マーヤがものすごい速さで糸をくるくると糸巻きに回きつけ続ける。
……が。
ふとした瞬間、糸がぷつっと切れた。
匙で鍋の中からあちこち引き上げてみるが、何も引っかからず、もう糸になりかけの粘りが見当たらない。
ライチは鍋の表面をじっと見つめた。
ふと糸がぷつりと切れた瞬間、その理由が頭の中でつながる。
「……あれ、切れちゃった?」
マーヤが首を傾げる。
「いや……これは鍋に糸の素がないので……樹液を注ぐのが途中で途切れたからでしょう。液体が切れると、糸も切れてしまうみたいですね」
ライチはむむ…と唇を引き結んだ。
「となると、一定の量を少しずつ、絶え間なく注ぎ続ける必要があるな……。
あの、マーヤさん。この村に、そういうのに便利な道具ってありますか?」
マーヤは「うー……ん」と腕を組んで考え込む。
「細く出すって言っても、ポタポタじゃだめなんだよね? ツーって出したいんだよね?」
「はい、できれば途切れずに……」
「んん〜……どうだろ、液体とかを細く入れたいときは、葉を丸めて使うけど……」
鍋の横でうーーーん……と悩む二人へ、ひょいと声がかかる。
「おう。様子を見にきたぞ」
やってきたのは村長だった。腰に手をあて、興味津々といった顔で鍋を覗き込む。
「これが……糸、なのか?」
「はい。あ、そっちの鍋は、糸ができる素になるネバネバ繊維液で、あとから別の液を入れると糸ができます。これが出来上がった糸です。まだ試作品で、そこまで長くはないですが、一応糸にはなっています」
村長はしげしげと糸を見つめ、手触りや強度を確かめ始める。かなり丈夫なようで、引いてもなかなか切れない。
「ただ、液を長い時間一定量ずつ注ぎ続けないと糸が切れてしまうようで……」
「なるほどなるほど……それで、次は注ぎ方に工夫が要るわけだ」
村長も腕を組み、しばらく唸る。
すると、その声につられるように、あたりにいた女性たちが集まりはじめた。
「なになに?」「糸ができたとか聞こえてきたけど」「何、このもったりした不味そうな汁は?」
「この汁から、この糸ができたんだって!」「うそ〜!」「でも材料をずーっと細く長く注ぎ続けてないと、糸が切れちゃうらしいわ」「だったらあれ使う?」「あれをこう工夫したら……」
洗い場の方から村の女性たちが三人、五人、七人と集まり、次々に説明を広げ、鍋を囲むようにして、わいわいと意見を出し始めた。
「桶に細かく穴を開けて、そこに樹液を溜めたらどうだろ」
「穴ならすぐ開けれるわね。桶を鍋の上に吊るして、下からツーッて出るようにするのね」
「それなら、たくさん穴を開けて注いだら、みんなで同時に引き上げられるんじゃない?」
一人の呟きに、全員が顔を見合わせる。一鍋から複数の同時糸引き……そんな事が出来たら、糸巻きのスピードは段違いになる。
「ちょっとあんた!匙で同時に材料を注いだら、同時に二本取れるのか、試すよ!」
あんた、とは、ライチのことだ。はい!と返事をして急いで実験に加わる。
「わわ〜!すごいっ!二本入れたら二本同時に引けるじゃないの!」
「俺もビックリです!効率の革命だ」
「投入するのは一本で、引き上げるのは二本とかもできるのかしら?」
「やってみましょう!」
結果としては、一筋で入れた樹液を分割して引き上げると、半分の細さになってすぐに切れてしまった。
こうなると、おそらく、今注いでいる半分の細さで注ぐと、同様に細くて糸としては使えないものになりそうだ。
逆に、太く注げば太くなるのかもしれないが、今のところは素材を大切に、織ったときの美しさを優先して、縫い糸くらいの太さで均一に作るようにすべきだろう。
複数同時に投入するときは、先に煮汁の中で匙を構えておき、糸の素を拾い上げるのが交差しないようにすると、引き上げもうまくいくようだった。
「よし!わかった!桶の底にできるだけ間隔をあけながらいくつも穴を開けるとよさそうだよ!」
女性たちの活発な声に村長も腕を組みながら「よし、それで試してみよう」と頷いた。
すぐに、倉庫から古い桶が運び込まれる。
みんなで木槌と細い釘を使って、底に細かい穴をいくつも開けた。
「このくらいの大きさでいいかな?」
「穴が大きすぎるとドバッと出るし、細すぎると出なくなるから、細く削った枝でも挿しとく?」
急ごしらえとは思えない、村人たちの連携と手際。
あっという間に、鍋の上に浮かせる“穴あき桶”が完成した。
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「……じゃあ、水で試してみますね」
ライチが桶に水を注ぐ。
すると――
桶の底の穴から、たしかに、細く細く、
