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最初の夜に


 日中は決闘を避けるために、家にこもりすっかり暗くなった頃、外に出た……が。いざ外に出てみたものの、気後れしてきてバラ園に立ち寄ってみた。

 いつもなら気が休まる場所なのに、今日はどうも気が落ち着かない。バラに話しかけても生憎、返事はしてくれないし。いつも手入れしてやってるのに、薄情なやつだ。


 あーー。うん。……どうしたもんか。

 どうしたもなにも、ジュリエットに許可はもう貰ったし。結婚は済ましたし、神様にも許されるのはわかってる。わかっているけど……。

 ただ、僕が恥ずかしくなってるだけだ。


「よし! 行くぞ」

 勢い付けるために自分の膝を叩き、園を出た。



  途中、浮浪者のような古いローブを被った男がすれ違いざまに「いいのか。ちんたらしていたら、終わっちまうぞ」と独り言のように呟いて、通り過ぎた。


 まるで僕に言った気がして、はっとしたけど振り返るとその男はもう居なかった。




 好きだと言う気持ちが、僕を支配するのは分かっていたけど、その先さえも、求め始める。結婚したしその流れは当たり前と言えば、そうかもしれないけど。“ロミオのろい”の力に後押しされ、お節介を焼かれてる気分で、少し癪だ。


「たしか、どこかの塀が崩れてて……」

 物語では、隙間から入ってバルコニーの近くに木があるからそれを登っていたような。当然、正攻法な侵入のしかたじゃない。人に見つかった時は腹をくくろう。


 見つからないことを、神に短い祈りをしつつ、バルコニーの下に立つと、ジュリエットが僕に気づいた。ずっとそこで、僕が来るのを待っていてくれたらしい。それなのに僕は此処に来るまで、ちんたらしてたなって反省した。


「ロミオ。どうしてあなたはロミオなの? ……なーんてね」

 ジュリエットは冗談ぽく笑った。

「なんか聞き覚えがあるセリフ」

『ロミオとジュリエット』では言わずと知れたものだ。実際、言うんだな。


 それから急いで木に手をかけ登った。

「待った?」

「少し」

 普通は、待ってないよとか嘘でも言うもんだ。ということは、嘘がつけないくらいには待たせてしまったんだろう。


「そうだ。ジュリエット! ジュリエット聞いて。ティボルトとの決闘で誰も死なずに済んだよ」

「本当? 良かった」

「これで大丈夫だよな」

「ばか。まだ安心するには早いってば」


 ジュリエットは僕の身体が怪我してないか、肩や腰を触って確かめながら抱きついてきた。僕もそれに対して抱きしめ返す。


 少しして、抱擁を解くと改めてジュリエットが髪をおろしてるのに気づいた。ゆったりとした三つ編みが肩より下までさがっている。思ったよりも、髪が長いんだなって新たな発見をした。


「変、かな……?」


 じっと見すぎていたからか、ジュリエットは三つ編みを触りながらおずおずと数歩、後ずさりした。

 いつもは後ろに編み込まれて、肩には髪は落ちてないヘアースタイルだったからか、解いた姿を見て新鮮な気持ちになった。それに、日中の服装とは違い、なんて言うか部屋着……、いや、寝る時に近い簡素なものだったから、それだけでハチに刺された気分だ。


「夜にごめん」


 夜の暗さと月の光と、ジュリエットのゆったりした布の薄めのワンピースが照らされる。同じ歳でパジャマ姿を見るのは修学旅行と野外研修の時ぐらいだ。それに見ると言っても同じ男共だし。まして、女子と夜に鉢合わせするなど教師が、許すわけもなく。ここに来て合法的に拝めてしまった僕の心情はと言えば……。


 やっぱり僕が、ジュリエットを貰うのはおこがましい。君をみて、ますますそう思ってしまう。

 いや、違う。そんなことより、変じゃないよって言えば良かったのに、言いそびれた。


「ロミオったら、照れてる?」

「なっ、こんなことで照れるわけ」

「こんなこと?」


 どこかジュリエットは楽しそう。余計なことを言ってしまう前に、追求してくるのをやめて欲しい。もごもごして立ち止まっていると、ジュリエットは、横に座って? と促すように手招きした。それがまた僕の中のスイッチが押された気がした。


 ベッドに腰掛けると申し訳なさそうに、話を切り出された。


「今からするのに、難しいこと言うかもしれないんだけど私、ね」

「なに?」


 こっちもなんか緊張が走る。できるだけ優しめに聞き返す。今さらキャンセルされても嫌な顔しないようにしようと心構えをした。


「髪の毛を触られると、まだ怖くて……。難しいかもしれないんだけど、触らずに……お願い、します」


 良かった。一応はキャンセルはされなかった。胸を撫で下ろしつつ、ジュリエットは糸が切れそうな表情を浮かべていた。


 髪の毛を触られるのが苦手?

