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第7話 ポリエクロスと誓い


朝。


ライチは、いつもより少し早く目を覚ました。


 まだ薄暗いなか藁束の寝床から起き上がると、ひんやりした空気が肌を撫でる。


(……冷えるな)


手早く体を伸ばしてほぐし、あたりを見回す。


ティモとエルノはまだ寝息を立てていて、

マーヤは暖房代わりの石炉に火を入れ、朝食の支度を始めていた。


シーラは火から少し離れた土間の床ではいはいをしている。寒くないのがが少し気になったが、少しピンクのほっぺでご機嫌に手足をばたつかせているので大丈夫そうだ。


「おはよう、ライチ」

マーヤが軽く会釈して、火をあやつりながら微笑んだ。


「おはようございます。手伝います」


ライチも慌てて声を返し、朝食の支度に加わった。



---



干し肉を刻み、パンを用意し、スープをかき混ぜる。


素朴な香りが家中に広がっていく。


やがてバルゴも起き出し、ティモとエルノも目をこすりながら起床。


みんなで手早く整えた朝食を囲んだ。

食事中、シーラは膝の上でスープを分けてもらいながら立ち上る湯気を面白そうに眺めていた。



---



食後、片付けを済ませた後、みんなに手伝ってもらいながら干し場にユキダマソウの実を干し、ティモとエルノに声をかける。


「今日は水汲み、二人に任せても大丈夫か?」


「うん!」 「任せて!」


二人とも元気いっぱいに答え、バケツを手にして出かけていった。


バルゴも農作業に向かう準備を始めている。


ライチはマーヤとシーラに目を向けた。


「じゃあ、僕たちは村長さんのところへ行きましょうか」


「うん、行こう。楽しみだね」


マーヤが笑い、シーラは分かっているのかいないのか、きゃあきゃあと声を上げる。


春のやわらかな陽射しの中、三人は連れ立って、村長宅へと向かった。



---



 中に案内されると、村長宅のテーブルには、織り上がったランチョンマットくらいのサイズの布が広げられていた。


 しなやかで、なめらかな見た目。そして、丈夫さをうかがわせるその布に、ライチは思わず目を見張った。

 一生で三着も持てないと言われた服。ありがたいことにバルゴに服を借りているが、今それに使われている布を思うと、新しい布の質が高いことは一目瞭然だった。


「……すごい」


 そっと指先で触れると、さらさらとした心地よい手触り。

 薄いのに、どこか頼もしい強さを感じる。まるで日本でも普通に売られていた、丈夫でなめらかな化繊の布のような……


「朝早くにカヤに届けられてから、引っ張ったり透かしたりいろいろ試したが……とても良い布だろう。これが……本当に、廃棄の外皮から……」


 村長も、じっと布を撫でながら、低く唸った。


「丈夫だ。しなやかだ。それに、なんともなめらかだ……」


 感嘆に震える声だった。


 一人先に我に返ったマーヤが、主婦として現実的な質問をする。


「濡らしてもいいのか。洗浄液で洗濯してもいいのか。乾いた時にシワになるのか。火に近づけるとどうなるか。お湯をかけるとどうなるか。このあたりは確認しておかないといけないね。お偉いさんに高くで売ってから文句を言われると困るからね」


 それから三人で検証を始めた。

 作り方はレーヨンっぽかったけど、どうも出来上がりはポリエステルに近いようだ。



・引いたり押したり擦りまくるテスト

 →かなりの力で引いても破れず、ポリエステルにありそうな静電気感もなく、シワにもならない


・濡らすテスト

 →水はあまり吸わない。が、吸わない分、すぐに乾く


・耐熱テスト

 →火に近づけるのは糸の切れ端で実験。

 日本にあった化繊と違い、わりと近くまで火が近づいても溶けない。が、さすがに直接火が当たると燃えた。沸騰している熱湯に糸を入れても何も変わらなかったため、布を沸騰した鍋でしばらく煮たが、変化なし。


