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第17話・新しい季節へ

 明けてから、城内は上に下にの大騒ぎになった。隅々を調べ尽くして、吟遊詩人と、フィアナの例の面々がいなくなっているのがわかった。

「やられた!!」

エルンストが吐くように言った。ここはエルンストの執務室。本人と、オルト、ユークリッドをはじめとしたフィアナの中心メンバー、ナヴィユがいる。侍女頭目もいたが、彼女は今、当座の対策を講じる輪に加わるどころか、人の支えがなければ立ち上がれない程うろたえきっている。

「あいつ、その方面と通じていたのか」

「すっかり油断していたわ」

オルトも、おのが身を抱き締めるように腕を組み、沈痛な面もちだ。

「追って捜索させていますが、深夜の御出立となれば、半日の時間差をうめる事は難しいでしょう」

ベンヤミーノが言った。モイラ失踪の事実が判明してからのユークリッドの動きは、曰く「同期入団以来ツウカアの仲」である彼であっても、矢継ぎ早の指令に目をまわした。そのユークリッドは、ここから出来うる限りの指令を下した後は、じっと押し黙ったままである。

「事後承諾になりますが、殿下のお名前ですべての港を封鎖させる文書も早馬で出しましたが、これもおそらく」

「密航させてくれる組織はどこにでもあるよ」

ナヴィユの声は冷たい程に冷静だった。

 そこに、である。追走していたフィアナ団員が帰って来た。

「どうだった」

「森を出たあたりの麦畑の中に、フィアナ制服を着た数名の死体を発見しました。死後数時間…昨夜半過ぎと思われます。身元は追走した我々が確認し、附近の教会に収容させました」

「え?」

その場の一同、先が見えなくなった。

「死体の様子はどうだった?」

「少々、小競り合い程度の戦闘の行われた痕がありましたが、いずれも、致命傷は、急所を一撃されたものでした」

「まさか、ウラウンが殺ったのか?」

「その可能性は高いです。ディアドリーを経由する街道は人通りが少ないですし、まだ雪は融け切っていませんから、こんな場所を旅するのは酔狂に近いです」

エルンストは唸り、ナヴィユに尋ねる。

「ナヴィユ、傭兵はどう分析する?」

「確かに、クラウンは、吟遊詩人にしては胡散臭い身のこなしではありました。性格的に、外部からの密偵だと判断できなかったので、つい看過してしまいました。

 不覚を取りました。申し訳ありません。このようなことを水際で防ぐのが私の使命にもかかわらず」

ナヴィユは珍しく頭を下げた。雪に振り込められた少し間抜けなバードという先入観が先に立って、クラウンの正体を疑うことすらできなかった。一同、怒りのやって行き場がない。

 クラウンが一体どこにつなかっていたのか、考えるだに恐ろしい。ただ、ロクスヴァの介入だけを監視するためにカイルから差し向けられたのだとしたら、私信程度の交流であるから安心はできる。だが、モイラを使って民衆の懐柔を考え始めたオーガスタ当局や、動乱状態のオーガスタに侵攻を企む第三国であるとなると、モイラの状態がクラウンによってもれると言うことは大問題なのだ。

 その時、押し黙ったままのユークリッドが、いよいよ言った。

「殿下、私の『新フィアナ騎士団』団長職をおとりあげ下さい!」

「え」

「パラシオン騎士として、私が王女を探します!」

「そうか」

エルンストは、数瞬眉根を寄せた思案顔をしたが、

「わかった、モイラの捜索はお前に任せよう。何人か連れていけ。ナヴィユもだ。だが、条件がある」

「はい」

「お前の身分はそのままだ」

「ですが、これからの私の動きいかんで、殿下のお足下を揺るがせてしまうかも知れません」

「そんな事は気にするな。俺の名前を背負っていた方が動きやすい事もある」

「素直に受けていた方がいいかもよ」

ナヴィユが、横から首を出す。

「そうだ。ロクスヴァ公とディートリヒは役に立ちそうで、カイルとの確執があるからな、政治力としてはあてにできん」

「ではお言葉に甘えます」

「よし、ではすぐにでも発て。いい結果を期待しているぞ」

「はい!」


 「ねえ」

モイラはすでに船上であった。彼女達を追い抜いた早馬で届いた港封鎖の通達ではあったが、そういう事態を先読みしていたクラウンによって、金色の鼻薬を嗅がされた船主は意気揚々と帆を上げた。ちなみにモイラは、出航前の準備で、町娘のような格好にさせられている。

