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とある辺境伯領の悲劇 後編

「閣下、以上がヨーク村で起きた事の顛末です」


 チックタック辺境伯は、家臣である騎士団長の報告に顔を顰めた。


「ダンジョンの型破りな提案。そして、欲に目がくらみ自滅した村人……か。なんと、愚かな……」


 辺境伯の言葉に、騎士団長は一つ頷く。


「まったくです。して、閣下。ダンジョンへの対応は如何しましょう?」

「如何とは?」

「はっ。いかなダンジョンマスターがいるダンジョンとはいえ、まだ生まれたばかりのダンジョン。我ら騎士団を動員すれば、簡単に駆逐出来ましょう」


 辺境伯はその提言に、自らの顎髭を撫でつける。


「そうだな……」


 そうして、頭を働かせる。


 此度、領内の片隅にある寒村で起きた悲劇は、ダンジョンよりむしろ、卑しい村人の愚かさが原因だと、辺境伯には思われた。

 世にも珍しき、共生関係を提案してくるダンジョン。

 駆逐するにはなんとも勿体ない。そのように、辺境伯は思いを巡らせる。


「よい。ダンジョンを駆逐せず、取引を継続しよう」

「……閣下。御言葉ですが、危険ではないでしょうか?」


 騎士団長の憂慮の声に、辺境伯は不機嫌さを隠さぬ声音で答える。


「騎士団長、そなた、余が村人と同列の愚者だとでも言うのか?」

「め、滅相もありません」


 騎士団長は慌てて首を左右に振るう。


「ふん。寒村の住人にとっては、宝石は目が眩むような宝だろう。しかし、余にとってはそうでもない。重罪人が出た時の臨時収入と割り切れば、滅多なこともあるまい」

「はっ。御言葉尤も。いらぬ心配をして、申し訳ありませぬ」

「よい。では手始めに、長らく牢屋に繋がれているタダ飯食らい共を、纏めてダンジョンに引き立てよ」

「はっ! 承知しました!」



 かくして、辺境伯領にて公的に初施行される刑罰、ダンジョン刑が実施された。


 騎士たちに護送されたのは、十四人もの重罪人。いずれも、死刑に処されても文句も言えないような者たちだ。

 騎士たちは、ダンジョン内部で次々と犯罪者の首を刎ねていく。

 ほどなくして、それら十四の死体は眩い光となって分解されていった。


 騎士たちはその光景に、『おお』、と声を漏らす。

 しかし、その興奮も長くは続かない。

 地面に転がる宝石を見て、気分は一気に冷えていった。


 それは、自滅した村の生き残りから聞いた通り、赤い宝石であった。

 ならば、何が騎士たちの興奮を冷ましたのか?


