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第4話 ミルクづくり

 「ただいまー!」


 扉が開いて、ティモの声が勢いよく響く。エルノが、小さく「かえったー」と続ける。

 マーヤは石炉に薪をくべていた手を止め、ふたりを迎える。

 腕の中では、シーラが布にくるまれて、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。


「おかえり。たくさん採れた?」


「うん!ライチが高いとこ、ぜんぶ取ってくれた!」

「ぼく、薪もあまい木の実も、いっぱいみつけた!」


 二人は小さな籠を差し出し、得意げな顔。マーヤは目を細めて、優しく頷いた。


「ありがとう。いいお昼になりそうだね」


 ライチも土の床をゆっくり歩き、荷物をおろすと、マーヤの近くに腰を下ろした。台所を長く使わせて貰う以上、ちゃんと説明しなければならない。


「……あの、少し話してもいいですか?」


 マーヤが静かにうなずく。


「朝、水場でお母さんたちの話を聞いたんです。……“母乳が出なくて夜泣きが続く”とか、“お粥をあげてるけど、病気がちで心配”とか……」


 ライチは言葉を探しながら、マーヤの手元のシーラに目を向けた。


「……その話を聞いて、思い出したんです。俺の住んでいた場所でも、同じようなことで悩んでいた家族がいました」


「……」


「だから、つくろうと思ってます。“母乳の代わりになるくらいの、赤ちゃん用の完全栄養食”を。たくさんの子がごくごく飲めるような、そういうやつを」


 石炉の火が静かにぱちぱちと弾ける音だけが、しばらく家の中に響いた。


 やがて、マーヤがふっと息をつきながら、小さな声で話し始めた。


「……ネネがね、一番最初の女の子だったの。食べるのが下手でね。お乳もあんまり飲まないし、お粥も……。どうしてやればいいのか、方々を回ってるうちに、あっという間に……。」


 シーラの寝息が、二人の間の空気を揺らす。


「……だから、助かる子がいるかも、助けたい、って思ってもらえるだけで、嬉しいよ。あんたがそう言ってくれたことだけで、もう十分」


 ライチは小さくうなずいた。


「ありがとうございます。……作ってみます、必ず」


「じゃあ、さっさと昼食べて、期待に応えてもらわなきゃね」


「はい、急ぎます!」


 そこへティモとエルノが、貯蔵庫から籠を置いて戻ってきた。


「おなかすいたー!」

「オレ、パンたべるー!」


 マーヤとライチは顔を見合わせ、石炉の支度を進める。

 昼ごはんの準備が始まると、家の中にはまた、いつものにぎやかさが戻ってきた。



---


 パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶ。干し肉の香ばしさが、淡い野菜の出汁と重なって、口の中にやさしく広がった。空腹で帰ってきた体には、それがたまらなくおいしかった。


「うまい!」


 思わず声に出すと、ティモが笑いながら頷く。


「でしょ!オレら、このスープ、いつも楽しみにしてるんだ」


 スープに浸したパンの最後のひと欠片を口に入れ、ライチは静かに息をついた。


 (さあ、ここからが本番だ)


 昼食を終えた家族がそれぞれ動き出す。子どもたちは食器を運び、畑のバルゴの手伝いに向かった。マーヤはシーラに授乳を始める。

 ライチは袋の中身を石炉の近くに並べはじめた。


 淡い紫の花――ムラサキバナ。

 白くて丸い実――ユキダマソウ。

 そして、濃い緑色の、スイの葉。


 まずは検査に必要なムラサキバナからだ。中鍋で花を煮出し、色素を煮汁に移す。

 ぐつぐつと煮えてきたところで、ライチはマーヤさんから頂戴した薄布を用意し、色水を染み込ませては乾かしていく。

 乾いた布は、酸性・アルカリ性で色が変わる“目印”になるらしい。


 さっそく試してみた。

 スイの葉の汁だと赤に。ユキダマソウの実を擦り付けると青に。二つを同じ場所に染み込ませると、赤と紫と青の円が重なったような変色になった。

 まさにリトマス試験紙!

