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毒売りの男


 僕の腕の中で深い眠りに落ちたジュリエットを、ベッドに運んだ。できるだけ、服毒し息絶えたような自然さを持たせて。

  頭では死が嘘だと分かっていても、あの苦しそうな声が頭からまだ離れない。寝むりにつくジュリエットに、起きてくれと願うしかできなかった。


 不安でなかなかジュリエットの側から離れられないでいると、もうすぐ夜明けになる頃になった。朝になれば

 乳母が彼女の部屋に来る。そろそろ嫌でも帰らなきゃならない。ちゃんと起きろよと、願いをこめ額にキスを落とすと、僕はすぐにその場を離れた。



「おーい、そこの。そこの青年、毒は要るかね」

「……僕?」


 まだ日の出ない暗がり。そんな時間に外をうろついてるやつは、なにか事象があるか、怪しい気がする。ていうか見るからに怪しい…。

 隠れてジュリエットの部屋から出できたから、誰にも会わずに帰ろうと思ったのに。このひとは誰だ? しかも毒だって? 毒を売るのは違法だろ……。


「そうさ。ジュリエットを妻に娶り、夫となったロミオよ」

「……っ! な」

「見知らぬ男がなぜその事を知ってるかって? ある主に仕え世界を監視する者とでも言っておこうか」

「監視……?」


 僕がここを通るのを待っていたのか? 座っていた男はヨイショと呟き、立ち上がった。古びたマントにフードを被る男。浮浪者か分からないけれど、いい暮らしまではしてそうに見えない。表情も年齢もフードの影で判断はつかないけど、老人までは行かない背筋だ。姿さえ怪しいのに、小瓶をチラつかせながら笑う。

 そうだ、あの時は一瞬過ぎて見れなかったけど、前にすれ違った男だ。……また、僕の前に現れてどういうつもりなんだ……。


「これを無償でくれてやろう。要るだろ毒薬が」

「毒なんて必要ない、です」

「いいや、お前は要りようになる」


 物語のロミオはジュリエットが本当に死んだと思い込み、後を追い服毒した。でも僕は違う。ここまで来て、僕が飲む必要があるとでも? そんなシチュエーションなんてあってたまるもんか。



「状況は、依然としてよろしくない。どうするよ? 念の為にこれを持っておくのが良いとおうがな。言っておくが、この小瓶はそんじょそこらの代物とは違う。死に至らしめるものより、ずっと価値がある代物だ」

「なにを言ってるのか分かんない、そんな怪しいものは要らない」

 寒気がしてうまく動かなくなり、ゆっくりと首を横に振った。


「いいや、持っていけ。タダでくれてやる。……全てが上手くいかないと思った時に、服毒するんだな」


 距離を詰められたことで、やっと見えたこの男の表情。ニヤリと口の端を上げ、全てを見透かした目で笑った男は、僕の懐に無理やり小瓶を突っ込んで姿を消した。


ーー


 日が昇り朝になると、ジュリエットの死が確認され葬式は速やかに行われた。嘆く人々に見送られながら、キャピュレット家の霊廟へと運ばれるのを、僕は遠目から見ていた。


「あれは、……キャピュレット家のジュリエットだろ」

 結婚したと打ち明けた矢先に、こんなことになり友人二人は僕をどう慰めるべきか、戸惑っているようだった。


「今夜、霊廟に忍び込む」

「何する気だ」

「まさか、ジュリエットを運ぶとか言うんじゃないだろうな」

「そうだ。二人とも、頼みがある。僕が霊廟から出てくるまで、外の様子を見てて欲しい。誰か来たら合図して欲しい」

「ろ、ロミオ。それは……」

「俺はやらねぇぞ。バレたらどうなる」


ベンヴォーリオはおどおどし、マーキュシオは反対した。

「信じてもらえるか分からないけど、ジュリエットは生きてるんだ。二日くらいで起きる。…みんなには死んだように見せてしまったけど。こっそりこの村を出て暮らそうってジュリエットと約束したんだ」

「どうかしてるよ、お前」

「無理言って悪かった。一人でやる」


 もし火葬する風習があったら、ジュリエットは燃やされてたところだ。この時代はそのまま霊廟に安置することに心から感謝した。


 夜中になるのを待ち、ジュリエットのいる霊廟の前に来た。扉には固く錠がはめられていたため、金槌で強引に扉を開ける。中は薄暗く寒々としていた。日本の火葬した霊園とは違い、此処では焼かずに安置する。先祖がミイラとして残るこの霊廟はどうしても不気味で慣れない。オマケに隙間から風が吹き、音が怖い。


「本当に、死んでいるみたいだ」


 寝かされているジュリエットは、薄い布を被され、胸の前で手を組み、目を閉じている。頬は、最後に触った時とは違いとても冷たくなっていた。抱きしめるのに少し躊躇いつつ、長居はしてられないから深呼吸して覚悟を決めた。



 まだ死の中にいるジュリエットを抱きかかえ外に出ると、待機してもらったベンヴォーリオが状況が飲み込めないまま立ちすくしていた。外にいるだけなら、って最終的には心配して来てくれた。


「墓荒らしみたいなことしていいのか……?」

「しかたないんだ」


 あいつには、町を出るため馬などの手配をしてもらっていた。日中に友二人には事情も説明したけどすぐに、はいそうですかってならないのもわかる。


「おい、本当にジュリエットは生きているのか? 彼女は目覚めて一緒に暮らすだと? 俺も横で見てんだ、葬式を。間近で見れば見るほど本当に死んでるみたいじゃないか」

「必ず起きるよ」

「しっかりしろよ! 現実が受け入れら無いだけだ、お前は。恋人が死ねばそうなるのは、……無理もない」


 僕の肩を揺さぶったベンヴォーリオは、優しくも言葉を選ぼうとしてくれている。

「それに、家では使用人たちがあれこれしてくれたけど、家を出れば貴族でもなんでもない。これからやっていけると思ってるのか」

「馬を見てくれてありがとう。そろそろ行かなきゃ。誰か来る前に」

「ロミオ! 話しは終わってない」

「マキューシオにもよろしく」

「……ったく。強情なやつだよ」


 馬の顔を撫で付け、これからの道中をお願いした。跨ると、ベンヴォーリオはジュリエットを持ち上げ僕に渡す。触れたことで改めて、ジュリエットの冷たさを感じたんだろう。友人は顔を少ししかめた。


「生きているって言うなら彼女が起きたら、手紙でも書けよ。そしたらお前の夢物語も信じてやれそうだから」

「分かった。書くよ、必ず」

「やっぱり起きなくても書け。必要なものがあれば、また協力してやる。住んでるところ教えてくれれば、マキューシオも引っ張ってでも顔見せに行くから、……それまでしっかりしろよ」

「ありがとう」


 町の入口近くに行くと、今度はマキューシオが立っていた。友人に別れの挨拶もできないまま、今夜は来てくれないと思った。


 彼は、馬に乗せた深く眠るジュリエットを一瞬だけ見て僕に向き直る。


「言い忘れたことがある。パリスのことは、親戚だから分かるけど気をつけろ。優等生に見えるが何を考えてるのか分からない。……これで上手くいくかどうか」


 僕もギリギリのところを歩いてると思う。ほとぼりが冷めてから、親たちには打ち明けられるのか、一生逃げ続けなきゃいけないのか。あんまり得策じゃないだろう。でも今はこれしか方法が思い当たらない。


「俺は今夜のことは、何も見てない」

「そうしてくれ。ベンヴォーリオとマキューシオが誰にも見られてないことを、祈ってるよ」

「お前な、自分のことを祈ってろ」





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