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第7話

 大庭さんの好意でコンビニは早く上がれた。麻美が来て俺の棲み処、二階の和室に入ってきた。麻美は無自覚だけど、俺はちょっとだけ緊張するんだ。麻美は俺のこみいった思いには全く無自覚。麻美は心が女、それも男っ気のあるいい女。でも、体は男。そんな麻美がいつも俺を戸惑わせる。一つ言えるのは、俺はゲイではないので、あくまで麻美の女の心に惹かれているということだ。

 麻美は白いぶかっとしたTシャツに、黒いチノパン。入口の三和土でスニーカーを脱いだ。今日はこれから動く気満々だ。

 俺はあらためて今日見かけた有希のようすを詳しく話して聞かせた。スマホで撮った写真を見て、麻美も間違いないと確信したようだ。眉根を寄せている。

「とにかく、その男が何者なのかを突き止めないと始まらないわね」

「うん」

 俺は相づちを打つ。

「章生。本当にそいつに見覚えがないの」

「残念ながら」

 悔しい思いで俺は答える。

「俺も伊達に十年以上ここにはいないよ。だいたいの連中の顔は見知っている。でも、分からなかった」

「歌舞伎町ってさ」

 麻美がため息混じりに言う。

「変な浄化作戦があったりしたせいか、今いちばん幅利かせているのはホストよね」

 確かに、少し奥までいくとホストの店が派手派手しい広告を出している。少し前まではさほどではなかったはずだ。

 東口にも大型トラックのホストの宣伝カーがよく往来している。某アイドルの名前を公然と使っているものもあってびっくりする。

「そういう、新参者のホスト系の奴じゃないの」

「うん」

 ホスト系は、麻美のホストクラブ(これは新興組ではなくわりと老舗なんだ)以外行ったことがないので、最近やたら増えたホストの店の中のようすは俺の中でもブラックボックスだ。

 ただし、田舎出の少女をホストに入れ込ませて、金が払えないなら「売り」をやれと強要しているという話がある。俺たちはふだんその外堀を崩すおせっかいをしていたわけだが。

 有希は更生しようとしていたのではなかったのか。何か訳があるのか。麻美のためにも、俺は最後まで有希を信じてやりたかった。


 今すぐにでも有希の顔を見たい思いだったが、闇雲に探し回るのは良くない。しかも「警告」を受けている身だ。とにかく少しでも情報をつかんでから動くに限る。そこは、用意周到なジェンイーの教えだぜ。

 ただし麻美は店を休んだし、俺も手持無沙汰だ。これからどうするかということが頭を過ぎったとき、麻美が呟くように言った。

「章生には言ってなかったよね、私の個人的な話ってあんまり」

 驚いた。急に麻美がいつもの麻美らしからぬ妖艶さを見せている。そしてあらためて、俺は麻美との付き合いは長いが互いの過去にはさほど踏みこんでは来ていないことを悟った。とにかく麻美とは初めて会ったときからめちゃくちゃに気が合ったので、そんなことはどうでもよかったんだ。

「出身が九州の……えっとどこだっけ。俺、西の方よく知らなくてさ」

 麻美は少しむっとして見せる。

「もう、出身県くらい覚えておいてよね。鹿児島よ」

「鹿児島って九州のどの辺?」

「ばか」

「だって俺、実は恥ずかしいけど、埼玉の秩父と新宿しか知らない身の上なんだ」

「まあ、章生の来し方を聞けばそれもありかもしれないけどね」

 麻美はやっと少し微笑んで、

「何ていうんだろ、九州の一番先っぽ」

となぜか指で指すようなしぐさをした。

「ふうん」

「あとで日本地図で確認すること」

「うん」

 それから麻美はちょっとした身の上話をした。家族や生い立ち。話の端で、兄がいるらしいことは知っていたが、ちゃんと話を聞くのは初めてだった。

「兄はね、ま、私みたいなことはなくて、ふつうに男性で、歳は六つ離れてるの。子供の頃の六つって大きいでしょ。幼かった頃の私にとって、兄は絶対の存在。優秀だったしね」

「あ、それ」

「そう。有希にちょっと似てるかもね」

「そっか。それでよけい有希のことに親身になってたんだ」

「もちろん、あの子と私は違うのは自覚してる。あの子にはそんなこと言うつもりない。あの子自身のことも、あの子が話したくなった聞いてあげるつもり。ただね、やっぱり人の情ってそういうところあるから」

「うん。分かるよ」

「うちは両親とも大学教授なの」

「へ?」

 その瞬間は驚いたが、声に出したほどは俺は驚いていなかった。麻美はどこかいい家の出じゃないかとも思うところがあった。それに物知りだし頭がいい。かえって、そういうところが全くないポンコツ高校中退の俺だから、お互いに気兼ねがなかったとも言える。

「大学教授って言ってもいろいろあるだろうけど、うちは世間のイメージ通り、というのか、厳格な家でさ、厳格に育てられたわけ」

「そうか」

「私も兄と同様わりとお勉強できたんで、期待されていた訳よ」

「だって麻美、じっさい優秀だもんな」

「ありがと。なのに、八歳の時、見られちゃったんだ」

 俺は予感がした。

「母のレースのブラウスとスカートを体に巻いて鏡を見ていたとこ」

 やはり。

「父親に見られた、それで……殴られた」

「えっ」

「痛かったというより精神的に打撃受けちゃってさ、まだ今よりずっと素直だったから、そんなにも悪いことを、お父さんがあんなに本気で怒ることを自分はしてたのか、って。でも自分では悪いことと思えなくて」

 俺の胸の辺りが冷えてきた。麻美のそんな悲しい話を聞くのが怖かった。



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