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第5話 糸づくり

 気がつくと、陽がだいぶ高くなっていた。

(しまった……っ!)

 ライチは寝具の上で跳ね起き、慌てて干し布で占領してしまっていた食卓を確かめた。



 先に起きて外に出す予定だったのに、すっかり寝坊してしまった。

 急いで居間に向かうと、すでにマーヤとバルゴが外から戻ってきたところだった。


「おはよう、ライチ。外に干しておいたわよ、あの布」

 マーヤがそう言って微笑む。

 その腕の中ではシーラが、ご機嫌そうに手足をバタつかせていた。


「ありがとうございます……助かりました」

 ライチは二人に頭を下げる。はじめの緊張はどこへやら。夜更かしで寝坊なんて……情けない。



---



 家族全員が囲炉裏のまわりに集まり、朝食の支度が整う。

 今日の献立は、根菜と木の実を煮込んだスープに、かたいパン、干し肉の薄切り。

 ティモとエルノが並べた食器の隣で、シーラは藁の寝具に倒れないように腰を下ろし、拍手の練習をしていた。

 うまく音は鳴らせないようだが、両手を振ってはぐらぐらと頭が揺れるたびに、「んきゃっ」と笑い声が上がる。


(ほんとに……赤ちゃんって、見てるだけで元気になるな)


「いただきます」

 ほっこりしたままついつい漏れ出たライチの日本式挨拶はスルーして、みんなが朝食に手を伸ばした。



---


 朝食を終えると、ライチはティモとエルノと一緒に水汲みに出かけた。

 朝の村は、いつもと同じ穏やかな空気に包まれている。

 井戸のまわりでは、すでに数組の母親たちが洗濯や水汲みの準備をしていた。


「あっ、おはようライチ」

 顔見知りの母親が声をかけてくれる。

 その腕には赤子が抱かれていて、昨日配った布オムツがちらりと見えた。


「おはようございます。オムツ、使ってもらえてますか?」


「うん、すっごくいいよ! 夜も漏れなくなったし、洗って何度も使えるのがありがたい」

「でも……2枚だけだと、ちょっと足りないかも。でも、渡せる布もあんまり残ってなくてさ……」

「ねえ、また作ってもらえたり、しないかな?」


「もちろんです。準備ができたら、売店でも販売できるようにしようと思ってます」


 喜んだ様子の母親たちを見送って、ライチは水を汲みながら考えた。


(……布の調達、か)




---


 帰宅後、マーヤが洗濯物を干しているそばで、ライチは声をかけた。

 シーラは布に包まれて日かげに置かれ、喃語の発声練習をしながら手足を動かしている。


「マーヤさん……この村で、布って手に入ったりしますか?」


 マーヤは驚いたように振り返った。


「布? そんなに簡単なものじゃないよ。服だって、一生に三着持てたら幸せ者!ってくらいの高級品なんだから。布を買うのもものすごく高いし……ましてオムツにするなんて、普通ならもってのほかね」


 ライチは、昨日軽い気持ちで布を集めていた自分を思い出し、申し訳なくなった。


「……そうだったんですね」


「でも、あんたが配ってくれたオムツ、ほんとうに助かったのよ。ぞうきんにしかできないようなボロ布だし。だから文句なんて言うつもりはないの」

 マーヤはふと笑い、シーラのほっぺをつん、と指でつついた。


「この村ではね、野菜とかの他に、スピナ麻って植物をみんなで育ててるの。糸や布はそれで作るのよ」

「冬の間は狩りや採集ができないから、大人も子どもも家で糸を紡いで、布を織って――家族の服を作るか、売ってお金にしてるの。織るよりも糸を紡ぐのに時間がかかるから、大した収入にはならないんだけどね。それでも時間が無駄にならないくらいには高価だから」


 その言葉を聞いて、ライチは思わず天井を見上げた。

 生活の知恵と、積み重ねてきた労力が、ようやく見えてきた気がした。



---


(それでも……)


 オムツを欲しがっていた母親たちの顔が脳裏に浮かぶ。

 初めに見た、汚物まみれの部屋。そこをはいはいする赤ちゃん。


(もっと、ちゃんと守れる方法があるはずだ)


 そのとき、胸の奥に熱のようなものがふっと灯った。

 次の瞬間、足元に淡い光が広がる。



《スキル:パパサーチが発動しました》

《探索対象:クラフト可能な布素材》



---


 光は村のはずれ、古びた小屋へと伸びていた。

 扉のないガレージのような形の小屋だ。

 外から中をうかがっていると、近くを通りかかった顔見知りの女性が教えてくれた。


「ここは廃棄物を集める納屋だよ。今は冬ごもりの間に出た不要物が、まとめられてるね」


(まさか……あそこに、布になる素材が?)


