バルゴ家に戻ると、すぐに昼食の準備に取りかかった。
「ティモ、エルノ、食器を並べてくれるか」
「うん!」「ぼくも!」
元気よく返事をして、ふたりは食卓の上をせっせと整え始める。
バルゴは手慣れた手つきで、干し肉と昨日の残りの野菜を刻み、鍋に追加して煮込みはじめた。
マーヤはふやかしたパンをすり潰して、シーラ用のパン粥を作っている。
(そうか、白いしどろっとしてるから、『粥』って聞いて、ついついご飯のお粥だとなんとなく決めつけていたけど、そりゃそうだよな。パン粥のことか)
やがて、昼食が並び終わった。
パン。野菜と干し肉の煮込み。木の実。そして、パン粥。
「さ、食べようか」
バルゴが家族とライチに声をかける。その声で一斉に食卓に手を伸ばした。
マーヤはシーラを膝に乗せ、小さな木の匙でパン粥を食べさせている。
スプーンをそっと近づけると、ぱくりと食いつき、もぐもぐと一生懸命に噛もうとしていた。
「この子、まだ母乳もあげてるけど、もうだいぶ食事にも興味津々でね」
そう言ったそばから口から『べーー』とお粥が出てくる。
「……興味は、あるんだけどね」
マーヤが苦笑しながらつけたした。
(うちの子たちはパン粥には粉ミルクを混ぜるとよく食べたな……粉になったら試してもらおう)
かたくて素朴なパンは、スープに浸してようやく柔らかくなる。
干し肉の旨味も、野菜の甘みも、染み出したスープと合わさって――
「うまい」
「いつも美味しそうに食べてくれるね。大したもんじゃないけど、ありがとうね」
ライチの独り言に、マーヤが笑いながら返事をした。
シーラも、ご機嫌な表情で匙をはみはみと噛んでいる。
この静かな幸せを、食事と一緒に噛みしめた。
---
干し場では、太陽の光をいっぱいに浴びたユキダマソウの実が並んでいた。家族みんなが様子を見に来てくれている。
「大きい実は、叩き潰せるまでもう少しって感じだな。今は裏返しておこう。小さいのはカラカラになってたら回収な」
ライチのやりたいことを正しく汲んでくれたバルゴが子どもたちに指示を出す。
ティモとエルノは「わかった!」と元気に答え、それぞれ手近な実に向かった。
ライチも、大きな実をひっくり返していく。
小さな実に触れてみる。表面は白く乾ききっており、弾力がほとんど消え、押すと固い感触だけが返ってきた。
(よし、このあたりは十分乾いてるな)
乾いた小粒たちを、布の上にまとめていく。
子どもたちも、ポンポンと乾いた実を拾い集めては、袋に入れていった。
シーラはというと、干し場の端っこではいはいをして、石や枝など何か拾っては不思議そうに眺めている。
(なんでもお口に入れてしまうお年頃だ。誤飲にはほんと気をつけないと……)
危険な小さな石に気が取られないように、バルゴがとてもシーラの口には入らないような大きめの石を拾い、軽く土を払ってシーラに渡す。
シーラは、手渡されてすぐに興味を示し、土が口に入るのもお構い無しに、石を唾液でべちょべちょにしながら、その質感を確かめるようにいつまでもはむはむと噛んでいた。
---
乾いた小粒が回収できたところで、家に戻る。食卓に広げた布の上に実を並べ、さらに布を重ねて、その上からトントントンと軽く木槌で叩いて砕いてみる。
弾けた殻と中身が飛び散らないように注意しながら、丁寧に作業を進めていく。
続いて、砕いた実を、目の粗い布袋にサラサラと流し込む。
布の上で袋をトントンと下から叩き、ふるいにかけると、細かい粉だけが下に落ち、大きなカケラは袋の中に残った。
「よし。残った欠片を……もう一度叩くか」
バルゴが言い、ライチもうなずく。
ふるいにかけたあとの粗いカケラも、もう一度木槌で叩き潰して、さらに粉を取り出していった。
作業はじわじわと進んでいく。出来上がった白くサラサラした粉は、一旦鍋を借りて集めていく。
(よしよし、いい感じだ)
ふと、ライチはマーヤに尋ねた。
「乾かした粉を湿気ないように保管したいときって、どうしてるんですか?」
マーヤはミルクをふるいにかけながら答えた。
「目の細かい布袋に入れて、さらに大きな袋に重ねるよ。できるだけ風通しのいい高い場所に吊るすの」
「なるほど……参考になります」
ライチはうなずきながら、鍋にたまった粉ミルクを見る。
(そうか……ガラス瓶もないし、もちろんジップロックとかも……ないのか……)
日本と違ってカラリとした気候のようで、湿気りすぎて、どろっと半分液ミルク化する……なんてことはなさそうだが、赤ちゃんが飲むことを考えると、菌の増殖や虫がわいたりしては、健康のための栄養食の本末転倒だ。
(ビニールのように水を通さない布があればなぁ……)
この現状でそんな荒唐無稽なことを考えて、はた……と気づいた。
(待てよ……?ビニール……化学繊維……ポリエステル……糸にするときは細く垂らしたけど……)
(もしかして……!ベトノキの樹液を、ぼとっと塊で煮汁に落として反応させて、塊の中にストローみたいなもので空気を吹き込みながら引き上げて、空気に触れさせて外側も硬化させれば……ビニール袋みたいなものができ……ちゃったり……)
自分の発想に、ワクワクが止まらなくなる。
(ビニール!しかも天然素材だから環境問題もなし!これは……ちょっと俺、すごい発明家かも……!)
