街道を歩きます。いえ、登ります。こう、丘になっている地形を歩いているので。
丘を登り切ると、その向こう側の景色が一気に開けました。
「おお……!」
開けた視界の先には、水がありました。
遠近感とやらから、小さくは見えますが、しかしこの距離であの大きさに見えるということは、とても大量の水のはずです。
――湖、というのでしたか。
旅人から聞きました。シュシュリは、巨大な湖の中心に浮かぶ水上都市であるのだと。
確かに、湖の中心にはごちゃごちゃと、何やら建物が密集しています。あれがシュシュリ市でしょう。
シュシュリ市から四方に細長く伸びる建造物。――橋というのでしたか。あれを渡ってシュシュリ市に入るようです。
橋の手前には、人がうじゃうじゃ。あれが検問待ちしている人たちですかね?
私は、そのうじゃうじゃに向かって歩みを進めました。
――検問たるいです。
待ちましたよ。私いい子にして待ちました。たーくさん、待ちました。
でもまだ並んでいます。並んでいるのです。
……もう、このうじゃじゃを一掃してもいいですかね? いいですよね? 私、殺意の波動に目覚めます。
「よし通っていいぞ! 次! そこの嬢ちゃん! 君だ、早くしろ!」
と、大掃除を始めようとした矢先に、検問官――誰かがそう呼んでいた――から声を掛けられます。
ふむん、命拾いしましたね、名も知らぬうじゃうじゃ共。
機嫌を持ち直した私は、検問官の前に進み出ます。
「身分証を」
私は冒険者のドロップアイテムである身分証を手渡します。
「ふむ、冒険者セシル、女性、年は15か……」
検問官は私のことをじろじろと見ます。にっこりと微笑んでおきました。
今私は、身分証と同じくドロップアイテムである、本物のセシルの外套を羽織り、これまたドロップアイテムである短槍を背負っています。
見た目は、冒険者としておかしなものではないでしょう。
「荷は……その鞄だけか。軽く中身を検めさせてもらうぞ」
「どうぞ」
検問官は鞄の中を検める。
「……おかしな物は入ってないな。いいだろう。では、通行料を」
「えっ?」
「何だ、シュシュリは初めてか? この橋の維持管理の為に、利用者からは通行料を取っている。2リュートだ」
「はあ、2リュートですか……」
2リュート? と疑問を覚えるのと同時に、生まれながら備わっている予備知識から回答が返ってきます。
――リュート。主にヴァンダル王国で流通しているリュート銅貨による貨幣単位。
なるほど人間の貨幣を支払うのですね。
今、人間の貨幣は全く持ち合わせていませんが。
右手を外套の内側に入れてごそごそする。懐からお金を取り出そうとしているかのような仕草を見せます。
その実、隠した右手の中で人間の貨幣をクリエイトしようとしていました。
リュート銅貨、リュート銅貨? クリエイト可能な宝物の中にありませんね。
あるのは、神聖金貨、神聖銀貨、神聖銅貨のみ。
神聖銅貨とリュート銅貨の違いは?
神聖銅貨2枚でリュート銅貨2枚分になるのでしょうか?
予備知識君は沈黙しています。いえ、回答が来ましたね。しかしこれは……。
――貨幣の交換比率は一定ではなく、常に変動する。
なるほど、分からん。
ちょっと判断が付きかねたので、神聖金貨を1枚クリエイトします。
金貨は一番価値の高い貨幣らしいので、足らないということはないでしょう。
私が金貨を取り出すと、検問官は目を見開きます。
「ふざけているのか! 銅貨2枚の支払いに金貨を出すやつがあるか! 銅貨がないにしても、せめて銀貨を出すべきだろ!」
し、叱られました! 叱られましたよ! あわわ、初めて叱られました。
でも私は悪くない。悪いのは全部、ポンコツ予備知識君です。
私はもう一度外套の中で右手をごそごそすると、今度は神聖銀貨を1枚クリエイトしました。
それを検問官に渡します。
「ちゃんと銀貨があるんじゃないか。まったく……」
検問官はぶつぶつと文句を言いながら、じゃらじゃらと何枚もの銅貨を私に押し付けるように渡しました。
「通ってよし!」
通行許可が下りたので、私は湖にかかる橋を渡ります。
それにしても、市内に入る前からこれとは……。
ひょっとすると、人の街は大層恐ろしい所なのかもしれません。
どうやら嫌な予感が当たったようで、市内に入ってからも、どうも上手くいきません。
まず市門を抜けて、未だかつて見たことない数の人が行き交うメインストリートを歩いていたのですが……。
そこかしこにある屋台とやらから流れて来る匂いが、私を誘惑したのです。
私は、食事を摂らなくても生きていけます。
ですが、食事を摂れないわけではない。ましてや、今は人の姿になっているので、尚更美味しそうな食べ物には、興味をそそられるのです。
私はとある屋台から甘く香る食べ物らしきもの――後にそれが蜂蜜パンということを知りました――に特に興味をそそられ、手に取るや口に入れました。
それを咀嚼した瞬間、口内に広がる甘み!
