」
ルッチラだけでなく、セルリスとシアも返事をしてくれる。
俺はセルリスやシア、そして後方にいるマルグリットにも聞こえるように大きな声を出す。
「俺がモルペウスさまを調べているあいだ、ルッチラは幻術で撹乱してくれ」
「わかりました!」
「私たちは?」
「セルリスとシアは不測の事態に備えてくれ」
「わかったわ」「まかせるであります」
「ケーテは防御と周囲の探索を頼む」
「任されたのである」
グランはゲルベルガさまを守るのが仕事だ。
マルグリットは自分で考えて動くだろう。
俺はモルペウスさまに
魔力探査で調べても、正体が判然としない。
更に集中して、深く調べていく。
探られていることに気付いたのか、モルペウスさまが攻撃を再開した。
モルペウス様の頭上にある球体は、黒い光線をあらぬ方向へと撃ちだしている。
「ルッチラ、見事」
「上手くいきました!」
ルッチラの幻術によって、モルペウスさまは現実を正しく認識できていないのだ。
黒い光線を撃った方向に、俺たちがいるように見えているのだろう。
そして、黒い光線を撃った瞬間、モルペウスさまの中で魔力が動く。
魔力の動きを観察すると、モルペウスさまと賽の神の残滓がどのように融合しているのか少しずつわかってくる。
「ルッチラ。なるべくモルペウスさまの攻撃を誘ってくれ」
「攻撃を誘うですか? わ、わかりました、やってみます!」
ルッチラは幻術を駆使して、モルペウスさまを挑発し、攻撃を誘発する。
黒い光線を撃ちだしたあと、魔力を充填する際、特殊な経路をたどっていることがわかってくる。
「もう少しだ!」
「はい!」
俺は混ざりかけているモルペウスさまと賽の神の残滓の境界を見極める。
「はああああああ!」
魔力探査をかけ、観察し続けながら、一気に接近し、境界を魔神王の剣で斬った。
「PGREEEEEEEE……」
モルペウスさまは悲鳴を上げる。
完全に分けることはできない。既に混じってしまっている部分も多いのだ。
モルペウスさまの要素が多い部分と賽の神の要素が多い部分を無理矢理分けたと言い換えてもいい。
「ゲルベルガさま!」
俺が声を掛けると、近くに控えていたグランが口を開ける。
「コケッコッコオオオオオオオオオ」
ゲルベルガさまの鳴き声が高らかに響き、
——バキャ
肉が裂けるような嫌な音とともに、モルペウスさまが破裂した。
まるで血を吸いすぎたダニが破裂したかのようだった。
モルペウスさまは、破裂して大小さまざまな大きさの物体に分裂した。
ほとんどが赤黒い静脈血のような色をしている。
その中に、一頭の貘がいた。
「モルペウスさま!」
グランがすかさず駆け寄って大きな手のひらで包み込み、俺は魔力探査をすかさずかけた。
「ぷぎ……」
「大丈夫です。グランがお守りします」
「……ぷぃぎ」
モルペウスさまは瀕死の重症にみえる。だが、生きている。
そして、魔力探査の結果、今のモルペウスさまに賽の神の要素は無い。
「やったのであるか?」
「だから、不吉なことを言うのは止めなさい」
静脈血のような色をした破片にも魔力探査をかけていく。
ほとんどが賽の神の残滓だ。だが、モルペウスさまの要素も混じっている。
モルペウスさまは、賽の神と渾然一体となってしまった自分を切り捨てたのだろう。
モルペウスさまのダメージは小さくない。だが、死なずに助けられたようだ。
「うん、やったかもしれない」
「やったのである!」
ケーテは大喜びし、グランは、
「ありがとうございますありがとうございます」
涙を流している。
「グランさん、お礼はゲルベルガさまに」
「ここ」
ゲルベルガさまがいなければ、モルペウスさまを助けることは不可能だった。
「ゲルベルガさまも、ロックさまも、皆様もありがとうございます」