・着色テスト

 →糸を束ねて実験。化繊と違い、村にある染色剤ですぐに美しく染まった。湯に溶かした定着剤に漬けると、色落ちもなさそう。



「素晴らしい…!」

 結果を確認して、村長が拳を震わせる。

 マーヤも、シーラを腕に抱きながら目を丸くしている。


「摩擦にも熱にも水にも強くて色がつけられて滑らか……これが売り物になったら……すごいことになるね」


ライチも大きくうなずいた。


(熱に強くてよかった……オムツにも使える!これなら、きっとみんなの役に立つぞ……)


そんな思いを噛みしめたとき――

村長が改まった表情で、ライチに向き直った。


「ライチ」


「はい」


「この布づくりを、これから村全体の手仕事にしたい。だが、発案者であるあんたのことを考えると、作り方を無償でばらまくわけにはいかん。……はじめに情報量としてまとめて支払わせてもらうか、村人が売り上げるたびに、何割かを徴収する形で、作り方を知る権利を渡す。それでどうだ?」


真剣な眼差しに、ライチも姿勢を正す。


(俺相手になんか、ちゃんとしなくても『よそ者さん、作り方ありがと〜★ラッキー★』で済むはずなのに、こんなに考えてくれて……)


 生真面目な村長の言葉に感激し、ライチは静かに答えた。


「ありがとうございます。でも……俺は、お金はいいです。よそ者なのに、この村にはお世話になりっぱなしですし、もともと、布オムツを作りたかっただけですから」


村長の眉がわずかに動く。


「ただ……」

ライチは一拍置いて続けた。


「もし何割か徴収するなら、それは、村の発展費に使ってください。衛生環境を良くしたり、寺子屋を作ったり、やりたいことは山ほどあって。――子どもたちが健やかに育つのをお手伝いしたいんです」


 そして、最後に、少し図々しく、こう付け足した。


「もしよければ、その徴収金での発展計画に、俺もちょっと関わらせてもらえたら、さらに嬉しいです」


 村長とマーヤが、じっとライチを見た。

 シーラも、ふにゃっと笑って、腕の中でぱたぱたと手を振っている。


 村長はしばらく黙ってライチを見つめたあと、深くうなずいた。


「……あんたは、本当に……お人好しだな」


 多くは語らないが、目指す方向で村長と繋がった気がして、ライチは小さく頭を下げた。




「そうと決まればさっそく誓いに残しておこう」

「誓い?」

「なんだ、これまでやらずに生きてこられたのか」


村長が両手を胸に当て、ライチにも促す。


「一区切りづつで少し待つから、俺に続いて復唱してくれ」

「わかりました」

「では、誓おう」


村長に倣ってライチも胸に両手を当て、目を閉じる。


『ライチは、 この新しい布を 作ることに関して、 村に寄与すること。

 村長は、 新しい布の作り方を教える際、 売り上げから 発展費を 二割徴収する 決まりとし、 村の発展に 役立てること。

 ライチと、 現村長:グレゴルとが、 神に対し、魂に誓う』


最後の言葉を口にした瞬間、胸の奥がふわりと温かくなった。


(……なにこれ)


不思議な感覚に驚きつつ、そっと目を開ける。


マーヤも、嬉しそうに微笑んでいた。


「なんかホワッとした気がするんですが……これ……もし破ったら、どうなるんですか?」

ライチが尋ねると、マーヤは肩をすくめた。


「さあな。破ろうという気が起きたことも、破ったやつがどうなったか聞いたこともない」


(……スキルがある世界だもんな。神様と誓うくらい、普通なのか。神様……そういえば、この前会ったな、俺。めちゃくちゃにキレてた気がするけど……。なんか変な感じ)