 光に導かれるようにライチが廃棄物小屋に足を踏み入れると、中には使い古しの道具や、割れた壺などが無造作に置かれていた。


 そして、ひときわ目立つのは――壁際に山のように積まれた“何か”だった。


「……でかっ」


 ライチは思わず声を漏らした。


 近づいてみると、それはまるでサトウキビのような束だった。 長さは優に二メートル近く、太さも直径3、4センチほどある。 乾燥して白っぽくなった茶色い皮が、無数に折り重なっている。



《父性クラフト:布(スピナ麻外皮仕様)》

《加工工程:

 ①外皮を20分ほど煮る(繊維が分離したら外皮は取り出す)

 ②ネバリダケを加え15分ほど煮る

 ③熱したままベトノキの樹液を加える

 ④反応した部分を引き上げると糸として硬化される

 ⑤糸を織れば布になる》


 ライチは思わず声を漏らした。


(廃棄物……だよな?これも……布になるのか……!)



「スピナ麻から糸を取った残りだよ」


 背後から声がして、ライチは振り向いた。

 どうやら先ほどの女性がついてきてくれていたようだ。


「毎年、繊維を引き終わったら、こうして捨てるんだ。これもどうにかこうにか加工すれば籠や麻袋くらいにはなるけど、安くでしか売れないし、それ以外のことでみんな忙しくてねぇ」


 ライチは驚いたように眉を上げた。


「この木…?から糸が取れるんですか?」


 女性は頷きながら、ニメートルほどあるロングスピナ麻を拾い上げ、パキッと手慣れた動作で皮を十センチほどに割って、ライチの目の前に差し出した。


「ほら、内側の白いところ。秋に収穫したら、すぐに硬すぎる外皮に切り込みを入れて、冬まで乾かして、冬になったらちょいと引っ掛けて糸のもとを引っ張り出すんだよ。 引けなくなったらおしまい。残った皮は、もうほとんど役立たずさ」


 もう糸は取れないだろ?と、彼女が指先でつまんだ内側の繊維は、ぐずぐず崩れてふわりと風に揺れた。 まるで極細の綿のようだ。


 ライチは、長さと太さから、竹を連想しつつ、

「硬くて長くて、このままでも何にでも使えそうですけど……」

と、こぼした。

 女性は肩をすくめて笑った。


「今あたしが折ったのを見たろ?全然しならないんだよ、こいつは。すぐ折れるしね。だから、こうなっちまうとふるいとかの直線的な用途にしか使えなくてね。

 しならせて麻袋や丸い籠が欲しいやつは、秋の収穫後すぐ、乾燥前に、しなりを加える特別な加工をするんだ。でも、そうすると、中の繊維が駄目になっちまってね。せっかくの高級品の元なのに、あんまりやるやつは居ないね。なんで、本当に自分の家族とかに必要な分だけ取り分けて使ってるよ。」


「な、なるほど……」

(しならなくて、折れやすくて、高く売れもしない竹……確かに誰も使わない、か……)