「ぷぎ」
グランは涙を流しながら、優雅な仕草で俺たちに頭を下げた。
「ふう。今回は活躍できなかったわね」
「活躍する必要なんて、無い方がいいにこしたことがないでありますよ」
セルリスとシアは少し残念そうだ。
「ルッチラ、助かった」「ここ」
「もう、魔力が尽きました」
今回、ルッチラは大活躍だった。
「……」「があう」
ニアとガルヴは、ルッチラの前に立っている。
幻術に集中するルッチラの身を守ろうとしてくれていたのだ。
「ニアとガルヴもいい判断だ」
「いえ、私は……」「がう!」
「あとは俺たちに任せてくれ。ケーテ、賽の神の残滓を消し飛ばすぞ」
「まかせるのである」
賽の神の残滓の欠片は、まだ蠢いている。
ゆっくりだが、互いに集まり、融合しようとしているようだ。
「グランさん、モルペウスさまを連れて離れてください」
「はい」
神そのものでは無い。ただの影、その残滓だ。
放っておいても消えるだろう。
だが、消えるまでの間に、昏き者に悪用されたら困る。
「最大火力のブレスで吹き飛ばすのだ」
「万一の可能性を考えて、風じゃない方が良いな。熱系がいい」
風のブレスでも大ダメージを与えられるし、消し飛ばせるだろう。
だが、ごく少量が、どこかに吹き飛ばされて、昏き者に拾われたら困る。
「わかったのだ。我は火炎ブレスも得意なのである」
ケーテが大きく息を吸い火炎ブレスを吐こうとしたとき、
——ザザザ
モルペウスさまがいた場所の真下から石と石がこすり合う音がした。
石の床が滑るように、開くと、中から人間が出てきた。
「ん?」
ケーテが慌ててブレスを止める。
「昏き者に与したという大使の仲間たちか?」
もしそうならば、生きたまま捕縛したい。
「眷属であります!」「眷属です!」
シアとニアが同時に叫んだ。
ヴァンパイアの眷属と化した元人間のことは狼の獣人族は一目で見抜く。
そして、眷属となった者は二度と人間には戻れない。
「昏き神の加護の中で平気だったんだから、まあそうだよな」
ただの人間のまま、昏き神の加護の中にい続けることは難しいのだ。
「眷属ならば吹き飛ばすのだ」
「頼む」
ケーテは再び息を吸い込み、一気に火炎の炎を吐いた。
周囲が一気に真夏の昼間よりも明るくなった。
巻き込まれた草木が一瞬で蒸発する。土や石が融けていく。
「凄まじいでありますね」
「さすがにこれを食らって生き延びられる奴はいないわ」
シアとセルリスは感心した様子で眺めている。
賽の神の残滓も、眷属も、消滅させるのに充分な威力だった。
だが、火炎ブレスが収まると、
「おいおい。人もいるっていうのにさ」
融けた地面の上に人型の何者かが立っていた。
その顔は真祖に似ていた。
「お前は人じゃないだろ」
俺がそういうと、そいつはにやりと笑う。
「俺のことじゃない。この中に人がいたってことだ。眷属でもないただの人がな」
そういって、先ほど眷属が出てきた地下を指さす。
「適当なことを」
「俺は嘘をつかないよ」
「そ、そんな、我は……」
人を殺してしまったことにケーテはショックを受けているようだ。
「ケーテ、昏き者の言葉など気にするな。あいつらは自分にとって都合のいい言葉しか口にしない」
「本当なのになぁ」
そういって、そいつは笑う。
「お前は何だ? 真祖の精神体か?」
「え? しっているの? なーんだ」
口調が軽い。
ヴァンパイアもどきといい、こいつといい真祖の精神体は、真祖と性格が違うらしい。
精神の一部を切り取ったから、本体と性格が違うのだろうか。
それとも、肉体や環境が違うから性格が違うのだろうか。
「どちらでもいいか」
「なんのこと?」
「お前がなんだろうとどうでもいいってことだ。どうせすぐ死ぬんだからな」
「怖いなあ。……君がラックだろう?」
