夜、どうやって帰ってきたのかあまり覚えてない。多分、途中で友達に呼び止められて、家まで送られた気がする。
気づけば僕は、ベッドに横たわり天井を眺めていた。布団にもぐってみたものの、寝返りを何度しようが眠れないまま一夜明けた。日が登り始めると共に家をこっそり抜け出し、ロレンス神父の元へ行った。三十分くらいしくらいかでロレンス神父はやってきた。さすがは神父さまで朝が早くて助かる。
「聞いてください! ロレンス神父!!」
「朝から元気なやつだな。いつもは落ち着いてるのに、どうしたロミオよ」
走って駆け寄ると、物珍しいそうに僕を見る。言われてそんなに興奮してたっけ? と思ったけど、言われてみればたしかにそうかもしれない。
「結婚をしたい人がいるので、執り行って欲しいんです」
「お前が? 色恋など無縁だったお前が、付き合う話も飛ばして結婚とは、いやはや」
「自分でも不思議だとは思ってます」
「して相手の娘はどなたかな?」
「キャピュレット家のジュリエットです」
その途端、ロレンス神父は持っていたカゴを落とした。入っていた薬草が地面に散らばり、僕は代わりに拾った。
「ロミオの初恋が、キャピュレットの娘だと?」
改めて籠を受け取った神父は、叶いそうもない恋に、勝手に困惑された。ちなみに僕にとっては初恋ではない。説明がめんどうなのでやめておいた。
「本当だろうな、ロミオ」
「あの、僕の妄想とこではなく、ジュリエットも是非と言ってくれたんだ」
「嘘をつくとは思ってない。思ってないが……、いや……。しかし残念だがな、認めてくれる者はいるのか?」
「居ないからロレンス神父を頼ってるんです」
「誰にも言わずに結婚をさせてくれと……?」
膝を着いて懇願するも、ロレンス神父はますます困った顔になるばかりだった。
神父は長く考え込んだ。
「長年の争いが終わるのか――? これには意味があるかもしれんな。ジュリエットを連れてきなさい」
足元でずっと頭を下げていると、沈黙のあとロレンス神父は呟き認めてくれた。
約束をした午前九時。
ジュリエットが使いに出した乳母が礼拝堂へ姿を現した。天井の高い広い静かな場所で、声を潜める。
「お嬢様から話は聞きました。まさか、本当にお嬢様と? たぶらかしてるだけならお断りですからね!」
「真剣です」
「まぁまぁ! わたくしのお乳で育てたあの赤ん坊だった、あんなに小さかったジュリエット様が!! ジュリエット様にはまだ早いと思っていたのに。いつのまに好きな人をお作りになるとは! ジュリエット様は少し前まで、男性と話すなんてお父上とティボルト様くらいでしたのに。お相手がまさか、モンタギュー家の人間とは! 神さまはなんて運命を与えたのでしょう。よく顔を見せてくださいな」
乳母って本当に名前通り、実母に代わり乳で育てるんだなぁ。ジュリエットを自分の娘のように思っているのが伺えた。
そんな事を考えていると、その乳母は僕の顎に手を置いた。顔や足元から頭のてっぺんまで見回して品定めをしている。ちょっと馴れ馴れしく感じはするけど、我慢して僕もここぞとばかりに顔を引きしめた。
「あなた、ジュリエット様を最期まで守り、幸せにしないと承知しませんよ」
「約束します」
じっと、眺められたあと、乳母は少し眉をゆるめた。
「まぁー、良いでしょ。ジュリエット様が選んだ人だもの。その代わり、パリス様との結婚間もないのを断って、あなたが夫になるわけですから、それなりの覚悟を」
「それって、いつ?」
「すぐはすぐです。それにしても、お嬢さまとあなたが出会って、愛を確かめあっていたとは、この乳母全く知りませんでした。お嬢様のことは、なんでもわたくしめが、わかっているつもりでしたのに。ジュリエット様にはパリス様のような歳上の方で、町一番の評判の方こそが、お幸せにする信じてましたが、お嬢様が選んだ方ですものね。貴方もなかなか礼儀正しい若者なので、安心しました! ティボルト様はがっかりなさるでしょうけど」
ひとつ質問すると、百になって返ってくる。相槌を入れる暇もなく、乳母は喋り続いた。応援されてるのか、されてないのかだんだん分からなくなってきた。パリスじゃなくて、僕で悪かったなって気持ちもちょっと湧いてきてしまう。
追いつけないで聞き流していると、ティボルトの話へとなり変わる。
