俺が研究所、つまり辺境伯家の離れに戻ると、心配そうなロッテに出迎えられる。
「お師さま、どうなりましたか?」
「姉は重傷だが、生きている」
「……だ、大丈夫なのですか?」
「まあ、命には別状はない。だが、俺は一応母屋で待機する。ロッテはどうする? 護衛の関係上まとめた方が便利ではあるが」
「私も母屋について行きます」
「なら、ついてきなさい」
そして、俺は研究所に結界を展開すると、ロッテを連れて母屋へと歩く。
ロッテは緊張気味な様子で付いてくる。
そんなロッテの緊張をほぐすため、俺は笑顔で尋ねた。
「ロッテ、タロはどうだった?」
タロというのは完成したばかりの犬の散歩用魔道具である。
「一生懸命掃除していました」
「そうか。問題行動はみられたか?」
「いえ、床とベッド、シャワーしか掃除していませんでした」
「つまりごちゃごちゃしている机の上は平穏無事か」
「その通りです」
「それなら、良かった。実用化出来るかも知れないな」
犬を怯えさせてしまったが、掃除魔道具としてなら売れるかも知れない。
母屋に戻ると、執事がやってきて俺の耳元にささやいた。
「ヴェルナーさま。こちらに」
周囲の誰にも聞かれないほどのとても小さな声だ。
「どうした?」
「……何者かから脅迫状が届きました」
執事は深刻な表情で、そう言った。
「え? だ、大丈夫なんですか?」
俺以外の誰にも聞こえないほどの小声だったのに、ロッテには聞こえたようだ。
とても耳が良いらしい。
「それを見せてもらおう。ロッテも付いてくるか?」
「いいのですか?」
「まあ、聞こえてしまったのに、何も教えなかったら却って不安になるだろうしな」
俺がそういうと、執事が申し訳なさそうにしている。
「いや、普通は聞きとれない。気にするな」
「以後、気をつけます」
執事について、俺はロッテと一緒に別室へと移動する。
その部屋は姉ビルギットの執務室だ。
執務室の隣に姉の部屋があり、そこでは姉の治療が行なわれている。
扉の前で姉を守るようにしていたハティが俺たちに気付いて飛んできた。
「主さま、戻ったのかや?」
「戻った。ハティも付いてきなさい」
「わかったのじゃ」
執務室に到着すると、俺は執事に言う。
「で、その脅迫状とやらを見せてくれ」
「こちらでございます」
執事に渡されたその脅迫状には血で文字が書かれていた。
『我らの邪魔をするならば、より多くの血が流れることになるだろう』
とだけ書かれている。
「他には?」
「この封筒に入れられておりました。他には何もありません」
その封筒には『ヴェルナー・シュトライト卿へ』とだけ書かれている。
「我らとは誰だ?」
「わかりません。ヴェルナー様に心当たりは?」
「………………ない。とは言い切れないが」
まず考えられるのは。ガラテア帝国だろうか。
だが、俺を脅したところで、どうにかなるものでもない。
ロッテの師匠ではあるとは言え、俺はただの魔道具師。
政治力もないし、特に重要な人物ではないのだ。
脅すべきは皇太子だろう。
皇太子に政策転換を促さなければ、皇国と帝国、そしてラメット王国の関係は動くまい。
「どういたしましょう?」
指揮を執るべき姉が倒れているので、執事は俺に尋ねてくる。
「……姉さんが襲われないよう、しっかり固めるように」
「はい。それはしっかりと」
「皇太子殿下に今回の事態を報告するように」
「正式なご報告はまだでございますが、既にご存じのことと思います」
当然そうだろう。
皇太子は、王都中に情報網を張り巡らせている。
知らないわけがない。
「当然ご存じだろうが、速やかに報告して指示を仰げ。この脅迫状のことも忘れずに報告するように」
「かしこまりました」
「脅迫状は誰がいつ見つけたのか。なるべく詳しく書くように」
「はい」
「ついでに、俺からも皇太子殿下に手紙を書こう」
俺は、姉の執務室にある筆記用具を借りて書をしたためる。
内容は襲撃者についての報告だ。
襲撃者が使った魔法などを詳しく記しておく。
皇太子殿下は魔法に詳しくはない。
だが、書いておけば、王宮の分析専門の魔導師が分析するだろう。
「この血も頼む」
暗殺者の残した血痕から採集した血を入れた瓶を二つに分けて一つを渡す。
「俺の方でも調べるが、専門家にも調べて欲しいからな」
「はい。確かに」
「……主さま、仇はとらなくていいのかや?」
「仇をとるもなにもない。まだ仇がどこにいる誰かもわからないからな」
「……そうかや」
「敵の正体がわからない以上、闇雲に動くわけにもいかないからな。捜査は専門家に任せた方がいい」
「はい。そのように」
執事が動き出そうとしたとき、ロッテが口を開く。
「あの……お師さま」
「どうした?」
「お師さまはすごく冷静なのですね」
「冷たく見えたか?」
「い、いえ! そういうことではなく……」
まあ、そういうことなのだろう。
「王女殿下。ローム子爵閣下が治療中の今、ヴェルナーさまは王都における辺境伯家の指揮を執らねばなりません」
「はい」
「軽挙妄動されては、私どもが困ってしまいます」
「……はい、それはわかります。いえ、本当に冷たいと思ったわけではなく——」
ロッテは慌てている。
そんなロッテの頭をハティが撫でる。
「まあ、主さまの姉上が大けがして、不安になるのはわかるのじゃ」
「はい」
それから、執事とハティと一緒に、ロッテは別室へと移動していった。