掃除を終えて振り返ると、物干しに吊るしたミズヨリグサが、ほどよく乾いていた。
朝の水汲みから数時間──光と風にさらされた葉は、湿気を残しつつも、しなやかに弾力を取り戻している。
ライチは一枚を手に取り、指先で軽く折り曲げてみた。
厚みはおよそ一センチメートル。幅も十センチはある。ワカメを思わせるが、それよりもはるかに肉厚で丈夫だ。
「さて……こっからが本番だな」
どうやら開けるらしいので、葉の中央に指をかけ、端からそっと開いてみる。
べりべりべりっ、という音とともに、ミズヨリグサの中身が露わになった。
中にあったのは、まるで天然の吸水シートのような、繊維質の層。水分をたっぷり吸って葉の中で保持される構造なのだろう。
「こいつを、布に挟んで縫い込む……」
取り出したシートを、マーヤからもらった二枚の布のあいだに滑り込ませる。
前から後ろまでしっかりカバーできるように、慎重に位置を合わせて……。
左右それぞれ、ミズヨリグサのシートが一センチメートルほど布からはみ出すようにセットする。
その“はみ出し部分”が、まさに天然のギャザーだ。漏れそうな液体を受け止めるバリアになる。
ライチはニヤリと口元をほころばせた。
縫い上がった布オムツは、ふんどしのような構造をしていた。
布の左右には紐が二本ずつついており、赤子の腰で結んで固定する仕様だ。
(見た目もシンプルでいい。これなら使いやすいはず)
「できた!!……マーヤさん、ちょっとシーラちゃんに試してもらってもいいですか?」
ライチができあがった布オムツを差し出すと、マーヤは目を細めて笑った。
「嫌がるかもだけど、いいよ」
彼女は笑いながら土間をハイハイで動き回っているシーラ捕まえ、板間に寝かせる。押さえ込んだまま、ライチの作った布オムツを手に取った。
マーヤがふんわりと股間を包むと、シーラは驚いた様子もなく、じっと天井を見つめていた。
ミズヨリグサのギャザーが足のつけ根にやさしく沿い、自然に肌にフィットする。
マーヤが腰の紐を結びながら、感心したように言った。
「うん、ぴったりだね。意外とご機嫌じゃないか」
すると、神対応なのか、タイミングよくシーラが小さく体を震わせた。
(うちの子だけかと思っていたけど、シーラちゃんにもあるんだな)
はた目に分かりやすい排尿後のぷるぷるだ。
マーヤがそっと確認すると、笑ってうなずいた。
「……わお。ちゃんと受け止めてる。すごいわ、これ。まだまだ受け止められそう。ライチが部屋も綺麗にしてくれたし、このまま履かせておこうかな」
ライチは小さく息を吐き、そっと拳を握った。
「よし……!じゃあ次……洗い替え用に量産開始だ」
布オムツなんて数枚だけあってもどうしようもない。ライチが次の布を掴み、深く息を吸い込んだそのとき。マーヤが声をかけた。
「ごめんね、ちょっと畑までお昼を届けてくるわ。
シーラは寝てるから、オムツの追加を作るなら、シーラの見守り、お願いしてもいい?」
「了解です。帰ってくるまでに一つは作っておける……はず」
マーヤがランチのカゴを手に家を出ていった。
ライチはちらりと板間のほうへ目を向ける。
(……寝てるって言ってたけど、さっきまでご機嫌にオムツを履いてくれてたのに?)
