俺たちはどうみても補導員の類には見えないからだろう、有希はおとなしくついてきた。大ガードをくぐり、小滝橋通りまで出て、定食屋に入った。有希はハンバーグ定食を、俺たちはアイスコーヒーを注文した。
有希はかなり我慢していたようだが、ハンバーグのいい匂いが漂ってくると唇を噛みしめた。他から見るとふてているように見えたかもしれないが、俺たちはすぐ彼女が飢えていたのだと悟った。実際、かなりがつがつと有希はハンバーグ定食を平らげた。
「家出、してきたのよね」
麻美が言うと、有希はびくっと肩を震わせた。それからこくんと頷く。
「どうして?」
単刀直入な質問も、麻美がすると優しく響く。
有希はしばらくきゅっと口を結んでいたが、やがて思い切ったように言う。
「くそなんだもの。親も、がっこも」
俺はつい微笑しそうになるのを必死で抑える。この年頃は敏感だ。バカにされたと思ったら二度と本音を言わなくなる。でも、彼女の幼い顔と強がったような言葉遣いとがアンバランスで、微笑ましく思ってしまったのは事実なんだ。麻美が続けて尋ねる。
「お父さんもお母さんも嫌いなの」
「そう。お兄ちゃんばっかり大事にして。私、頭悪いから」
よく聞くような言葉だ。この言葉を聞くと俺は無性に腹が立つ。頭悪くて何が悪い。頭いいふりしている奴の方がよっぽど厄介だ。本当に頭がいい奴はそんな素振りも見せねえぞ。俺がこの街で学んだことだ。
「私、アニメーターになろうと思ったんです」
おもむろに有希は口を開いた。意外な言葉が飛び出した。そういえば、代々木が近い。
「
訊かれた麻美は残念そうに首を振る。
「ごめん。あんまり詳しくないんだ。見る暇もないし」
「そっか」
「でも、あなたがアニメに憧れる気持ち、聞きたいな」
直截なのが麻美の最大の長所。とにかく話が早く進む。
「えっと、はじめは『ガルパン』で、聖地巡りもしたんですよ」
「大洗ね、茨城の」
「知ってるじゃないですか」
有希は急に笑顔になる。あどけなさ満開だ。さすが麻美。知らないといいながら詳しいじゃないか。
「それで、お年玉を貯めてた分を全部こっそり下して、家出したんです。何とかアニメの勉強をしたいなって。でも、初日に」
何となく嫌な予感がした。
「掏られちゃったんです、全部」
有希の眼に悔し涙が滲んだ。それはそうだろう。最近はキャッシュレスが進んでいるから、むしろ未成年の少年少女の方がキャッシュを持ち歩いている可能性は高い。
「で、体を売って資金稼ぎをしようとしたわけ」
少女はこくんと頷いた。
麻美は続ける。
「でもねえ、売春て、あなたが思ってるほど楽なわけじゃないのよ」
有希の眼が真剣になる。やっぱりどこかで止めて欲しかったのか。
それから麻美はやけに生々しい話を詳細に話しはじめた。過激表現は控えるが、俺も目のやり場に困った。麻美、経験あるのかな。有希は見る見る真っ青になっていく。この子はきっとまだ処女だ。
「とりあえずはさ、日雇いでも何でもいいから、まじめに働きな。お金を必死に貯める。都内なら何とか頑張れば貯められる。まだ若いんだし」
「そ、そうですか」
「でも家賃がネックなのよね。しばらくうちにいてもいいわ」
少女は息をのんだ。だって麻美は見かけは男だ。でも、しばらくして首を縦に振った。
「大丈夫だよ」
俺は口添えする。
「こいつ、麻美って、女なんだ」
そして有希ははっとする。そしてほっと息を吐き出した。
「家賃はもらうわよ。ただし後払いでいい。とにかく必死で働きなさい」
有希はもう泣きださんばかりだった。
有希は麻美に教えられた通り、まずは派遣会社に登録し、日払いの仕事をやりはじめた。今彼女に出来るふつうの仕事はこのくらいだろう。肉体労働できつそうだが、あくまで麻美はカタギの仕事をさせようとした。家においてやる条件でもあった。
はじめは弱々しくて自信もなさそうだった有希だが、今は仕事を始めてひと月が経ち、ひと月分の給料──日払いの封筒の封も開けずにとっておいたもの──のお札の数を数え、満足そうだった。キツさに見合わない金額でも、次のひと月を家賃以外は自腹で用意できたことがうれしくてたまらないのだ。俺にも覚えがある。
「章生」
背中から呼ばれた。俺の名だ。フルネームは高橋章生。そう、ジェンイーの日本語の姓と同じなのさ。
有希は今や麻美を崇拝しているが、俺に対しては一段低く見ている。やっぱり夢ばかり見ているポンコツのことは高校生でも察知するのかもしれない。
麻美は女ながら大した奴だ。二つの仕事をうまくこなし、そのうえ俺と飲んだりガキの世話をしたりする時間もつくってくれる。今回のように、きっちり線は引いたうえでだが、面倒見もいい。
いわゆる姉御肌だろうか。
そこいらのみみっちい野郎どもとは大違いだ。
彼女は性同一性障害であることを全く気にしてはいない。むしろ男の枠からも女の枠からも自由になったみたいだ。