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天鳳千草 三


-二十七年前 天鳳家当主屋敷-


「当主っ!! 当主どこにいるんですかっ!?」


 屋敷の離れに、男の野太い大声が、屋敷中に響き渡る。

その声が近づき、部屋のふすまが開く。

筋骨の整った、長身の男が姿を現す。


 部屋の中では、孫のさくらを抱きニヤケ顔でゆっくりと揺らす儂。

そして、孫の母親である桐絵きりえと、母に甘える兄のくぬぎがいた。


「なんや竹光たけみつ、でかい声出しおって──さくらが起きてまうやろ。なあ桐絵さん?」


「ふふっ──そうでございますね。お養父様」

甘える椚の頭を撫でながら、隣に座る桐絵が微笑む。


「はぁ……またですか父上。孫が可愛いの十分に理解できますが……。それに桐絵まで……」

「うっさいわ。お前はいつでも会えるからええんやろうけどな、こっちはなかなか孫の顔も見れへんねや、これくらいええやろ。ふんっ」


 自分の息子に対して、いい歳して不貞腐れる、齢五十のジジイがそこにいた。

だが、すぐに顔を綻ばせて、小さい桜の頭を優しく撫でる。


「はいはい……わかりましたよ。それより当主、大社の宇野大納言浄階様から当主へ急ぎの招集がかかっています」

そうか──惜しむように桜を桐絵へ預けて、すくりと立ち上がる。


 母親に抱きつく椚の頭を、微笑み優しく撫でてから、屋敷の離れを出る。

母屋の自室で着替えを済ませ、車が待つ正門へ向かう。


「竹光、招集の内容は? 例の夜叉の件か?」

儂の質問に竹光は首を振り、「至急相談あり、急ぎ参られよ」とだけ…と答える。


 今、京都市内では約二週間前から夜叉の目撃報告が多数現れ、京都中の祓い屋達は皆ピリピリしている。

この屋敷にも、多数の子弟の払い屋を護衛として配置している上、強力な結界を幾重にも張り巡らせている。


 正門から車に乗り込み、大社へ向かう。

車内で隣に座り、付き人としてお伴する竹光へ声をかける。


「それで夜叉の件、何か少しでも進展はあったんか?」

「いえ、当家を含め京都中の祓い屋総動員で捜索していますが、今は何も……」


 竹光が目を伏せて、ため息をつきながら首を横に振る。

そうか……とつぶやき、屋敷にいる桐絵や孫達が心配で、己の血圧が上がるのがわかる。


 車が大社の関係者専用の駐車場へ入ると、宇野浄階側近の二人の巫女が出迎えに現れる。

竹光が先に車を降りて、反対側のドアを開く。車を降りると巫女達が頭を下げる。


「天鳳家当主天鳳荒原様、お待ちしておりました。宇野大納言浄階がお待ちです」

ああ……と頷くと、二人の巫女が宇野浄階の所へ案内してくれる。


 大社の別宮にある一室へ案内され、部屋の前で巫女達が座する。

「宇野大納言浄階様、天鳳荒原様、竹光様が参られました」


「はい、通してください」

扉越しに、浄階の声が返ってくる。


 どうぞお入りください──巫女達が扉の引き戸を開く。

室内は、八畳間の質素な部屋だった。

宇野浄階は、卓の前に座り茶を啜っている。湯呑を卓へ戻す。


「荒原。急にお呼び立てしてしまい、誠に申し訳ありません。どうぞ座ってください」

元気の無い浄階が、用意された座布団へ座るように手で勧めてくる。


 卓の反対側の正面に胡座を書いて座る。その後ろに控えるように竹光が正座する。

相変わらずこの人のお姿は変わらないなと、沁み沁み感じてしまう。


「で、何がありましたか? 夜叉の件でしょうか?」

用意された茶を啜り、早速本題に入ろうとする。


 その言葉に、浄階は大きく溜息をつく。

目を伏せて、頭を抱えて首を振りはじめる。