後で絶対試そう。そう内心で誓いながら、黙々と粉ミルク作りの作業を続けるのであった。
---
家族総出で粉ミルク作りに励んでいると、村長が戸口から声をかけてきた。
「ライチ。すまないが……今から村人たちにポリエクロスの元になるポリエ糸の作り方を実演してほしい。頼めるか?」
突然の頼みに、ライチは手を止めて顔を上げた。
「もちろん、大丈夫です!」
素直にうなずくと、村長は満足げに
「準備ができたら、また広場に集まる。よろしく頼むぞ」
と言い残し、再び広場の方へと戻っていった。
(実演か……よし)
ライチは干し場の作業の残りと片付けをバルゴたちにお願いして、マーヤ準備を始めた。まさに昨日やったばかりなので、準備も実にスムーズである。
準備が整うころには、広場にはすでにぞろぞろと村人たちが集まってきていた。シーラを抱いたバルゴたちの姿も見える。
目視で集まり具合を確認したのか、おもむろに村長が声を張り上げる。
「お待たせした!――これから、ライチと経験者が、昨日完成させたポリエクロスの元になるポリエ糸の作り方を実演する!」
村人たちがどっと湧き立つ。
「この村のすべての村人が誓いを立てた!よって、例えもし今この場に居られない者がいたとしても、すでに誓ったことは確認してあるので、あとで製法を伝達してやってもらって構わない」
「この糸の作り方は、我らの大きな財産になる。
村人以外――商人や旅人には、決して知られぬよう、心して作業してほしい!」
村長の言葉に、村人たちも真剣な顔でうなずいた。
村長に目配せされたライチは、さっそく糸作りに取り掛かる。
(よし……いこう)
「まず、大鍋にたっぷりの水を張り、スピナ麻の外皮をたっぷり入れ、火にかけます。」
沸騰するのを待つ間に、前から少し思っていたことを口にする。
「まだ検証はできていませんが、もしかしたら必ずしも乾燥していたり、外皮でないとならないということはないのかもしれません」
この言葉には、周りのお手伝いの経験者たちもざわついた。
「今しているのは、外皮から中身の繊維を分離するための煮出しなんです。
もしかしたら、今までみなさんがかなりの時間をかけて糸撚りをしていたスピナ麻の中身も、このように煮れば、中身の繊維が湯に溶け出る可能性があります。
そうすると、もしかすると外皮だけよりも糸になる量が増えるのでは……。と考えています。
ただ、もともと引っ張るだけで長い繊維が取れるようなものだそうなので、その繊維は煮ても溶け出さないかもしれません。
また、秋から冬まで数カ月乾燥させているそうですが、繊維を煮出すうえで乾燥が必要なのかは検証が必要です。乾燥なしにさっさと糸づくりができるなら、冬に織る時間が増えて儲けのチャンスも増えるかも……?
どなたか実験したら、また結果を教えてくださいね」
最後は少し茶目っ気を入れながら、たらればの話をしつつ、煮えてくるまでの時間をつないだ。
「鍋に少し変化が出てきたので、よかったら待ち時間の間に流れ作業で一方通行に見に来てください。こちらからこちらに向かって、立ち止まらずどうぞ」
村人たちは興味津々で、順番に鍋を覗き込んでいく。
ティモとエルノが「へぇ〜!昨日こんなことをしてたんだな!」「なんかわさわさしたのが浮いてるね」などと言いながら通り過ぎていった。
その間も、ライチと女性たちは、鍋をかき混ぜながら様子を見守った。
二十分ほど煮ると、外皮の中でもとくに硬い部分だけが残って浮いてくる。
ライチはすくい網でそれを取り出し、脇に置く。
「これくらいの時間煮たら、この硬い部分はポリエ糸づくりには不要なので取り出します。この部分は普段通り肥料などにできます」
そう説明すると、無駄の無さに小さな歓声が上がった。
「不要な外皮を取り出したら、続いて、ネバリダケをこのくらい……大きく二掴みほど、鍋に投入します」
「あのネバリダケ、あたしが採ってあげたのよ」
ネバリダケのワードに反応して、どこからかエマの声が響く。事実が少し湾曲している気もするが、おおむね正しいのでスルーした。
「量はすみません、一度しか試してないので、『これでやったらうまくいった』としか言えない現状です。もし材料の比率を変えて実験してみた方がいたら、こちらも是非、結果を教えに来てくださいね」
そんな話でお茶を濁しながら、煮汁ももったりと濁しつつ、十分ほど煮る。
湯の表面に、限界納豆のような粘りが広がり始めた。