 そういえば、いつも髪の毛は垂れさせず結いて、更に首よりも上にまとめあげている。ジュリエットは自分でそのヘアースタイルが好きなのかと思ってたけど、理由があったのか。


「怖いなら、触らないように努力するよ」

「本当?」


 頷くとジュリエットは安心した顔に戻る。


「私ね、昔……、髪の毛引っ張られたり、追いかけられて階段から落ちた…………ことがあって」


 言いながら、その時を思い出したのか顔色が青くなり始めた。

「思い出したくないなら、それ以上は言わなくてもいいから」

「ん、ごめん。ありがと」

「頭を撫でたりするのは、良いかな?」

「犬や猫を撫でる時って、上から触ると怖がらせちゃうでしょ? そんな感じでやって貰えれば、多分……」

「耳とか頬に触れる流れで、みたいな?」


 多分、それなら大丈夫。と自信なさそうに言うから、我慢しないでと返した。約束をして欲しいのか指先をジュリエットが突き出すので、その手を取りキスをすると、手首あたりからほのかに甘い香りが漂う。


「香油……? なんで」

 と言ったら、至近距離なのに枕を投げつけられた。ボソボソと小声で「分かるでしょ」とか「気づくの遅い」とジュリエットは小言を呟く。

 嘘だよ。風習くらい分かってる。僕のために付けてくれたんだ、って痛感したら、つい咄嗟になんか変なこと言っただけだって! あるだろ? 感情とは反対のことを言ってしまう時が。


 なかなか進められない自分に対して、言い聞かせる。あれこれ考えるのは、やめだ! 確かにそうだ。あの変な男が言ったように、残された時間はもうないかもしれない。


 今を逃したくない。

 終わりが来そうで寂しさに駆られて、急ぐようにジュリエットの頬に触れた。


 本当は嫌だけど、呪いロミオの力を借りながら、それでやっと、ベッドに押し倒しながら口付けができた。


 その態勢から見える景色は、僕だけの特別なものな気がして、ちょっとくるものがある。なにも分からないって思ってたのに、いざジュリエットを触れると、どうすればいいのか知ってたかのように、動いた。


**



 鳥の鳴き声がした。


「ん〜〜〜」

 陽の光が差し込み、目を開けると横にジュリエットの三つ編みが今にも解けかけて寝ているから、あぁ……と思った。そう言えば、夜、途中で髪を触ってしまってないか、思い出そうとしたけど記憶が曖昧だ。


「おはよう」

「や。その言葉は言わないで」

 眠い目をこすりながら、寝ぼけるジュリエットは僕に行かないでと手を伸ばす。その腕に飛び込んで来て欲しいって、言葉にはしてないけど甘えてる。

 こんな所から早く、出ていかないと、行けないのはわかってるのに、そうされると僕の身体は言うこと効かない。


 「しょうがないな」と人のせいにして、本当は誘惑に負け、僕はジュリエットの腕に入りキスをした。夜のままで寝ていた僕らは、服を着てないわけで。夜は暗くてあまり見えなかったものも、朝陽で明るくなった部屋では、ジュリエットの鎖骨から下も、よく見えたわけで。触った時の柔らかった感触も蘇りかけて、瞬間的に恥ずかしくなり目を逸らした。


「いい、いいかげん、僕はもう行くよ」

「まだ朝じゃないわ」

「朝だよ。鳥だって鳴いてる」

「とり? あぁ、あの鳥は……」


 ジュリエットは、小さなあくびをしてまどろむ。だけど、髪に手をやりキスを落とそうと掴んだ時、びくっと身体を反応させ、ジュリエットは大きく避けた。


「髪はダ――」


 強ばった顔と震えた声。言いかけられた矢先に、ノックと扉の向こうからジュリエットを呼ぶ声がした。

「お母さまだわ!!」


 彼女は跳ね起きて、僕を押し除けた。

「まって。今、何時? もしかしてもう朝ごはんの時間かしら。私たち、すっかり寝坊を……?!」


 そのまま僕に目を向けず、肩から膝まですっぽり入る服を急いで被る。すぐに母親に返事をしていた。幸いなことに扉は開けてくる気配は無いけど、隠れようか迷い慌てた僕はベッドから落ち頭をぶつけた。なにをどうやったらぶつけるのかと、聞かれても僕が聞きたい。多分、シーツに足を取られてバランス崩して床に落ちた。

 ジュリエットは扉に近づきながら、壁越しで会話を続けている。


「今の音、なんですか?」

「なんでもないわ。お母さま、私、ちょっと寝ぼけてるみたい。ばあやに支度を手伝ってもらったらすぐに下に降りるから、少しだけお時間ください」

「できるだけ早くね。とても大切なお話があるんだから」


 流暢にウソをつきながらジュリエットは、僕に目で静かにしててと訴える。その場をしのぎ、母親はその場を去った。その間、僕はただ痛みと戦ってた。


「どうしたの。大丈夫?」

「いや、まぁ……。ごめん音を立てて」

「ぶつけたのどこ?」

「後頭部を」


 ジュリエットは頭をさすった後、僕の前髪を持ち上げたかと思ったら、そこに唇を落とした。他人には髪の毛触らないで欲しいと言うのに、自分からは触るんだな。

 僕だって、本当は少し触りたい。だけどあんなに怖がらせるなら、できない。


「痛み、和らぐと良いね」


 ふ、と微笑むジュリエットを見ただけで、痛みを忘れる気がした。それから僕の前髪を弄る。くせっ毛だからあまり好きじゃないけど、ジュリエットはお気に召したらしい。だけどなんか、気のせいじゃなければ、子供扱いされた気がしなくも無い。