 青色リトマス試験紙が赤色になって、おぉ〜と声を出した学生時代を思い出す。ムラサキバナだと、紫の部分が中性ということだ。

 食品が酸性なことはあまり気にしなくてよいし、ほうれん草、わかめ、ひじきなどは弱アルカリ性だし。見た感じがおおむね紫なら、多少の酸性やアルカリ性が残っていても、気にしなくてよいだろう。



 次に、ユキダマソウの実と、スイの葉を一緒に大鍋に入れる。

 実は皮のままたっぷりと、スイの葉は数枚だけ。これでじっくり、1時間ほど煮ていく。

 酸とアルカリが反応しあい、中和されていくはずだ――。


 石炉の上にかけた鍋が、ことことと静かに音を立てる。


 その間、マーヤは火のそばに座り、授乳とゲップを終えたシーラの背を、そのままとんとんと優しくたたいていた。

 湯気の向こうで、ライチの手が止まる。


「……さっきは、話してくれてありがとうございました」


 マーヤは微かに笑う。


「私のほうこそ。あんたの気持ち、ちゃんと受け取ったよ。……きっとネネもね」


 ライチは火の加減を確かめながら、小さく頷いた。


「……俺、妻と三人の子がいるんです。長女と長男と、末っ子の男の子。末っ子は……ちょうどシーラちゃんくらいの月齢で」


「そっか……離れて、心配でしょう」


「はい。でも、今ここでやれることがあれば、きっと向こうにも届けられる。……だから」


 マーヤはしばらく無言で鍋を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。


「……あんた、ちゃんと父親してるね」


 石炉の薪がまた、返事をするようにぱちりと小さく音を立てた。



---



 体感で1時間ほど経ったような気がする。シーラちゃんはぐっすり夢の中。鍋の湯がとろりと濁り始めた頃――

 ライチは火から鍋を下ろし、まだ少し湿ったままのムラサキバナ試験布を取り出した。煮汁を数滴たらす。

 先ほどと違い、色は変わらない。


(中和できてる……)


 静かに頷いたライチは、鍋の中からユキダマソウの実を一つ取り出す。

 皮を剥くと、中から現れたのは、ねっとりとした白い中身。

 中央の種をそっと取り除き、再び試験布に中身を少量つけて確認する。


 ――変色なし。中性。ひとまず安全だ。


「よし……」


 試飲用に、すり鉢に中身を入れ、丁寧にすり潰していく。

 湯を少しずつ加えながら混ぜ、手頃な濃さに調整していくと、ミルクのような、練乳のような、甘い香りがふわりと立ち上がった。

 一口すくって口に入れてみる。


「おおっ、思ってたより甘い。 でも、牛乳とは全然違う。もっと淡くて、軽くて――それでいてちゃんと“栄養がある”って味がする」



 『我が子に、味もわからないものを飲ませてはいけない!』と、初めての娘のルノを育てる時に、父性が変な方向に滾って、嫁のリノにお試しで分けてもらった粉ミルクや母乳の味。それを六年ぶりに思い出した。


(赤ちゃんの口にも合いそうな気がする)


「マーヤさんもよかったら、味見……お願いしてもいいですか?」


「もちろん」


 マーヤが木の匙を口に運び、ゆっくりと味わう。


「……うん。甘すぎないけど、ちゃんと味がある」

「口当たりも、なめらかですね」


 会話が聞こえたのか、お昼寝が足りたのか、シーラが目を腫れぼったくさせながら、シパシパとまばたきをした。


 板間から器用にハイハイで土間に下りてくると、匙が気になるのか、「だ」「だ」と声を上げる。



「おはようシーラ。これが気になるかい?ライチ、これは赤ちゃんが飲めるものなんだよね?」


「もちろん!俺の知識では、赤ちゃんのための栄養食ですよ」


(パパサーチ、父性クラフト、頼むぞぉ……!)


