目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ジュリエットは眠むる



 モンタギューの家に着くと、母は椅子に座り僕らを立たせた。


「ティボルトには近づかぬように、いつも言ってるでしょ。ベンヴォーリオもロミオをあの野蛮な男に近づけさせないようにしてと、あれほど!」

「叔母上。あっちから喧嘩を売ってきたのです。マキューシオはモンタギューを侮辱したので、買ったまでです。どうかロミオを怒らずに」

「マキューシオ……。あの子はいつも……! あなたはモンタギューの一人息子なのよ。もう少し、立場を考えてちょうだい」

「友が危険な目に合っていたので。見過ごせず……」


 言い訳を重ねてみるも、母は納得などしていない。

 マキューシオもティボルトほどでは無いけど、少し血の気が多い。母さまは、僕がその“悪友”とつるんでることをいつも嘆いていた。それでも完全には縁を切らせないのは、マシューシオが大公の親戚だからかもしれない。モンタギュー家の側にそう言った人脈を持っていたいとか大人の考えもあるのかな。


 こっちは男二人だというのに。母は一人で二人相手に威圧をする。僕らは逆撫でしないように、目を見合わせ無言で結託した。

「母は肝を冷やしました。……いえ、それよりも今は」


 わなわなと手や声を震わした。言うのもおぞましいと言った具合に。


「キャピュレットの娘と恋仲であると、聞いたのだけど。それは事実ですか?」

「……っ」

「どうなの? ベンヴォーリオ。あなたは知っていたの?」


 ずるいやり方だな。ベンヴォーリオはなにも悪くないし、何も知らない。これ以上巻き込みたくない。

「今さっき知りました」

「事実なのね」


 母は椅子の膝掛けを指でトントンと叩く。それでも足りず、また叩いた。その音を聞くたびに心臓がびくびくした。


「キャピレットの娘は、パリスって伯爵と結婚をすると聞いたけれど?」

「知ってます」

「結婚を控えた娘に、遊んでいると噂が流れるのは可哀想でなくて?」


 ジュリエットに情けをかけていると思わせて、本当は唾をつけたモンタギュー家に火の粉がかかるのを恐れ、咎めているんだろう。回りくどい。


「キャピレットと仲良くするなど、ありえません。幸い、あの子が嫁ぐからいいものを。縁は切りましたね?」


 僕らはもう結婚をしたと、言おうと思っているのに。とてもじゃないけど、言える雰囲気じゃなかった。仕方ない。親には何も言わずに、ジュリエットとこの町を出るしかない。


 では、最後の別れを言いに今夜、ジュリエットに会いに行きます。――なんて、冗談を心の中で呟きつつ……。


「はい」

 と、聞き分けのいいことを言ってみせた。


 もしまたジュリエットに会ったのが知られたら、もっと長い説教が開催されるだろうけど、今回は思ったよりも早く解放された。

 “また”なんて、気づかれた時には僕たちはこの町にいないだろうから、関係ないけど。


 ――――


 屋敷が寝静まったころ、親や使用人たちに気づかれないように、夜の闇に紛れながら外に抜け出した。本当はロレンス神父のところに立ち寄って、状況を把握しときたかったけど、真夜中で時間がない。そのままジュリエットの所へ直行することにした。


