――カランコロン。
玄関ベルが鳴る。私の店に入ってきたのは、雇い入れた鉱山夫たちに、二週間前にこの店にやって来た冒険者の少女――セシルであった。
虚を突かれたその一瞬、素の表情を晒さなかっただろうかと心配になる。
私は誤魔化す様に人好きのする笑みを浮かべた。
「ああ、戻られたのですか。お疲れ様です」
これが詐欺であったなら、セシルが戻ってくるのは不可解だ。本来ならば、ローゼン領辺境に向かう道すがら、どこかのタイミングで姿をくらませないとおかしい。
それに鉱山夫たちの表情はどうだ! 今にも報告をしたくてうずうずしているといった顔付きだ。
これは吉報を持って来た者が浮かべる表情だ!
――ドクン! 久しく感じていなかった程の胸の高まりを覚える。
「それで――」
言葉を最後まで言い切ることができなかった。
鉱山夫の一人が『ご覧ください』と、ずた袋の中身を机の上にゴロゴロと転がしたからだ。
私は机の上に転がされた石を一つ一つ手に取っていく。
その全てが、例の妖しげな煌めきを発する赤い宝石の原石であった。
私は無言のまま、持ち上げた視線で鉱山夫に問いかける。
「話半分で辺境の山に向かったんですがね。この通りですわ。ちょっと岩肌を掘っただけで、労せず原石が」
「なんと……」
絶句する。が、一拍置いて正気に戻ると、確認せねばならぬことを尋ねる。
「数日の現地調査では、正確な判断はできぬでしょうが……。ざっくりとでもいいのです。埋蔵量は如何ほどだと思われますか? プロである貴方の所見を伺いたい」
鉱山夫は頷く。
「一所で掘り続けるのでなく、山の至る所を分散して掘ってみました。そのいずれでも、原石が出てきましたよ。断言はできませんが……」
私はごくりと生唾を飲み込む。
「おそらく埋蔵量は少なくない。いや、むしろ……」
その続きは聞くまでもなかった。
「おお! シーレイン! 宝石の女神よ!」
私は感嘆の声を上げた。次いで、冒険者の少女セシルに満面の笑みを向ける。
「いやいや! これは失礼! 感謝を捧げるのはシーレインにではなかった! セシル君、君は私の幸運の女神だ!」
私はセシルの手を取って感謝の言葉を告げる。
大仰な礼にセシルは圧倒されたのか、少々引き気味にぎこちない笑みを浮かべた。
「ど、どういたしまして。それで、あの、お約束した報酬の方は……」
「ああ! 報酬ね! 少し待ちたまえ……」
私は巾着袋に、枚数を数えるでもなく無造作に神聖金貨を入れた。そのままセシルに手渡す。
「あの、確認しても?」
「勿論だとも」
私は鷹揚に頷いた。
セシルは早速巾着袋を覗き込むと、枚数を数えていく。ほどなくその顔が驚きに染まった。
それもそのはず。キチンと数えはしなかったが、少なくとも20枚を下回ることはないだろう。
「あ、あの、こんなに……」
「私の感謝の気持ちだよ。もしよろしければ、鉱山の情報を誰にも話さないでくれると嬉しいね」
「は、はい!」
セシルは二度、三度深々と頭を下げると店を後にした。
「……あの娘、本当に情報を漏らしませんかね?」
「さて、どうだろうね」
わざわざ報酬を弾んだのだから、そう期待したいところだが、まあ半々といったところか。
「ああ、無論、君たちも情報を漏らさぬよう頼むよ」
「勿論です」
ふん。この鉱山夫たちもどこまで信用できたものだか。
が、構うまい。これから大量の鉱山夫を手配すれば、どうしたって人の耳目を集める。
