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138 古竜の治癒魔法

 ゲオルグは杖をかざしたまま、

「————……——」

 人の耳では聞き取れきれない、うなり声に似た言葉を唱える。

 当然意味もわからない。


 だが、あっというまに右腕の痛みが消えていく。


「りゃぁぁ」


 ゲオルグの杖の輝きを見て、ユルングはきらきらと目を輝かせていた。


「楽になりました」

「それは良かったです」

「あの唱えていた言葉は一体何の言葉なのですか?」

「竜神と交わすための古い言葉です」


 ゲオルグは何でも無いことのように言う。


「数万年、いやもっと前、神がまだ地上にいたころに使っていた言葉なのじゃ」

「すごいな」

「凄いのじゃ!」


 自慢げなハティにゲオルグは言う。


「殿下。それはさすがに言い過ぎです。オリジナルの神の言葉ではなく、それを元にした古竜でも話しやすい言葉、竜の神聖言語ですね」

「それでもすごいです」


 人の神官とは、レベルが違うようだ。


 人は五十年も神に仕えたら長い方だ。

 だが、古竜ならば、余裕で五千年を超えて神に仕えているのだ。

 文字通り、年季が違う。


「無駄に長生きなだけですよ。さて、ヴェルナー卿、この薬を飲んでください」

「これは?」

「熱冷ましです」


 ゲオルグがくれた薬を飲むと、途端に楽になった。


「ありがとうございます。楽になりました」

「それならば良かったです」

「古竜は人の薬をつくるのも得意なのですか?」

「大昔、人の街で神官をしていたとき、薬師のまねごとをしていたことがあるのです」

「そうだったのですね」


 もしかしたら、ゲオルグのように人の街で暮らした古竜によって、人の文明の発展が加速したのかもしれない。


「これで大丈夫でしょう。さて、次は殿下の怪我を見ましょう」

「父ちゃんの方が重傷なのじゃ」

「それでもです。殿下の治療を優先するようにと勅命を受けておりますから」


 ゲオルグはハティの傷も癒やし、次にユルングのことも診察する。


「ふむ。ユルング殿下、尻尾の先が少し」

「りゃぁ?」

「命に別状がある怪我ではありませんし、痛くはないでしょうが……軟骨の一部が……少し。治療しておきましょう」

「りゃ?」


 ゲオルグはユルングに杖を掲げる。そして竜の神聖言語を唱える。


「りゃ?」

 治療を受けてもユルングはよくわかっていなさそうだった。


「ユルング、調子はどうだ?」

「りゃ!」


 元気に、だが小さめに鳴くとユルングは俺の腕から離れてパタパタ飛び始める。

 小さめに鳴いたのは寝ているロッテとコラリーを起さないためだろう。


 俺は改めてゲオルグに頭を下げる。


「ありがとうございます。私だけでなくユルングまで治療していただいて」

「いえいえ、殿下は古竜にとっても大切なお方ですから」

「ユルングも元気になったようです」


 そういって、俺はパタパタ飛ぶユルングに目をやった。


「りゃ〜〜」


 ユルングはパタパタ飛びながら、寝ているロッテに手をかざしていた。


「ユルング、ゲオルグさんの真似をしているのかい?」

「可愛らしいですね」

「ユルングは良い子なのじゃ。自分がされて気持ちが良かったからロッテにもしてやろうと思っているのじゃなぁ」

「優しい子だなぁ」


 そう俺がつぶやくと、ゲオルグとハティもうんうんと頷いていた。


「さて、王女殿下たちの診察も済ませま…………んん!?」


 ゲオルグが絶句する。


 ロッテとコラリーの状態が、想像以上に悪かったのかと一瞬思ったが、

「殿下?」

 ゲオルグが見つめていたのはユルングだった。


「りゃ〜」


 ユルングは羽をパタパタ可愛らしく動かしながら、両手をロッテに向けている。

 その両手がぼんやりと光っていた。


「魔法? いや……」

 俺が言いよどむと、ゲオルグがうなずいた。


「ヴェルナー卿のご推察の通りです」

「つまりどういうことなのじゃ」

「殿下がお遣いなのは、治癒魔術。つまり神の奇跡です」


 ロッテに治癒魔術を使った後、ユルングはこっちに戻って来て、俺の胸にしがみつく。


「りゃむ」


 そして、そのまま眠り始めた。

 奇跡を使ったことで眠くなったのだろう。


「あの、ゲオルグさん」

「はい」

「あり得るのですか?」


