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050 賢者の学院

 クビになる前、俺は助教だった。

 助教から教授へは、大出世と言っていい。

 だがなにをするのかよくわからない職名だ。


 そもそも魔道具開発研究所など俺は知らない。

 魔道具開発研究所所属と魔道具学部所属で、どう違うのかもわからない。


「……聞いたことのない役職ですが」

「ヴェルナー卿は雑務に追われて大変だったと聞いたゆえ、新学院長に新たに作ってもらった」

「なんと」

「そもそも魔道具開発研究所にはヴェルナー卿しかいない。王女殿下も所属することになるだろうがな」


 どうやらロッテのために作った研究所ということらしい。


「この役職は、教授会にも出席してもしなくても良い。出席義務のある会議もない」

「……なんと」

「そして、授業もしたければすればいいし、しなくてもいい。そういう職だ」


 皇太子は学院に籍を置いたまま、研究だけできる役職を用意してくれたようだ。

 本当にありがたい。

 きっと名君になるだろう。


「どうだ? ヴェルナー卿。これなら学院で研究してもよいのではないか?」

「ありがとうございます。私などのためにそこまでして頂けるとは……」


 それほど皇太子にとって、ラメット王国のことが重要なのだろう。

 ラメット王国をガラテア帝国に占領されれば、資源が不足する。

 それに、ガラテア帝国を我が国と、ラメット王国で挟んでいるという地政学的有利も喪われる。


 だからこそ、ラメット王国との親密さを内外にアピールしたいのだ。

 王女の弟子入り先も、ただの無職ではなく教授である方が箔が付くというものである。


「よい。ただ、シャルロッテ王女殿下のことを頼む」

「かしこまりました」


 俺の返事を聞いて皇太子は満足そうにうなずいた。 



 皇太子との会談が終わると、俺はハティと一緒に賢者の学院に馬車で向かう。

 皇太子から一度、賢者の学院に出向いて新学院長に挨拶しておけと言われていたからだ。

 皇太子曰く、新学院長は今日は夕方まで学院長室にいるとのことだ。

 アポイントメントまで取ってくれたらしい。


 至れりつくせりである。

 それだけロッテが重要と言うことなのだろう。

 俺としても、気合いを入れなければなるまい。



 学院に到着すると、俺はまっすぐに学院長室へと向かった。


 その途中、ハティは興味津々な様子でキョロキョロしていた。


「広いのじゃなー」

「そうだな。王宮より広い」


 最近、街中でもハティも結構しゃべるようになった。

 俺としては注意すべきなのかもしれないが、あまり口うるさくするのも良くないと思う。


 ハティとしても無言でずっといるのはストレスになるはずだ。

 それに聞き耳立てている人も居ないだろう。


「ハティ。一応学院長室では静かにな」

「わかっているのじゃ。竜がしゃべると人族は怯えるのじゃろう?」

「まあ、そうだ。街中でも小さめの声でな」

「わかったのじゃ」


 ゆっくりと歩いて、学院長室の前に到着する。


「クビになったとき以来か」


 あのときは悔しい思いをしたものだ。


 俺は学院長室の扉をノックして、呼びかける。


「ヴェルナー・シュトライトです」

「入りたまえ」


 中に入ると、新しい学院長が椅子に座っていた。

 新学院長は六十代の痩せた白髪の女性である。

 以前から知っている高名な学者だ。

 専門分野は補助魔法。


 学院長になる前は、補助魔法学部長だったはずだ。

 俺も学生の頃、授業を受けたことがあるし、論文も読んだことがある。

 とても、優秀な魔導の研究者なのは間違いない。


 その新学院長は、メガネの向こうから鋭い視線を向けてくる。


「改めて学院にて研究させて頂くことになりました。よろしくお願いいたします」

「……最初、断ろうと思ったよ。皇太子殿下とはいえ、学院の人事に口出すのは看過できないからね」

「…………」

「だが、シュトライト君なら別だ。そもそもクビになった理由がこじつけが過ぎる。理不尽だ。教授会も紛糾していたんだよ」


 それは知らなかった。

 教授会で問題になったとしても、俺の直属上司である魔道具学部長と学院長が決定した人事だ。

 それを覆すのは難しかろう。


「歓迎するよ、シュトライト君」


 そういうと、学院長は立ち上がると歩いてきて、俺の方に手を伸ばした。

 俺はその手を握り返す。


「ありがとうございます」

「皇太子殿下からは好きにやらせるようにと言われている。まあ私としては教育にも力を入れて欲しいが……無理は言うまい」


 学院長はにこりともしない。

 相変わらず鋭い目でこちらを見ている。


 だが、それは昔からだ。授業中もそんなかんじだった。


「それにしてもシュトライト君のために予算を出し、役職まで作るとは、よほど皇太子殿下に期待されているね」

「私自身と言うよりも、私がケイ博士の弟子である関係で、ラメット王国の王女殿下の師匠となったからかと」

「ふむ。私はシュトライト君自身が、皇太子殿下に期待されているのだと思うがね」


 そう言うと学院長は、俺の肩のうえにいるハティに目をやった。

 だが、すぐ目をそらす。


「魔道具開発研究所所属、特別任用教授、ということで普通の教授に課される義務はない。好きにしたまえ」

「本当にありがたいかぎりです」

「本当にな。会議免除で好きに研究して良いなど、全研究者の夢だよ。早速研究所に案内しよう。付いてきなさい」


 そう言って、学院長は学院長室の外へと歩き出した。


 学院の中を歩きながら、学院長は言う。


「研究所と言っても、研究室が一つあるだけだがな」

「はい、充分です」

「……ところで、その肩に乗っているのは一体?」

「学院長のお察しの通りです。竜の子供です」

「……やはり竜。だが、竜の子供が懐くのか?」

「珍しい事例かと」

「ふむ、小さいと竜も可愛らしいものだな」


 ハティは無言のまま尻尾を振った。

 かわいいと呼ばれて嬉しいようだ。


 学院長室に入る前、ハティに話さないようにと言ったので、無言のままなのだろう。


「ハティ。しゃべっていいよ」

「ハティなのじゃ! よろしくなのじゃ」

「っ! なんと……」


 学院長は息をのむ。


「話せるとは、なんとかわいい」


 ハティはパタパタ飛んで学院長の肩に止まった。

 そして学院長の頭を撫でる。


「学院長もかわいいのじゃ」

「っ!」


 どうやら学院長もハティのことが気に入ったようだ。


 それから、大きめの研究室を一つ貰ったのだった。

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