遠からず新鉱山の情報は広まってしまうだろう。
だが、まだ誰も手つかずの鉱山に最初に喰いつくのは私だ。
後発組が群がってくる前に、出来る限り儲けさせてもらおうか。――時間との勝負だな。
「急ぎ鉱山夫を掻き集める。君たちも知り合いを当たってくれたまえ。最悪、体力のある若者なら、未経験の者を入れるのも許容しよう。さあ、忙しくなるぞ!」
そうして、私の新事業は始まった。
人員と資金を投じ、行われた辺境の採掘事業。私はシュシュリで吉報が届くのを待っていた。
ところが、現地から速達で届いた第一報は、私の期待とは真逆のものであった。
手紙に記された文字を目で追い、思わず頭を掻きむしる。
「落盤事故だと!!」
何たることか! ……いや、鉱山で落盤事故は付き物といってもよい。
しかし、しかしだからと言って、最初からとは運がない。吉報を期待していただけに、尚更落胆も酷い。
「いいや、切り替えよう。確かに不運だった。が、予想できなかった事態でもない」
ふう、と一つ息を吐くことで気を落ち着かせる。
まだ致命的ではない。手痛くはあるがな。新たに人員を補充して、落盤事故に遭った鉱山夫には、少しでも保障もしなくてはならんか。
そうでなければ、残された鉱山夫たちも不安であろう。
重い怪我を負った者に見舞金を。亡くなった者の遺族にも、それなりの額を支払う必要があるか……。はあ、頭の痛いことだ。
だが次だ、次はきっと……。
「やりましたよ、旦那!」
本格的に採掘を始めての第一報が落盤事故という悲報であったからか。
鉱山夫のまとめ役である男も、焦っていたと見える。
速達で知らせを寄越すだけでなく、自らが成果物を持ってシュシュリまで報告に来た。
「見たらきっと、旦那も驚くこと間違いなしですぜ」
「焦らすな、早く見せたまえ」
口では苛立たしげに言うが、表情では笑みを作る。冗談めかしただけだ。
良くない報告を持っていくのは苦しい。だから手紙だけで済ます。
それが今回は、わざわざ顔を出してまでの報告だ。悪いわけがない。
私の態度の意味を理解して、鉱山夫もニタリと品のない笑みを浮かべる。
「では……どうです! 旦那!」
気の利いた返しの一つでもする積りだったが、言葉も出なかった。
冒険者の少女が最初に持ち込んだもの、その後の調査で持ち込まれたもの、それらと比して、まるで比べものにならないくらい純度の高い原石であった。
あの妖しい煌めきが更に増したかのようだ。
――これを磨き、宝飾品として売り出せば……!
夢想ではなく、やんごとなき王侯貴族たちが奪い合うような品になるかもしれん! いやきっとなる!
ははは、最初こそ躓いたが、それを挽回して余りある! 素晴らしいぞ! これで採掘事業が軌道に乗れば……!
「作業を急げ! 他の連中が嗅ぎ付ける前に、まとまった量を手にする。そしていち早く販路に乗せねば!」
私は急ピッチで採掘を進めることを命じた。
再び吉報を待つ日々に戻る。本業がついつい疎かになりそうなほど、私は浮かれていた。なのに、次に届いた速達は……。
「また落盤事故だと!」
ふざけるな! 輝かしい未来がすぐそこにあるのに!
それにしても……こんな短時間に二度の落盤事故だと……? もしや崩れやすい性質の鉱山なのか? もしそうなら……手を引くべきか?
馬鹿な、ここで手を引いては大損ではないか! それに、それに、あの宝石は諦めるには余りに惜しい!
多少のリスクを飲み込んででも、手を伸ばすべき価値がある!
