もうじき、開店時間だ。
私は既に何度も布で磨いたガラス張りの展示ケースを、再び磨き始める。
入念に、と言えば聞こえはいいが、明らかに過剰であることは自分でも分かる。
我がことながら呆れてしまって、ふと苦笑が漏れた。
が、それでも止められない。それだけの思い入れがあるからだ。
ここはローゼン領最大の都市シュシュリ、そのメインストリートに面した店舗だ。私の店だ。
一等地であるこの通りに、店を構えるまで如何ほどの苦労をしたか。
それが分からない商人はいない。商人でなくても、思慮のある者なら、想像くらいできるだろう。
15年だ。商館の見習い小僧から独り立ちした13歳の時から15年。
来る日も、来る日も銭勘定に追われ、そうしてようやく手にした自分の城。
それが私の店、宝石店『シーレイン』だ。
シーレインとは、神話に出て来る女神の名で、宝石をこよなく愛し、それを手に入れる為なら気前よく代価を支払ったという女神だ。
その女神様の名にあやかって、店名を付けた。
ケースを磨いて回り、その中に収まった宝石を見る。
開店前のこの時間が、一番の至福の時かもしれない。
――カランコロン。
うっとりと宝石を眺めていると、玄関ベルが鳴る。
まだ開店時間には少し時があるんだがな、と思いながら玄関の方を振り返る。
そこにいたのは、少し汚れた旅装をまとった少女。短槍を背負っている。
見るからに駆け出し冒険者といういで立ちで、とてもではないが、私の店に入って来るような客ではない。
が、私は歓迎するように、人好きのする笑みを浮かべた。
ここで露骨に顔を顰めるのは、三流の商売人のすることだ。
「いらっしゃいませ。何かお求めですか、お嬢さん?」
私の問い掛けに、少女はびくりと緊張に背を強張らせると、伏し目がちに口を開く。
「は、はい……」
消え入るような声音であった。そうしておっかなびっくり店の中に入って来る。
ふむ……自分がこの店に不釣り合いである。そのくらいのことは理解できているようだ。では何故、私の店を訪れたのか?
「今日はどのような御用でしょう? 宝石を当店にお求めで?」
「い、いえ……」
私がもう一度尋ねると、少女は首を左右に振る。
「え……と、その、売りに来たんです」
「売りに来た?」
宝石を売りに来たということか? まさか盗品ではないだろうな?
「当店で宝石の下取りをしてもらいたい、と?」
「違います」
おや、と私は片眉を上げる。
「売りたいのは、情報です」
「情報?」
「はい。ローゼン領の辺境を探索中に、偶々宝石の採れる鉱山を見つけたんです」
「ほう、それは……」
――詐欺だ。真っ先にそれを疑う。私は目を細めた。
「新鉱山の情報……それが本当なら、喉から手が出るほど欲しい情報です。その情報を私に買い取れと?」
少女はこくりと頷く。
「おいくらで?」
果たしてこの少女はいくら吹っ掛けてくる積りだろう?
そんな興味心から尋ねる。
「し、神聖金貨、じゅ、10枚で」
少女の声は震えている。なんともお粗末な詐欺師がいたものだと、ついつい吹き出しそうになった。
ちなみに神聖金貨とは、聖教会が発行している金貨で、数ある金貨の中でも最も信用度の高い金貨である。
「なるほど、神聖金貨10枚。しかし、鉱山の情報が本当なら、ご自身で採掘された方が、もっと稼ぎが出るのでは?」
私は嗜虐心から更に問いを重ねる。
「それは……私には、鉱山夫を雇う元手もないので」
「ふむ。それで、私に話を持ち掛けた。今、金貨10枚と引き換えに情報を教えると?」
そろそろ馬鹿な話にケリを付けようと思った所、少女はこちらが不審に感じているのに気付いたのか、慌てたように言い募る。
「あ、あの! お支払いは、鉱山の有無を確認されてからでいいです。今は、そう、契約書だけで……」
「んん? 契約書だけで?」
「は、はい……。あっ、でも、お恥ずかしながら、今は持ち合わせが寂しくて、あー、出来れば、前金で金貨1枚だけでも、いえ、本当にできれば、ですが」
契約書だけで、というからびっくりした。まさか本当に? と、疑念が過りかけたが、なるほど、この前金が本命か。
あるいは、とても金貨10枚は騙し取れないと見て、方針を切り替えたか。
「そ、その! 鉱山の証拠も持ってきてまして……!」
「証拠?」
「は、はい! これです! その鉱山から持って来ました!」
少女が鞄から取り出したのは、少女の手の平には少し余る大きさの石であった。
ゴツゴツした石で、灰色の地肌の所々に、赤い煌めきが顔を覗かせている。
「これは、宝石の原石?」
意外と手が込んでいる。こんなものも用意していたのか。
「どう……でしょう?」
十中八九、いや、それ以上の確率で詐欺だ。が……。
ちらりと、不安げな顔をした少女を見る。
こんな、場慣れしてなさそうな小娘が、原石などと手の込んだ準備をするだろうか?
ひょっとすれば、ひょっとすると……。そんな思いも過る。
万が一この娘の言うことが本当なら、私はとんでもない商機を逃す羽目になるのかもしれない。
騙されたところで、失うのは神聖金貨たった一枚だ。私にとっては然程痛くない。
いやいや、しかし、こんな拙い詐欺に引っかかるのは、商人としての沽券が……。
「この宝石、こんなにも綺麗で、きっと高値で売れると思うんです!」
少女の声に、思考の海から浮上する。原石を見た。
……赤く煌めく部分は僅かなものなので、断言はできないが、ルビーやガーネットとは違うように思う。
宝石商の私でも見たことないような、珍しい鉱石の原石かもしれない。
まじまじと見直す。すると、長年の宝石商の勘か、この原石を磨けば、人を魅了する魔性の輝きを発するだろうと、そんな予感がした。
だからだろうか? 私の口は自然と動く。
「分かりました。貴女の申し出を受けましょう。早速、契約書を作成しましょうか」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
少女は花開くような笑みを浮かべた。
「おっと、契約の前にお嬢さんのお名前を、まだ聞いてもいませんでしたね」
「私の名前はセシルです。身分証も確認なさいますか?」
「いえ、それには及びません」
私は人好きのする笑顔で答えた。
それから契約内容を詰め、後日、雇い入れた数人の鉱山夫と共に少女――セシルはシュシュリを旅立った。
鉱山夫は、彼女に付いていき、鉱山の調査をしてもらう手筈だ。
私はというと、彼女らが戻ってくるまでの間、平時と変わらず店の経営をした。
いや、実は変化が一つだけある。
開店前の習慣に、ケース磨きに加え、少女が置いていった原石を眺める時間も増えたのであった。