 船が、白い波を上げながら進むその舷側を覗き込みながら、モイラはこんな事をクラウンに訪ねていた。

「みんなは、どうしたの?」

みんな、とは、死体で発見されたフィアナの面々の事である。いつの間にいなくなってしまったのを、ここまで気にして来ていたのだった。

「さあ、どこに行ったのでしょうねぇ。あるいは怖じ気付いたのかも知れませんよ。王女のたってのお願いとはいえ、誰にも何も言わずだったのですから」

「ナヴィユとユークリッドにだけでも、言っておけばよかったわ」

「ナヴィユとは、あのいつも剣を持っている黒髪の麗人の事ですね。ユークリッドとは…どなたでしたっけ」

「前に話したじゃない。私の大切なお友達よ」

「ああそうでしたね…とんでもない」

いいながら、クラウン も一緒に舷側を覗き込んだ。

「そうしたら殿下に素通りじゃないですか、殿下がお許し下さるはずがありませんよ」

「やっぱりだめだったの?」

「それよりも、のちのちお目玉をいただく覚悟で会いにおいでになった方が、それほどまでにと、アレックス王もお喜びになるでしょう。アレックス王がお口添えされれば、エルンスト殿下も、そう目くじらをたてられることはないと」

モイラは「そうね」と無邪気に納得して、折しも船上空に差し掛かった海鳥の連隊飛行の影を見つけ、口をぱくりと開けたまま、それを長いこと見上げていた。


 オーガスタの某小王国の小さい港に、人目ををさけるようにモイラの乗った船がついた頃、準備移動込みで一日の遅れになったユークリッドとナヴィユ達、結団以来のフィアナ精鋭の一行が、ロクスヴァの港に降り立っていた。

 数年前、ブランデルに当時ロクスヴァ公女のオルトリンデが輿入れすることが決まり、そのためと今後のためにと大きく整備された国第一の港である。それがこの朝になってブランデル側の一方的な都合で港の封鎖が告げられて、その舌の根の乾かないうちに、ブランデル王太子の署名の入った令旨…しかもその内容たるや、「この書状を提示する者は、ブランデル王国王太子エルンスト・コラート・イダ・カバリエーレ・ルア・ブランデルの代理人にして、その要望するところは可及的迅速に叶えられるべきものである」というもの…を持ったものものしい雰囲気の騎士数人を乗せた船が入ってくるのだから、ロクスヴァの海の男達は、その船から物資や武具馬具や馬が下ろされるのを、怪訝そうな顔をしながら遠巻きに見守っているのであった。

 「可及的迅速な」早馬によって、ユークリッド達の到着を知った公爵とディートリヒ親子とは、オーガスタに近い、接収されたままの異教徒インギー族の城で会った。ディートリヒは引き続きこの城を、現在は夫人とともに居城にしているという事である。ユークリッドが緊張した面もちでディートリヒらの出迎えを受けている横で、ナヴィユは未来の夫である騎士ライナルト・アイゼル…かのジェイソン卿の息子である…とがっちり四つになっている。

「急かせてしまって申し訳ありません。ですが、パラシオン急進派の仕業でないという可能性が濃くなって来た今、王女のお身の危険はいよいよ高く、猶予のなくなって来ているのが実情です」

そうユークリッドが言うと、公爵は貯えたひげを撫でながら

「うむ、アレックス王が妹姫をそれは大事に思っておられた事は、私もブランデル王もよく知っているつもりだよ。二人して、本当の子供のように気にかけて来たのだから」

と言った。横でディートリヒが言う。

「お前も知っての通りに、公式には、ミハイリス帝国当局としてはこの問題に介入しない姿勢だ。家臣ではあるが独自性も強い公爵家は、それぞれの判断にゆだねられているが、公で無関心を決め込みながらカイルはあのようにグスタフと取り引きをしている。私としては、モイラの発見にできる限りの事をしてあげたい」