ライチは胸の温もりの余韻を感じながら、ひそかに回想に浸るのだった。



---



「さっそく臨時の村民集会をするぞ!」


と言い残し、すぐに村長は外に出て、人を集めるため、使いの者たちを走らせた。


 水汲みや畑仕事の途中でも素早く集まった村人たち。ざっと見て百五十人くらいに見える。両親と子どもと祖父母どちらか…のような家族で固まっているようで、おおむね二十家庭ほどありそうだ。


(半分の家庭でオムツが必要とされてたんだな。この衛生環境では、子供も大人も長く生きられないだろうし、人手としてたくさん産んでいるなら、半数でも納得か……)


 全員の集合を確認したのか、村長が高らかに声を上げた。


「みんな、さっそくの集合、ありがとう。まずは、この布を見て欲しい!

 もう昨日のうちに聞いた者もいるだろうが、これは、村の外からやってきて、現在バルゴ家に居候している、ライチが糸の作り方を考案し、皆で糸を紡ぎ、さっそく織り上げたものだ。

 昨日半日ほどで、ここに並べられた糸巻きの糸すべてができた。

 さっそく昨晩織ってもらった布を今朝確認すると……丈夫だ!しなやかだ!熱に強い!綺麗に染まる!それに、なんともなめらかだ!しかも、原材料はよくあるものだという!

 これは間違いなく村の特産品になる!作り方を知りたい者は、売り上げの二割を村の発展費に納めることを、神に魂を誓ってもらうことで、教えることとする。誓いを立てられぬ者、作り方を知りたくない者には作り方を教えない。

 納得できた者は、村の北側の家から順番に、一家で揃って村長宅へ来ること。誓いを立てた者のみを集め、後ほど作り方を伝える」


村人たちがざわざわと息を呑み、やがて小さくうなずき合う。


そのとき、村長がふとライチを見た。


「ところで、ライチ。この糸と布――名前は?」


突然の振りに、ライチは思わずたじろいだ。


(え、今!?)


すぐに、昨日の制作過程を思い出す。


(あの液体から糸を引く感じはレーヨンっぽいけど、質も出来上がりも……どれかというとポリエステルっぽい)


考える暇はない。思いついたまま、ライチは一呼吸して、はっきりと答えた。


「糸は『ポリエ糸』、布は『ポリエクロス』って呼びます!」


一瞬の静寂のあと――


「ポリエクロスか!」

「なんだか分からないがいい名前だな!」


わっと場が盛り上がった。


カヤもにこにこと頷く。


「いいね、ポリエクロス!昨日の晩からポリエクロスのことが頭から離れなくて!これは、もう恋かも♡」


ライチは、なんともこそばゆい気持ちで笑った。



---



 集会は解散となり、すぐに村長宅前に列ができ始めた。終わった家が並んでいない家に北側から順に声をかけていくようで、家の外には常に二家庭ほどが並んでいる。

 ライチは、しばらくその様子を遠くから見つめて、そっと胸を撫で下ろす。


(よかった……。みんな、この布に希望を持ってくれたんだ)


 けれど、ふと時間を見積もると、軽くため息が漏れた。


(二十家庭全部来たとして、布を触ったり雑談したりしてるのか、一家庭につき十分はかかってるな……終わるまでは三時間以上?……俺、ここにいても邪魔だな)


 ライチは一度帰宅して採集セットを持つと、薪拾いに出かけた。森に少し入ったところでティモとエルノを見つける。


「なあ、ティモ、エルノ。俺も薪を拾うよ」


 声をかけると、二人はぱっと顔を輝かせた。


「うん!」「一緒に採集しよう!」



 春の森は、まだ若草色の葉がまばらに茂る程度で、見通しも悪くない。

 遠くに村を見渡せる範囲での作業だから、安全性も高い。


「薪拾いって、どれくらい集めれば良い方んだ?」

 ライチが歩きながら尋ねると、エルノが「いっぱーい!」と両手をいっぱいに広げて笑った。


「大人が抱えられるくらいかな」

 ティモが少し得意げに答える。


「よし、それくらいを目標にしような」


 ほのぼのとした会話をしながら、子どもたちと一緒に落ち枝を拾い集める。


 春の陽気と、森の香り。

 子どもたちの無邪気な笑い声が、ライチの心を明るく輝かせた。



---



 昼食前まで薪拾いをしたライチたちは、抱えきれないほどの薪を持って、バルゴの家まで戻ってきた。


(けっこう拾えたな……)


