人が行き交う三条大橋の中ほどで、私は立ち止まった。
「ハク、周りの人に影響出るかもしれんから、まだ動くなよ? ここは人が多すぎる」
「はい、承知しております」
私は基本的に、面倒くさがりで自堕落な性格だ。
だが同時に、根っからの偽善者気質でもある。
最悪の事態が頭をよぎってしまえば、結局は動かざるを得ない。
芝居がかったスルーを諦め、頭の中の少女――ハクに指示を出しつつ、改めて河原に視線を向けた。
そこには、本来この世にあってはならないものが存在していた。そして、人の命を蝕んでいた。
……うわぁ。ほんま、めんどくさ。
心の底から辟易したが、見てしまったものは仕方がない。
「柿ピー、そこにスタバあるで? 喉乾いてんねやろ?」
康平が私に声をかけてくる。
「…………」
「柿ピー?」
どうやら私が橋の欄干から河原をじっと見ているのに気づいたらしく、彼も視線を追ったようだ。
そこには、河原の中ほどに、無表情で立ち尽くす一人の男性がいた。
サテン地の薄いグレーのジャケットに、白いハットをかぶった壮年の男性。
私はその姿を眺めながら、ぼそりとつぶやいた。
「鬼おるわ」
「はぁ?」
康平は男性を見たあと、嘘くさそうに私の顔を見る。
「あのおっちゃん? あのおっちゃんがどないしたん?」
彼には霊相がないため、私が見ているものがわからない。
だから起こり得る結果だけを、簡潔に告げることにした。
「たぶん、あの人ほっといたら、川に引きずり込まれる。鬼に、心のまれてしもうてる」
康平はしばらく黙ったあと、なんとも言えない微妙な顔をした。
「柿ピー、また変なこと言うとるなあ……。あれ、ただ川眺めてるだけやろ。大丈夫か?」
「…………」
まぁ、当然の反応だ。
だが、私の目にはその男性の背中から、黒くて泥のような――
それは背中に張り付き、ぬらぬらと蠢きながら、まるで踊っているかのように揺れている。
しかも一体だけではない。
川辺には、同じような鬼が数体、待ち構えるように潜んでいた。
どう対処すべきか思案しながら、十数秒ほど男性の様子を眺めていると――
男性はゆっくりと、前へ歩き出した。
「え?」
康平が声を上げる。
男性はゆっくりと、足を運び……そのまま、川に倒れ込むように入水した。
もう動いたか。もう少し余裕があると思ったが、目測が甘かった。
鴨川は浅い川だが、男性は川に入った瞬間、すぐにその姿を消してしまう。
橋の上や河原を歩いていた人たちから、悲鳴が上がる。
「はぁ? え!? やばいって!! 柿ピどうす――」
康平が何かを言いかけるのを無視し、私はすぐさま頭にかぶっていたカンカン帽を取り、スマホと財布、扇子を帽子の中に詰め込んだ。
それを、隣の康平に押しつける。
さすがにスマホと財布は水没させたくなかった。スマホは高い。いやほんまに高い。
康平は、押しつけられるがままに帽子を受け取る。
「?」
彼はまだ、状況を理解しきれていないようだった。
「行ってくるわ」
そう言って私は、三条大橋の欄干を越え――河原へと飛び降りた。
「……ほんま、めんどくさ」