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154 前男爵と呪術師

 ◇◇◇◇


 王宮事変から七日後の夕暮れ。

 ルリア達がディディエ男爵領に到着する一月以上前。


 ディディエ前男爵は、男爵領の大きな山の上に連れてこられていた。


「男爵。どうだ、美しい景色だろう? お前が支配するべき領地だ」


 呪いで苦しむ男爵を山頂まで運んだ呪術師が言う。


「……俺をどうする気だ」


 うつろな目で、夕暮れに赤く染まる大地を見ながら、前男爵がうめくように言う。


「お前はこの地の領主だ。この地はお前のものだ」

「なにを当たり前のことを……」

「みろ。あの村を、あの屋敷を、あの森を、あの川を。実にのどかで美しいではないか」


 前男爵は呪術師が何を言いたいのかわからなかった。


「だというのに、領主たるお前は苦しんでいる! 理不尽な呪い返しという手段によって!」


 ここに移動する間に前男爵は自分の身を苦しめているのは赤痘ではないと説明を受けた。

 これは呪い返し。妻マリオンにかけた呪いが自分に返ってきたのだと理解していた。


「支配者たるお前が苦しんでいるというに、豊かで美しく、人は幸せそうではないか」

「ぐうう、許せぬ。……俺が、俺が苦しんでいるというのに」

「そうだ。許せないよな。ならば、お前の力で、この地を染めよ」

「俺の力で、この地をそめる?」


 朦朧もうろうとした前男爵の言葉は、ほとんど呪術師の言葉のオウム返しに過ぎない。

 思考力の落ちた前男爵の脳内は「どうして俺がこんな目に!」に占められていた。


 それを煽るように呪術師は言う。


「そうだ。お前は何も悪いことをしていない。だというに理不尽にな目に遭わされている」

「ああ、理不尽だ。……俺は何も悪くない」


 客観的に見れば自業自得に他ならない。

 だが、前男爵の主観では、理不尽にひどい目に遭わされているという認識だった。


 なぜなら、自分は支配する者だからだ。支配されるべき者をどう扱ってもいい。

 妻も子供も、自分に支配される者なのだから、何をしてもいいはずだ。


 なのに、なぜ? 