視線の先には、板間で藁束に半身を突っ込んだシーラの姿があった。
上半身をぐいっと埋め込むようにしてうつ伏せになり、まるで藁の中に潜っていく途中で力尽きたような格好で、確かに静かに寝息を立てている。
「……おおぅ……」
ライチは思わず苦笑して立ち上がる。
(器用な寝方だな……でも念のため)
そっと近づいて体を起こし、やさしく仰向けに寝かせ直す。うつ伏せ寝は窒息することもある、なんてのは、育児界隈では有名な話だ。
(寝返りができる子は、本当にすぐにうつ伏せで寝ようとするけども)
昔散々やった寝返りと仰向けに返す攻防を思い出してくすりとしながら見守る。現状、呼吸は穏やかで、肌もあたたかく、特に異常はない。
(うん……これでよし)
小さな手がぱた、と動いたが、またすぐに眠りの脱力の中へ戻っていった。
ライチは腰を下ろし、布とミズヨリグサに向き直った。
試作品と同じ構造で、二枚目を縫い進めていく。
(洗い替えが出来上がったら、ティモとエルノの分も作っておこう……もうおむつは卒業してるかもしれないけど、夜のおねしょ対策になるし、下痢をしたときに備えてあると助かるかもな)
使い道が限定されているようで、意外と便利に使い回せるのが育児道具。
車内で大量に水が溢れたら、とっさに新しいオムツをひっくり返して水取りにしたらいい!みたいな驚きのネタを見つけたり。まぁそれは、オムツがもったいなくて、やったことはないけど。
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しばらく黙々と作業していると、外からにぎやかな声が近づいてきた。
「ただいまー!」「おなかすいたー!」
汗ばんだティモとエルノが駆け込んできた。
二人の背中には、麻の袋と、小さな束にまとめた細い枝の薪がくくりつけられている。
「おかえり。いっぱい拾えたみたいだな」
「うん!見て、これ!」「乾いてるのがいっぱいあった!」
二人は勢いよく土間の奥へと走っていく。貯蔵庫の戸を開け、中の薪置きにひと束ずつ、きちんと並べていく。
その後ろ姿を見て、ライチは思わず感心した。
(しっかりしてるな……うちの子たちと、年はそう変わらないのに)
ほどなくして帰ってきたマーヤが昼食を温めると、家の中にいい匂いが広がった。
食卓に並べられた木皿には、ふかした根菜と、干し肉を刻んで粉で丸めた、干し肉団子のスープ。
さらに、子どもたちが拾ってきた木の実を添え、自然な甘みもプラス。
家族で向かい合って食卓の椅子に座ると、マーヤが小さく言った。
「いただこうか」
皆が静かにうなずき、それぞれ手を伸ばして食べはじめる。
スープは温かく、肉のうま味がスープにほんのりと出ている。根菜はほっくり甘く、木の実の甘さが食卓のアクセントになっていた。
ライチはふと、板間に目をやる。
仰向けになったままのシーラが、まだぐっすりと眠っている。ライチはくすりと笑ってしまった。
(起きないな……たくましい子だ)
そして、食事がひと段落したころ。マーヤがふと、手を止めて言った。
「ねぇ、ライチ。もしよかったら、この布オムツ、他の母親たちにも作ってあげられないかな?みんな、おんなじ苦労をしてるからさ」
マーヤの声は、あたたかい。ライチはすぐに頷いた。
「もちろんです。布と……糸も少しあれば、すぐに作ります。実はそろそろ布がなくなってきてて……」
「布と……糸もね、わかった。村の人たちに事情を話すのは、あたしから伝えておくから」
「助かります。じゃあ、俺もあとで会ったときに直接、困り感を聞いてみます」
マーヤがシーラを背負って外での家事をして帰ってくるまで、自宅警備員として布オムツづくりに精を出した。
マーヤが帰宅すると、出来上がった布オムツを持って、入れ替わりでライチが村へ繰り出してみた。
午後の陽射しの中、ライチは麻袋を肩にかけて村を歩いた。水汲みに来たことがあるので、広場までの地理は把握している。
(あとは、お子さんのいる家庭は……)
と、見回していると、井戸の周りにいた女性たちが声をかけてくれた。
「旅の人。あんたが手に持ってるのが、マーヤがオススメして回ってた“オムツ”ってやつ?」
「マーヤがシーラを見せながらえらく褒めてたよ。掃除が楽になったって」
「布団を洗わずに済むかもしれない!ってさ」
そう言って、「うちの分もよろしく!」と布を分けてくれる人もいれば、糸玉をくれる人もいた。