 ライチはもう一度、スピナ麻の外皮の束を見下ろした。

 戯れにパキ、と割ると、折れた皮から粉のように繊維がこぼれて舞う。


「それ、もうすぐ粉々にして畑に撒こうとしてたところよ。捨てるってわけじゃなくてね。肥やしになるから」


「……これ、全部もらうわけにはいきませんか?」


 女性は驚きつつも、首を傾げた。


「こんなのが欲しいのかい?うーん……その量だと、村長に一応聞いてきたほうがいいかもね」




---



 マーヤにお願いしてついてきてもらうことになった。シーラを抱えながら、ライチと一緒に村長の家を訪れる。

 玄関先には木の彫刻が施されたベンチがあり、春の陽射しの中、どこかで鳥が鳴いている。

 しばらくして、村長のガサリとした足音とともに、扉が開いた。


「おう、マーヤ、それに……ライチと言ったか。何か用か?」


 村長は四十代後半ほどの男で、目元に深い皺がある。しっかりとした体格だった。

 マーヤが軽く頭を下げる。


「ちょっとお話があって。この人、うちに居候している旅の人のライチ。最近、村の赤ちゃんたちのために布オムツを配ってくれてるの」


「ほう……あんたが。村でも話題になってるぞ。……で、いつまでいる予定だ」


 ライチは急な質問に少し戸惑いながらも、しっかりと答える。


「はい、実は自宅はすごく遠いところにあるんですが、今すぐには帰れない事情があって、現在先のことは未定です。……ですが、こちらでお世話になっている間は、できるかぎり村のお役に立ちたいと思っています」


 村長は腕を組み、マーヤの方に目を向けた。


「バルゴの家は苦しい思いをしてないか?」

「はい。ライチはよく手伝ってくれます。水汲みも食事も。娘も懐いて……」


 マーヤがそう言ったとき、シーラが抱っこ紐の中から手を伸ばし、ライチの指をぎゅっとつかんだ。

 それは偶然のようで、必然のようでもあった。


 ライチは驚いて目を丸くする。小さな指のぬくもりが、胸の奥にまで染み込んでいく。


(……ありがとう。ちゃんと、大切に思う気持ちは伝わってるんだな)



 ライチは深く息を吸い、村長へと向き直った。


「今日は、お願いがあってきました。廃棄物小屋に保管されている、スピナ麻の外皮を――加工させていただけませんか」


「外皮だと? あれは使えん。燃やすか、畑に戻すもんだろう」


「はい、それは承知しています。ただ……俺の知るある方法で、柔らかい糸に変えることができる可能性があります。“ネバリダケ”と“ベトノキ”の樹液を使うと……糸として撚れるんです」


 村長の眉がわずかに動く。


「……それが本当なら、試してみる価値はあるな」


 ライチは続ける。


「一番硬い部分――外皮のなかの更に外皮は、加工後に廃棄物小屋へ戻します。短く割る予定ですが、肥料にはなるかと。ネバリダケやベトノキも自分で採ってきます」


 村長は数瞬の沈黙のあと、ゆっくりと頷いた。


「加工がうまくいくなら、この村にとって大きな助けになる。使うのも、廃棄物と、用途のない森のものだ。好きにしたらいい」




「――エマ、ミナ!ちょっと来てくれ」


 扉を開けて響いた村長の声に、村の角からふたりの少女が顔を出した。二人とも中学生頃に見える。

 どちらも背中に採集用の背負子を背負い、手には作業袋。日常の一部といった様子で立っている。


「こっちはエマ、そっちはミナだ。ちょうど今から森に採集に行くところだったんだ。ネバリダケとベトノキの樹液が欲しいらしい。手伝ってやってくれ」


 エマはきびきびした動きと短めの髪が印象的な少女で、ミナはそれより少し髪が長く、小柄でおっとりとした空気をまとっていた。


「えっ、旅の人?」

 エマがライチをまじまじと見つめる。


「ライチです。……よろしくお願いします」


「ふーん。変な喋り方。でも、まあいいや。ネバリダケとベトノキね。楽勝よ。早く終わらせよ」


 エマが軽く笑うと、ミナもほわりと頭を下げた。


「よろしくね、ライチ。あなたやさしい匂いがする」


「……匂い?」


「うん。子どもと一緒にいる人の匂い。お父さんの匂いかな」


 ミナは草むらを見ながら微笑んでいる。

 ライチは少し面食らいながらも、思春期の二人の女性との気さくな距離感に少しほっとした。



---


 採集道具を貸してもらい、マーヤとシーラに別れを告げ、ライチは二人と森のほうへと歩き出す。


 陽がまだ高い朝の村道を抜けると、草の香りと、かすかに湿った空気が肌を撫でた。

 鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。


(素材、どのあたりにあるかな……)