「ディートリヒ、自重しないか。お前まで動いて宮廷をかき回す必要はない」

「ですが父上、アレックスの遺志がそこまでないがしろにされているのは、友として見過ごせる事ではありません」

「だからこそ、エルンスト殿が、こうして王太子直属の精鋭を派遣されたのだろうが」

公爵は言う。

「マクーバル卿、相変わらず気の逸る息子で迷惑ではないか?」

「いえ、公子閣下のそういうお気持ちがあるだけで、我々はいっそう心強くなれます。公爵閣下のおっしゃるように、どうか御自愛下さい」

「奥方をお迎えになってやっと落ち着いたところではないですか」

と言ったのはナヴィユだ。ディートリヒはばつの悪い顔で唸る。 公爵は豪放に笑った。

「それを言われるとつらいな」

「仕方ない、ライナルト、ユークリッドを手伝ってあげてくれ。いろいろと不案内だろうから。そして、ちょくちょく私に報告をくれよ」

「御意」

ライナルトが一礼した。


 「マクーバル卿…いえバスク卿とお呼びしましょうか、その節は公子がいろいろと御心配をお掛けして」

と、パラシオンへの道々、ライナルトが謝る。貴族身分の名字で呼ばれることはほとんどなく、ユークリッドの返答は一瞬間があいた。

「いえ、気にしないで下さい、アイゼル卿。カイル公爵との確執さえなければ、公子の御助力も仰ぎたかったくらいですから。

 それから、私は卿と呼ばれるのは慣れていないので」

「いえいえ、ナヴィユのこともありますし、せめて団長と呼ばせて下さい。

 私事ながら、彼女のことはいつもお気にかけていただけているようで恐縮です」

ライナルトの物腰と言えば、ユークリッドのような実用的堅実な部分もありながら、不思議に洗練さもあり、(ナヴィユ「キザっていうんだよ」)本当ならもう少し見習うべきところもあるのだろう、だがその時のユークリッドはといえば、モイラ失踪の前兆も感じる事のできなかった(ほぼ四六時中そばにいたと言うのに!)自分を内心拷問に掛けながら、馬の上で綽々とナヴィユとじゃれているライナルトを流し見る余裕もなかった。呼ばれ方なども、実を言えばそんなことはどうでも良かった。


 だが、パラシオンに到着した一行が待っていたのは、こんな返答だった。

「王女はお戻りになっておりませんよ」

「え?」

出迎えた老家臣がそういうなり、旅装のまま、ユークリッドはへたりと腰を抜かした。

「そんなばかな」

「お戻りになるなら、前もって御連絡が会ってもいいものでしょうが、それもありません」

「何てこった」

言葉を整える事も忘れて、彼は団員に支えられてゆらりと立ち上がった。老家臣は、見知っているこの男が、半ば我を失った有り様を見て、重大事態の幕開けを悟ったらしい。

「とにかくまず、事情をお話し下さい。王女に一大事が起こったとあっては、我々ものんびり構えてはいられません」

さあ、中に。そう担ぎ込まれて、ユークリッド達は、モイラ失踪に至るまでのいきさつを語った。

「そんな男聞いた事もありません」

とは革命分子首魁ヒュバート・アクターの言葉である。

「第一、パラシオンの関係者であればそんな小細工などせずともディアドリーは受け入れてくれるはずでしょう?」

「姫様本人には会えないけどね」

ナヴィユが呟いた。

「会わせたらせっかくディアドリーに行った理由がなくなる」

「その王女の御様子は最近如何だった?」

「あたし達が作り上げた事情をよく御理解下さって、ずいぶん大人しくていらしたよ。一月ぐらい前までね。ひょんなことでアレックス王の事がまた気になり始めたらしくて。

 …極端な事を言ってしまえば、姫様が成長したからこそ、起きた事件とも言える」

「申し訳ありません… お預かりした我々の、このごろの気のゆるみが、原因なのです。そういうお心を察知する事ができなかった…」

ユークリッドがぐったりと椅子に座りながら呻く。

「起きた事をいろいろ悔やんでも始まりますまい」

ヒュバートが腕を組んだ。

「アレックス王が御存命という事を王女が信じていらして、ここにおられないというのなら、間違いなく、王女は王都オーガスタに向かわれているはずです。早速追跡することにしましょうか」