ツーーーーッと、絶え間なく水が垂れていく。
合計八本同時である。
「いける! これ、いけそうです!」
みんながぱあっと顔を輝かせた。
自然と、糸巻き機や細い棒を持って、鍋の周りにスタンバイしはじめた。
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「じゃ、実際にやってみます!」
穴の真下で液の中に棒や匙を入れて待ち構える女性たち。
ライチは力を込めてベトノキの樹液の瓶を持ち上げ、大鍋の上につるした穴あき桶に、一気に流し込んだ。
さらさらとした透明の樹液が、穴の数だけ細い線となって鍋の下へと垂れていく。
その真下には、スピナ麻とネバリダケのもったりした煮汁。
樹液の筋がその液面に触れた瞬間――細く、光を受けて輝く繊維が、にゅるりと立ち上がってくる。すぐに全員で引き上げ始める。
「……巻けてる!糸になってる!」
「穴あけ桶作戦、大成功ね!」
「ライチ!次々に液を足さないと、途切れちまうよ!」
「あっ、はい!」
驚きと興奮に包まれる女性たち。
それぞれの位置からスッ……スッ……と糸を引き上げては、手早く糸巻き機に巻きつけていく。
「すごいすごい、これ止まらないよ!」
「どんどん出てくる!」「巻ききれない!誰か、次の巻芯持ってきて!」
同時に数人で糸を引き上げているのに、
糸同士が絡まる気配はまるでない。
(なんか……この盛り上がり……ちょっとだけ……高校の学祭みたいだな)
糸撚りの壮絶な苦労をしたことのないライチだけが、どこか微笑ましい気持ちで狂喜乱舞の糸巻きを見ていたのだった。
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その様子をじっと見ていた村長が、唸るように言う。
「鍋の材料だけで、こんなに大量に、早く、巻いていけるなんて……」
初めのマーヤとライチの試作品を何度も触りながら、改めて呟く。
「この柔らかさ……細さ……そして丈夫さ……。こんな糸、見たことがない……」
ポツリと続ける。
「村一番の機織り師の、ユイ婆に……いや。まずは早織りができる者に任せて、完成を急ぐか」
目を細め、すぐに声を張り上げた。
「カヤを呼んでこい! 織りが早くて手際のいい、あの娘なら間違いない!」
「はい!」と、女性が一人駆け出していく。
「カヤが来るならすぐに布になるね!」「あの子の仕事、早いし綺麗だよ!」
ざわめきの中、期待が一気に高まる。
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カヤと思しき女性が煮炊き場に駆けつけてくる。
「追加はそこまでにしよう」
村長は桶に樹液を足すのを止めさせて、引き上げられる分を全て引き上げきると、全体を一度中断して集合する。
カヤが糸の束を受け取り、ざっとその場全体を見渡した。
「新しい糸なんだよね?これ、使っていいの?」
「はい、お願いします」
ライチがうなずくと、カヤは糸を手のひらで持ち上げて感触を確かめ、すぐに言った。
「布幅を考えると、うん、このくらいの大きさの布でよかったら、今日中に完成すると思う」
カヤはランチョンマットほどのサイズを手で示しながら言った。
「縦糸張りからやらなきゃなのに、今日中だって!ほんとカヤはすごいわ」「縦糸張り、手伝うよ!」
「縦糸張り……?俺にできることも手伝います!」
周りが声を掛けるのに合わせてライチも手伝いを申し出ると、
「ありがとう!布ってのは、縦糸の事前準備が肝心だからね! このくらいの太さなら両手の指が十回ともう何回かくらいかな?みんなが手伝ってくれるなら、作業は早いよ」
彼女はくるりと振り返ると、周囲の女性たちに向かって叫んだ。
「うちでさっそく始めよう!糸切りと縦糸張り、やるよ!」
「おうさ!」「任せな!」
ざわざわと話しながら女性たちがカヤのあとについて行く。
「さて、こちらは糸巻きを続けようか」
村長の声かけで、すぐに次の糸巻きが始まった。
ライチはこの場を任せて、カヤたちを追いかけることにした。
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作業はすぐに始まった。手頃なランチョンマットほどのサイズの板に糸を巻きつけて、長さを揃えると、端を刃物で切る。
切った糸はまとめて整え、機織り機に順番にセットしていくようだ。
(え……そうか、縦糸張りって、布になる分の縦糸を先に機械にセットしておくってことなのか……そんなの……ランチョンマットサイズの布ですら、ものすごい数の縦糸がいるんじゃないか……?)