 そう考えた瞬間――

 胸の奥がふっと熱くなった。



《スキル:パパサーチが発動しました》

《探索対象:クラフト素材(ネバリダケ/ベトノキ)》



 視界の隅に、ほんのわずかに光が差すような感覚。

 森の奥に続く斜面や木陰に、淡くきらめく箇所が見える。

「まずは樹液からだね。こっちよ」

 エマについて光る道をたどりながらライチは足を進めた。


 エマは軽快な足取りで先を行き、ミナは草むらの変化に目をやりながら後ろをついてくる。


「ネバリダケとベトノキの樹液なんて、何につかうの?」

 ミナが歩きながら尋ねてくる。


「ネバリダケねぇ…あの気持ち悪いやつ」

 エマも眉間にシワを寄せて続く。


「それを使って、糸を作ってみたくて。村長さんからも許可をもらってます」


「へー、糸、ねぇ。ほんとにできたらすごいけど。……ま、うちらは採集なら慣れてるし。変なもんでも、ちゃんと場所案内はできるよ」

 エマが肩をすくめた。


「いっぱいとれるとこ、知ってるかも」

 ミナが穏やかに笑った。



---


 光の道を辿りつつ二人についていくと、木々がやたらと光っている場所に出た。ベトノキだ。



《素材:ベトノキ》

 広葉樹。幹に切れ目を入れると樹液が流れ出す。

 樹液はしばらく空気に触れていると硬化を始める。保存方法に密閉容器を要するが加工次第で接着力を持つ。

 樹液をスピナ麻外皮+ネバリダケの煮汁に加えることで、細く丈夫な糸を生成可能。




特に大きく光っている幹に近づくと、ミナがついてきた。


「この木、いいね」


「切れ目、入れるよ」

 エマが小刀を取り出し、幹に素早く切れ目を入れる。

 すぐに、切り口から透明な樹液がチョロチョロと流れ出した。


 ミナは葉をくるりと丸めて受け口をつくり、瓶へ導いていく。


「これ、しばらく空気に触れるとすぐ粘っこくなるの。ギリギリまで葉で蓋をして閉めるよ」


「ありがとうございます。すごい手際ですね」


「まーね」

 エマが鼻を鳴らす。



---



 瓶の設置が終わると、二人はすぐに森の奥の少し湿った木陰へと足を向けた。正しい道らしく、足元が光っている。

 木の根元の苔むしたあたりに、サーチによって光っているキノコを発見する。薄茶色のしめじのようなぬめぬめとしたキノコが群生していた。 



《素材:ネバリダケ》

 大型のぬるぬるしたきのこ。味・匂いともに悪く食用には適さない。

 煮ると強い粘度を持つ汁が取れる。

 スピナ麻外皮の繊維をまとめる役割を持ち、ベトノキ樹液との併用で糸化が可能。




「これ。ネバリダケ」


 ミナに言われてライチがしゃがみこんで一つ摘み上げると、


「うわ、直接触ってやんの。あんた、それ……ほんとに採るの?」


 エマがエンガチョ〜という風情で薄目でこちらを見ながら聞いてくる。


「みんな、見つけたら潰すやつだよ。手についたらなかなか粘りが取れないし、臭いし、食べれないし、すぐ腐るし……使い道なんか聞いたことないけど」


「使い方によっては、糸になるんですよ、これが」

 ライチは触らないように気をつけながら、ナタでキノコをそっと袋へ入れつつ答える。


「想像できないなぁ」

 エマが引きながら答えた。


「ライチは旅の人だから、たくさん知ってるのかも」

 ミナに言われて、『パパサーチ、父性クラフト、頼むぞぉ……!』とプレッシャーを飲み込んだ。



---


 ネバリダケを採取し終えて樹液の瓶のところへ戻ると、瓶がほぼ満タンになっていた。

 ミナが大きな葉と茎でふんわりと瓶に蓋をしてくれた。


「完璧ではないけど、これでしばらくは空気に触れない。ちゃんと家に持って帰れるよ」


「ありがとうございます。十分です」



---



