麻美が女なのに男っぷりがいい、しかも体は男だというところに俺はだんだんもやもやしはじめた。俺は麻美に比べたらただの世話焼きお兄さんでしかない。
まてよ、この黒いもやもやを突き詰めれば憧れの『不夜城』のような暗黒の世界が出来上がるかもしれない。
俺に欠けている、ダークさ。
俺は必死になって麻美にジェラシーを膨らませてみる。
歌舞伎町で飲んでいるとき俺は麻美の眼をじいーっと見つめた。それもあんまり暗い目で見つめたので、麻美はきょとんとした。
「どうしたの、もう酔ったの、目が据わってるよ。具合でも悪いんと違う」
俺は無言で日本酒をぐいっとあおった。麻美がまた目を丸くする。
「あんまり飲めないんだから、飲みすぎちゃだめよ。日本酒は調子に乗って飲んでると後からガツンときて死ぬ思いするよ」
「いいんだ」
俺は声を低くして答える。
「俺は、地獄が見たいんだ」
麻美は首を傾げてそれっきり興味を失ったように泡の消えかけた自分のジョッキを持ちあげて飲み干した。妙に色っぽい。すでにある程度飲んでいるので、黒目が潤んでいる。物憂げな横顔に、俺はいつしか見惚れていた。
「地獄、ねぇ」
居酒屋を出て歌舞伎町内を歩きながら麻美がつぶやく。俺は酔っているが、まだ頭はしっかりしていると思う。
「この世って、生き地獄。私はそう思ってた」
まただ。麻美の長いまつ毛の先に夜の灯りが灯ったようだ。
「お前」
「でも、楽しいよ。生き地獄でもあり、楽しくもあり」
俺は沈黙する以外にない。所詮俺は半端ものだ。麻美のような奴こそ本物だと思える。
「私は辛いことや恨みや憎しみなんかの黒い感情は、もうそっとしておくの」
「え」
「そっとそっと、ほうっておく」
俺は分かるような分からないような気がしたが、どう聞き返していいのか思いつかない。
しばらく二人とも無言で路地を歩いた。どこへ行くのか分からないような歩き方で。ふと見上げると通り沿いのビジネスホテルが薄暗くぼんやりとそびえていた。
「そろそろ帰るね。有希はもう寝ちゃってるだろうな」
「ああ、明日も仕事だろ」
「偉いよね、まだ子どもなのに」
そういって麻美は手を振って踵を返した。麻美は大久保に住んでいる。新宿二丁目の俺とは方向が逆だ。
お前だって、まだ子どもの頃から──と口の中でつぶやく。
やっぱり俺は半端ものだ。
翌日のことだった。大庭さんは昔の仲間と昼間から遊びに出かけてしまい、俺一人が古ぼけたコンビニでぼんやりしていた。客はぽつりぽつりと来る程度。他に大手のコンビニは通り沿いにいくらでもあるから、うちに来るような客は近所の住民や一種の観光客が多いのだ。
妙に人を食った目付きで、髪をひっつめにしたおばさん──夏目さんというらしいことを最近知った──が何回洗濯機にかけたかも分からないような色の落ちたブラウスにくすんだカーディガンを引っかけ、ジーパンにスニーカーでやってきた。いつものスタイルだ。何をして暮らしているのか知らないが、裏手のマンションの住人らしい。いくらマイバッグが奨励されているとはいえ、昭和時代から使っているような買い物かごを提げてやってくる。
夏目さんがレジに持ってきた豆腐と牛乳とカット野菜を会計しながら、ふとその顔を見ると、驚いたことにじっと俺を見ている。
「俺の顔に何かついてんの、夏目さん」
「て訳じゃないけど、少し忠告しといてあげようかと思ってね」
やはり、単なる買い物だけでなく俺自身に用事があったのだ。
「何、急に」
「あんたのこと、良く思ってない連中がいるよ。街の美化運動だか子どもを救うためかは知らないけど、あんまり深入りするんじゃないよ」
「え、それって」
「そう、警告」
夏目さんの後ろ姿を俺は黙って見送った。
どういうわけか、怖さよりはるかに期待感が膨らんで、心臓の動機をおさめるのに苦労した。
もしや、『不夜城』の世界が近づいている……?
いまだ姿の見えない何者かに向かって、俺はここにいるぜ、と叫びたい気持ちだった。
かかってくるなら、来い。
武者震いがする。食うか食われるかの世界なら、いくらでも噛みついてやるぜ。いや、ジェンイーみたいに策を弄するほうがかっこいいような気もする。しかし、性に合わない。とにかく、俺は麻美に会うのが待ち遠しかった。もうすぐ麻美は起きて、この二丁目のゲイバーに仕事のためにやってくる。そこであいつと相談するんだ。策を練るんだ。
と、そこに毎日くる客の飯久保さんが現れた。長年ウリセンのママをやっている人だ。一見仏さまのようなふっくらとした穏やかな人だ。でも、ここでそんな店をやっているのだから、油断は出来ない。
「ねえ、章生くん、やっぱりその気はなーい?」
飯久保さんがこのコンビニにくるようになったのはわりと最近で半年前くらいだ。直接は店が引っ越して(と言っても通り一つ移動しただけ)、このコンビニに来るようになったというだけ。でも、案の定俺はこの人のお眼鏡にかなってしまったようだ。
「君なら、いけると思うよ。昭和の男みたいなの、今少ないから」
「俺はやらないよ」
いつもの通り簡潔な答えを述べた。それでも飯久保さんは黒目を潤めて俺を見る。いちばん俺を気に入っているのは、実はあなたじゃありませんか、とつい言いたくなった。