次の日の二十八日はちょっとくもりぎみでした。ハロウィンパーティーまであと今日をふくめて三日です。
今日も今日とてロップちゃん、シンシアに会うために朝からせかせかと身支度を整えます。
「ロップちゃん。シャツが後ろ前ですよ」
「あーん」
急いでいるときほど、急がばまわれです。
「これこれ、くつしたの長さがちぐはぐですよ」
「やー、もぅ」
ロップちゃんは、くつしたの長さを確かめると「うんしょ、うんしょ」とはきかえました。
「いっ、いってきまーす」
「これこれ、コートのボタンが互いちがいですよ」
「えーっ、やだもう」
あまりのあわてぶりに、おばあちゃんはフフフフと笑い出しました。
「もう、笑わないで!」
「いってきまーすっ」
「気をつけて行ってらっしゃい。お昼にはもどるのですよ」
ロップちゃんは、やっとウチを出発しました。ロップちゃんおウチからシンシアのおウチまでは、ゆるやかな上り坂の一本道です。その途中に大きな木が一本たっています。そこが二人の待ち合わせ場所でした。
ロップちゃんが待ち合わせ場所に着くと、もうそこには黒いコートに白いワンピースのシンシアが待っていました。
「おはよう、シンシア」
「ごきげんよう、ロップちゃん。さあ、まいりましょう」
二人は、おててをつないで歩き始めました。
ゆるやかな上り坂を上って行くと、スミスさん家のロールおばさんが果物のはいったバスケットをさげて、坂を下ってきました。
「ごきげんよう。おばさま」
ロールおばさんがこちらに気づく前に、シンシアは元気にあいさつをしました。
「あ~ら。シンシアちゃん。おはよう。それにその後ろにかくれているのは……ロップちゃんだね。ロップちゃんにもおはよう」
「……うん……」
ロップちゃんは、まだいろんなひとにきちんとごあいさつができないので、シンシアってすごいなぁと思いました。もちろん、ずっとシンシアの後ろにかくれながらです。
「十月三十一日は、こわーいオバケが来るのを期待して待ってますよ」
「ええ、とびきりこわーいオバケを呼んであげますわ」
「おお、こわいコワイ」
「フフフフ」
「ああ、話は変わるんだけれどもね、となり街にとっても悪い盗賊団が現れて、美術品をねこそぎもっていったって噂なの。この街にこないといいわねぇ」
「いいえ、むしろいらしたところをぎゅっとなるまでおせっきょうしてさしあげますわ」
シンシアは正義感の強い子のようでした。でも、ロールおばさんは首を横に振りました。
「だめよ。あなたのきれいなお顔に傷でもついたら大変だもの。めったなことはしてはいけませんよ」
「……ええ、心得ましたわ……」
残念そうに彼女はうなずきました。するとおばさんはほっとしたようでした。
「それじゃあね、シンシアちゃん。ロップちゃんもバイバイ」
「ごきげんよう」
シンシアは元気にかわいらしくごあいさつしているのに、ロップちゃんはなんにもいえませんでした。ロールおばさんは、ロップちゃんのホッペをプニプニするともう一度だけ、「バイバイ」と言って帰って行きました。
「シンシアはスゴイね。だってきちんとごあいさつができるんだもの」
ロップちゃんは、さっき思ったことをいいました。
「ロップちゃん、いいこと? あいさつというものはね、『なかよしのまほう』なの。知らないひとにでも、きちんとごあいさつができれば、いつかおしゃべりができるようになって、きっとなかよしになれるのよ。だからとってもステキ。だからとっても大事」
「ふーん。『なかよしのまほう』なんだ。ステキだね」
そう言えば、自分がシンシアとおともだちになれたのも、シンシアが話しかけてくれたからです。それは、ごあいさつという『なかよしのまほう』だったのでしょう。
そのあとも、何人かの街のひととすれちがいましたが、シンシアはみんなにあいさつをして行きました。なんだかみんな知り合いのようでした。ただ、「おはよう」だけでなく、だれもが「これからどちらへ」とか「昨日はこんな楽しい事があったの」とかとても楽しそうにいいました。ロップちゃんは、シンシアがとてもうらやましくなりました。自分もシンシアみたいになれたらどんなに毎日が楽しいか、と思いました。
しかし、またしばらく歩いて行くと、今度はシンシアと同じくらいの年頃の男の子が向こうから歩いて来ました。白っぽい髪は、銀のスプーンのように朝日をはじいていて、あわいトビ色の瞳はキッとりりしい感じでした。少し背が高めで、丈の短いデニムのジャケットをはおって、ひょうひょうと歩いて来たのです。
でも、シンシア。今度は物も言わずにうつむいて、足早にすれちがいました。ロップちゃんは、『あれれ?』と思いました。
「ねー、シンシア。どうして今の男の子にはごあいさつをしなかったの?」