「このようにもったりとしたら、もう加熱は必要がないので、保温のために火を弱めます。火からは下ろしません。ここに、このような器具を準備し、ベトノキの樹液を加えます。器具については後ほど近くでご確認ください」
そう言うと、ライチは慎重にベトノキの樹液の瓶を持ち上げ、構える。
「穴の真下で、煮汁の中に匙などを入れて待機します。あとは、樹液を桶に入れれば……」
そう言って、一気に穴あき桶に樹液を注ぎ込んだ。
桶の底に作った穴から、細くツーっと樹液が鍋に注がれていく。
「よしきた!」
女性たちが八人、息を合わせて匙を引き抜き、取り出した糸を糸巻きに巻いていく。
「近くの方は糸が見えますが、遠くの方には見えないと思います。まだまだ巻いていますので、先ほどと同様に、こちらからこちらに向かって、流れで見学しに来てください」
ライチが二度目の見学ラインづくりを促すと、近くで見物する人たちから、どんどん歓声が上がった。
「すごい……すごいよ……!」「なにこれ?!夢でも見てるのかい?」「こんなスピードで糸巻きできるなら、布や服なんて、いくらでも作れるじゃねぇか」
この様子に、自分の慧眼が正しいと証明されたと感じて満足したのか、村長は腕を組んで深くうなずいた。
「ふはは……これが……この糸が、村を変える……!」
村人たちは目を輝かせながら、糸が紡がれていく様子を、飽きもせず見つめ続けていた。
---
見学レーンが一周回ると、見慣れてきた光景に、あちこちから声が上がり始めた。
「あたしにも巻かせて!」「ぼくもやらせて欲しい!」「もうさっそく家に帰って作りてぇよ」「材料を採りに行かねぇと……無くなっちまうぞ!」
次々と声があがり、広場は混乱し始める。
そんな中、村長が、一歩前に出て手を上げた。
「静まれ!」
太い声が広場に響き渡り、村人たちがぴたりと動きを止めた。
村長は、しっかりと村人全員を見回してから、低く、しかし力強く告げた。
「今日はまず、各家庭、必要なものを整える日としよう」
真剣な様子に、村人たちはごくりと息を呑んだ。
「鍋や糸巻きは、各家庭からすぐに出せるな?
採集に関しては、こちらで管理する。これは村の高級品となる可能性がある原材料だ。だから、材料を各家庭が勝手に採集することは許さない」
厳しい言葉に、村人たちは小さくうなずいた。
「ネバリダケも、ベトノキの樹液も、干からびるほど採りすぎてはいけないことは……皆もよく分かっているな?」
あちこちで「はい!」「そりゃそうだ!」という返事が上がる。
「また、スピナ麻の外皮についても、こちらでまとめ、各家庭に等分して配布する。煮炊き場も同様だ。それぞれの家が、争いなく、必要なぶんだけ作業できるよう、こちらで管理させてもらう」
村人たちの顔に、緊張と期待の色が混ざる。
村長は深くうなずき、続けた。
「では今から、各家庭ごとに次のように分かれてもらう!」
「ネバリダケとベトノキの樹液の採集隊!」
「煮炊き場のかまどや焚火三脚、穴あき桶の増設隊!」
「臨時煮炊き場の場所や煮炊き時間の確保相談隊!」
「既に巻き上がっている糸を、保管庫の機織り機に張る機織り隊!」
村長が一気に指示を出すと、村人たちの顔がみるみる引き締まった。
「今日の夕刻までに、これらの準備をすべて整える!」
「そして……明日の朝食後には、皆で――『大糸紡ぎ会』を実施する!!」
「おおっ!!」
どっと湧きあがる歓声と拍手。
「よし!まずは各家庭での分散からだ!
採集隊は広場の南。
増設隊は広場の北。
相談隊は東。
機織り隊は西にまずは集合だ。
隊員の確認と、長を決めたら、夕刻までにどう動くかを相談した後、さっそく動き始めてくれ!」
「はい!」「おう!」「よっしゃ!」
まさに蜘蛛の子を散らすように、一斉に村人たちが動き出した。
(村長のリーダーシップがすごすぎて、感嘆しかない……)
ライチは村の一致団結の様子に、心の中で拍手を送った。
おおよその傾向として、
子どもたちは採集隊として意気揚々と森に出かけ、
男性は増設隊として巨大な焚火三脚や、新設のかまど作りに走り回り、
年配者は相談隊として少し離れた静かな場所に移動し、
女性は機織り隊として保管庫の機織り機に向かったようだった。
小さな村全体が、希望に満ちた熱気で包まれていた。
(よかった……これで、この村に新しい未来が開けるかもしれない)
ライチは、笑顔で忙しく動き回る村人たちを見渡しながら、静かに拳を握った。