「っ! 夢? か……」
はっと、目が覚めるといつもの朝だった。
手に残る感触が夢なのに、すごく生々しい。
どうして、僕はあんな事を……。
「気持ち悪い……」
食欲を無くして、僕の部屋に持ってきてもらった。朝ごはんはスープにパンをよく浸して、少しだけ食べる。ベッドの上で、こうやって一人で食事をするのは、ずっと昔もしたことがある気がした。
その記憶にある『僕』は、今より少しお兄ちゃんだし、髪は黒くて目も黒い。なにか別の国の言葉を喋っていた。天井はとても明るいし、なんか変な紐も繋がってた。全然別の人だけど、それは僕なんだと、なぜかそう思う。
僕は今、九になるけど、あのお兄ちゃんは何歳くらいなんだろう。
「おーい。調子はどうだ? また吐いたって?」
部屋にマキューシオとベンヴォーリオが遊びに来た。あいつらは、僕にあの噂があっても気にせず友達になってくれた良いヤツらだ。
あの噂を気にしているのは、同性ではなく、僕と同じくらいの歳の娘を持つ親たち。きっと、『ロミオと結婚をした娘は不幸になる』とか。それこそ、流血を引き起こすとか。呪いが憑りそうだからって、娘を僕と話すのも避けさせている。
「少し、外出れそうか?」
本当は、走ったり、チャンバラだとかしたいだろうに、二人は気を使ってくれている。
ここに居ても、消毒臭いだけだから、親に許可をもらってから散歩することにした。消毒? これはあのお兄ちゃんの部屋の話だった。
母さんは、少し心配症だ。なによりも、あの指輪が原因なんだと思う。僕の具合が悪くなる原因かもしれないと、嘆き、町の噂に母さんは疲れさせられている。
そんな中、僕と仲良くしている二人は、母さんにとっても貴重な存在なんだと思う。歳上のマキューシオはこの中で二つ年長だからか、信頼をおいてるし。ベンヴォーリオは親戚だから、仲は良いし。
「歩いて大丈夫か?」
「途中で気分悪くなったら、言えよ」
「あの夢を見なきゃ、へいき」
友達二人も、なにかと心配してくれている。
『ロミオ』
「今、誰か、呼んでた……?」
目的のないまま、ふらふらと三人で歩いた。そんなとき町中で突然、僕を呼ぶ声がした。
「ん? なにも聞こえなかったぜ」
「ほら、多分あのローブを着てる人が――」
指を指し、あの辺と、教えたけど二人にはそこに人が居るのが見えないらしい。怪しい人だ。だけど、みんなには見えないって、なにそれ、余計に興味が湧いてしまった。それに、この人を見たのは初めてでは無い気がする。
「ちょっと行ってくる」
「はぁ? ちょ、ロミオ! 呼ばれたってな、それ近づいていいやつかなのか?」
駆け寄って見て、ふと急に舌に苦味を感じた。
この人から、僕は前に何かをもらったことがある……?
「約束通り、来てやったぞ。寝坊助、そろそろ起きる時間だ」
「僕も、おじさんのこと知ってる気がする」
「あぁ、そうだろうよ。この瓶に見覚えは?」
「……毒」
なぜ瓶の中身が毒だって、わかったんだろう? 自分でも不思議だった。しかもその味さえ舌が覚えている。すごくまずくて、意識が持ってかれる味。
怪しげなおじさんは、両手をパンっと音を立てて叩いた。その音を聞いた途端、頭の中に色んなものが見えた。少し大きくなった僕と、その通りには夢に出てきた姿より、歳上になった女の子だ――
「……あの人は、ジュリエット…………?」
それに、もっと、大事な事があった……。
そうだ、航生だ。僕はロミオなんかじゃない。こっちが本当の自分だ。
日本での十七年の記憶と、ロミオとして生きた日々。短いけれど、どれも強烈な、
「ゆか……?……結夏はっ! この世界のジュリエットは誰だ? じゃないと僕はここに来た意味がないっ」
「さぁな? それを確かめに会いに行ってやってはどうだ?」
毒売りの男はキャピュレット家がある方角に目をやった。
「ジュリエットの記憶は……?」
もう一度、振り返ったが男の姿はもう無かった。会って話しても思い出してくれるか、一瞬だけ不安になったけど、そんなこと思ってる暇はない。
足はもう走ってた。
「ロミオ〜! 今度はなんだ? どこいくんだよ」
「悪い。用事思い出した……っ!」
「おまえ、吐いたんじゃねぇのかよ。元気じゃん」
キャピュレット邸の塀まで行くと、壊れて穴になっているところがあった。ここの穴っていつから空いてるんだろなと思いつつも、ありがたく、こっそり侵入させてもらった。
何度も。それこそ結夏のときと、ひまりの二回分、壊れた塀から入り木をよじ登ったことか。今度も容易く登れると思ったのに、この背丈じゃ腕や足が短くて届かなかった。
「この木ってこんなに高かったっけ?」
足をひっかける場所の無い幹に無理やり足を置き、これ以上ないほど手を伸ばす。届け。じゃないとジュリエットに会えない。結夏であってくれ。
せっかくあの男が早くに思い出させてくれたんだ。今、会えなかったら結末は同じだ。
腕の長さが、足りない……っ。
届け届け!