 答えは、地面に転がる宝石の数だ。

 十四人を供物にしたのだ。話通りなら、十四の宝石がなくてはならない。

 しかし、実際にはたった一つの宝石が転がるばかり。


 一人の騎士が宝石を拾い上げる。

 そして力なく首を振ると、宝石を一瞥しただけで懐に仕舞った。


 騎士たちは暗燦たる気分になる。


 ――辺境伯は、当然十四の宝石を持ち帰ることを期待しているだろう。それがたった一個だけとは……。


 己たちが宝石を献上する場面を想像する。辺境伯は不快に思われるかもしれない。いや、それどころか……。

 最悪の場合、自分たちが、残る十三の宝石を着服したのではないかと、疑いを掛けられかねないではないか。

 そのように騎士たちは憂慮する。気が滅入るのも仕方がなかった。


 任務を終えた騎士たちは、気落ちしたまま帰還する。

 その途上で、彼らの気鬱の原因である宝石を、もう一度見る者はいなかった。



 帰還した騎士たちが、辺境伯にダンジョンで得た宝石を献上する。

 謁見室には、不穏な空気が立ち込めていた。


 騎士たちは、今にも主である辺境伯の叱責があるのではと、顔を上げることが出来ない。

 脂汗を浮かべながら、ただ床を見詰めるばかり。


 実際、宝石を受け取った辺境伯の表情は優れない。不愉快気に、手に取った赤い宝石を見詰めている。


「……これ一つだけか?」


 辺境伯の口から漏れだす声は、地を這うように低い。


「は、はっ! それ一つのみに御座います!」


 騎士の返事に、辺境伯は鼻を鳴らす。

 そうして憎々しげに宝石を凝視した。


 ――村人の生き残りが話した通りの宝石。大きさも変わりないし、質が良くなったというわけでもなさそうだ。

 十四人もの罪人を捧げたのにこれはどういうわけだ。


 辺境伯は心中でぼやく。ぼやいたのだが、すぐさま目を瞬いて、その宝石をまじまじと見詰め直す。


 何の変哲もない筈の宝石である。

 しかし何故だか、己がどんどんその宝石に魅せられ始めていることに、辺境伯は気付く。

 余りの不可思議に、辺境伯は訝しんだ。


「あの……閣下?」

「し、暫し待て」


 ――おかしい。何故だ? 初めは何とも思わなかったのに……。それが急に何故? どうしてこれ程までに……。何だ、この宝石の妖しいまでの魅力は何だ!?


 辺境拍は大いに狼狽する。


 この時、辺境伯は気付けなかったが、それは村人が得た宝石とは全くの別物であった。

 その正体は魔石。魔力を帯びた宝石である。


 魔石とは、世にも珍しい宝石で、大変希少価値がある。

 火の魔力を帯びた魔石や、風の魔力を帯びた魔石等、様々な魔石があるが……。


 辺境伯が手にしたそれは、誘惑チャームの魔力を帯びた魔石であった。



 辺境伯はその魔石の妖しい美しさに恐れを覚えて、慌てて視線を逸らす。

 宝石を握る手を突き出した。


「こ、この宝石を、ほ、宝物庫に仕舞ってまいれ!」




 深夜、辺境伯は寝台の中で眠れぬ夜を過ごしていた。

 目を閉じれば、あの妖しげな赤色が思い起こされるのだ。


 どれほど、寝台の中でそうしていただろう?

 やがて、辺境伯は寝室を抜け出すと、一人夜の廊下を歩き出す。

 目的地は無論、あの宝石を収めた宝物庫であった。



 宝物庫に辿り着いた辺境伯は、他の煌びやかな宝物に目もくれず、例の赤い宝石の下へと真っ直ぐ進む。

 その宝石を拾い上げると、窓から射し込む月光にさらした。


「おお、なんと美しい。……もっとだ。もっと、これが欲しい」


 しかし、捕えていた重罪人は全て、ダンジョンの供物にした。

 もう、死罪に値する罪人は牢にはいない。


 ――そうだ! 騎士団に罪人の取り締まりを強化させよう!

 未だ捕まりもせず、悪逆の限りを尽くす重罪人。それを捕まえれば……!

 治安は良くなるし、この宝石も手に入る! 一石二鳥ではないか!


 辺境伯は名案だと、膝を叩く。


 その翌朝、辺境伯は罪人の取り締まりを強化するように騎士団に厳命した。




「何故だ……。何故、一向に重罪人の逮捕者は増えぬのだ!」

「は、はっ! 申し訳ありませぬ! 我らも鋭意努力をしているのですが……」

「言い訳はいらぬ!!」


 辺境伯は歯噛みする。

 辺境伯の目論見と異なり、重罪人の逮捕は遅々として進まなかった。


 無論、全くのゼロというわけではない。

 しかし、辺境伯の満足いく成果とは到底言えなかった。


 ――どうすれば……。


 辺境伯は思い悩む。

 このまま取り締まりを強化しても、劇的な成果は得られそうにない。


 ――どうする? どうすれば? ……そうか、捕まえずとも重罪人を増やす方法があったぞ!

 罪に対する、罰則を強化するのだ! そうすれば……!



