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第6話

「あら? お弁当が入っていませんわ。どうしましょう」

 その場所にぼそぼそと楓殿の声が響く。

 私は聞き間違いかと耳を澄ませるがやはり聞こえてくる。

 同時に嗅覚を働かせてみる。

 混じった匂いの中に、楓殿の匂いがしっかりあった。間違いない。

「楓殿、いるのであろう?」

 私は女子トイレの中に声を掛けた。

 高校の最上階、楽しそうに友と語らい食事をしていた沢山の学生の姿はここにはない。

 ちなみに楓殿のように私が見える学生はこの高校にはいなかった。こう考えるとあの獣医は珍しい類だったのだろう。

 かかりつけ医が出来たのは幸運である。

「……い、いませんわよ?」

 やがて聞こえてきた楓殿の声は震えていた。

「何か嫌なことでもあったのであるか?」

 私はトイレの3番目のドアをノックする。

 奇しくも、トイレの花子さんが出現すると噂のドアだ。

 楓殿は答えない。

「楓殿?」

 二回、三回とドアを叩く。

 ふむ、楓殿はどうやら私と話したくないらしい。もしや私が待てをせず、弁当をもってきたことに腹を立てているのかもしれぬ。ううむ。

「かえでぇえ!! 一緒にご飯食べよっ!」

 突如、トイレに駆け込んできたおかっぱ頭の女児が楓殿の入っている個室のドアを何かしらの力で引き開けた。

 楓殿は驚き顔で固まっていたが、やがて涙目になって女児をぽかぽか叩いた。

「うわぁん! 花子! 少しは空気を読みなさいまし!」

「え? あ? うわ! この顔が犬で体が人間の明らかに人外な奴誰!?」

 私を見上げてくるおかっぱ女児。

 楓殿の発言が確かならこのお方は……。

 私はひざまずいた。

「お初にお目にかかるのである花子さん。私は犬面人。今は楓殿のワンちゃんであり、お弁当を届けにきたのである」

 うむ。存在が定かでない私の確かな情報だ。

「あは、僕は花子! トイレの花子さんだよ! 全国の学校で大人気の都市伝説! いつも引っ張りだこだけど、昼休みは楓ちゃんとお昼を食べる約束してるんだ! 楓ちゃんが小学生の時からずっとね!」

「個人情報ですわよぉおお!」

 楓殿は今まで見たことがない表情でぽかぽか花子さんを叩いていた。

 うむ、仲がよさそうで少し羨ましいのである。

 む……羨ましい?


「くすん。ポチ、お弁当ありがとうですわ。でも、できれば知られたくありませんでしたの。お嬢様の私が、トイレで花子さんと一緒にお昼を食べてるなんて」

 楓殿は便器に座ってお弁当を食べている。

 花子さんも傍に座って何かを食べている。

 うむ? なんだあれは魂のようなものか? わからぬ。

「昔から楓ちゃんはお嬢様なのに言葉遣いしかお嬢様じゃないよね~」

「きょ、教育係も、習い事の先生も、誰もかも、私を怖がってなにも教えてくれませんでしたの! 両親は海外ですし! 爺やだけですわ! でも爺やはちょっと……」

「うん、あのおっさんは過保護すぎだもん。洗濯は勝手にするし、中学まで一緒にお風呂入ってたし。人外とみれば襲ってくるし。一人暮らしは正解だと思うよ?」

「やめてくださいまし! 恥ずかしい過去をポチに聞かれたくありませんわ!」

「うむ。世の中には中学生でもお父さんとお風呂に入る娘がいるのである」

 楓殿は声にならない悲鳴をあげた。

「は、花子はおしゃべりすぎですの! もう一緒にお弁当なんて食べないのですわ!」

 楓殿はお弁当をさっさと食べてトイレから出て行ってしまった。

「ばいばーい!」

 花子さんは笑顔で見送る。

「……楓殿怒っていたのである」

「あは、楓ちゃんは大丈夫。友達いないからね。また明日もお昼になれば来るよ」

「楓殿のことをよく知っているのであるな」

「まあ、人間でいうところの幼馴染みたいなものだよ」

 と、そこで花子さんは私に鋭い視線を向けた。

「で、君はなんなのかな? ポチって呼ばれてたね。楓ちゃんには僕以外の人外と関わらないように言ってたはずだよ? 一緒に住んでるの?」

 高校にくるまでに結構な数の人外と遭遇している。

 その時に楓殿が何故生きてこれたのか、多少考えたのだが。

 なるほど、ちゃんと教育を受けていたのだ。

「ありがとうである花子さん。楓殿が生き残れたのはあなたのおかげだ」

 頭を下げると花子さんは拍子抜けな顔をした。

「ふーん? 悪い奴じゃなさそうだね。そういえば楓ちゃん昔から犬が飼いたいって言ってたっけ? でもあのおっさんが犬禁止って……。そっか、君顔が犬で体が人間だ。楓ちゃんも抜け目ないなぁ」

 一人で納得する花子さん。

「あの、お聞きしたいことがあるのだが……よいか?」

「ん? 何?」

「私は私が犬面人という都市伝説だと思っていたのだが……最近ポメラニアンなのではないかと疑っているのである」

「うん?」

「私が都市伝説なのか否か大御所である花子さんならばわかると思い、楓殿のお弁当を届けに来たついでに訊きに来たのである」

 すると花子さんは親指を立てた。

「楓ちゃんの用事のついでってのがいいね! 仲良くなれそうだ。よし、都市伝説の先輩としてアドバイスしてあげよう!」

「お願いするのである」

 花子さんはニッコリ笑顔を浮かべる。

「君はたぶん人面犬っていう都市伝説の亜種だよ。ほっといてくれよっては言わないみたいだね。でも、立派な都市伝説の仲間だ」

 答えが出た。

 うむ。私はポメラニアンではなかったらしい。

 少し残念だ。

 ……残念?

 首をひねっていると花子さんは見透かすように言った。

「ふふ、都市伝説ってわかって満足した? それとも残念に思ったかな?」

「何故私の考えたことがわかるのであるか?」

「僕も一時期迷ったからだよ。僕は楓ちゃんの『友達』でいていいのかってね」

「どういう意味である?」

 花子さんは悪戯に笑って個室の扉を閉めた。

「君は君の答えを見つけるといいよ。君はなんのために楓ちゃんの傍にいるのかな?」

「待つのである」

 扉を開けるが、花子さんはその場にいなかった。


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