この子がジュリエットだと分かっていながら、この劇を降りることなんてもうできなかった。どうしようもない気持ちを抱えながら、家の屋敷の前に着く。
「とりあえず、僕の家へ」
「え……。この家って」
「君の者たちも、敵対している家までは探しには来ない」
「やっぱり、あなたはモンタ――」
言いかけた言葉を指先で阻止した。
指で唇に触れても彼女は、困ってそうだけど嫌がらない。このまま嫌がられないと、止まりそうもなくかるから、僕だって困る。自分の家の前で、敵の女の子といちゃついてる場合じゃない。
今更だけど、彼女に布を被らせ、一階の窓から入った。使用人が廊下を曲がるのを見届けながら、その隙に走り抜けて、いろいろと僕の手腕と度胸が試された。
「ロミオ様、今誰かお連れでは?」
「気のせいだ!」
そう言って急いで自室の扉を開け、ジュリエットを押し込み、すかさず閉めた。
「ロミオ、って言われてましたよね。今、たしかにロミオって」
ジュリエットは、真っ青な顔をしている。
「……やっぱりそうなんですね。ごめんなさい。私、あなたには会わないようにしてたのに……。すぐに名乗ってくれれば、私は……」
「僕が名乗れば、のこのこ着いてこなかった?」
「……っ! そんなつもりじゃ……。私、やっぱり帰り――」
ここに残ってと想いを込め手首を掴むと、ジュリエットの足は止めた。さっきからジュリエットは、僕の言葉に断れずにいる。それを知ってて、更に一押しした。
「まだ帰らないで」
ずるい言い方だと我ながら思う。「帰らなきゃ……いけないのに」とギュと目を瞑り葛藤するジュリエットが、悩みの果てに遂には握り返す。
「あぁ、本当に……。どうして貴方がロミオなの」
それからジュリエットは泣きそうになり、目に涙を貯める。
「まさかとは思ったけど……。勘違いであって欲しいって思ってた」
「そうだよ。モンタギューの家名を持つ、ロミオだ」
「いや! 言わないで! その名前を……!」
ジュリエットは必死に抵抗する。足が振るえ崩れ落ちそうになった彼女を、寸前で受け止め僕の腕の中に収めた。普通は出会ってその日に、抱きしめることなんて、おかしいことなのに。僕はなにも躊躇うことなくそれをやり遂げてしまった。ジュリエットもジュリエットだ。僕に身を預けてくるなんて。
これじゃ余計に、離したくなくなる。
冷静になれって言い聞かせても、もう遅かった。ジュリエットのことを、こんなにも愛おしく思っている。僕は、この感情をコントロールできそうにない。
「……好きだ」
言葉がこぼれ落ちる。言わずにはいられなくなった。抱きしめていると腕の中で、力が抜けたジュリエットは床にぺたりと座り込む。僕も引きづられるように腰を下ろすと、首あたりに腕を回し、ひしと抱きしめ返して来た。
「私も、です」
声を震わせ、ジュリエットは泣きながらは頷いた。どうしてせっかく両想いだというのに、君は泣いているんだ。僕も男だけど、少しもらい泣きをしそうになった。
抱きしめていた手を解き、少し離れる。彼女の頬に触れると、僕を見つめていたジュリエットの瞳は、委ねるようにまぶたを閉じた。無防備になったその唇に重ね……かけたところで。寸前になり、無性に恥ずかしいことをしている気がしてきた。
まてまてまてまてまて……ッ!
なんかムードに流されてるけど。抱きしめるのは、もうしてしまったとは言え、キスまでしても良いのか? 今日、会ったばかりだぞ。原作補正がかかりまくって、普通じゃない状態のは分かってるけど、キスってどうなんだ……?
僕は、そうだよ。前の時代でも女の子にキスしたことはどうせ無い。
小中は片思いだったし、そのあとは病気やらでいろいろあったから彼女なんていた事ない。いくら僕がロミオで、合法的に許されてるとはいえ、調子に乗って女の子の唇を奪うのはやっぱりよくないんじゃないか。
あれこれ脳内で言い訳をしていると、ジュリエットはゆっくりと目を開けた。寸前でストップしたのは、悪かったかもしれない。透き通る純粋な瞳に見つめられると、やっぱりドギマギさせられる。
「わ、私ったらすみません!! 乙女でありながら結婚前に。その上、私からまるで誘うような真似を……っ。こんなこと、神様に罰を受けるところでした」
真っ赤に染め上げた顔は耳まで赤い。ゆうても、僕も君に会ってから終始、火照っている。
「恥ずかしい思いをさせてごめん。……キスをする意志は、あるにはあった。本当だ」
……って何を言ってるんだ。油断をすればスルスルと恥ずかしい余計な言葉ばかり吐く。
「謝らなくていいです。……キスされるって、私が勝手に思い込んでしまっただけですから」
「しとけば良かったかな」
今さらだけど、しなかったのが惜しい気がして来た。ちらりとジュリエットの反応に期待すると、「……もし明日も気持ちが変わらなければ」と、やんわり今日するのは断られた。
僕もさすがにもう、仕切り直すのはできそうにないから、良いけど。
「…………やっぱり思ってた人と、違う……」
ジュリエットが僕を観察するよう、つぶやいた。
「思ってた? どういう意味……?」
「いえ! なんでもないんです」
ジュリエットは首を振って俯いた。話したくないことなら、それ以上は聞かない。
「そう言えば、パリス伯爵との結婚がどうのって」
そもそもジュリエットは、結婚が嫌で逃げ出してきた。まさかそこで、僕らは会ってしまうとは思わなかったけど。
「ロミオ……。どうしたら、いいの? こんな気持ちを持ったまま誰かと結婚なんて、考えただけで、死んでしまいそう」
「どうにかして断れないのか?」
「おそらく無理よ」
ジュリエットはキッパリと言い放つ。
「私の家で舞踏会があります。そこでパリス様と顔交わせも……」
「じゃ、参加しなきゃいいじゃん」
「それはできません!! 私は親に従うしかないの」
ジュリエットは、助けを求めるように僕の手に触れる。
「僕が、舞踏会に行くと言ったら、どう?」
僕が行くことに、どのくらい意味があるだろうか。ジュリエットに会わないように、行かないつもりだったけど、今となっては意味もないし。それなら少しでもジュリエットのために、何かしたかった。
「キャピュレット家の屋敷に? ダメ。貴方が危険です」
「分かってる」
ティボルトに気づかれたら、一触即発、大戦争しそうだ。仮面をつけて行けば、なんとかならないかな……。
「大丈夫。なんとかなるよ」
「ふふ、その根拠の無い自信はなぁに?」
わざと軽く言ってやると、面白くなったのかジュリエットは緊張の糸がきれたように、笑みをこぼした。そして「来てくれるなら、嬉しい」と僕の手を握りしめる。