けれど、幹から滑っていく。
宙ぶらりんになった腕が、力に耐え切れずに離してしまった。
あっ、と思うと同時に、盛大な音が庭に響いた。
「……い〜っ!!」
身体に落ちた痛みが走る。
「だれ?」
音を聞きつけて、二階のバルコニーから目だけを出し覗かせている。恐る恐る見ていたけれど、同じ歳の子だと分かったのか、女の子は少し警戒を解いて身体を乗り出した。
「男の子? どこの子? ここはキャピュレット家の庭よ」
遠くだと良く見えないけど、あれはジュリエットだと思う。
「……っ」
「大変!! あなた、まさか木から落ちたの?」
まだ痛みでまだ起き上がれない僕に、ジュリエットは「待ってて」と言った。程なくして桶を持ち、中の水を跳ねさせながら庭へと降りてきた。
「怪我は? 大丈夫?」
僕の顔を覗き込み、桶の中で布を絞ると僕の額にあてる。
やっぱりどんな姿でも、ジュリエットは可愛いかった。
「……あ、ありがとう」
「良かった。しゃべれるなら、大丈夫そうだね」
七くらいの姿のジュリエットがいた。一人娘として大切に育てられてるのが、見ただけで分かった。髪を一つにして整えられて、小さな髪飾りも後ろにつけている。
後ろで揺れた三つ編みの髪は、髪の毛に触れられるのが怖いと言った、結夏と重なる。
「……ジュリエットだよな」
「そうだけど。あなたは? 遊んでるみんなの中には、居ないよね」
「僕は、モンタギュー家のロミオだ」
「え? モンタギューって。お母さんがそのお家の子とは遊んじゃいけないって。あと…………」
言いづらそうに口を閉じた。大方、あの噂と顔が繋がったのかもしれない。キャピレット家ではどんなおヒレをつけて、ジュリエットに伝えだろう。呪いだとかこれみよがしに言って、そうとう印象悪く、吹き込んでるに違いない。
「静かに、話して……誰か来ちゃったら大変だから」
ジュリエットは、周りを気にしながらも、その場を離れなかった。自分の口に人差し指を当てる。
「あの噂、知ってるのに僕のそばにいて、良いのか?」
「だって、あなた怪我してるじゃない。ほっとけないでしょ。ロミオが立てるようになるまで、ここにいるわ」
「……」
「だけと、今日話したことはお母さまには内緒ね」
不思議な気持ちになる。この子は見た目は七歳だけど、雰囲気はそれよりも上のように見えた。だけどまだ記憶は曖昧なんだろうか。
「こんな所に、なにしに来たの?」
「会いに来たんだよ」
「私に……、ロミオがなぜ?」
「ジュリエット」
僕が名前を呼ぶと、持っていたタオルを落とす。見ると、ジュリエットは自分の耳を塞いでいた。
「……変なの。ロミオにジュリエットと呼ばれるとなんだか……」
「僕の顔ちゃんとみて」
「あなたは、だれ……?」
耳から手を剥がし、その手を掴み続けた。ジュリエットは僕が手を握っても、嫌がらず、赤く染まった顔のまま、見つめ返してくれている。
「結夏。この名前に聞き覚えはないか」
ジュリエットはまだ記憶が戻りきってないのか寝起きのように微かに反応する。彼女の脳裏にいろいろなものが映し出されているのか、困惑の表情を浮かべた。
「私、どこかで会ったことが、……ある」
「初めて会ったときはさ、ジュリエットに会わないつもりだったのに、舞踏会の日の前に、会っちゃってさ」
「……っ」
「結夏はなんて言ったと思う? 助けてって僕に言ったんだよ」
「ゆか、それが私の名前……?」
結夏。
頼む、結夏であってくれ。
「――そしてあの日、仮死した君を連れて、離れた町まで逃げた。そこで、名前を教えあったんだよ」
「……薬を飲む時に、ロミオは隣にいてくれた……?」
思い出してきたのか、目がはっきりとしてきた。
「僕の名前を、言ってみて」
「こう……きくん?」
うん、そうだよ。言おうとしたけど胸がつっかえた。
『くん』と呼ぶのは一人しかいないし、その表情は結夏だ。
やっと、会えた。
「航生くんが刺されて、わ、私、気が動転して、それで…………パリス伯爵を――!」
青ざめて手が震えた。
過呼吸気味になりかけてるのを見て、僕は結夏を引き寄せて、抱きしめた。
この温かさが愛おしくて、しばらく離せそうにない。
「大丈夫。あんなの痛くないって。今、こうしてまた会えたんだ」
「航生くん」
「……うん」
結夏は僕の腕のなかで、落ち着いたもののまだ少し震えた声で言った。
「私を探してるって、……聞いて。航生くんはまた、あの世界をやったの? ロミオも、ジュリエットも死んでしまう世界を……っ」
「僕が諦め悪かっただけだよ。本当は、あそこで諦めていたら良かった良かもしれない。そしたら、ひまりは僕に会わないで済んだし、こうして結夏をまたこんな世界に、戻すこともなかった」
……だけど。
結夏は首をゆっくりと振った。
「私も、会いたかったよ。……ごめんね、一緒に来てあげられなくて。航生くんを、一人にして辛い目に遭わせて」
そんなことはない。こんな所にまた、来てくれただけで十分すぎるほど幸せだった。
結夏はやっと、震えがおさまったのか僕の腕から抜けて、向かい合う。
「僕に関わると、呪われるんじゃないかって言われてるけど、本当に後悔はない?」
「なに言ってるの。航生くんがロミオで、私がジュリエット。それ以上の悪いのことがある?」
「そうだったね」
「それに、あの指輪。血がついてたって。関係あるよね? 二回目でなにがあったの?」
「あんまり、聞いても良いもんじゃないよ」
「それでも、教えて。航生くんが、苦しかったことを知りたいの……。私を探すために、前の世界でなにかあったんでしょ」
結夏は、また泣きそうな目で僕を見つめた。結夏には、隠し事ができそうにない。
本当は、僕の胸だけに置いとこうと思ったのに、受け止めてくれるから、弱音を吐いてしまった。