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第3話

 楓殿と暮らすようになって幾度目の朝か。

 最近の私の日課は、楓殿と行く夜の散歩と高校に行く楓殿を見送ることである。

「ポチ、行ってきますわ」

「行ってらっしゃいである楓殿」

 楓殿にしつけられた『待て!』の姿勢。

 楓殿が扉を閉めるその瞬間まで私は動かない。

 なぜなら私は楓殿にポチという名と住む場所を提供されたからだ。

 恩には報いなければならぬ。

 部屋を巡回するが、どこもかしこも奇麗に掃除されている。

 食器も楓殿が登校する前に洗ってしまう。

「洗い残しである」

私は私が食べたドッグフードの器を洗うことにした。

すぐに洗い終えてしまう。

「ふむ、暇である」

 私の耳が物音をとらえた。

 がやがやと騒がしい。

 実は、ここ毎日、楓殿が登校した後に聞こえてきていた音だ。

 そろそろ正体を見定める時が来たのではなかろうか。


「なんと」

 廊下に出ると、沢山の人間が壁や床を掃除していた。

 どうやらこのマンション、楓殿の他にも人間がいたらしい。

 良かったのである。

 ……?

 私は何故安心したのであろうか?

 首をかしげる私の前を、タキシードの初老男性が通り過ぎていく。

 トランシーバーで檄を飛ばしていた。

「最上階、廊下クリア! お風呂場は?」

『こちらお風呂場班。洗浄完了』

「地下トレーニングルーム班どうぞ?」

『こちら地下トレーニングルーム班。点検及び清掃終了。一部器具の部品交換及び修理完了』

「了解。それでは撤収!」

 彼が一目散にエレベーターに乗り込むと他の人間達も素早く続いた。

「次は楓お嬢様の警護だ! 高校を監視しろ! 急げ! 私の代わりに命をかけてお嬢様をお守りしろ!」

 彼は楓殿と交流があるらしい。何故楓殿の傍にいないのか。

 話を聞きたかったが、エレベーターは行ってしまった。

 数名残された人間達は次のエレベーターを待つ。

「そこの方……」

「もしもし?」

誰も彼も私に目もくれない。

 私はそこで気付いた。

 犬面人は人間には見えないのだと。

もしや……楓殿は人間ではないのか?


「ただいまですわ。あらポチ~。お出迎え? いいこ~」

 楓殿が頭を撫でてくる。

 わしゃわしゃとのど元も撫でられる。

 これをされると自然と舌が突き出て、眠気が襲ってくるのだが……今ばかりは耐えよう。

「楓殿。お話があるのである」

「なんですか?」

「楓殿は何故私が見える?」

 単刀直入に尋ねると楓殿は寂し気に笑った。

「ああ、お話していませんでしたね。このマンションに私以外の人がいない理由を」

 それは少々間違っている。

「楓殿が登校した後に、沢山の人間が掃除をしにやってくる。楓殿は一人ではない」

 私は何故こんなことを言ってしまったのか。

だが、楓殿に寂しそうな顔は似合わないのである。

「え? 嘘? 初耳ですわよ? なんですかそれ、怖い」

 怖がらせてしまった。

「すまない。気のせいだった」

「そうですか。気のせいなら仕方ありませんわ!」

 楓殿が深く気にする性格じゃなくて良かった。

 夕飯の支度を始めながら、楓殿は世間話をするように、あっけらかんと言う。

「私、昔から見えないものが見えますの。そのせいで他人から怖がられることが多いのですわ。それで中学生の頃、海外の両親に一人暮らしをしたいと電話を掛けたらここに住むことになったのですわ。唯一傍にいてくれた爺やは過保護でうっとおしいので遠ざけてますの」

「つまり、一人でいるためにここに住んでいるのか?」

 私は理解した。

 楓殿は私のような都市伝説が見えるが、普通の人間だと。

 都市伝説には両親などおらぬ。

「誰かに不快な思いをさせてしまう私のような者は一人でいいのですわ」

 凛と告げた楓殿。

「楓殿。その発言は矛盾しているぞ。今は私を飼っている」

 一人でいいなどとは楓殿には言ってほしくないのである。

 楓殿は目を大きく開く。

「そうですわね。私、ポチと出会えてよかったですわ。犬禁止令の抜け道ですの。ふふ、見えないものが見えるのも悪くありませんわね」

 楓殿は微笑んだ。

いい笑顔である。安心したのである。

「うむ。して、楓殿? 何を作っているのだ?」

 キッチンからおいしそうな匂いがする。

 香ばしい……肉の匂いだ。

「ふふ、ポチ。鼻がひくひくして可愛いですの。これはステーキですわ。付け合わせに玉ねぎのソテーとピーマンで野菜もばっちり。今日はポチが来てから一週間記念ですの!」

 深皿にドン! とステーキと野菜類が。

 うむ、なんと芳醇な香り。堪らんのである!

「はぐはぐはぐ!!」

「ああ! ポチ~いい食べっぷりですわ~!」

 私は犬面人であることをしばし忘れた。


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