目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第2話

 お風呂は私の想像していたものと違った。

 もはやプールだ。

 浴槽は見えるだけでも5つある。

「ポチはメスでしたのね。ごめんなさいですわ。勝手にオスだと……よく考えたらメスで良かったのですが」

 バスタオルで前を隠し、すまなさそうに頭を下げる楓殿。

 私は犬面人である。

 犬の顔をしているが、人で言うところの女性の体つきをしている。

「何故謝るのだ? 言わなかったのは私だ。この場合私に非があるのではないか? よく見ていいのだぞ」

「ポチ! 前をお隠しあそばせ!」

 恥ずかしそうに顔を背け、楓殿は私を洗い場に手招いた。

「ポチのお肌奇麗ですわ……体つきもスレンダーですの。あ、尻尾はこうなっていたのですか」

「ふむ、楓殿も健康的な体つきだと思うぞ?」

 一般的な女子高生の体つきをしている。

ぷに。

「ひぁ!? 脇腹はやめてくださいまし!」

 というやり取りをした後、楓殿がシャンプーを取り出し悩み始めた。

「ポチは人間用のシャンプーで頭――いや、顔?を洗っていいのですか? 尻尾も?」

「ふむ、私は犬面人である。呼称に『人』が入っている以上人間用のシャンプーは害がないものと考える」

「では、髪。いや、毛ですわね。まず、顔毛から洗わせていただきますわ!」

 シャンプーは知っているが、体験したことはない。

「お願いするのである」

 楓殿に身を任せる。

 次の瞬間、私の顔毛が泡立った。

「!?!?」

 このアワアワは未知である。生まれてから味わったことのない感覚。

 ふわふわして気持ちよくて。

 包まれていく――全て。

 そうか、私が生まれた意味は――。

「――ポチ?」

「……はっ!?」

 私は犬面人。名はポチである。

「楓殿、シャンプーは?」

「シャンプーはとっくに終わりましたわ」

 確かに、私は今、広い湯銭に浸かっていた。

 もう少しで……何か、そう世界の真理に近づけた気が。

「楓殿、もう一度シャンプーをしてもらえないだろうか?」

 楓殿は首を傾げた。

「シャンプーは一日に何度もしないのですわ。ふふ、動画でよく見るワンちゃんはシャンプーが嫌いですのに、ポチは珍しいですわ」

「楓殿。私は犬面人である。『犬』かもしれぬが、ワンちゃんではない」

 ワンちゃんと呼ばれるのはどこか赤ちゃんと呼ばれている気がして嫌である。

だが、犬面人のシャンプーは人間用のもので大丈夫だとわかった。

「それじゃあ、ポチ、あがりましょう」

 私の主張はスルーされた。

 楓殿に続き、風呂からあがろうとした私はふらつく。

「くらくらするのである」

「ポチのぼせてしまったのですか? そういえば、ワンちゃんは熱いのが苦手と――」

 私は顔からお湯にダイブした。


爽やかな朝である。

私は肌触りの良いシーツをどかし、ソファーから起き上がった。

「ポチ。目が覚めたのですね。よかった」

 白を基調とした広いダイニング。

 品のあるテーブルの上にハムエッグを盛りつけた皿、トーストにマーガリンを塗る楓殿はまさに深窓の令嬢。お金持ちのお嬢様と呼ぶにふさわしかった。

 インスタントコーヒーを入れたりしていなければ。

「楓殿。お風呂後の記憶がないのだが」

 楓殿は力こぶを作る動作をした。

「私が運んだのですわ。私鍛えているのですよ。マンションの地下に筋トレルームがありますの。そこで」

 すこぶる笑顔の楓殿。

 お嬢様というのは筋トレルームで体を鍛えるのが普通なのだろうか。

 そして、昨日から気になっていたのだが、このマンション静かだ。

「楓殿、何故このマンションは他の人間の気配がない? お風呂もそうだが、朝食も自分で用意している様子。世のお嬢様という存在は使用人がいるのであろう? その人達は?」

 私は犬面人である。

生まれた理由はわからぬが、人間に関する知識は何故か持っている。

案外、犬面人の『犬』は賢いの『賢』なのかもしれない。

故に、私の思い描くお嬢様像と実際のお嬢様である楓殿への違和感がぬぐえない。

「……それはいずれお話しますわ」

 楓殿は壁掛け時計を見ると食器を洗う。

 それから、満面の笑みで何かの袋の封を開けた。

「それよりポチ、昨日何も食べなかったからおなかが空いているのでは?」

「私は犬面人である。都市伝説であるが故に、人間のような栄養摂取など不要――」

「おなか、すいていますよね? はい、朝食ですわ!」

 カラカラ~、深皿に一口サイズでキューブ状の食材と思われる何かが盛り付けられた。

 ……私はこれを知っている。

「楓殿。これは一般にドッグフードと呼ばれるものではなかろうか。犬の食事である」

「そうですわよ。はい、どうぞ」

 楓殿はキラキラした目で私を見つめてくる。

「私は犬面人である。『人』とつく以上、人の食事が妥当ではないか?」

「ダメですわ。ワンちゃんは基本ドッグフードですの! さあポチ。こう、四つん這いになって、一気にいってくださいまし!」

 楓殿は語気を強めて、スマホを構えた。

 どうやら私がドッグフードを食べる瞬間を写真に収めたいらしい。

 確かに、犬面人は『人』とつくが『犬』ともつく。

 それに……先ほどから芳醇な肉の香りが私の鼻腔を刺激する。

 郷に入っては郷に従えと言うではないか。

「私は犬面人であるが、楓殿のポチである。朝食をありがたくいただくとしよう」

 我が主がご所望であれば仕方なし。

「きゃー!! ポチ~。はぐはぐしてる姿かわいいですわ~~!!」

 カシャシャシャシャシャッッ!!

 楓殿は様々な角度から私を激写したのである。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?