「ティボルト様は、それはそれは、妹のようにジュリエット様を可愛がっておいででしたので、パリス様との結婚の話を辞め、モンタギュー家と結婚したと分かれば、悲しまれるのは当然でしょうね」
怖いことを言わないで欲しい。悲しまれる? あのティボルトのことだ、あいつは黙って悲しむたまじゃないし、怒り狂って喧嘩売ってくるかもしれない。
一瞬、顔に出そうになったけど、悪態ついてぱーになるのは困るからぐっと堪えた。にしてもこの乳母は、ジュリエットから聞いてた通り、話が長い。
切り上げたいのもやまやまだけど、キャピュレット家の味方は一人でも作った方がいい気がするから、気が済むまで話しが終わるのを頷きながら聞いていた。
一通り話終えるたらしいタイミングで、すかさず僕は口を開く。
「――さっそくジュリエットに、すぐ来てくれるように伝えてください。神父にも話は通しました」
「年寄りをあまり急かすものじゃありませんよ。帰ったら必ず伝えますから」
よいしょ、と腰をあげる乳母。少し心配になりつつも、見送った。
それからずっと待っていると一時間ほどした頃にジュリエットは静かに庵の戸を開けた。僕もちょっと出かける時の服装だし、ジュリエットもきっと祈りの口実で来たからか、服装はとても結婚するようなものじゃなかった。
「前に進みなさい」
ロレンス神父は前方の壇上にたち、促した。
ジュリエットは背すじを伸ばし立っている。
「二人とも落ち着いて、神の前に」
「はい」
僕とジュリエットの声が重なった。それが少しおかしくて、顔を見合わせて笑ってしまった。
なんだか、この「誓い」の場にジュリエットが隣にいる自体、考えれないくらい嬉しい。僕と同じ気持ちでいてくれる奇跡をじわじわと実感してきた。
本当はすげー緊張と高揚で手汗がやばくて、手を繋いだら嫌われそうなくらいだ。ロレンス神父が聖書を開き、婚姻を執り行うその風景が、映画で見たそれそっくりで不思議な気分になった。
「嘘偽りなく答えなさい」
聖書に目を落としページをめくった。エフェソス人への手紙五章を読み上げる。妻は夫に敬意を示すこと。夫は妻を自分の身体のように愛すること。
「生きている限り愛することを、神に誓うか?」
ドラマや映画でよく見る結婚のシーン。気楽に見ていたけど、神の
僕もこの世界で、真面目に聖書に触れてきた。結婚は僕ら二人だけで完結する話じゃない。結婚とは、アダムとエバを創った神が、人間の幸せを願い、生涯ただ一人を愛するために作った制度だ。
悲しいことにこの時代も、神に誓ったのを忘れ、愛人だとか大抵いるし、僕のいた時代も、離婚だ不倫だと珍しくないほど当たり前に起きてしまっているけど。本来は、この厳粛な誓いを破るのは、神に憎まれる行為だ。
僕らは互いに「はい」と短く答え、それからロレンス神父は僕らのために導きを求め祈ってくれた。二人で目をつむりその言葉を厳粛に聞く。
いわゆる誓のキスを促されて、ジュリエットは手を繋いでしたいとお願いしてくるから、ためらってしまった。僕も一回目であんなキスをしたから、説得力ないかもしれないけど、キスをするなんて慣れてないんだよ。やるまでは勇気だっている。
「キスすると止まらなくなるから、ヤなんだよな」
「ロレンス神父様の前よ」
短くね。と、ジュリエットは言うけど、それについては約束できないし、人前でキスするのも少し恥ずかしい。そんなことを思っていると、ジュリエットはもう目を瞑り待っている。だから僕も意を決して唇を重ねた。
「ゴホン」
あ、ほら。またやってしまった。
その音に我に返り唇を離すと、咳払いしたロレンス神父がいる。失礼なことに途中から完全に存在を忘れていた。いざ口付けを交わすと、夢中になってしまうのを、なんとかして欲しいって思う。だいたいこれは、僕のせいじゃない。呪いだ、呪い。
「此処は神聖な場だ」
「……はい」
「まさかとは思うが、結婚を前に淫行を犯してないだろうな」
「いん……っ?! いえ!」
面と向かって言われて、馴染みのない人間には強烈な言葉で焦った。思わず首がもげるくらいに、左右に振った。教皇派と比べれば、聖書の教えやらは熟知してるほうじゃないけど、最大のタブーなのは知っている。もし犯していたら殺される勢いだ。僕もそんな気は起こさなかったし、少なくてもジュリエットの方がその辺はしっかりしてる。