「…………」
「俺の本体を殺した奴はどんなやつかと思っていたけど、たいしたことなさそうだ」
「ずっと見ていたくせに白々しい」
「ばれた?」
ヴァンパイアもどきは俺が結界を使って壁を壊した手法を知らなかった。
賽の神の神殿に立ちこもった奴等の動きをみるに、指揮しているものがいるのは確実だ。
モルペウスさまでも、ヴァンパイアもどきでも無いならば、指揮を執っていた者はこいつだろう。
「賽の神の残滓が消し飛ばされそうになって、慌てて出てきたんだろう?」
「なーんだ、全部ばれているのか」
こいつ、いや真祖もどきと言うべきだろう。
真祖もどきはモルペウスさまと混じった賽の神の残滓に隠れていたのだ。
その中で指揮を取っていたのだろう。
俺は魔人王の剣を真祖もどきに向ける。
「あれ? 俺が精神体だって知っているはずだよね? 剣は効かないよ?」
そいつ、真祖もどきは本当に楽しそうにいう。
昏き者の言葉をそのまま受け取るわけにはいかない。
ここは昏き神の加護の中では無い。精神体が存在できない環境なのだ。
つまり、賽の神の残滓と融合することで、物理的に現実世界に存在していたと考えるべきだ。
「試してみるか?」
「俺はそういう気分じゃ無いんだよね。起きたばっかりだし」
直後、眷属の出てきた地下から黒い獣が湧き出してくる。
「俺のお友達の相手になってもらおうかな」
その獣は、ガルヴほどの大きさで、猫科の動物に姿が似ていた。
目が三つあり、口は大きく裂けている。
そんな獣が三匹出てくる。
——GAUUAAAAAA
魔力が高い。一匹一匹がハイロードより強そうだ。
俺はケーテを見る。
ケーテは人を殺してしまったかもという思いにショックを受けているままだ。
ケーテは頼りにしないほうがいい。
「ケーテ。ルッチラたちを頼む」
「わ、わかったのだ」
本調子でなくともケーテは強い。
だが、精神的動揺を受けている状態では。前線から下げたほうがいいだろう。
それに、魔力を使い切っているルッチラや、幼いニアでは獣を相手にはできない。
強力な魔導士でもあるケーテは護衛に適役だ。
「いいの? 強い竜を下げちゃって」
真祖もどきは楽しそうに笑う。
「強敵だ。まかせる」
「任されたわ」
「うん、やっと活躍できるでありますね」
「活躍の場なんてないほうがいいんじゃなかった?」
「そうはいっても、でありますよ」
「わかるわ」
三匹の獣は俺目がけて跳びかかろうとする。
だが、セルリスとシアが獣の横から襲いかかり、戦闘を開始する。
「いいの? いいの? 小娘にまかせて。あいつ強いよ?」
「そりゃ強いだろうな、仕組みはわからんが、赤い霧と人を使ったな?」
「あ、それもわかるんだ。凄いね」
「魔力回路が人と同じで、肉体がヴァンパイアと同質だからな」
大使の仲間たちは、こいつに眷属にされ、赤い霧と一緒に獣の材料になっているのだろう。
悲惨な末路だ。だが同情はしない。
昏き者に与すると言うことは、そういうことだ。
「あっというまに、小娘は死んじゃうと思うけど」
「俺が獣の相手をしている間に逃げる気だろう?」
「俺を逃がさないために、小娘を犠牲にすると。大した英雄様だね」
「お前は本当に間抜けだな」
「…………」
真祖もどきはびくりと頬を引きつらせた。
ヴァンパイアらしく、侮蔑の言葉にいらだちやすいらしい。
「セルリスとシアがあの程度の敵に負けるわけ無いだろ?」
俺の右方ではセルリスとシアが獣三匹と戦っている。
獣は強い。
矢のように素早く動いて、強力な魔法を口から吐き、鋼を切り裂く鋭い爪を振るっている。
倒すためには一匹につき、優秀なBランクの冒険者パーティが必要だ。
「だが、二対三でも、かなうまい」
俺はもうセルリスとシアを見ない。見る必要が無いからだ。