――人の街にはこんなものがあるのか! と感激していると、再び検問の時のように、あるいは、それ以上の怒声が上がったのです!
どうやら、屋台に並んでいるものを得るにも、お金を支払う必要があるのだと、私は理解させられました。
しかし、学びを得た代わりに、ここでも酷い目に遭ったというわけです。
まだあります!
市内をぶらぶらと観察して回っている内に、日が暮れ夜になり、その夜が深まっても、市内を見て回っていたのですが……。
警邏を名乗る人間に呼び止められ、『こんな夜中に何をしている?』と問われました。
観察以外には、これといった目的もないので、正直に話したところ。
その警邏は『用がないならもう休め』と言うのです。
仕方がないので、道の隅っこに寄り寝そべると、またも警邏は咎めてくるのです。
曰く『乞食でもあるまいし、そんな所で寝る奴があるか!』と。
そうして、私を半ば無理やり宿屋とやらに押し込んだのですが……。
この宿屋というのもまた酷いのです!
信じ難いことに、狭い小部屋で寝そべっていただけ、ただそれだけのことで、いざ宿屋を出る時には、宿代を支払って行け! と言うのです!
ダンジョンでは、一日、一ヶ月、一年寝そべっていても、何も支払う必要なんてありませんよ!
まったくもって、人間の街は生きにくい。
金、金、金、何をするにも、お金というものが必要となるのです。
「……なるほどなー」
ことここに至り、私は一つ得心します。
以前は、全く理解できなかった、冒険者という在り方ですが。
なるほど、こうもお金が必要とあっては、命を懸けてでも金目のものを手に入れんとする理由が、ちょびっとだけ理解できました。
人間は生きていくのにお金が沢山いる。
ええ、勉強になりましたとも!
しかし、私もまた、人間の街に潜伏している限りは、お金が沢山いるのです。
DPでクリエイトできるとはいえ、面白くありません。
今の私は確かに、DPにある程度のゆとりがあります。
それでも、次から次に浪費させられるのは我慢なりません。
DPに頼らず、お金を手に入れられないものか……。
つまり正規な手段でお金を得る。人間と同じように。さて、人間はどのようにお金を得ているのか?
勿論、色々な職業というものがあり、それで稼いでいるということは知っています。
そして、職業によって、稼ぎが違うということも。
では、最も効率の良いお金の稼ぎ方は、如何なるものでしょうか?
それを探るため、私は通りすがりの人間に声を掛けました。
「沢山お金を持っている人は、どんな人ですか?」
沢山お金を持っている人=最も効率の良いお金の稼ぎ方している人、という図式です。
それで、そのように問い掛けたのでした。
「は? 何だそれ?」
尋ねられた男は怪訝そうな表情を浮かべます。
「ですから、一番のお金持ちは誰ですか?」
「ああ? 一番? 知らねえけど、王様とか貴族様じゃないか?」
王侯貴族というものですね。
以前、チックタック辺境伯の『辺境伯』に疑問をもった際、予備知識君に教えてもらったので知っています。
そうですか。あの辺境伯は、お金持ちだったのですね。
しかし、王侯貴族は、基本的に王侯貴族の家に生まれなければなれない筈。
これは駄目そうです。
「もういいか?」
私が考え込んでいると、男は鬱陶しそうに言い放ち去っていきます。
仕方がないので、また別の人間に尋ねようと、視線を巡らせた時に、真っ先に視界に入ったのは、独特な服――法衣服をまとった神官でした。
神官、前に予備知識君から教わったところによると。
神の敬虔な僕にして、慈愛を以て迷える子羊を導く先導者でもあるとか。
羊にすら優しいのであれば、きっと、人間に見える私にも優しい筈です。
彼に尋ねることにしました。
「あの……」
「何ですかな、お嬢さん」
「お金を沢山持っているのは誰ですか?」
「……それは、清貧という徳をないがしろにする悪とは、どういった者たちか、という問いでしょうか? それならば、私は『商人』と答えましょう」
「商人?」
「ええ。……何も商売そのものは否定しません。日々の糧を得るための稼ぎを上げる。それは良いでしょう。しかし彼らは往々にして、それだけでは満足せず、貪欲に財を成そうとするのです! ああ、何と罪深い……。」
ほう、商人……。商人ですか……。