 安全だと確認はしていても、小さくてか弱い赤子に元猛毒を飲んでもらうのは、非常に緊張するものである。

 シーラが、口元に近づいてくる匙に反射的に口を開けた。そして――ぺろり、と舌で舐めたあと、もう一度大きく口を開けて、匙の中身をごくりと一口で飲み込んだ。


 もうひとさじ。

 またごくん。


 飲むのに迷いも無ければ、むせる様子もない。まるで、いつも飲んでいる母乳と同じように自然に、スムーズに口に運ばれていった。


「……飲んでるね」

 マーヤがやわらかく微笑む。


「ライチがユキダマソウを煮だした時にはビックリしたけど、あの危険な実に、こんな使い道があったとはね」


 ライチはほ〜〜っと脱力した。しばらくはシーラに変化がないか注視する必要はあるけど。

 “代わりになるもの”は、ちゃんと“代わりとして”届く。それが、今、目の前で確かめられた。

 ライチは、達成感を込めて息を吸い込み、吐き出した。


---


 「まだユキダマソウ、煮るんでしょ? だったら、そっちの鍋も吊るしたらいいよ」

 マーヤがそう声をかけてくれたのは、次を煮るために大鍋に手をかけたときだった。


 ライチは驚いて振り返る。


「二鍋で同時に進められるんですね?」

「火の当たりは少し弱くなるけど、火床は広いからね。早く済む方がいいでしょ?」

「……ありがとうございます。助かります」


 言われた通り、火床のもう一方に鍋を吊るすと、二つの鍋が並んで揺れはじめた。

 石炉の左右で、二つの鍋がぐつぐつと煮えている。そこに、ユキダマソウの実とスイの葉を、袋から取り出し、分けて投入した。



 シーラは板の間の一角、藁布団の上でごろごろと転がりながら、手元の藁の切れ端をもぐもぐ噛んでいる。今のところ腹痛などはなさそうだ。

 マーヤがその様子に目を細めながらも、「おすわり、がんばれ」と応援している。


 見れば、シーラは何度も自分の腕を突っ張って、よいしょ、と体を起こそうとしては、ぷしゅっと藁に倒れ込んでいた。マーヤが座らせても、ぐらぐらと身体が揺れて、最後には後ろにコロンと倒れてしまう。そのたびにマーヤに受け止められて、キャッキャと笑い声が響く。


(元気そうだ……ひとまずは、よかった)


 ライチは少し笑ってホッと息を吐いてから、ユキダマソウの実の中身を干す作業を開始する。

 先ほどすり潰して飲んだ実を、すり潰さずにスカスカの干し布に並べて、外の天日干しの斜面台に置けば終了だ。ちまちまとした作業だが、特に大変な作業がないので、あっという間に干し終わる。


(これでよし。このまま二日間乾かせば、実が砕けて粉になる……らしい)


 ついつい手をパンパンと合わせて、粉ミルクの成功を祈った。



---



 一時間ほど経っただろうか。煮汁の濁りが一回目と同様になってきたので、スプーンで煮汁をすくい、ムラサキバナ試験布の上に数滴、ぽたりと落とした。

 ――変化なし。

 布の色は、そのまま淡い紫を保っている。

 中和は成功している。


(よし、これで二、三回目の鍋は問題ない)


 鍋の火を落とし、皮付きの実だけを取り出して、大きめの器に移す。

 中身はとろりと柔らかく、湯気が甘い香りとともに立ち上る。

 そろそろ日が傾いてきている。夕飯の支度に台所を返さないといけない。

 ユキダマソウはまだ皮も種もそのままなので、夜の作業にまわすことにして、器を布で覆って脇に置いた。



「よし、これでしばらく火は使わないし、台所も空けられる」


 そのタイミングで、マーヤが調理台にやってきた。


「晩ごはんの用意、始めてもいいかい?」

「はい。ありがとうございました。根菜を洗えばいいですか?」

「うん、あと今日は炒め物にするから。生の肉を使うよ」

「え、生肉?」

「畑仲間が言いに来てくれたんだけど、バルゴの罠にウサギがかかってたんだってさ。こないだも取れたのに、ホントついてる。たまに運がいい日があるのよ」


 その言葉に、ライチの手がふと止まった。


(……そうか、生肉は貴重なんだ)