そして、真祖もどきを睨み付ける。
「……ふざけやがって」
真祖もどきの姿が、ぼんやりとしたものになっていく。
「逃がすわけ無いだろ」
魔法の檻で真祖もどきを囲む。
ヴァンパイアもどきのような、純粋な精神体ならば、魔法の檻は意味がない。
だが、真祖もどきは、純粋な精神体では無いはずだ。
「お前、ダークレイスの一種だろ?」
ダークレイスを閉じ込めるのに、魔法の檻は有効だ。
シアの実家で、ダークレイスと戦ったとき、実際に試している。
真祖もどきは完全に姿を消した。
だが、「ぎゃっ」という悲鳴を上げて、実体化した。
「俺の魔法の檻に触れたら痛いぞ?」
触れたものを破壊する攻性防壁で柵を作ってある。
攻性防壁は第六位階と呼ばれたハイロードからラーニングした技術である。
「ふざけやがってえええええええ!」
激昂した真祖もどきは、檻の中から俺目がけて攻撃を開始する。
真祖の精神体と賽の神の残滓の融合した姿なだけはある。
真祖もどきの攻撃は非常に強力だ。
檻の間から、モルペウスさまと同じ
俺は魔法障壁を多重展開する。
暗黒光線は、障壁を複数枚砕き、やっと止まる。
「やっぱり、お前だったか」
暗黒光線は邪神の魔法だ。
モルペウスさまはもちろん、賽の神の魔法でも無い。
モルペウスさまと賽の神の残滓の融合した存在の攻撃手段としてふさわしくは無い。
「黙れ、劣等なる人族がよぉぉ」
叫びながら、檻の隙間から暗黒光線を放ってくる
口調がヴァンパイアらしくない。精神的に幼い。そんな印象を受けた。
幼いくせに、攻撃は非常に強力だ。
一瞬でも、油断すれば、障壁ごと身体を貫かれるだろう。
だが、俺はあえて余裕の笑みを浮かべる。
「お前さあ。真祖に勝った俺たちに、中途半端な精神体風情が、勝てるわけ無いだろ」
俺は挑発しながら、暗黒光線を防ぎ、檻の中に魔法の矢を撃ち込んでいく。
真祖もどきは矢を障壁を展開して防いだ。
「あれ? 精神体なら、防ぐ必要も無いんじゃないか」
「ふざけるなよ? 猿が! 早くこの無礼な檻を消せよおおお!」
真祖もどきは興奮状態だ。どうやら逃げたいらしい。
だが、逃がすわけが無い。
俺は魔法の檻に周囲に魔法の矢を三百本並べる。
そして一斉に撃ち込んだ。
「ぐはぁあ」
真祖もどきの展開した障壁を数十枚砕いてつきささる。
まるでハリネズミのような状態になった真祖もどきは、口から血のようなものをこぼす。
「き、さきさ……きさ、ま」
「どうした、呂律が回ってないぞ?」
ダメージを受けて、知性が失われ始めている。
身体の支配権が、真祖もどきから、賽の神の欠片の残滓へと移りかけているのかもしれない。
俺の推測どおりならば、賽の神の欠片の残滓には、意思と呼ばれるものは無い。
ただ、本能のような行動原理に従って、世界を動かすだけだ。
神の行動原理を本能と呼んでいいかはわからない。それは神学の範疇だ。
「ぐぎぎぎぎ」
「そろそろお還りください」
これは真祖もどきに向けた言葉では無い。
賽の神の欠片の残滓に向けた言葉だ。
仮にも神。敬意を払うべきだと思ったのだ。
「ぐぎいいいいい」
俺は檻の中に
「ぐ……ぎ……ぎ……」
檻の中が絶対零度に近くなり、全てが凍り付く。
極限結氷は周囲全体を絶対零度まで下げてしまう。
だから、使いにくいのだが、魔法的なものを閉じ込める檻の中に放つ分には問題ない。
檻の中は完全に凍り付き、全ての動きが止まった。
「それではさようなら」
完全に凍った世界に火球を撃ち込む。
一瞬で氷は溶け、真祖もどきは賽の神の欠片の残滓ごと燃え尽きた。
「やったのであるか?」
ケーテが不吉なことを言う。
「だから不吉な……、ああ、おわった」
敵を倒せたという手応えがあった。
だから、俺はケーテを見て微笑んだ。