するとシンシア、少しだけホッペを赤らめながら早口でいいました。
「彼はロバートっていうんだけれど、イジワルでらんぼうものだから、あまり良くいうひとはいらっしゃらないみたいなの。わたくしもあまり関わりあいたくないのよ。いいこと。あなたも彼に近づいてはいけませんよ。もし、彼となかよしになったりなんかしたら……絶交なんだからね」
「『ぜっこう』ってなぁに?」
ロップちゃんはたずねました。
「絶交っていうのはね、『おともだちをやめる』という意味よ」
「うひゃあ、ヤダ! 『ぜっこう』はヤダ!」ロップちゃんはあわてていいました。する
とシンシアはマジメな顔でいいました。
「じゃあね、ゆびきりげんまん、でしてよ」
「うん」
♪ ゆーびきり げんまん、
♪ ウソついたら 針千本 のーますっ。
♪ ゆびきった。
こうして、ロップちゃんは、あとあとに後悔するような約束をしてしまったのです。
今日もシンシアのおウチで、彼女といっしょにオバケの衣装を作って、時のたつのも忘れてはりきりました。おかげで、衣装は完成しました。
「あー。おわったぁ。完成だわ」
「あの……。ロップちゃん……」
ロップちゃんが自分の仕事にまんぞくしていると、ちいさな声で、呼ばれました。
「あ、エルミン? どうしたの?」
ロップちゃんは、エルミンのお母さんとなかよしになったので、エルミンにもちゃんと話しかけられるようになっていました。でもエルミンは、もっとはずかしがり屋さんで、なかなかだれともおはなしできませんでした。だから、今日、初めて声をかけられてロップちゃんはビックリしましたが、とてもうれしく思いました。
「シンシアの事でちょっと……」
彼女は周囲を見回すと、ちいさな声で言いました。
「なあに?」
よく見ると、周囲にシンシアはいないようです。
「シンシアってね、ある事でたくさんおともだちをなくしているの……知ってる?」
「え? 知らないよ」
ロップちゃんは首を横にふりましたが、少しだけ思いあたる節がありました。エルミンはまた周囲を見回すといいました。
「彼女、ロバート君となかよくする女の子とはすぐに『ぜっこう』しちゃうのよね」
やっぱりか、ロップちゃんはそう思いました。
「うん。今朝、わたしもいわれたわ」
するとエルミンは「はあ」とため息をつきました。
「やっぱり……ぜんぜんかわってないのね。でも、もし彼女がその事でおこっても、おともだちでいてあげて、お願い」
エルミンはロップちゃんの手をとって思いつめた表情でお願いしました。
「うん。わたしはシンシアの事、大スキだから大丈夫よ」
するとエルミンは初めて笑顔をみせました。
「ありがとう。きっとだよ」
「ええ。約束する」
ロップちゃんが笑顔で答えると、エルミンは彼女に耳打ちをしました。
「あなただけには教えるわ。あのね、シンシアはね、きっとロバート君の事、スキなのよ。だけど、彼女、彼の前になるともう、まいあがっちゃってなんにもいえなくなるから……」
「なーにー? なんのおはなしかしら? わたくしにもおしえてくださいまし」
見なくてもわかる口調でそこにあらわれたのはシンシアでした。
「きゃっ! な、ななな、なんでもないよ」
エルミンはあわてていいました。
「わたくしにはいえない事なのですね」
シンシアはくちびるをへの字にしておこりはじめました。
「ちがうの。ただ、白い子ネコが捨てられてたの……何とかお母さんにかくして飼えないかしらっ、ておはなしよ」
エルミンは必死にウソをつきました。
「ふーん。子ネコくらい飼ってあげてもいいのにね」
シンシアはあごに手を当てるとこともなげにいいました。
ふう。あぶなかった。でもシンシアはこのままではロバート君となかよくできないわ、とロップちゃんは思いました。
そしてカラスたちが遠くのお山へ帰る頃、衣装は街の子どもたち全員分すべて完成しました。
「わたし、もうおウチ帰るね。シンシア、バイバイ」
「……またね、シンシア」
「また明日ね、ロップちゃん。エルミン」
シンシアは、小さく手をふりました。
下り坂の一本道の帰り道。途中にある、いつもの待ち合わせ場所の木の所で、ロップちゃんは足を止めました。
「にゃあん」
ネコの声が聞こえたのです。でもドコにいるのでしょうか。
「なぁ~ご」
「ネコさーん。どこー」
「いにゃあん」
「あ」
とうとう見つけました。それは白い子ネコでした。エルミンのいってた事はあながち全部ウソでもないようです。でもなんということでしょう。そのネコは木の枝の上にいるではありませんかおそらく、降りられなくなって「助けて」と鳴いているのです。イジワルな野良犬から逃げて登ったのか、はたまた悪い子どもたちにイジワルされたのか。どちらにしてもなんてかわいそうなんでしょう。