 思い返す。二日前の初日――見知らぬ世界で、何もかもが手に余って、マーヤたちの名前すら覚えられなかった夜。

 シーラのオムツや衛生環境から視線を逸らし、何も考えないようにしていた食卓。


 (……ウサギの肉?と思ったのは覚えてる。耳に入って来なかった会話が、ウサギの話だったのだろう)

 (貴重なごちそうを、見ず知らずの俺に分けてくれてたんだな……)


 そしてふと、胸がざわつく。


(……ちゃんと「おいしい」「ありがとう」って言えただろうか)


 ただ与えられて、ただ食べて、ただ寝て。

 それで終わってしまっていたのかもしれない。


 (……今日は、ちゃんと、伝えよう)


 根菜を水でこすりながら、ライチは小さく心の中でそう誓った。



---


 「ただいまー!」「うさぎの肉!」「今日はあたりの日だ!」


 ティモとエルノの元気な声が戸口から聞こえる。踊りだしそうな二人の目が輝いている。

 後ろからバルゴも入ってきた。手には血抜きと内臓取り、毛皮剥ぎまで終わっていそうな、だらりと伸びたウサギサイズの筋肉質の生肉。そして籠に盛られたみずみずしい春の野菜。


「ほら、ウサギと、ネギとキャベツ、ついでにコゴミ。いいのがあったから持ってきた」


「おかえり、おつかれさま」

「おかえりなさい、たくさんですね!」


「おう、春は良いよな。……ところで、外に干してあるのはなんだ?そろそろ取り込まないと、夜露にやられちまうぞ」


「あっ、はい。今すぐしまいます」


 ライチが玄関へ急ごうとすると、バルゴが手を挙げる。


「持ってくよ。どこに置くんだ?」


「もし大丈夫なら、天井の梁に吊るそうかと思ってて。乾きやすいってマーヤさんが」


「おう、じゃあ俺が上やるよ。踏み台持ってきな」



---


 家の中、梁へ布を吊るす作業を手伝ってもらいながら、ライチは少しずつ、今日のことを話し始めた。


「……これは、“母乳の代わりになる栄養食”なんです。さっき、試作品ができて。俺達もシーラちゃんにも飲んでもらえました」


「へえ。あの子、飲めたか?」


「はい、すごく自然に、ごくごくと。……だから、あとは原料を干して、保存食にしたくて。

 二日ほど干してから、粉にして……料理に混ぜることもできるし、冬でも夜でもいつでもどこにでも飲める栄養保存食にするつもりです」


 バルゴはしばらく無言で、梁に手を伸ばしていた。

 やがて、しっかりと布を結んだあと、少しだけ笑って言った。


「すげえな。……すげえよ、ライチ。ネネのことは子供たちから聞いたんだってな。……ありがとな」


 ライチは照れたように、頭をかいた。


「ありがとうございます。……まだ、試作品ですけど」



---



 踏み台を片付けながら石炉の方を見ると、ウサギの生肉と野菜が既に手際よく切られて並んでいた。

 マーヤがそれらを熱したフライパンに乗せる。生の肉が焼けはじめ、脂の焼ける香りが立ち上っていく。


(あの日はスープにしてくれたんだっけ……こんなに……いい香りがしていたんだな)


 ティモとエルノが鼻をくんくんさせながらマーヤのもとに駆け寄る。


「いいにおい〜!」「おなかすいたよ〜!待ち切れない〜!」


 二人の大興奮に、シーラもキャッキャと嬉しそうに笑っている。


 ライチの手により根菜と春野菜たっぷりのスープが食卓に並べられていく。籠の中には、いつものように固く乾いたパンが積まれていた。


 子供二人はさっそく食卓につくと、スープに固いパンをちぎって浸しながら、ニヤニヤしている。

 マーヤが笑いながら焼けた肉の皿を中央に置くと、子どもたちの、いや、全員の視線が一斉にそちらに集まった。


 ライチも、パンをスープに浸してやわらかくしながら、ウサギ肉野菜炒めを一切れ口に運ぶ。


 (え?!……甘い!?)