「私たちは貞潔です。嘘は決してありません、ロレンス様」
「よろしい」
二人でしっかり何もしてないって否定すると、ロレンス神父の顔は和らいだ。どっちかと言えば、ジュリエットの真剣な顔つきを見て、ロレンス神父が分かってくれた感じがして、僕の信用のなさが伺える。ひどいな。
式を終え、深々と頭を下げてから、裏の扉から外に出てロレンス神父が育てている小さな農園で立ち止まる。そとの風にあたり、緊張が少し解けた。
「パリス伯爵が、離婚しろって言わなきゃいいけど」
結婚したばかりだと言うのに、ジュリエットは浮かない顔をしていた。
「簡単には離婚できないんじゃないの?」
「そうだけど。再婚できる方法知ってる?」
「え」
「ロミオをなんらかの理由で追放させるか、未亡人にさせるかよ」
「僕を殺そうとするかもって?」
ジュリエットは静かに頷いた。
「でも人殺しは、許されない行為だろ。さすがにティボルトだって」
「……この町は相変わらず、争いが絶えない。そのうち決闘を挑まれてしまうかも……。ロミオが刺されてしまうのも、ティボルトが怪我を負うのも、どちらも、良くない結果になると思うの」
「分かってるよ。決闘をしないって約束する」
「そのうち、ちゃんと親には話そう。僕らの結婚のこと」
「……うん」
「結婚を認めてくれた乳母とロレンス神父が口添えしてくれるよ」
ジュリエットはなかなか首を縦に降らない。
「やっぱりだめ。……上手くいかないわ」
「心配性だな、僕のジュリエットは」
抱き寄せると、頭一個分、背の低いジュリエットはちょうど僕の肩あたりにすっぽりと収まる。ジュリエットも預けるように身を寄せた。
「もし、本当にダメなら、死ねばもろともだろ」
自分でこんなことを口にするなんて、驚いた。昨日よりも今日。冷静な気持ちで、ジュリエットとなら行き着く所まで行っても構わないと思えるようになった。
もちろん、結婚の誓いが改めてそう駆りたてるのかもしれない。十七だと思うとつい甘えが出てしまうけど、ここは現代とは違う。僕が、夫としてジュリエットを守らなければ。
「…………うん」
ジュリエットはまだ怖いのか、腕の中で震えていた。
なにか安心させる言葉を。何か……。
「夜、行ってもいい。……かな?」
ん? 前の知識やら、この時代での常識やら、それからロミオの望む気持ちがぐるぐると駆け巡り、思ったことを言ってしまった。結婚した最初の夜にすることは? 安心させるため? 残された時間がないから思い出づくり? 自分でもワケわからないことを口走っている。
「え、なんの話し……って、え、待っ、そういうこと?」
「い、今のは、その……」
「バカ。この流れで?」
気まずい。ジュリエットがびっくりしたように、ドン引いている。ついでにジュリエットの目からは涙が引っ込んでいる。
「ち、違う。冗談だよ。冗談!」
「結婚の儀を終えてすぐそれだから、ロレンス様に疑われるんじゃないの?」
「……っ」
痛いとこ突かれすぎて、なんも言えない。気を抜くとすぐポロッと口走ってしまう。呪いだ、なんだって言い訳してるけど、僕の気持ちは全くないとは否定しきれないから余計にくすぶる。
慌てて弁解しようとしたら、ジュリエットは少し声を漏らして笑った。
「良いよ。今夜しかないかもしれないもんね」
「……え」
「さっきは、からかうつもりじゃなかったんだけど、ごめんなさい。でも顔が赤くなるの可愛くてつい」
「はぁ〜?!」
浮かない顔をしていたジュリエットはくすくす悪気なく微笑む。ジュリエットは確かに可愛いけど、男に可愛いと思うのはやめて欲しい。ちょっと元気になったみたいだから良しとするけど。
「ぶどう酒飲もうかな。シラフだとちょっと……」
「だめ。飲まないで来て?」
「……ん」
「酔っ払いはきらいなの」
「もしかして、舞踏会のキスを根に持ってる?」
「あの時のロミオ、悪酔いしてたんもんね」
あー、またからかってきてるな。いい性格してる。
「いいのか? 本当に……」
「うん。待ってるから、決闘しないできて。絶対だからね」
もう一度聞くと、ジュリエットは僕の頬に手を当てて、逆に念押された。
去っていく後ろ姿を見ながら、思わず自分の頬をつねった。
「痛い……」