さあ、ロップちゃんは困ってしまいました。なぜなら、彼女は木登りが出来ないからです。
「んなぁご」
「待っててね。だれか呼んでくるから」
「んにゃあ」
子ネコはブルブルと震えていました。相当こわいのでしょう。早く何とかしてあげないとおっこちてケガをするかもしれません。
するとそこに、ひとりの少年が通りかかりました。その少年は、銀のスプーンのように夕日はじく髪で、あわいとび色の瞳はキッとりりしい感じでした。少し背が高めで、丈の短いデニムのジャケットをはおっていました。そうです。朝に一度みた少年です。たしか名まえをロバート君とかいったでしょうか。
「……あの……」
ロップちゃんは、勇気を出して声をかけようとしました。でも、すぐにあの『約束』を思い出したのです。
「なんだい?」
ロバート君は彼女のちいさな声を、幸か不幸か聞き逃しませんでした。でも、ロップちゃんはうつむいたまま、なやんでいました。ロップちゃんはあせるアタマで必死に考えました。
「んにぁあーあん」
そうだわ。『なかよくしなければ』いいのよ。子ネコを助けてもらうだけ。それだけなら約束をやぶったことにはならないわ。彼女はそう思いました。
「アイツを助けたいんだね?」
彼も、木の上の子ネコに気がついたようでロップちゃんの言わんとしているところを素早く察してくれました。
「うん」
「ちょっとまってな」
彼はそういい残すと、スルスルと器用に木に登って行きました。そして、子ネコに手を伸ばしました。
「ふぎゃおん!」
しかし、子ネコはこわがって、彼の手を引っかきました。
「いたたたたたっ。さあ、こわがんないで。ほら、こっちにおいで」
それでも彼はやさしく手を差し伸べました。そしてついに、子ネコを抱きかかえました。
「おー、よしよし。こわかったな」
彼は、子ネコを肩に乗せると、ゆっくり慎重に木から降りてきました。彼は地面に降り立つと、そっと子ネコを地面に放しました。子ネコはシッポを立てて、うれしそうに彼の周りをくるくるとまわりました。
「これでよし、と」
彼はパンパンと手でズボンをはらいました。そして彼が屈むと、子ネコは自分がさっき引っかいたところをペロペロとなめてゴメンナサイをしました。
引っかかれてもおこりもしないなんて、なんてやさしいんでしょう。このひとが、シンシアのいうとおりに『らんぼう者でイジワル』なんでしょうか? ロップちゃんにはどうしてもそうは思えませんでした。
「あの……ありがとう」
ロップちゃんは心からお礼をいいました。
「いやいや、どういたしまして」
ロバートははにかみながらいいました。
「しかし君、かわいいポーチをもっているね。僕は男の子だけど気になったよ。それ、どこで売っているんだい?」
彼は、子ネコのノドをゴロゴロさせながらいいました。
またも、またもこのポーチです。このポーチはやっぱり人を引き付ける魅力があるのでしょう。
「このポーチはね、おばあちゃんがね、わたしにおともだちができますようにってつくってくれたの」
「ホントに、ステキなポーチだね。だってほら、もうおともだちができているんだもの」
ロバートはそういって、ロップちゃんの足元を指差しました。白い子ネコが彼女の足にスリスリとアタマをこすりつけて甘えていました。
「あら?」
てっきりロバートになついたままと思っていたのに、まさか自分になついてくるなんて。これも彼のいう通りポーチの力なのでしょうか。
「あっ。こいつ、真っ白かとおもったら、左の後ろ足の付け根にチョコレート色のブチがある」
「ホントだ。それになんかハートの形みたい。かわいい」
「にゃあおん」
まるで「そうよ」とでもいうかのような鳴き声に、二人は笑いました。
「このチョコレート色のハートマークがなけりゃあ、ウチで飼ってやってもいいのにな」
「なんでダメなの?」
彼女が聞くと彼はきまり悪そうにいいました。
「ハートマークのある子ネコはいくら何でもかわいらしすぎて、男の子には飼えないよ」
「まあ、案外変わった事を気にするのね。じゃあわたし、おばあちゃんにウチでこの子を飼えないかきいてみるわ」
ロップちゃんは、子ネコをそっと抱きかかえました。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕は……」
「ロバート君でしょ。シンシアから聞いたわ。わたしは、ロップ。よろしくね」
「へえ、僕のこと知ってたんだ。でも、シンシアって誰だったっけ?」
彼は、アタマをひねって思い出そうとしています。
「でも……でもね、シンシアったらロバート君の事、なんか悪い人だと思っているみたいなの。こんなにやさしいのにね。わたし、なんだか悲しいわ」