 噛んだ瞬間、口の中にじゅわっと広がったのは、脂のコクと、しっかりとした甘みだった。そして甘い脂のあとに、ほのかに抜けていく野生の香り。


 「この肉、あまいな……」

 思わずつぶやくと、バルゴが骨までしゃぶりながら頷いた。


「春の草ばっかり食ってるから、こうなるんだ。いい甘みだろ?」


「……はい、すごく、びっくりしました。ウサギの肉って、もっと淡白だと思ってました」


「そういや、おまえ、おとといの晩も食ってたが……あんま覚えてねえか」


 ライチはちょっと目を伏せて、笑った。


「すみません。たぶん、そのときは……いっぱいいっぱいだったと思います」


「ま、そりゃそうだ。でも、またすぐ食えたんだから、今日はラッキーってやつだな。味わって食え!」

「はい!ありがとうございます!美味しくいただいてます!」


 ようやく味の感想と感謝を伝えられて、胸のつかえが取れたような心地になった。



---



 その後、子どもたちはスープと一緒に浸したパンと、肉野菜を交互に頬張りながら、元気に食事を進めていった。

 マーヤとバルゴはさっと食べ終わり、マーヤは空いた皿を手際よく片づけ、バルゴはシーラの相手をしながら、余った細かな肉を骨から外してほぐしている。


 藁の布団の上で、シーラは座らされた姿勢からふらりとバランスを崩して、ころんと仰向けに倒れた。

 それでも本人は嬉しそうに笑いながら、ごろんごろんと寝返りをうっている。



---



 夕食の片づけが終わり、家の中が静かになってくるころ。

 ライチは台所の隅に腰を下ろし、ユキダマソウの実の加工を再開した。


 皮はやわらかくふやけていて、指でつまむだけでつるりと剥ける。

 中から現れたのは、乳白色のしっとりした中身。どこか甘く、優しい香りがほんのりと立ちのぼる。


 手元の小さなへらで実を割り、中に詰まった種を一粒ずつ取り出して、食卓に広げた干し布に並べていく。

 数も多く、細かくて根気のいる作業だったが、変化の見える工程でもあり、ライチの手は集中して動いていた。


(明日起きたら朝食の前に、外に干さないとな)


 シーラがどこかで小さく笑い声を上げるのが聞こえる。

 そのすぐあと、布団に入ったティモとエルノがくすくすと笑い合う声も届く。



 炉の熱がほんのりと残る家の中は、天日ほどではないが、乾燥も早そうだ。

 それでも完全に仕上げるには、あと二日は必要で。


 (粉になるまで、あともう少し……)


 焦る気持ちを飲み込んで、干しの作業を終わらせた。




 作業を終えたあと、ライチは寝具の敷かれた板の間へと移動した。

 マーヤの寝息、バルゴの低いうなるような寝息、子どもたちの小さな寝息と寝返りの音。

 そのどれもが、優しいこの家に根づいた音だった。


 (……あたたかいな)


 今ここにいることの不思議さを、ようやく少しだけ、落ち着いて受け止められた気がした。

 決して気楽ではない。

 けれど、やることがあって、届けたい相手がいて、喜んでくれる人がいる。


 (仕送りができるのは、いつのことやら……。まぁ明日も、やれることをやろう)


 そっと目を閉じると、あっという間に眠りの感覚に落ちていく。

 そしてそのまま、穏やかな眠りが、ライチを静かに包みこんでいった。


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