 三人はついでに軽く他の採集も終わらせた。高いところを指示されて採ったり、岩などの重いものをどけたりしたので、少しは力になれたようだ。

 村へと戻り、バルゴの家の前に着くと、みんなで背負子から水瓶をおろした。


「今日は本当にありがとうございました。二人がいてくれて助かりました」


「へへーん、まあね」

 エマが手を振る。


「糸、できるといいね」

 ミナも笑いながら家並みのほうへと歩いていった。



---



 家の前に並べられたスピナ麻の外皮が目に入って、ライチは驚いたように声をあげた。


「……あれ? もう運ばれてる?」


 家の中からティモとエルノが元気に飛び出してきた。


「おかえりー!」「スピナの外皮がいるんだろ? おかあに言われて、二人でいくつか運んどいたよ!」

「すごいな……長くて重かっただろうに……ありがとう!」


 思わず二人をひょいっと持ち上げると、


「やったー!高い!」「もっともっと!」


 ライチの腕にぶら下がって、ふたりは大はしゃぎだった。

 そのまま「メリーゴーラウンドじゃぁぁ〜」とぐるぐる回って遊んでいると――


「――昼食、できたよ」


 マーヤが戸口から声をかけてきた。シーラを背負いながら、にこりと笑っている。


「やったー!」「ごはーん!」


 ぱっと手を離して家の中に入る二人。ライチも続くと、香ばしい匂いがふわりと鼻をくすぐった。

 テーブルの上には、焼いたパン、野菜の入ったスープ。干し肉が軽く炒められたものも、湯気を立てている。


 ティモとエルノはパンを手に取り、席に座るなりもぐもぐと食べ始めた。

 ライチも席に着いて、スープをひと口――


「……うまい」


 ちょうどいい温度のスープが、空腹の体に染み渡る。

 パンをちぎってスープに浸して食べると、固い生地もやわらかくなり、味がじゅわっと広がった。

 調味料はほぼナシ。干し肉の塩気のみのシンプルな味付け。


(……素材の力だけでこんなに美味しく感じるなんて)


「二人とも、朝からよくがんばったね」

 マーヤがティモとエルノに目を細める。


「うん、水も外皮も頑張って運んだよ!」


 二人はパンを口いっぱいに頬張りながら、誇らしげに返す。

 マーヤは「ふふっ」と笑って、スプーンでシーラにおかゆをひと口ずつ運んでいた。


 シーラは目をぱちぱちさせながら、口を開けてこくんと飲み込む。

 そのままマーヤの胸にもたれ、満足そうに体を預けていた。


(なんか、いいな……)


 ほほ笑みながらパンをスープにひたして、ひと欠片を口に運ぶ。

 子どもたちの笑い声と、スプーンが器に当たる音が、あたたかな昼の空間に心地よく響いていた。



---



 昼食を終えると、ティモとエルノが背負子を手に外へ駆け出していった。


「午後は薪拾いしてくるよー!」「誰かさんがいっぱい使ったからなー!」

 二人は笑いながら外へ飛び出していった。


(やっぱり、結構使ってしまってたよな……)

 ライチは二人に手を合わせたくなる気持ちで見送った。


「さてさて、糸作りだよ!外皮からできるんだろ?言ってた通り、鍋に入るようにバキバキと折って袋に入れてあるよ!さっそくやろうよ」


 マーヤが、にこにこと声をかけてくる。

 その背にはシーラがしっかりとおぶわれ、手をぶらぶらと動かしていた。マーヤさん、めちゃくちゃ前のめりである。


「はい。外皮をしばらく煮て、繊維が分離できたらネバリダケを入れてまたしばらく煮たら汁は完成。で、」


「で、少しずつベトノキの樹液を加えて、引き上げて、巻く。合ってるよね?」


「そうです。マーヤさん、すごい」


「ふふん、糸の作り方の話ならすぐ覚えるよ。……でもその作り方だと、うちの石炉じゃ、鍋の回りが囲まれてるから、糸巻きと液入れの同時はやりにくいよ。外でやった方がいいね」