「パラシオン会議の中心が動くと言うわけにはいかないでしょう」

ユークリッドがまた呻いた。

「これはお預かりした我々が責任もって解決すべき問題です。王女のこの一大事が、もししかるべき場所にもれたら、最悪の事すら考えなくてはならない」

「とはいえ、このオーガスタをいかに捜しまわるおつもりだ? 完全に復帰したとは言えないが、我々の連絡網はほぼすべての小王国を網羅しておりますよ」

「パラシオン騎士団も助太刀いたします」

とも声があがった。

「今立たずして、いつ貴団への恩をむくいる事ができようや!」

「しかし」

ユークリッドはこの二三日ほとんど眠っていない、クマの浮いた顔を上げた。

「手伝ってもらいなよ」

とナヴィユが言う。

「こう言わせるのが、姫様とあんたの凄いところさ」

ユークリッドは図らず涙をおとした。不行届きを責められると思いきや、こんなふがいない男を、助けようとしている人間が、こんな大勢いる。


 モイラ捜索の主導権を、一時ヒュバートたちとパラシオン騎士団に譲って、ユークリッド達はまず休めと、城内の客室に通された。

 着替える体力もあらばこそ、ユークリッドは寝台に沈んだ。まだ眠ってはいないが、手足を布団の中で折り畳んで、ナヴィユとライナルトの会話が一端でも途切れようものならそのまま眠りに落ちてもおかしくないようだった。とはいえ、報告はここにももたらされるから、それを眠って聞き漏らす事を、彼は極端なまでに恐れていた。

 ライナルトは、ユークリッドとモイラの因縁をナヴィユから説明されて、目を丸くしていた。

「王女の未来のご夫君か。それではここまでやつれるのも納得いくな。私も君がいなくなったらとおもうと、ひと事でない」

「…団長の前ではあまりはしゃがない方がいいかもしれない。あの子を見ていると、そうするのがいけないように思えて」

「王女の事を思い出させてしまうから?」

「一応あたしも、あの子の部下でここにいるわけだし、ねぇ」

「なるほど。

 それにしても、彼がモイラ王女の配偶とは驚いたね。父の元で不得手な剣の練習をしていた頃から五年とたたないと言うのに」

「アレックス王から一番の宝物を預かって、少しでもそれに相応しくなるように、あの子はあの子で頑張ったのさ。

 配偶だからって、すこしも天狗になる事はないし、ほんの二ヶ月ぐらい前まで姫様に手も出さなかった」

「ほお」

「…ナヴィユ」

寝台の中から、ユークリッドの、魂の半分抜けた声がした。

「カーテンを、開けてくれ」

「どうして」

「暗くなると眠くなる」

「だめだよ。眠りな」

「だが」

「そのクマの浮いた青白い顔で姫様に会うつもりかい?

 今はこっちに任せて、あんたは寝た方がいい。報告は私達がまとめておくから」

「それは、でき、な、」

い。セリフを完全に言い終わらないうちに、ユークリッドは慈悲深き深淵に引きずり込まれた。数時間は、何も見ず聞かず感じずに、ただ眠ってくれる事を祈るばかりだ。一同は顔を会わせて、物音をたてぬように部屋を出た。


 そのころモイラは、王都オーガスタで一番の宿の一番の部屋に、貴婦人の微行の体裁で留まっていた。いかにもな山出しを装ったりしても、モイラの雰囲気までその山出しに似つかわしくさせる事はできない。必要以上に取り繕うと、ひょっとして足が出るかも知れない。

 だがていわるく言えば、身分が王女というだけで、あとはその山出しと大して変わることはない。話に聞くだけだった王都のにぎわしさに誘われるまま、日中を惜しいばかりに東奔西走して、夕食の後は泥のように眠ることを、数日彼女はくり返していた。

 そうでないと、彼女は間もおかずクラウンをせかすのである。

「ねえ、お兄様の所には連れていってくれないの?」

クラウンも、この姫君の御機嫌を取るのに疲弊しきっていた。だが、フィアナの例の輩を殺した彼の心中には、そうした価値とこれからの展望が渦を巻き、眠りすらも訪れない。

 限界を感じていた。この娘を、一体どこに、どうやって差し出すか?