 辺境伯領において、唐突に刑法が改められることになった。

 それは、罰則の強化であった。


 従来、死刑相当とされたのは、殺人や火付けの罪であった。

 改法後は、強盗はおろか、ささやかなコソ泥ですら、ダンジョン刑に処されることになったのである。


 その結果、新たにいくつかの宝石を手に入れた辺境伯。

 しかし、それでも満足できない。

 いや、むしろ、宝石への渇望は、一層酷くなるばかりであった。


 ――まだだ。まだ足りない……。ああ、重罪人の数が足りない。


 辺境伯は更なる改法に踏み切る。


 新たに詐欺、不義密通などの姦淫、賭博、その他、細々とした犯罪までもが、ダンジョン刑に処されることとなった。

 更に、辺境伯は密告を推奨した。

 密告により、犯罪者逮捕につながれば、報酬金を出すと宣言したのだ。


 ここに、罪人狩りは加速する。


 ささやかな罪で、あるいは濡れ衣で、次から次へとダンジョンに人が送られる。


 ほどなくして、辺境伯領から人の姿が消えていった。

 ある者はダンジョンに送られ、ある者は辺境伯領に身を置くことに危険を覚えて、領内から出奔していった。そして……。




「ダンジョンマスターよ! 新たな供物を持って来たぞ!」


 ダンジョン内で叫ぶのは、見るからに高級な服装に纏った男。

 それは、辺境伯であった。頬はこけて、髪には以前よりも白いものが多く混じる。しかし、その目だけは爛々と輝いていた。


『おや……? 高貴な御仁とお見受けしますが、貴方は?』

「うむ。余こそが、チックタック辺境伯、ジル・チックタックである」


 辺境伯は頷きながら己の名を名乗る。


『ほう。辺境伯閣下ご自身がわざわざ……。それで、後ろの二人が供物でしょうか?』

「そうだ!」


 辺境伯は拘束された女性を手振りで示すと、唾を飛ばしながら話し始める。


「この女は余の妻なのだが。余の目を盗んで不貞を働いたのだ! そうに違いない! なんと罪深い女だろう!」

『なるほど。では、もう一人は?』


 辺境伯は続いて、拘束された少年を指し示す。


「これは余の倅だ。未来の辺境伯でありながら、勉学に励まず、遊興に耽った! 何たる怠惰! おお、なんと罪深い!」

『なるほど。なるほど。領主自ら足を運び、供物は領主の身内、しかも明らかな冤罪。ふむ、そろそろ食べ納めですか』

「――? 何を言っている? 供物を持ってきたのだ! 宝石を、あの宝石を!」


 目に見えぬダンジョンマスターに向かって、辺境伯は叫び声を上げる。


「お断りします。貴方に渡す宝石はもうありません」


 その声は、辺境伯のすぐ後ろから聞こえた。

 ばっと、背後を振り返る辺境伯。その視線の先には、一人の少女。


「そなたが……ダンジョンマスターか?」


 辺境伯は恐る恐る、目の前の少女に問いかける。


「ええ。私がダンジョンマスターです」


 そう言って、やんわりと微笑む少女。


「……そうか。それで? 先程の言葉はどういう意味か?」

「どういう意味か、ですか? はて、本当にご理解できない?」


 少女の不穏な空気に、辺境伯は後ずさる。


「け、契約だったはずだ。我らが供物を、そなたが宝物を……。そ、そのように取引すると」

「はい。その通りです。ただ、その取引はもう破綻していますよね? だって、もう供物を用意出来ないのでしょう?」


 取引の破綻、共生関係の終焉を告げる少女。

 その姿は見る見る内に崩れていく。少女の姿から、言いようのない異形へと変容していく。

 それは辛うじて人型としての原型を残していた。しかし、誰もそれを人間とは呼ばないだろう。

 正しく、人を喰らう化物の姿であった。


「違う、違う! 供物はあの二人だ! 私は供物ではない!」


 辺境伯は半狂乱になり、そのように喚き立てる。


「ええ。貴方は私に捧げられた供物ではありません。貴方は……私の初めての獲物です」

「止せ、止めろ! 考え直せ、余の権力を以て、また新たな供物を必ず……止めろぉぉおおおお!!!!」


 絶叫は長くは続かない。

 語るもおぞましい方法で、辺境伯は物言わぬ骸となったからだ。


 その一部始終。夫が、父が、むごたらしく殺される様を、供物である二人は震えながら見つめる。

 そして、二人も同じ末路を辿ることとなった。


「ふう、御馳走様でした」



 かくして、かのダンジョンは、チックタック辺境伯領を喰らい尽くしたのである。





「正直、こんなに上手くいくとは思いませんでした。……ひくわー」


 全てが終わった後、ダンジョンマスターたる少女はそう零した。

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