「羊みたい」


 毛先が遊んでるだけで言うほど羊じゃないし。もやもやしたけど、聖書には神が愛着を持って人間のことを羊と例える時もあるし、ジュリエットにとって悪い意味では全くないのかも。


「さっきは、触ろうとしてごめん」

「ううん。大丈夫」

 ジュリエットは、ちゃんと僕をみてふわっと笑ってくれた。

「あっ。こうしてる場合じゃないんだった。ばあやがまた様子見に来てしまう」


 ジュリエットは、はっとしてパタパタと僕の服を拾い上げて、渡して来た。

 乳母なら僕らの結婚も知ってるし秘密にしてくれるかは問題と一瞬思ったけど。不法侵入な上にこんな決定的な場面見られたら、問題大ありだ。あのジュリエット大好きな乳母のことだから、あれこれ怒られるか、あるいは茶化されるか、とにかく気づけば脱線した話に変わり半日くらい続くに決まってる。


 ジュリエットは急いで僕が着替えるのを手伝い、早口で思いを伝える。

「明日ね、パリス様と結婚させられるかもしれない――!」


 僕のシャツにボタンをかけながら、ジュリエットが急に告白してきた。ちょ、今、さらりと言うことか?

「明日!?」

「まだ言われてないけど、きっとその話をされると思う」

「明日ってなんでわかるんだ」

「決まってることだから」

「そんなもんか?」

「だからね、私になにかあっても、待って欲しいのっ!」


 ぎゅっと僕の袖を掴み、必死なのが伝わる。頭が項垂れて表情が見えないけど、もしかしたら祈ってるのかもしれない。ジュリエットはなにか僕に伝えたいんだろうけど、言葉にならなそうだった。

 もしかして、なにか大きなことをしようとしてる? なにかって、この展開だと仮死の薬を飲もうと決意しているのか?


「今は時間がない。もう行くけど、今夜また来るよ。僕が来るまで、なにもしないで、待って居て」

「……っ、ロミオ」

 ジュリエットは深く頷いた。




 結婚をし妻を持った数時間でティボルトを殺して追放されるような、そんな失敗はしない。ジュリエットも離れ離れになることは願ってないし。もっとも僕はジュリエットが仮死状態から目覚めることを、最初から知って居るから、後追いなんてするわけないけど。

 大丈夫。絶対うまいかせてみせる。


「裏口から逃げるように帰らしてしまうのも、ごめん」

「そんなことはいいよ」

「いつか……ちゃんと」

「そうだね」


 できれば玄関から入れるほど、認められた仲になりたいけど、それは夢のまた夢だ。

 最後にもう一度別れのキスを交し、離れたくはなかったけどバルコニーのそばにある木をつたい下に降りる。

 数秒しか経たないのに、もう名残惜しいっ感じるのは誰のせいだ? 思い出すとまた触れ合った肌が熱を帯びるのを感じた。


 こんなの、僕がロミオじゃなかったら、ジュリエットに見向きもされないところだ。もちろん受け入れられた上で、やった行為だけど。生きてたころの僕からしたら、誰かを抱くなんて信じられないくらいだ。


 自分で自分のことが、分からなくなることが、よくある。これはロミオの気持ちなのか僕の気持ちなのか。

 僕はしっかりとジュリエットのことを愛しているのか。自問自答の繰り返し。本当は、強すぎる呪いロミオの力を借りて、行為をしたくはなかった。だけど借りないと、とてもじゃないけど、あんな事できなかった。


 ジュリエットのことを愛してると心から言いたい。けれど時々不安になることがある。夜のこともそうだ。力を借りたとは言え、もちろん偽りのない気持ちで、ジュリエットを抱いたけど、あまりにも展開が早すぎて、他のことを考える余裕が無さすぎる。

 もっとゆっくり考えていきたいのに、好き過ぎて、そればかりになる。何もかもシェイクスピアの脚本のせいだ。普通の人間のすることじゃない。


 ジュリエットは、僕が本当のロミオじゃないと知ればがっかりするだろうな。転生者だと本当のことを言ってあげた方が良いと分かってるのに、僕はジュリエットを手放す気にはなれなかった。この嘘は墓場まで持っていこう。

 君は僕でいいの? 僕は本当は、ロミオじゃないんだ。


「愛してるよ」


 この気持ちは、本物にしたい。僕はちゃんとジュリエットを愛している。これは本当に本当だ。伝わって欲しい。不安になってしまうのは、僕が所詮ニセモノのロミオだからだろうか。


 地面に降り、バルコニーに立つジュリエットを見上げた。彼女も目を逸らすことなく、疑いの余地ない瞳と声で「信じて。私もあなたを愛してるわ」と返してくれるから、救われた気がした。



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