「張り終わったらすぐ織るからね! 今日のうちに仕上げるよ!」
その声に、また一層女性たちが活気づく。
縦糸を張れないライチは、切りそろえた次の糸を縦糸を張っている人に渡すことしかできなかったが、しっかりやり方は見ておいた。
カヤたちは、受け取った糸をせっせと織機に張っていく。
一本一本、丁寧に、ピンと張った糸が並べられていく様子は、まるで命を吹き込まれるかのようだった。
(小さな布一枚作るのに、こんなに手間がかかるなんて……)
ライチは改めて実感し、背筋が伸びる思いだった。
一時間ほど作業をしていただろうか、太陽が西へ傾き、村全体に少しずつ夕方の気配が漂いはじめたころ、カヤが最後の縦糸をぴんと張り終え、大きく手を打った。
「よーし! 縦糸、張り終わった!」
女性たちから小さな歓声があがり、温かな拍手が広がる。張った縦糸は百二十本ほどはありそうだった。
「みんな、おつかれ!あとの横糸はあたしが一人でやれるから、今晩織り上げとくよ。明日の朝すぐに村長の家に届けとくから、気になる人は見に行ってね!楽しみにしてて!」
カヤの力強い宣言に、ライチも、周囲の女性たちも、自然と笑顔になった。
「じゃあ、頼むね!」 「朝一番に村長のとこに見に行かなきゃ。出来上がりが楽しみ!」
互いに手を振りあいながら、ライチはマーヤ、そしてシーラのいる煮炊き場へと戻った。
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煮炊き場では、糸くずなどが片付けられ、火から下ろされた大鍋が、そのままそっと置かれていた。
村長が鍋を覗き込み、重々しくうなずいた。
「まだまだ取れそうだな。これは大事に保管しておこう。念のため、村の保管庫に運ぼう」
「はい!」
ライチは返事をして大鍋を持ちあげると、村長のあとについていく。
「シーラ、おまたせ。おりこうさんに待ってたね」
マーヤも、シーラを柵から出してあやしながらついてくる。シーラは長時間待たされ、空腹と眠気で珍しくぐずぐずしているようだ。
大鍋は重かったが、ライチは中身をこぼさないように慎重に村の保管庫へと運んだ。
小屋の前に着くと、「ちょっと待ってろ」と言われ、村長が小屋の側面の木窓の下辺を持ち上げる。
そして、大柄な身をすぼめて窓枠に身を滑り込ませるように、ひょいと中へ入った。
「えぇえっ?!そっちから入るんですか?!」
あまりに迷いのない動きに、ライチは思わず声を上げた。
村長は何でもない顔で、内側から扉を開ける。
「外からかんぬきをかけたら、すぐ開けられてしまうからな」
「窓から出入りしてもすぐに開けられてしまう気もしますが……」
現代日本の保管庫ではあり得ない施錠の仕方に、ついつい心の声を漏らすと、村長がふっと笑った。
「誰でも開けられるのには代わりはないが、村には人が行き交ってるし、窓から出入りしていれば音もするし多少は目立つからな。無いよりはマシだろう。人は一人では生きられんから、あとはもう信頼だな」
確かに、村が揉めて収穫どころではなくなったり、自分では手が回らない仕事を一人でしないといけなくなっては、それこそ本当の意味で生きてはいけない。扉が簡単には開けられないというだけで、十分なパフォーマンスになっているようだ。
開けてもらった扉から中に入ると、そこは穀物や保存食、貴重品などをしまっておくための、しっかりした造りの小屋だった。
開いた扉の内側を見ると、木の棒を差し込む簡素なかんぬきが取り付けられていた。
ライチは鍋を下ろして小屋を出る。今度は逆の手順で、かんぬきをはめて窓から出てくる村長の動きを見つつ、ただただ感心した。
「なるほど……これは確かに……すごく目立ちますね」
窓から生えてきた村長がいい笑顔で言う。
「よし。これでひと安心だな」
「はい。ありがとうございました」
一部始終を見ていたマーヤも、シーラをあやしながら微笑んだ。
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保管庫を後にし、三人でバルゴの家へ急いで帰ると、
「おっ、帰ったか!」
バルゴの声が飛んできた。
「遅くなりそうだったから、干し場の干し布もティモたちと取り込んで、梁にかけといたぞ」
「明日も乾かしたらできあがりなんだよねー?」
そう話しながら、ティモとエルノも手際よく夕食の支度を進めている。
干し肉を煮込んだスープ、パン、干し果物――素朴ながら、温かい香りが家中に満ちていた。
「遅くなったね、ありがとう」
「朝も夜も、干し布、すみません、ありがとうございます!」
マーヤが笑いながら荷物を下ろし、さっそく授乳を始める。ライチも手早く皿を並べるのを手伝った。
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準備を終えると、家族みんなで食卓を囲む。
シーラは授乳後そのまま寝てしまったようだ。藁布団の上に寝かされている。
だんだんと慣れてきた農村の素朴な食事。
だけど、改めて今日一日、村のみんなで精一杯暮らした温もりが、温かな夕食にそのままこもっているように感じられた。
夕食中、出来上がった糸を見て、触って、バルゴたち三人は大盛りあがりだった。
夕食を終え、簡単に片付けを済ませると、バルゴの家は静かに夜を迎えた。
ティモとエルノはすぐに藁布団に潜り込み、「明日の布の出来上がり、楽しみだね」などと話している。
ライチも、いつもの藁布団に体をあずけた。
疲れた体がじわりと沈み、心地よい眠気が押し寄せる。
(俺も、明日、どんな布ができてるか……楽しみだな)
胸にほんのり温かい期待を抱きながら、ライチは静かに目を閉じた。