 夢の中のモイラは、真っ白い雪の中で、いつか見た真っ赤な服を着て、夜明けを告げる光のような笑顔でユークリッドを見ていた。

 おそらく、自分は、今眠っている時そのままの、数日分を貯えた無精ヒゲの冴えない顔をしているのだろう、それなのに、目の前のモイラは、嫌な顔もせずに、寒さで桜色になった、冷たいけれど暖かい指先で、自分のほおを覆ってくれる。

「どうしたのユークリッド? 恐い顔して」

と首をかしげる。ユークリッドは、その問いかけに答えようとして、彼女の二の腕を捕らえようとした。だが、その手は、するりと、その中に沈んでしまう。限り無く影の濃い、濃い幻のモイラの乳房の内側で、ユークリッドは堅く両手を握りあわせる。

 叫んだ。絞り上げる咽の震えが全身に広がっていく。声は全て、周りの雪に吸い取られたのだろうか、聞こえない。目の前のモイラは急に歪んで、雪のひとひらひとひらになって、降り掛かってくる。

 暗転。

 真っ暗な空間だった。真っ暗い中で、柔らかいものの上に座っていることだけがわかった。

「あかりがほしい」

思ったとたん、目の前が開けた。太陽でもロウソクの明かりでもない、光源はわからないけれど柔らかではっきりした明るさが、彼の眼前にあるものを照らした。

 モイラはそこにいた。分身したように、もうひとり自分もいた。どちらがどちらなのか、にわかにはわからない程、もつれ、乱れていた。モイラは自分の後ろ髪をかきあげながら、紅く柔らかい唇が、耳もとで自分の名前を囁いてくれる。全身に、彼女の手足の細さ強さ、肌の柔らかさと暖かさと微かな薫りが、モイラを抱く自分と同調したかのように、鮮やかに思い起こされた。ユークリッドはおのが身を抱き締める。

 眼前の二人は佳境に入っていく。この頃に、自分を切なく苛む愛らしい身体の動きが思い起こされた。

 だが、その光景を、最後までユークリッドは見なかった。

 目の前でモイラを組み伏せる男の姿は、自分ではなくなっていた。モイラは変わらず艶やかに喘いでいるが、その姿には、全く憶えがない。

 男が振り向いた。

「!」

ばしゃんと、金物の板が地面に落ちるような音がして、ユークリッドは暗黒に投げ出されていた。

 今度の叫びは、はっきりと、自分の耳に届いた。いつまでも、そのあたりを離れなかった。


 「うわあああああ!」

跳ね起きた。夜になっている事だけはわかったが、正味何時間寝ていたのかはわからない。何となく四方が明るいのは、月が出ているからだろうか。

 冷や汗がほこり臭かった。布団で乱暴に拭い、寝室の続きになる居間に顔を出す。

 床に座り込み、壁にもたれ掛かり、連れて来たフィアナの面々が雑魚寝していた。ナヴィユたちの姿は見えないが、彼女等も、別室で眠っているのだろう。そばの机には、紙の束が何枚かあった。

 月の光の良く当たる戸外に出てそれを読んだ。まだ雪の残るディアドリーとは変わって、パラシオンの夜風はもう暖かい。ここまで落ち着いている自分が恐ろしく浅ましいものに思えて、文書を広げる。報告書のようだ。まだ各地に捜索の輪が広げられた段階だから、芳しい結果が得られていないのは仕方がない。だが、あらためてあせりが、ユークリッドの胸を焼いた。

 一体モイラは、同じ天を仰ぎながら、その天のどの下にいるのだろうか。

 夜警の兵士達だろうか、足音が聞こえて来たので、あわててユークリッドは部屋に戻った。

 それにしても、あの夢の男は何者だったのだろうか。

 無性に嫌な予感がした。


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