 家の前に薪を下ろし、汗をぬぐう。

ふと村長宅の方を振り返ると、まだ列はできたままだった。村人たちが順番を待ちながら、談笑している。


(終わるまではまだ時間がかかりそうだな)


 そこへマーヤが顔を出した。シーラを腕に抱えたまま、にこりと笑う。


「おかえり。たくさん拾ってくれて助かったよ。……そろそろ、うちも誓いに行かないとね」


 マーヤは、ちらりと村長宅の列を見やった。そして、手早く言いつける。


「バルゴを呼んできてちょうだい。畑にいるはずだから、頼んだよ」

「うん!」「おー!」「俺も行きます!」


 三人で小道をたどり、畑へ向かう。

 春の陽射しの下、村の畑は青々とした作物と畑仕事の人たちでにぎわっていた。


 バルゴたちは、腰をかがめて土を耕し、何かの苗を植えていた。ぽん、ぽん、と素手で土を軽く押さえる姿が、何とも優しくたくましい。


「バルゴさーん!」「おとう〜!」


 ライチたちが声をかけると、バルゴが顔を上げ、手を振って応えた。ティモとエルノも、父親の元へ走っていく。


「おう、どうした」


「おかあが、誓いの時間だから帰ってきてって」


「ああ、そうか」


 バルゴは手についた土を払い、笑った。

 近くにいた他の農民に一声かけて、道具を片付ける。


 四人で家へと戻ると、マーヤとシーラが待っていた。すぐに一家そろって、村長宅へ向かう。


村長宅の前には、お隣でチラチラ見かけるご家族が並んでいた。前や後ろのご家庭とみんなで雑談しながら待っていると、すぐに順番回ってきた。ライチたちの顔を見て村長が呟く。


「バルゴ家の者たちか」


「あぁ。ライチは付き添いだ。俺と、マーヤ、そして俺たちの子ども、親類について、誓いを立てに来た」


 バルゴが堂々と答えると、村長がうなずく。


「誓う内容はこうだ。問題ないな?」


 先に村長が誓う内容を唱える。文字のないこの村では、口頭で伝達して記憶し合うしかないようだ。


「よし。では、神に対し、魂に誓ってもらおう」


 バルゴは深く息を吸い、胸に手を当てた。

 マーヤも、子供たちも同じように胸に手を当て、静かに目を閉じる。シーラはマーヤの手によって両手を胸に当てられている。


 バルゴの声が、静かな村長宅に響いた。


「俺、バルゴは、マーヤ、二人の子、親類たちと共に、誓う。

 ポリエ糸とポリエクロスの作り方に関する情報を、村の発展のためにのみ用い、村と誓いを立てずにそれを知ろうとする者には、決して漏らさない。また、我々がこれらを販売した際には、村に売り上げの二割を納める。以上を、我々は神に対し、魂に誓う」

「誓う」「ちかう」「ちかう」「う?」


すっと空気が張り詰めた感覚があった。

ライチは静かにそれを見守った。

数日前、自分も感じた、あの不思議な温もり。

みんなの胸にも、それが灯っているのだろう。


(……やっぱり、神様の力なのかな)


 マーヤがそっと目を開け、「これで作りまくれるよ」とでも言いたげに、ニヤッとライチに微笑んだ。

 シーラは離された手を振ると、母親の腕の中で、ぽかぽかとした陽射しを受けて小さくあくびをしていた。

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