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第9話

 夏目さんの歩く速度に合わせながら、俺と麻美も一緒に歌舞伎町方面に向かった。夏目さんは買い物かごを腕にかけたまま、すたすた歩く。歩きがてら聞いたところによると、夏目さんは生まれも育ちも新宿二丁目だという。恐れ入った。この街の主みたいなものじゃないか。

 花園神社の横をすり抜ける。有希が謎の男と会っていた付近を間近に通り過ぎる。まだ時間が時間なので、ホストも客も少ない新興ホスト街への道を急ぐ。

「ここさー」

 夏目さんが一つの建物の前で立ち止まった。

 確かに意味の分からない横文字が掲げられている。何語だろう。俺は読めない。

 場所は分かった。その前でうろうろする意味はない。俺たち3人は少し離れた。まだ営業時間ではないため、人は少ないものの、掃除をしたりする従業員らしい姿は散見された。

「夏目さん、そのスマホで話していた男の様子、容姿とか、詳しく話してくれます?」

 麻美は丁寧に尋ねる。

「むさくるしい、って言ったよね。髪の毛は、ちゃんとある。白髪はない感じだけどありゃ、染めてるだけ。四十代後半は行ってるね。髪の量は多くて、天パじゃないかな、少しうねってた。顔はいかつめで、顔まわりにゾウの皮みたいに赤らんだ贅肉がついてる。髭はないよ、眼鏡もなし。目がいちばん特徴あるかな。ぎょろりとしてる。鼻も大きい。唇は薄め。頬骨が張ってる。身長は170センチ以上はあるだろうけど、大男って訳じゃないよ。首は短くて……」

 夏目さんの証言は詳細を極めた。

「ありがと。夏目さん」

 話が一通り終わると、麻美が気を使った。

「後は私たちで何とかするわ」

 夏目さんは明らかに不満そうな表情をしたが、確かにここにいても今は埒があかないことを悟ってしぶしぶ元来た道を戻っていった。

「今度コンビニに来てくれたら何かおまけしなきゃな」

 俺が言うと、麻美は、

「そうね。で、これからどうする」

 次を考えはじめている。こういう麻美のてきぱきした性格が俺は好きだ。

「ホストたちが出社するくらいの時間から張り込むか。写真を撮って、夏目さんに確認してもらう」

「そうね。それまで、この辺うろついてみようか。花園神社の辺りも」

「そうだな。当ては出来たし、何せ狭い世界だからな。うろうろしてるだけでも情報に出くわすかもしれない」

「そ。そういうところ、この街にはあるからね」

 麻美はどこかうれしそうだ。有希のことを聞いて不安になっていたところから、突破口が見えてきたのかもしれない。生き生きしている。俺たちは花園神社に移動した。

 神社の敷地内には劇団のテントが張られて、中から舞台の練習らしい、張り上げる声が聞こえる。

 その斜向かいの辺りに俺と麻美は並んで腰を下ろした。座るものはないから蹲っているだけだ。

 ところどころの木立は鬱蒼とした葉を茂らせている。歌舞伎町にあるというだけで、どこか擦れたような薄汚い印象のある神社。もちろん『不夜城』にも登場する。銃撃戦の舞台だ。しかし実際は犬を連れた短パンのオヤジが脇目も降らず横切っていく。

「ホストたちの黒い噂、もしかしてもう有希はカモにされていたのかな」

 俺が言うと、麻美はきっとなった。

「それはないと思う。あの子は生娘だよ、まだきっと」

「それは麻美の女の勘?」

「そう」

 ホストが行き場のない家出少女たちに入れ込ませて売り(売春)を強要する──残念だが本当の話だ。少なくとも俺たちが有希に声をかけたときは、彼女はまだその底なし沼にははまってはいなかったと思う。麻美が売春のリアルを話しただけで真っ青になっていたあの表情に嘘はない、と思う。

 でも、女の子の気持ちは俺には分からないところもある。もしあの後、何かの拍子でその沼に足を踏み入れていたとしたら? しかし。おれは麻美の横顔を見た。もしそうなら、気づかない麻美じゃない。そっちの方を俺は信じることにした。

「あのさ、麻美」

「ん?」

「麻美って、その、経験あるの。その、売り……って」

 あの時有希に語ったリアルさから俺はずっと気になっていたことを勇気を出して尋ねてみた。麻美は身体が男だ。売りをしていたら男娼だ。自分の中でももやもやとかすかに気にかかっていて、なかなか聞けなかったことを、この機に聞いてしまおうと思ったんだ。

「売り、はないよ」

 気にかかる言い方だ。

「それ、言う必要ある?」

 麻美は真っすぐに俺の眼を見た。俺はたまらず眼を伏せてしまった。

「いや、ない。麻美が俺に言う義務はないよ」

 内心、自分で聞いてから後悔の気持ちも浮かんでいた。本当は聞きたくないし、そんなことどうだっていいじゃないか。麻美はダチだ。大切なダチだ。そいつが秘めていることを、わざわざほじくり返してどうする。

「どうしても、っていうんなら言うけど、私もそういう話は君とはあまりしたくないのよね」

 少し謎めいた麻美の返事だった。俺の思いを見透かしたかのようにもとれるし、単に嫌なことを思い出したくないだけのようにもとれる。どちらもあるか。今麻美が一人だということは、たとえ何かがあったとしても今はそれは関係ないことなのだ。

 麻美が常に現在進行形なのは、この俺がいちばんよく知っている。



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