 俺は妻を呪って子供を虐待しただけなのに、こんな目に会わなければならないのだ。

 しかも子供は獣人だ。虐げて何が悪い。俺は何も悪くないではないか。


 それなのに、なぜ俺がこのようなひどい目に遭わなければならないのだ。

 全くもって理不尽で、許しがたいことだ。自分は不当に、虐げられている。


「……神は……いないのか」


 ぼそっと前男爵がつぶやく。

 正義の神がいるならば、こんなひどいことを、こんな理不尽を許すはずがない。


「神はいるぞ」

「…………?」


 呪術師の言葉に、前男爵はうつろな目を向ける。


「神がお前に力を与える。その力でこの地を染めよ。できるな?」

「……できる」

「あの恩知らずな幸せそうな者達に、この地の支配者が誰か知らしめてやれ」

「しらしめる」

「領主をないがしろにし繁茂する植物、繁栄する動物たち。誰が領主か思い出させてやれ」

「思い出させる」


 前男爵の言葉を聞いて、呪術師は満足そうに頷いた。


「お前の力で、この地を染めよ」


 呪術師は紫色の宝石で作られた器に水を入れる。

 そこに碧色の石を入れて溶かした。


「この薬を飲め。そうすれば神がお前に力を授ける」


 呪術師は飲食物を介して呪いをかけることがある。

 それゆえ、前男爵も普段ならば呪術師から渡された物は口にしなかっただろう。


「もちろん、神に力を与えられたら、今の苦しみからも解放される。理論上はな?」


 だが、今は赤痘の熱にうなされ、思考力が落ちていた。

 そして何より、自分の身に起きた真実を教えてくれた呪術師のことを信用していた。


「おお、ありがたい」


 前男爵は躊躇いなくその薬を飲んだ。

 たちまち、熱と全身の痛みがひいていく。全身が作り替えられ生まれ変わっていく。


「……おお……おお、楽になったぞ」

「そうだろう? お前は性根が素晴らしいからな。きっと適合するだろうさ」

「ああ、きっと適合する」


 前男爵は、呪術師の言葉がわからなかった。

 だが、この呪術師のことを信頼していたので、何も怖くはなかった。


「……力がわいてくる」

「そうだろうそうだろう。神がお前に力を授けたのだ」


 前男爵はすがすがしい気持ちだった。活力に満ち、何でも出来そうな気がした。


「……動けないが」

「お前はこの地の領主だ。どっしりと構えていれば良い」

「そうか、それもそうだな」


 前男爵は呪術師の言葉に納得し、なぜ動けないのか深く考えなかった。

 なぜなら、呪術師を信用していたからだ。

 そしてなにより、脳まで呪われて判断力が落ちていたからだ。


 今や前男爵の姿は、金属質の黒光りする巨大な卵形の岩のようになっていた。


 その岩の上部には、目と鼻、口がある。その目鼻口は、少しだけ前男爵に似ていた。

 呪術師が前男爵に飲ませたのは、呪術師自身が開発した呪具である。


 人を呪物へと変化させる薬だ。


「……まさか本当にうまくいくとはな」


 呪術師はうまくいくかわからなかったが、実験として飲ませたのだ。

 もし、失敗してもドロドロに溶けて、前男爵が死ぬだけだ。


 そして、その溶けた物は、周囲を汚染するだろう。

 失敗しても損はない。


「不可能と言われていた人の呪物化が成功するとは……」


 これにより呪術師の名声は、これ以上無く高まるだろう。



 今や前男爵はいける呪物と化して周囲に毒をまき散らし始めた。

 もはや前男爵は動けない。手足はあるが短くて地面についていないので動けない。


 熱と痛みがひいたのも、熱を出し、痛みを感じる体が無いからだ。


 前男爵の体はない。

 魂と意思だけが、金属質の大きな呪物のコアとして存在しているに過ぎなかった。


「これからお前は毒をまき散らす」

「……毒?」

「ああ、そうだ。苦しかっただろう? 辛かっただろう?」

「苦しかった。辛かった」

「それなのに、領主であるお前は見捨てられた」

「俺は……見捨てられた」


 呪術師は巨大な前男爵だった物に、優しく手を触れる。


「理不尽だよな? このようなことが許されて良いわけが無いんだ」

「理不尽だ。許されない。許すべきではない」

「そうだ。お前の苦しさを、辛さを、思い知らせてやれ」

「おお! 思い知らせてやる!」


 前男爵だった物からじわじわと毒がしみ出していく。


 呪いではない。

 呪いでは、ヴァロア大公の手のものに気づかれる可能性があるからだ。


「……どうやっているのかはわからぬが、大公は呪いに強いゆえな」


 ぼそっと呪術師がつぶやく。

 だから、男爵の体から染み出ているのは毒だ。


 前男爵だった物から垂れ流された毒は、じわじわと広がっていく。

 じきに、ディディエ男爵領を支える川の水源に到達するだろう。


 川に含まれる毒は、領内の土地を汚し、動物を殺し、人を殺す。

 最初は風邪のような症状にすぎない。


 だが、徐々に赤痘に似た症状へと変わる。

 体表にでき物ができ、内臓が腫れ、高熱に苦しむことになる。


 ヴァロア大公が気づいた頃にはもう遅い。

 感染力が高いため、人を送れないからだ。

 どちらにしろ、赤痘を診られる医者の数は少なく領民を救うには数が足りない。


「これでディディエ男爵領は詰みだ」


 人と動物は数か月で全滅する。

 生物がいなくなった後、土地の汚染は続く。


 数十年は生物の住めない不毛の土地になるだろう。


 人と動物が苦悶のうちに死んだ土地を呪物に化してもいい。

 そうなれば、国を世界を呪うことだって可能だ。



 呪術師は満足そうに頷いた。


「……これで『北の沼地の魔女』も一息つけよう」


 現在「北の沼地の魔女」は、王国に追い詰められつつある。

 国王の指示を受けたヴァロア大公グラーフが、壊滅させようと動いているのだ。


「だが、ディディエ男爵領が壊滅すれば、魔女討伐どころではなくなる」


 その隙に他国へ逃れ、力を蓄えれば良い。


「……ヴァロア大公グラーフ。国王ガストネ。覚えておれ」


 必ず目に物を見せてやる。


 ディディエ男爵領はその嚆矢に過ぎない。 

 すぐにヴァロア大公領、そしてオリヴィニス王国の全てを呪ってやる。


 阿鼻叫喚をあげる王国民の姿を想像して、呪術師はほくそ笑んだ。


  ◇◇◇◇

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