 木をつたい、角部屋にあるバルコニーに飛び移る。室内を覗くとベッドの上に腰をかけているジュリエットがいた。背筋を伸ばし両手を組み、目を閉じて動かない。

 良かった。まだ飲んでいない。一瞬だけひやっとしたけど祈り中みたいだ。今日は三つ編みにしていないのか、長い髪が背中まで流れている。


 祈りが終わり、ジュリエットの瞼が開く。が僕を見つめ、それだけなのに、この一連の流れが美しかった。


「……本当に来てくれたんだね」

「約束したじゃん」

「ティボルトに剣を突きつけられたって聞いて、心配してたの」

「最後まで平和的に努めてきたよ」

「ロミオが剣を抜かなかったのは知ってるわ。でも……」

「どっちも命を落としてないんだから、笑ってよ」

「そうよね」


 ジュリエットは不安そうな気持ちを残して、頑張って笑顔を作る。


 ねぇ。

 ジュリエットは、息を吐くような弱い声で話しかけた。


「今から私がすることロミオは分かってたってんだよね? 行き違いにならないように、直接確かめるために来たんでしょう?」

「……僕が、分かってるって?」


 ジュリエットが死を偽装するって話のことか? そりゃ物語を知ってるから。そんなこと聞くジュリエットはいったい……。


「じゃ、この小瓶の中身はなに?」

 ベッド横のサイドテーブルに置かれていた、十mlも入らない小さな瓶を見せた。

 仮死の薬だ。


「そう。よく分かったね」

 ジュリエットは僕が口に出して答えてないのに、“正解”だと言った。

「ロミオはこれを見ても、私が死ぬ気だって慌ててないのが答えだよ。これは、一時的に仮死状態になる薬」


 ジュリエットはその小瓶を両手で祈る時のように指をクロスしてぎゅっと握りしめる。

「ロミオ。いいえ、あなたの本当の名前は?」

「僕、の?」


 バレている。ロミオじゃないと分かったら嫌われる? 否定した方が正解? なんて答える? ただ冷や汗だけが流れる。


「まだ分からないの? 私も転生したんだよ。隠さないで良いから」

「っ!」

「やっぱり気づいてない」

「いつから……?」

 そっちは、気づいてた? その先はうまく言葉にならずに、代わりに唾を飲み込んだ。


「ずっと、聞こうと思ってたの。でも自信なくて、なかなか言い出せなくて、ごめんね」

「それは、僕の方こそ」

「何度か私は『ロミオとジュリエット』の話を知っているサイン送ってたんだけど。全然、反応してくれなく。気づいてなかったよね?」

「そう言われると、そんな気もする」

「鈍感」

 ジュリエット(じゃないけど)は、不服そうに僕の頬をつねった。



「シェイクスピアの書いた『ロミオとジュリエット』はたくさん舞台になり、様々な人が演じて、脚本も少し変わってるところもあるだろうけど、ロミオとの出会いのシーンはあんまり台詞は変わってないかなって思うの」


 まぁ私も、隅から隅まで覚えてるわけじゃないけど。

 と、付け足した。僕は、なんとなくの流れしか覚えてない。


「話の中のロミオは――、舞踏会で初めて会った時に、キスがしたくて上手いことをあれこれ言って、ジュリエットを納得させてしまうの。会って早々にね」

「ほんと、すごいよなー」

 他人事みたいに思って呆れたけど、僕らも似たようなものだった。


「でもあなたは出会って最初の日、しなかった」

 寸前までは行ったよーな。すこし、気まずくなった。

「それに舞踏会の時は、私が目をつぶるまで、しなかったでしょ? 私と同じように、戸惑ってるようにも見えたから」


 ジュリエットが結構、最初の方から違和感を覚えていたことにショックだ。でも仕方ないだろ、話なんてうろ覚えでジュリエットは会うとこんな感じなんだって勝手に納得してたんだ。


「あんな状況でよくみてられたね」

 僕は戸惑うことしかできなかったのに。なんでそんなに余裕があるのか。


「ちゃんと見てるよ」

 ジュリエットは僕をみて、全部許すように微笑んだ。


「信じてって言ったでしょ?」


 結婚をした次の日の朝。帰り際に、自分の気持ちに不安になった中で“私も貴方を愛してるわ”とジュリエットは返してくれた。


あなた・・・を――? それはロミオの中にいる、僕のことを?

 そこまで、伝えてくれていた?


 僕も。

 ……僕も架空のジュリエットじゃなくて、生身の人間を愛していたと思っていい?



「ジュリエット、……じゃないんだよな。なんて呼べばいい?」

「私が次に目を覚ました時に、本当の名前を教え合おう。それまでちょっと、おあずけ。ね?」

「分かった。……わかった、約束しよう」


「でもね、やっぱりちゃんと伝わるか不安だったの。良かった、直接会えて」


 伝達を失敗すればロミオはジュリエットが死んだと思い込んで命を絶ってしまう。ここが一番大事な部分だ。ぎゅっとジュリエットの肩を抱き、大丈夫だと伝え安心させる。


「勝手に飲むのを決めて、ごめんなさい。もっと時間があればいい方法あったかもしれないのに」

「それは僕も同じだ。なにも思いついてないし。僕もロレンス神父に従うよ」



 原作では、ジュリエットは一人、部屋に閉じこもって飲んでいた。その時、いろんなことを思いながら神に勇気を求めて一息に飲んだのを思い出す。追放されずに済んだのだから、傍にいてあげたい。