 人族ならば、赤子が見ただけで治癒魔術を使うなど聞いたことがない。


「常識で考えれば、あり得ませんね。古竜でも」

「どういうことでしょう?」

「わかりません」

「ユルングは天才なのじゃぁ」


 ハティは嬉しそうに尻尾を揺らしている。

 だが、俺はそこまで楽観的には考えられなかった。


「ゲオルグさん、念のためにロッテ見てあげてくださいませんか?」

「もちろんです。私もそうすべきだと思っていました」


 万が一、ロッテに悪影響が及んでいたら、すぐに対処しなくてはならない。


 ゲオルグはロッテに手をかざして診察を開始する。


「……異常はありませんね」

「ユルングが行使した奇跡は、効果を発揮しなかったのでしょうか?」

「いえ、そうではないと思います」


 ゲオルグはコラリーに手をかざして、診察しながら言う。


「私は部屋の中に入った瞬間に全員の簡易診察を済ませております」

「それはすごいですね」


 人族の治癒術師でそのようなことができる者がいると聞いたことがない。


「ヴェルナー卿はお気づきになられていたでしょう?」

「一瞬、探られたような気配は感じました」

「大変失礼いたしました。昔、診療所で働いていたころの癖でして……」


 大量の患者を捌くための技術なのだろう。

 一瞬で大まかな重症度を判断し、治療の優先順位をつけるための診察だ。


「私の高速簡易診察に気付かれたのは初めてですが……、それはともかく王女殿下は怪我をされておりました」

「そうだったのですね」

「もちろん重症ではありませんよ。かすり傷と言われる程度の怪我です」

「その怪我が治っていると?」

「はい、殿下の奇跡の効果でしょう」


 ゲオルグは話しながらコラリーを診察しおえて、治癒魔法を使った。


「コラリーも怪我を?」

「はい。もっとも王女殿下よりさらにかるい怪我ですが」


 治癒魔法を掛けられても、ロッテもコラリーは熟睡したままだ。


 ユルングの奇跡については、あとで話し合うことになった。

 まだ、大王は深い傷を負ったままだし、俺たちも睡眠が足りていないからだ。


「大王陛下には治療のついでに私から報告しておきましょう」


 そういって、ゲオルグは大王に治療するために部屋を去って行く。



 ゲオルグを見送ると、ハティは俺の右腕を大きな手でそっと掴んでじっと見る。


「主さま、大丈夫かや?」

「おかげさまで。もう全く痛くないよ」

「熱はどうなのじゃ?」

「熱も下がりつつある。骨折による発熱だったからね」


 原因が取り除かれたのだから、熱もすぐに下がるだろう。


「ならば、良かったのじゃ〜。主さまも寝ると良いのじゃ!」


 安心した様子で、ハティは寝台に横になる。


「ああ、休ませてもらうよ」


 俺はユルングを抱いたまま横になる。


「ユルングは天才じゃったか〜」

「古竜の神官って少ないのか?」

「……少ないのじゃ」


 ハティは眠そうだ。反応が遅くなり口数が少なくなっていく。


「りゃあ」

 お腹のうえに乗せたユルングが、寝ぼけたまま俺の右腕の方に移動して匂いを嗅いでペロペロなめた。


「ユルングも俺の怪我に気付いていたのか?」

「…………そりゃ気付くのじゃ。怪我の臭いがしていたのじゃ」

「怪我の臭い?」

「…………うむ。………………独特の臭いじゃ」


 それは嗅覚が鋭い古竜ならではの感覚かも知れなかった。


「主さまが……元気になって、よかったのじゃぁ……すぅ……」


 ハティは話している途中で寝落ちした。

 俺とハティの位置関係は先ほど寝台に入った時とほぼ同じだ。


 ハティの鼻先は俺のすぐ近くにある。

 だが、先ほどと異なり、きゅるきゅる鳴っていないし、鼻がひくひくしていない。

 もしかしたら、先ほど、ハティは狸寝入りをしていたのかもしれない。


 俺はハティの口周辺を撫でた。


「ハティ、ありがとうな」

「……すぴー」


 きっと、ハティはロッテとコラリーが気兼ねなく眠れるように気を使ったのだ。

 俺の怪我に気付けば、ロッテとコラリーは心配して眠れなくなる。そう思ったに違いない。

 だからこそ、俺の怪我について何も言わずに、のんきに眠ったふりをして見せたのだろう。


 俺はハティに感謝しつつ、ハティの近くで眠ったのだった。

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