濱元さんが左側の後部座席のドアを開け、「どうぞ」と促してきた。
今さら「やっぱりやめます」とは言えず、私は観念して車に乗り込む。
バドンッと重い音を立ててドアが閉まると、三人がそれぞれ車内に乗り込むべく動く。
シートベルトを締めていると、隣に濱元さんが乗り込んでくる。
見たところ、年齢は二十五前後だろうか。
タイトな黒のパンツスーツに身を包み、ロングの黒髪を高めの位置でポニーテールにまとめている。
整った顔立ちと引き締まった動きには、どこか軍人めいた雰囲気があった。
ほどなくして車が静かに動き出す。
車窓の向こうへ流れていく景色を眺めながら、「もう逃げられないな」と内心でつぶやく。
ふと横を見ると、濱元さんが小さく震え、明らかにこちらを避けるように反対側のドアのほうへ体を傾けていた。
「…………」
なんとも言えない空気が車内を満たす。
おそらく原因は分かっている。この人は、私の“霊相”を感じ取っているのだ。
どうやら祓い屋の関係者らしい──それなら、こうなるのも無理はない。
さすがに気の毒になり、私は霊相をできる限り抑えるよう努力する。
その時点で、今回の件が“ただの授与式”ではないことは察しがついていた。
助手席に座っている白井という人物からも、強い霊相を感じる。
車は見慣れた地元の街並みを抜け、国道一号線へと合流した。
一号線を抜ければ、京都市内まではほぼ一本道だ。
「柿本さんっ」
「はい?」
濱元さんがようやく私の方を振り返る。
さっきまでの震えは収まったようだが、頬はうっすらと紅潮していた。
感情が昂っているのか、それとも単なる緊張か。
「今後の予定なのですが……」
どこか事務的で、ぎこちない口調だった。
彼女の説明によれば、これから私を床屋に連れて行き、整髪と髭の処理を行った後、
老舗の紳士服店でスーツ一式を採寸・用意し、着替えさせるという。
その後、昼食をとり、府警本部へ。さらに市役所にも向かう予定だ。
一見すると至れり尽くせりだが、状況が状況だけに、まったく落ち着かない。
この不穏な流れが、ただの「授与式」のためとは到底思えなかった。
「以上です」
「……はぁ、ありがとうございます」
こうして、まず到着したのは昔ながらの床屋だった。
何の変哲もない街角の理容室に、私はただ椅子に座らされ、身を委ねるしかない。
選択肢など一つもないまま、鏡の中の“自分”が整えられていくのを、ぼんやりと眺めていた。
やがて清潔感ある風貌になった私は、次に紳士服店へ連れて行かれる。
「彼に似合う一式を採寸し、揃えてください。価格は問いません。一時間でお願いします」
白井さんが、店主にそう告げる声が聞こえた。
私は試着室で着替えながら、「馬子にも衣装だな」と自嘲する。
こうなると、せめて昼食ぐらいは──と淡い期待を寄せていたのだが。
用意されたのは、コンビニのおにぎりとペットボトルのお茶だった。
拍子抜けするやら、腹が立つやらで、私は明太子のおにぎりをもそもそと食べながら、黙って車窓を眺めた。
京都市内に入る。寺社仏閣に加え、美術館や博物館、資料館といった文化施設が並ぶ町。
車はかつて訪れたことのある近代美術館の前を通過し、やがて府警本部の建物が視界に現れた。
正面玄関の前で車が止まり、濱元さんと白井さんが車を降りる。
二人はドアを開けたまま、誰かを待っているようだった。
しばらくすると、ダークスーツに身を包んだ白髪のがっしりした老人が、ゆっくりと乗り込んできた。
その存在感に、思わず私は体を固くする。
「…………?」
濱元さんが扉を閉めると、彼女は助手席へと移動し、再び車が走り出した。
車内に妙な緊張が走る中、老人がふと口を開く。
「柿本君、はじめましてだな。儂はこういう者だ」
そう言って、名刺が差し出される。
私は反射的にそれを受け取り、目を落とす。
西方鬼霊対策室 室長 天鳳荒原(てんほう・こうげん)
──嫌な予感が的中した。
なぜか? この名前を、私は知っていたからだ。
今の私が関わってはいけない人物。
それも、最上位に近い“領域”の人物だった。
「改めて、はじめましてですな。栄神静夜殿」