「外?」


「洗い場の奥に、煮炊き用の簡単な焚火場があるよ。広くて作業しやすいだろう」


「それ、助かります……!」


「じゃ、鍋と水の準備よろしく。わたしはこっち、持ってくからね」


 マーヤはそう言って、壁にかけてあった簡易の手回しの糸巻き機をすっと抱え上げた。やる気満々に、巻きの芯もじゃらじゃらと袋に包んでいる。

 シーラを背中で揺らしながら、その姿勢はまるで鍛えられた戦士のようだ。


「えっ、それも持っていくんですか?」


「当然でしょ? どんだけ取れるか知らないけど、できたらすぐ巻けた方がいいじゃない」


「……さすがです」


「ほら、ぼーっとしてないで、鍋に水! 水入れて!」


「あ、はいっ!」




 水をたっぷり入れた大鍋を、両腕で抱えて慎重に運ぶライチ。背中にはスピナ麻の外皮が入った袋が背負われている。

 日差しを浴びて鍋がほんのり熱くなるのを感じながら、村の中央にある煮炊き場まで、えっちらおっちらと歩いていく。


「重い……揺れる……けど、これがなきゃ始まらないからな」


 洗い場を抜けると、煮炊き場が現れる。鍋が吊るせる木製の大きな三脚がある以外は、焚火の部分に石でぐるりと円を書いてあるだけの、実に簡素なものである。

 火の粉が飛ばない距離の場所に小さな柵で囲ったスペースがあり、そこへマーヤがそっとシーラを下ろしていた。


「はいはい、しばらくここで待っててね〜」

 シーラは柵の中ではいはいをして、つかまり立ちの練習をし始めた。ふうーっと口を尖らせて集中している。


 マーヤはその横で、薪を手早く組み、火打ち石をカンカンと鳴らしていた。

 しばらくすると、カッと火花が舞い、小さな火種がぱちりと音を立てて立ち上がる。


「よし、ついた。……鍋、引っ掛けちゃっていいよ」


「はい、今いきます!」


 ライチはぐっと腕に力を込め、三脚から垂れている金具に大鍋を引っかける。

 中で水が静かに揺れている。太陽の光を反射して、水面がきらきらと光る。


(なんかスピナ麻の外皮って、乾燥昆布みたいに固いし、水から入れてていいかな?)


 すぐにスピナ麻の外皮をたっぷりと大鍋に投入する。煮たあと、一番外側は取り出すようだし、繊維だけを糸にして取り出すなら、多くても困らないだろう。

 ぐつぐつと沸いてくるのに合わせて、分かりやすく鍋の中に変化が現れた。

 ぶくり、と湯が泡立ち、外皮の内側から繊維のような細い線がふわふわと浮き始める。


「……泡立つね。もう少し薪を減らして火力を下げようか。すごいね、繊維……ちゃんと、煮出せてる」


 マーヤが木のヘラを使って、全体をゆっくりと混ぜる。


「このまま、一回の水汲みにかかる時間くらい煮たらいいんだね?」


「はい。最後、外皮の中でも、さらに硬いところが浮いてきたら、それは取り出して廃棄物小屋に戻します。肥料にするそうなんで」


「無駄がないって大事よね。なら、いらない皮を掬う網もいるね。家から取ってくるよ。シーラをよろしく」



(そうか、箸がないとこういうときも大変だな)


---


 体感時間二十分。

 外皮が浮き上がり、繊維が湯に広がり、やや白濁してきたころ。

 マーヤが、外皮オブ外皮を、天ぷらを盛り付ける籠みたいなスカスカの網で掬い出していく。不要な外皮は、地面に敷いた麻袋のような布に置いていった。


「じゃあ……お次はこいつを」

 ライチは袋の中からネバリダケに触れないように二かたまりをズラし出し、鍋に落とした。しめじのような形をしているので袋の内側に当たるとボロボロと何本か外れて落ちていく。


 十五分ほど煮ると、さらにもったりと煮汁の粘度が増す。


(めちゃくちゃ混ぜたときの納豆のネバネバみたいだな。透明に近いけど)


「とろとろ……してきたね。……これ、ほんとに糸になるの?」


「なります。……あとは、ベトノキの樹液を、少しずつ……」


 ライチは瓶の蓋を外し、木の匙にほんの少しだけすくって鍋にツーーーっと流し入れた。


 じわ……

 煮汁の表面が少し白濁し、そこだけとろりと重くなったように見える。


 ライチはその部分に匙を差し入れ、そっと持ち上げてみた。


 ……ぬるりと糸が、匙の縁から伸びていく。

 本当に糸のように細い、それでいて全然切れない。

 そのまま鍋から距離をとっても、まだまだ繋がっている。手元の糸に恐る恐る触れると、普通に糸として触れることに驚いた。


「……!引ける!触れる!」


 ライチが驚きながら、そろそろと鍋から離れていく。

 その指から引き上げられる糸が、空中でふわりと光を反射する。


「わ、わ、ライチ待って! 待ってってば!」


 マーヤが慌てて糸紡ぎ機をかかえて駆け寄る。

 匙にくっついた糸の端を指で取ると、手早く紡ぎ機に固定し、ぐるぐると回し始めた。


「すごい!すごいすごいすごい! こんな……こんな速さで糸ができるなんて!」


 目を輝かせて、少女のような表情を浮かべるマーヤ。ライチも大興奮である。

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