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133 母

 竜の咆哮には魔力が籠っている。

 大概の生物は、竜の咆哮を浴びて、平静ではいられない。


「……あ……ぁ」

 コラリーが呆然自失と言った様子で、ひざをつき、両手をつき、ばたりと倒れた。

 咆哮に耐えられなかったのだ。


「コラリーさん!?」

 ロッテは慌てた様子で、駆け寄ろうとする。


「大丈夫だ。敵に備えろ」

「は、はい!」

 さすがは勇者。咆哮耐性は高いらしい。


「RGYAAA……」

 翼を羽ばたき飛んで地底から現れる。


「……母上。おいたわしい」

 大王が嘆く。

 ユルングと大王の母の右側頭部は欠損し、右眼球は零れ落ち視神経でつながっている。

 大小さまざまな傷を負っており、全身が腐っていた。

 封印される前、千年前の戦いで、負った傷が腐ったのだろう。


「最悪、主さまの結界に閉じ込めてしまえばいいのじゃ!」


 今、俺たちは全員結界発生装置が作り出した結界の中にいる。

 ハティは、俺たち全員が母竜に殺されても、母竜も外には出れないと言いたいのだろう。


「RYGAAAAAA!」

 母竜のドラゴンブレスが、俺たちを覆っている結界へと当たった。

 ——ギシ


 砕けなかったが、ひびが入った。

 そのひびは、自動ですぐに修復される。


「そ、そんな、主さまの結界が……」

「長くは持たないかもな」


 俺たちが死ねば、母竜は外に出ようと暴れるだろう。

 そうなれば、いつまで結界がもつかわからない。

 恐らく、長くても数日のうちに結界は壊れ、母竜は外の世界に出ることになる。


「……母上。今楽にしてさしあげましょう」


 意を決した大王が攻撃を開始する。

 ドラゴンブレスを吐きながら、接近し、爪を振るう。


 母竜も大王に応戦する。

 ドラゴンブレスにドラゴンブレスを返し、爪を、尻尾を振るう。

 接近戦を挑む大王にの後方から、ハティも攻撃を開始する。


 三頭の古竜の苛烈な戦いが始まった。


「凄い」

 あまりの激しい戦いを目にして、ロッテは固まる。


 ロッテにとって、三竜の戦いに混ざるのは荷が重い。

 だが、俺はあえて言う。


「判断は任せる。行けるなら行け」

「は、はい」

「危ないぞ。コラリーと一緒に結界の中に入るか?」

「いえ、戦います」

「そうか。わかった」


 俺はコラリーに結界発生装置を使って、結界で覆った。

 これで、流れ弾で死ぬことはあるまい。


「ロッテ。危ないと思えば、いつでも逃げ込め」

「わかりました」


 ロッテも結界発生装置を持っているのだ。

 怯えればいつでも入ればいい。


 俺はユルングを見る。

 ユルングは母をじっと見つめている。

 その感情を推し量ることはできない。


 母の痛ましい姿を見て悲しいのか、母を見れて嬉しいのか。もしくは恐ろしいのか。


「母の命は尽きておる! 躊躇ちゅうちょされるでない!」

 俺が躊躇ためらっていると思ったのか、大王が叫ぶ。


「躊躇いはありません」


 ユルングの母竜を可哀そうだと思う。

 人を愛した古竜の大王が、人を守ろうとして呪われてしまったのだ。

 だが、ここで倒さねば、人族が滅びる。

 それは、母竜自身も望むまい。

 解呪も出来ない。

 選択肢は他にない。


「今から、ユルングの母さんを殺す。恨んでくれていいぞ」


 俺はユルングに謝った。

 母竜を殺せると思っているわけではない。

 だが、殺せなければ、俺たちは死ぬ。

 ならば、殺せなかったときのことは、考えるだけ無駄だ。


「りゃぁ」


 俺は古竜三頭が激しい戦いを繰り広げている中へ向かって走る。

 母竜が俺に気付くと、ドラゴンブレスを吐いた。

 それを、左手で作り出した障壁ではじく。

 左手がしびれた。何度も弾けるような威力ではない。

 走りながら、渾身の魔力の槍を撃ちこんでみるが、鱗に弾かれた。


「GUAAAAAA!」

 大王が咆哮しながら、強烈な爪の一撃を食らわせる。

 母竜の首の肉が弾けて、大きくのけぞった。


「母の力は落ちておる! 勝機はあるぞ!」

「食らうのじゃああ!」


 ハティもドラゴンブレスを浴びせながら、急接近し、尻尾を振るう。

 のけぞっていた母竜は、尻尾を食らってさらに吹き飛ばされる。

 結界まで飛んでぶつかり、やっと止まった。

 そのタイミングに合わせて、俺も一気に距離を詰める。


「RYAGAAGAAA!」


 母竜のブレスは、左手の障壁で防ぎ、右腕の爪を飛んでかわす。

 至近距離から、渾身の魔力弾を腹に撃ち込んだ。

 腐っていた腹の肉が少し吹き飛ぶ。悪臭が強くなる。


「GURYAAA!」

 咆哮しながら、母竜の振るった尻尾が俺に直撃した。


「うおっ」

 俺はとっさに右手で障壁を展開するが、あっさり砕かれる。

 ふっとばされて、結界に激突する。


「痛ってぇ。ユルング大丈夫か?」

「りゃ」

「無事で何より」


 結界にぶつかる直前に障壁を展開してダメージを軽減させた。

 とはいえ、

(折れたな)