「くっ……!」
私は現地への文をしたためた。
「またか……またなのか……」
またあの落盤事故だ。それだけではない。採掘事業だけでなく、本業にも暗雲が立ち込めていた。
巷でこんな噂が飛び交っている。
得体のしれぬ辺境の新鉱山に、私が欲を出して飛びつき、結果手痛い失敗をしたのだと。
『シーレインの店主はもっと堅実な商人だと思ったんだがなあ』
『本当に。シュシュリのメインストリートの一角に店舗を構える商人にしてはお粗末ね』
『ほら、所詮は一代で財を築いた成り上がりだから』
『これだから、成金は金にがめつくていかん』
そんな悪評が、シュシュリでは公然のものとなっていった。
宝石店の上得意客は、社会的地位の高い者がほとんどだ。そんな者たちほど世間の評判を気にするもの。
悪評が広まると、一気に客足が遠のいた。
すると当然の如く、資金繰りが厳しくなっていく。
私は知己を頼って金の無心をした。採掘事業が軌道に乗れば、倍にして返すからと。
だが誰もが冷たくあしらった。仕方なく、知己にかかわらず金の無心をしては、シュシュリ中を駆けずり回る。
そんな私を誰もが後ろ指を指して嘲笑った。益々悪評は加速していく。
最早、本業を立て直すのは、それ独力では不可能であると、認めずにはいられなくなった。
最後の頼みの綱は……。
――カランコロン。
私が椅子に力なく腰掛けていると、玄関ベルが鳴る。
すっかり憔悴してしまった顔を持ち上げる。
果たして、店の中に入ってきた男は、鉱山夫のまとめ役であった。
「どうした? 良い知らせを持ってきてくれたか? 採掘状況はどうだ?」
縋るような思いで尋ねると、鉱山夫は痛ましいものを見るような目をする。
そうして力なく首を左右に振った。
「鉱山夫たちは逃げ出しましたよ。無理もない。落盤事故が頻繁に起きる現場、その上、給金の未払いがこの所続くとあっては」
「何……だと。冗談は止せ! あの鉱山なら、鉱山なら、まだ全てを挽回できるんだ! 未払いの給金? 採掘事業が軌道に乗れば……『旦那!』」
鉱山夫は大声を上げて、私の言葉を遮る。
「もう無理です。残念ですがね……」
「ダメ……なのか?」
「ええ」
「しかし、あの鉱山には莫大な原石が眠って……」
「……それですがね。皆が逃げ出す前の、最後の方の採掘では、これぽっちも原石が出てこなくなったんですよ」
「何?」
「どうも、地表部分に鉱泉が固まっていたのかもしれませんね」
「そう、か……」
鉱山夫は店を後にする。私は椅子に座ったまま項垂れる。暫くそうしていると――
――カランコロン。
再び玄関ベルが鳴る。音に釣られて視線を持ち上げた。
「君は……」
玄関から差し込む光を背に、私の運命を狂わせる切っ掛けとなった少女が立っていた。
コツコツと店の中に入って来る。
いつかのように、おどおどとした様子は微塵も見せない。
静かに微笑んでいた。何ら悪意を感じさせない表情。ただ、ただ、その目は嗤っている。これでもかと、嘲笑の色を宿していた。
そうか。そうだったのか……。根拠などないが、それでも私は確信する。
どんな魔法を使ったのかは分からない。
分からないがしかし、この女が全てを仕組んだのだ、と。
「悪魔め……何の用だ? もう私から奪えるものは何もないぞ」
少女の皮をかぶった悪魔は笑みを深くする。
「嘘はいけませんねー。まだ残っているじゃないですか。ここに」
「何を……?」
「大都市の一等地にある土地に店舗に、シュシュリ市内で商いを行うための商売権」
ヒュっと喉から息が漏れる。わなわなと慄いた。
「土地に店に商売権、だと……?」
いずれも、商人にとって命の次に大切なものだ。
「ふ、ふざけ……」
「ふざけてなんかいませんよー。だって、破産確定の貴方は、どうせそれらを手放す羽目になるでしょ? なら、私に譲って下さいよ」
「だとしても! 貴様にだけは……あっ?」
悪魔が広げた手の平の上に載っているモノに、視線が釘付けられる。
それは、正に私が夢想したままの宝石であった。
赤く、赤く、妖しい美しさをまとった、至高の宝石。
これまで採掘された原石、私を虜にしたそれですら霞むほどの魔性の美。
「あ、あ、ああああああああああ!!!!」
頭を抱え絶叫する。
理解した。理解してしまった。私は、この悪魔に、命の次に大切なものを自ら差し出してしまうのだと。
「譲渡の為に必要な書類は、全てこちらで用意しておきましたよ。さあ、ここにサインを」
悪魔は私に羽ペンを握らせる。私は、促されるままサインをしたためた。
「ふむん、確かに。では……」
悪魔は宝石を手の平の中で遊ばせるや、ふっと、まるでサイコロを振る様に
宝石は、ゆるやかな放物線を描き、開け放たれたままの玄関からメインストリートへ飛び出していく。
私は椅子を蹴倒しながら立ち上がると、慌てて足を前に踏み出した。
「
そんな声を背に、玄関から外へとまろび出た。一心不乱に、メインストリートを転がる宝石を追いかける。
15年、15年かけて手に入れた店は、私の後ろ髪を引くことはなかった。