そして、想定外のとんでもない事を言い放つ。


「栄神静夜殿が、大社をおやめになりました……」「ブフォ」茶を吹く。


「荒原、はしたないです」

茶に濡れた浄階が、呆れた顔でこちらを見る。巫女達が慌てて浄階と卓を拭く。


「大変失礼しました……申し訳ない……」

深く頭を頭を下げて詫びる。


「しかし、静夜殿は何故に大社を辞されたのですか? 引退にはまだお早いのでは? まさか……」


 銀閣殿は、現在齢は七〇前後だったはず、引退を考えてもおかしな年齢ではない。

だが、あの方の身体能力と、あのバイタリティを鑑みると、引退はまだまだ先だと考えていた。

その銀閣殿が引退? いや違うな。とうとう切れてしまったか。


「はい──長年我慢してきていた己の理想と現実の差に、とうとう限界を迎えたようです」

再び、宇野浄階が頭を抱えて、首を横に振り始める。


 銀閣殿は、もう随分前から、大社との意見と見解の不一致によって、宇野浄階と揉める事は珍しくなかった。

己の意思を一徹し、良い意味でも悪い意味でも、頑固者の堅物だ。

あの方は、大きな鬼障がどこかで発生したと話を聞く度に現地へ赴こうとするが、大社はそれを止めた。


 彼が現場へ赴き戦闘になると、他の祓い屋がまともに動けなくなるからだ。

それ故に、大社は歴代の栄神静夜と同様に、帝と大社の守護に限定した。


 現在、帝は拠を東京へ移しているので、基本的には東京に本拠地を置く堂上家が守護を担っている。

その為、特別な有事の際には、東京へ向かう事になっている。

それ故に今は、この大社の守護のみが、彼の主な業務になっていた。


「昨日の夜の事です、静夜殿が私の部屋を訪れて、夜叉の捜索を願い出ました」

「なるほど、それも断られて──とうとう静夜殿の堪忍袋の緒が切れましたか?」


 浄階が俯いて、再度大きく溜息をつく。

まぁ、銀閣殿の気持ちも理解できるだけに、どちらの肩をもつ事もできない。


「何度も、何度も引き止めてたのですよ。ですが決して話を聞いてもらえず……もう、歴代であんな頑固な静夜殿は初めてです」


 あの方は周りにも厳しいが、何よりも己に厳しい正真正銘の頑固者やからな。

むしろ、今までよく我慢したなとも思う。


「では、本日の内容としては、銀閣殿を探して私からも説得をという事ですね?」


 あの方が、私の言う事を聞いてくれるかどうかは怪しいところだが。

まあ、酒を酌み交わして話を聞く事ぐらいはできるだろう。

あの方は、もっぱらの酒好きやからな。


「はい、荒原は私に次ぐ当代の静夜殿と付き合いが長い人物です。一度話してみてもらえませんか?──今、栄神の加護を失うのはとても危険なのです……」

浄階が、目に涙を溜める。


 胡座を改めて正座し、「承知しました」──と頭を下げる。

浄階が、それに対して頷き──「宜しくお願いします」と同じく頭を下げた。

立ち上がる時に、追加で夜叉の情報は入ってきていないか確認するが、ここ三日は動きが無いようだ。


 退室後、巫女の案内に従って駐車場へ戻り、車へ乗り込み屋敷へと戻る。

車内で携帯電話を持っていない銀閣殿を、どうやって見つけ出すかを思案する。


 普段銀閣殿は、社内の離れでお一人で生活されているが、昨夜から戻っていないらしい。

おそらくそこら中を走り回り、夜叉を探しておられるのだろう。

そうこう考えているうちに、屋敷の正門へ到着する。


 車を降りた時に、違和感を感じて屋敷を見ると、結界が破壊されている事に気付く。


「竹光、結界が破られとる、はよそこの鍵あけろっ!!」

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