 右手の指の骨がいくつかと、橈骨と尺骨が折れていた。


「主さま、大丈夫かや?」

 戦い続けながらハティが叫ぶ。

「大丈夫だ」


 どうやら、母竜は千年前より弱いらしい。それでも強い。

 千年間、傷が腐り、呪いが進み、それでこの強さなのだ。

 古竜とケイ先生たちが力を合わせて倒せなかったというのは伊達ではないらしい。


「接近するしかないか」


 遠くから魔法を放った方が、安全ではある。

 だが、攻撃魔法は距離によって減衰するのだ。

 鱗の魔法耐性が高すぎるから、至近距離から魔法を放たねば、有効打にはなりえない。


「本当に強いな」

「当然だ。朕の母であるぞ!」


 ハティと大王が激しい攻撃を繰り出している。

 それを母竜は食らっているが、大きなダメージにはなっていない。

 鱗と障壁で、ハティと大王の苛烈な攻撃を受けきっている。

 そのうえで、ハティと大王目掛けて、強烈な攻撃を返していた。

 ハティと大王もギリギリだ。


 母竜の意識がハティと大王に向いている間に、俺は一気に距離を詰めていく。

 流れ弾のように魔法が飛んでくる。

 その魔法もまともに食らえばひとたまりもない威力だ。

 失敗すれば命はない。それを覚悟しながら、左手で障壁を展開し、受け流す。


(む?)

 俺の背後から、ロッテがぴったり付いてきている。


(ロッテには任せると言ったしな)

 俺はロッテにかまわず、真っすぐに母竜を目掛けて突っ込んだ。

 至近距離から、魔法の槍を放つ。

 鱗が一枚砕けた。鱗の下の肉が弾けて、腐った臭いのする血がこぼれる。


「GRYAAAAAA!」

 すぐに距離を取る俺を母竜は見た。


「りゃあ?」

「…………」

 母竜は俺の懐から顔を出したユルングに目を止めた。

 一瞬、ほんの一瞬、母竜は固まった。


「はぁあぁあああああああああ!」

 俺と入れ替わる形で突進したロッテが、母竜の胴体に剣を突き出した。


 その剣は俺が店で買ったただの剣だ。

 だが、剣は淡く輝きながら、鋼より硬い母竜の鱗をバターのように貫いていく。


「GGGGYAAAARRRRRYAAAAAAA!」

 母竜がこれまでにない悲鳴を上げた。

 そして、力なく倒れる。これまでにない強烈な悪臭が周囲を漂う。

 母竜の全身の腐敗が一気に進んだようだ。

 全身にみなぎっていた魔力が今は見る影もない。

 同時に全身からあふれ出していた呪いの気配が消えた。


「……ぐぅ」

 地面に倒れた母竜に大王が近づく。


「母上」

「……すまぬ」

 母竜は苦しそうに、呻くようにつぶやく。


「いえ」

「……妹を」

「ユルング」


 大王がこちらを見る。

 俺はユルングを懐から出すと、抱っこして、母竜の顔の前に近づく。

 自分の母だとわかっているのか、ユルングは耐えがたい悪臭を放つ母竜向かって手を伸ばす。

 俺はユルングを持って、母竜の鼻先にもっていく。


「ユルングというのか」

 優しい笑顔で、母竜はユルングを見る。

「りゃ」

 ユルングはしっかりと母の顔を見つめていた。


「よい名だ。人間」

 母竜は俺を見る。


「はい」

「ユルングを頼む」

「はい」

「…………——……」

「畏まりました。母上」

 母竜は大王に微笑んで、大王の昔の名前を呼んだ。


「……ユルングに祝福を」

 そして、鼻先をユルングのお腹につけると、母竜の魔力は突然消失した。

 笑顔のまま、母竜の全身がドロドロに腐り落ちていく。

 肉が溶け、次に骨や牙、爪まで溶けていく。


「ユルング。朕の、そしてそなたの母の最期だ、しかと目に焼き付けるがよい」

「ゃぁ」

「そなたの頼りになる保護者を確認し、そなたに祝福して、安心して逝ったのだ」

「……りゃ」

「朕は泣かぬ。大王ゆえな。だが……そなたは泣いてよい」

「……りゃあああああああ、りゃああああああ」


 ユルングはしばらくの間、泣き続けた。

 大王も、涙をこぼさずに無言で泣いていた。

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