「やっぱり、僕が」

「もう。ロミオが飲んでも意味ないでしょ。大丈夫よ、手を握っていてくれたら、勇気出せるから」


 ジュリエットだけに飲ますのは、不甲斐ないけど僕が飲んだところでティボルトが、僕が死んだと思って喜ぶだけだ。しかも眠っている間に、ジュリエットはパリス伯爵と結婚式を終えているっていうね。そんなじゃ意味がない。


 やっぱり、パリス伯爵との結婚の前に、僕たちが駆け込みでして、そのまま死を偽装して逃げるなんて、かなり無理がある話だよな。当事者になってつくづく思うよ。


「別にわざわざ仮死にならなくても、今から二人で町を出てるのは?」

「……でも、やっぱり死んだと思わせないとあきらめてくれないんじゃない?」

「君の乳母は助けてくれないかな?」

 ジュリエットは寂しそうな表情で首を振った。


「ばぁやは、本当に私の母親のような存在で大好きよ。だけど、ばぁやは使用人なの。私にでもない、お母さまに仕えてるの。お母さまを差し置いて私の味方になんてなってくれないわ」


 ここに来て今更、どうするか話し合っても遅いか。やっぱり物語通りにジュリエットに仮死の薬を飲んでもらって、抜け出すのが一番安全か。


 結末を知っている自分がロミオの立場に立てば、うまく立ち回れると思っていた。だけど物語とは違うことをするとなると、何が起きるのか予想がつかなすぎて、どれが正解か途端に自信が持てなくなった。物語に翻弄され、好きだなんだって浮かれてる間に、なにもできないまま今日まで来てしまったし。本当はもっと、できることあったはずなのに。結局、ほとんど物語通りだ。


「葬式をしたのを見届けたら、そのあと直ぐに迎えに行く。そしたら、この町を出よう」

 約束の証に指を絡ませて握った。


「えーー、えっと、えっと。あとなにか伝えないといけないこと、有った気がする。思い出さなきゃ……。えっと」


 ジュリエットはもう片方の手で、頭に指先を横に立てながら考える。


「そうだ。パリス様には気をつけて。確か、“ジュリエット”に献花しに来るの」

「いつ?」

「何時かははっきり分からない。四十二時間の中で言ったら、後半だとは思う。その時、霊廟でロミオと鉢合わせして、ロミオはパリス様を殺してしまったはず……」


 またロミオは人を殺してしまうのか。『ロミオとジュリエット』は何人死ぬんだ。

「会わないように気をつけるよ」

「うん。じゃ、そろそろ飲むね」


 いよいよ、ジュリエットは小瓶の蓋を開けた。その手を、僕も上から添えけれど、それでもジュリエットの手の震えは収まらない。


「うん。ロレンス様のことは信じてる。絶対に調合は上手くいってるって。それにロミオもこうして隣にいてくれて、あとは飲んで起きるだけ。大丈夫、目が覚めたら全てうまくいくわ」


 自分に言い聞かせるように呟くと、ぐいっと一気に飲み干す。喉を上下させた。僕はジュリエットの背中を支えながら、抱きしめた。ピリピリと神経が麻痺していくジュリエットの身体を、抱きしめた腕から感じた。失っていく感覚に怯えるよりも、少しでも僕に集中してくれればと思ったけど。こんなことしても気休めってくらいに、ジュリエットは僕のシャツをしわくちゃになるほどの力で掴み、苦しみでもがく。

 僕はただそんなジュリエットに手を握りしめ抱きしめていることしかできなくて、少しずつ力ないものに変わっていった。


「ぅあ、……っ、う……、あぁあ……っ! はぁっ、はぁっ……っつ」

「ジュリエット! 頑張れ」


 肩で息をしとても苦しそうにしながらも、ジュリエットは笑って応えるように優しくボクの手を握り返してくれたけど、どんどん頬にかかる息が細くなっていくのがわかって、あっと思う頃には握った手は解けて行った。


 手も、指先も、腕も、足も、身体全て、力が抜けて、目を閉じ眠りにつく。僕の腕からこぼれ落ちてしまいそうに、だらっとし魂がぬけてしまった。名前を呼んでも、抱きしめても反応はもうなかった。

 死んでいないと分かっていても、こんな姿を見たら生きた心地なんてしなかった。


「……これでも大丈夫……なんだよな」


 四二時間。それが今からとても長く感じる。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?