ロップちゃんが自分の思ったことをありのままに伝えると、彼はさびしそうな顔でいいました。
「僕も、反省しないといけないところがあるってことだよ。これからはもっとやさしくなるように心がけるよ」
「今度、シンシアにあったら言ってあげるよ。ロバート君、ホントはとってもやさしくていい人なんだよって」
すると彼は嬉しそうにはにかみながらいいました。
「ありがとう。でも、彼女のキモチが君の一言で全部変わるわけではないから、ぼくもがんばるよ」
なんだか、ロバート君ともこのままおともだちになれそうな気がしてきました。でも、彼がいくらいい人だとしても、シンシアとの約束をやぶる事になってしまいます。ロップちゃんは、「わたしたち、おともだちになりましょう」という言葉をぐっと飲み干しました。
「いつかまた、会おうね。ところで君の名前は?」
「……ロップ……」
ロップちゃんは聞かれたので一応答えました。
「そっか。ロップちゃんていうんだ。ボクはロバート。よろしくね」
ロバートは、手をふりながら去っていきました。
「バイバイ」
ロップちゃんも、おんなじに手をふりました。
しかし、その一部始終を遠くでじっと見ている人影がありました。そのときロップちゃんは、その人物に全然気がつかないでいたのです。
ロップちゃんは、子ネコを抱えておそるおそるおウチのお玄関をあけました。
「ただいま……」
「おかえりロップちゃん。おや、かわいいおともだちだね」
お玄関先で待っていたおばあちゃんはそういいました。ロップちゃんは心の重荷がスッと軽くなりました。そして今日あった事を全部、話して聞かせました。
「あなたにあげたポーチの『おまじない』はね、なにも人間のおともだちに限ったわけじゃあないんだよ。だから子ネコのおともだちだってできるわ」
「おウチにおいてあげてもいい?」
彼女はおそるおそる上目づかいにたずねました。
「もちろんだとも。おウチはにぎやかなほうがいいに決まっているじゃないか」
「やったあ」
「にゃぁーお」
ロップちゃんは子ネコを両手で抱えあげるとくるくると何度も何度もまわりました。そして何度も何度も考えた末に、この子の名まえはペロにしました。
翌日二十九日もお空がどんよりな日でした。二十九日の今日は、今までこしらえてきた飾りを、今日で全部屋敷中に飾り付けて、次の日のお料理の準備にじゃまになりそうなところだけ、よせるのだそうです。
ちいさな赤いカサをもって、ロップちゃんはいつもの待ち合わせ場所に向かいました。でも今日はシンシアの姿がありません。いつもは彼女のほうが早くきていて、待っているはずなのですが。
「今日は私のほうが早かったかな?」
でも、待てど暮らせど彼女は来ません。時間つぶしに、道行くひとを数えたら、もう十人にもなりました。ロップちゃんは、なんだか不安になってきました。もしかすると、シンシアは風邪をひいて寝込んでいるのかもしれません。だったらお見舞いに行かないといけないわ。彼女はそう考えると、急いでシンシアのおウチに向かいました。
ロップちゃんが、シンシアのおウチに到着すると、お玄関先にシンシアがいました。どうやらお玄関の飾り付けをしていたようです。彼女はロップちゃんに気づくと、ツイとそっぽを向きました。なんか、いつもと感じがちがいます。
「おはよう。シンシア。風邪でもひいたのかとおもって心配したよ」
ロップちゃんは、きちんと朝のあいさつをしましたが、シンシアからはなんのお返事もありません。それどころか、なんだか冷たい表情をしています。
「どうしたの。どこか具合でも悪いの?」
すると、とんでもない答えがかえって来ました。
「よくノコノコと来られたものね。わたくし、約束をやぶるひととは、おともだちにならない主義なの。おわかりになったら帰ってちょうだい」
「そんな、わたし約束破ってないよ! ロバート君となかよくしてないよ! ほんとだよ!」
「ウソおっしゃい。わたくしは見ていたんだから。白い子ネコの話で盛り上がっているあなたたちを。さぞ楽しかったでしょうね」
冷ややかな視線をぶつけてくるシンシアに、泣きそうになりながらもロップちゃんはいいました。
「ホントだもん! 約束は忘れてないもん! なかよくしてないもん! ペロを助けてもらっただけだもん!」
とうとうロップちゃんは涙をこぼし始めました。そんなロップちゃんに、シンシアはバサリと何かを手渡しました。それは、ハロウィンの日に着るロップちゃんのオバケの衣装でした。
「当日は他のおともだちとご近所をまわってちょうだいな。それではさよなら」
シンシアは、くるりとウチの中へ帰って行きました。後には、オバケの衣装を抱いて泣いているロップちゃんだけが残りました。