端切れや古着はくたびれていても、まだ縫えるだけの強さはある。
どの布にも不思議と特徴があった。それぞれの家の暮らしぶりがしみついているからかな?とぼんやり考えながら、ライチは布や糸を大事に持って、来た道を戻った。
家に戻ると、ティモとエルノが土間の隅で長めの薪を折っていた。
午前中に拾った分を、乾きやすいよう整えてから、今度はそれを火の燃えやすい順にまとめ直している。
(ただの手伝いじゃなくて、ちゃんと考えて動いてる……すごいな)
二人に声をかけると、「おかえり!」と元気に手を振ってくれた。
ライチは板間でいただいた布と糸と、マーヤから預かっている布を広げ、煮沸・乾燥・分離済みのミズヨリグサ吸水シートを取り出す。
布のサイズを整え、一枚ずつ縫い合わせていく。
色も手触りもばらばらだが、粗い織りの布は忙しい生活を、丁寧に畳まれていた古布は几帳面な人柄を思わせた。
(どの家の赤ちゃんも、気持ちよく過ごせますように)
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太陽が傾きはじめたころ、開いたままとめられている戸口から見える外の明るさが変わってきた。
この世界に街灯はなく、夕方は“終わり”を知らせる合図でもある。
「……いったん休憩、だな」
しばらく板間で作業させてもらっていた。あぐらで丸まった腰を伸ばし、土間に降りると、マーヤが晩ごはんの支度をしてくれていた。
「すごく集中してたね。布、たくさんもらえたみたいだね」
「はい、皆さん親切でした。マーヤさんたちのお話も聞けましたよ。おかげさまで、かなり期待値が高いみたいで」
マーヤが笑う。その手元には、火の通り始めたかぼちゃと干し肉の煮込みが湯気を立てている。パンの薄切りと、昼に残った木の実。それに、ティモたちが取ってきた薪でくべた火の温もりが加わっていた。
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「ただいま」
ちょうどそのとき、泥にまみれたバルゴが戸口から顔を出した。
「おう、ライチ、よく働いてくれたそうで。今日は助かったぜ」
「いえいえこちらこそ。畑仕事、お疲れ様です」
ライチは笑って立ち上がり、背後を指さす。
「そういえば、見てください。シーラ、気持ちよさそうに寝てるでしょ」
「ん?……おお、ほんとだ。おとなしいな」
バルゴがそっと覗き込むと、シーラは仰向けのバンザイポーズのまま、すぅすぅと寝息を立てていた。
マーヤがにこやかに口を挟む。
「実はね、ライチが“オムツ”を作ってくれたのよ。
ミズヨリグサを使って受け止めて、洗って繰り返し使えるやつなんだってさ」
「まさかあの草で!?」
「すごいよ。漏れないし、掃除も布団洗いも減ったし、なにより、安心感があるのか、シーラが気持ちよさそうなの」
バルゴが目を丸くし、思わず口笛を吹いた。
「……やるなあ、ライチ。たった一日で、うちがちょっと楽になってるぞ」
「いやいや。それに今日、広場の方も少し回ってきまして。マーヤさんのアイディアで、希望するお家にオムツを配ろうかと思ってるところです」
「ほぉ、すげぇじゃねぇか。もう職人だな、育児の」
ライチは少し照れ笑いを浮かべたが、心のどこかで、“少しはお役に立てた”という充実感があった。
夕食には、煮込みがふっくら仕上がった。皆で囲む食卓に、自然な笑みが広がる。
「ほんとに助かったよ。ライチ、明日は何するんだ?」
「……試供品配布と……できれば、水浴びをしたいですね。ちょっと背中が、だいぶ……」
「ははっ、綺麗好きだな、お前。じゃあ明日は洗い場に案内してやるよ。朝早くなら空いてる」
「ありがたいです。すっきりして、もっと頑張れそうです」
食後、片づけが終わると、家の中に静けさが戻った。
マーヤとバルゴは子どもたちと板間の寝室に上がっていく。
土間には、ランプの淡い火だけが揺れていた。
ライチはひとり、食卓の椅子に腰を下ろす。
(さて……もうひとがんばり)
布とミズヨリグサを手に取り、静かに縫いはじめる。
何度もやった作業。けれど、針を刺すたびに、わずかに手応えが変わっていくような気がした。
吸水シートの収まり、布の引き具合、ギャザーの弾力。
どこかで、自分の中の“何か”が変わりつつあるような。そんな予感。
次第に、その手は迷いなく動き、布と草が自然と形をなしていくようになる。
(おお、もしかしてこれ、ゾーンに入った?)
まるで思考がそのまま指先に流れ込んでいくような、不思議な感覚。
ふと、脳裏に情報が入り込んできた。
《布オムツづくり の パパ経験値が一定量を超えました》
《父性クラフト:布オムツ が 次のステージに移行します》
《今後は、【使用者への愛情】をエネルギーに、素材から 即時クラフトすることができます》
情報が、すっと頭に流れ込んでくる。
ライチはしばらく呆然とその場に座っていた。
(素材から、即時クラフト……?)
(え……ほんとに……俺、今から“ポン”って作れるの……?そんなチート……いや、チートってほど、楽はしてないけども)
(使用者への愛情……?シーラちゃんにあげるつもりで作ってもアリなのか……?)
ライチはあれこれと思考を巡らせた後、深呼吸する。吸水シートではなく、未加工のミズヨリグサと、預かってる古布に手をかざした。
(シーラちゃんたち赤ちゃんに、快適な、お昼寝タイムを……!
クラフト……ポン!)
《クラフト対象:布オムツ(ミズヨリグサ仕様)》
《父性エネルギーを検出》
《即時クラフト 成功》
(っ!? おおっ!?……うおおおっ!?)
ライチの手元で、草と布がふわりと光り、次の瞬間には、完璧な縫製がされた布オムツが「ぽんっ」と小さな音を立てて完成した。
(ポンって言った!急にゲーム感が強い!煮沸乾燥も縫いもいらない!すごい!)
寝てるみんなを起こさないように、子どものように感動に打ち震える。気分は魔法使いである。
乾きやすいようにか、ふんどし型なのはそのままに、古布がオムツ用の柔らかい布に再構成され、肌ざわりも非常に良さそうである。
布は各家庭分、ミズヨリグサも腐るほどある。
(村の赤子たち……そして糞尿をお掃除してるご家族……待ってろよ〜!)
──ぽんっ。
(ふふっ……これで四枚目。しかし……ちょっと音が気になってきたかも……)
ライチはふと寝室の方を振り返った。
バルゴたちの気配は静かだが、深夜の静けさの中で「ポン」という音が何度も鳴っていたら、さすがに迷惑かもしれない。
(……まあ、今のところ誰も起きてこないけど……)
手元の布と草を見ていると、ふとこんな考えが浮かぶ。
(……もし、まとめて一気にクラフトできたら、ポンも一回で済むよな)
冗談半分、実験気分で、未加工のミズヨリグサと古布を数枚ずつ並べる。
(よし……えーっと、赤ちゃんへの愛情をしっかり持って……)
(試しに、まとめて……クラフト、ポン!)
《クラフト対象:布オムツ(ミズヨリグサ仕様)》
《作成数:十枚》
《即時クラフトを開始します》
《成功しました》
──ぽんっ。
たった一度、控えめな音が響いた。
目の前に、十枚の布オムツが静かに完成していた。
「…………マ(ジで!?)」
ライチは思わず声を出しかけて、慌てて口を押えた。
あわてて周囲を見回すが、寝室から物音はない。
(……マジか。マジか……マジでいけるのか……!)
並んだ十枚は、どれも完璧だった。
吸水シートの入り方、布の仕上げ、ギャザーの張り──どれを取っても、申し分ない。
(……よし、これで二十枚になったぞ。布と糸を託してくれた十家庭に二枚ずつ。ちゃんと渡せるな」
ライチはスキルのすごさを噛み締め、にんまりと笑った。
(すごかったなぁ……MPとかもいらないんだ。父性クラフトって……気持ちとか気合いが大事なんだな)
ランタンの光に照らされたオムツたちが、応えるようにしんと静かな夜に並んでいる。
明日配布する布オムツたちをそっと一角に並べ終えると、ライチは大きく伸びをした。
(よくやった……俺)
ランタンの火を吹いて消し、立ち上がる。
板間の隅には、ライチ用に用意された藁布団が敷かれている。
靴を脱いで、その上に身体を横たえると、藁の潰れる音とともに、全身がぐんっと沈み込んだ。
(明日は、水浴び……楽しみだな……)
目を閉じたその刹那、ふっと浮かんだのは、ロクの寝顔。ルノとレントの笑い声。そして、リノの優しい横顔。
(……みんな、ちゃんと寝れてるかな)
首を振って、あまり深くは考えないように気を散らす。
静かな夜が、ゆっくりと家を包み込んでいく。
こうして、ライチの“異世界での二日目”が、静かに終わった。