朝。 ライチは、いつもより早く目を覚ました。
空はまだ薄青く、村の屋根越しに朝日が昇りかけている。 新緑が眩しい春とはいえ、朝晩はまだまだ肌寒さを感じる。
(いよいよ……大糸紡ぎ会だ)
昨日見た機織り機の光景を思い出した。
軽く計算しても、十二メートルを五百本取ろうと思ったら、六千メートルいるわけで。たった一回の機織りにそれだけ使うんだから、それはもう村の名産品として売り出したいのなら、村人総出で糸紡ぎをしないとならないのは当然のことのように思える。
(やるぞ)
両頬を打って心を引き締めた。
バルゴたちも順々に起き出してきた。 子どもたちも、今日はどこかそわそわしている。 マーヤはぱぱっと朝食を用意しながら、シーラをあやしている。
「さ、朝ごはん食べたらすぐ広場に行くよ」
「うん!」
皆でパンとスープを食べると、急いで準備を整える。いそいそと家族そろって広場へ向かった。
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水場近くの煮炊き場には、すでに村人たちがぞろぞろと集まっている。八つのかまどそれぞれで準備が始まっていた。
ライチが軽く走って、村外れの臨時煮炊き場の様子を見に行くと、元あった煮炊き場よりさらに人が多く、かなり賑わっている。こちらは、広々とした草地に、十二のかまどと三脚、穴あき桶がずらりと並び、それぞれの家庭が、自分たちの「糸作りセット」を囲んで準備をしている。
「おーーい、広場にあつまれ〜」
村長のお使いの子供が、中央の広場に全員が集まるように声をかけたため、臨時煮炊き場の村人の大移動が始まった。ライチも流れに乗って広場へ向かう。
村長の声が、広場に響いた。
「おし!晴天なり!
材料はここに分けてあるから取りに来ること!
村総出で行う――『大糸紡ぎ会』、開催だぁ!!」
ドッと湧き上がる歓声と拍手。
わらわらと村長のもとに人が集まり、それ以外の人は持ち場へ戻る。
村長が配らせているのは、紐で縛ったスピナ麻の外皮、袋入りのネバリダケ、そしてベトノキの樹液瓶。外皮は長いまま二人以上で持って運んでいるようだ。
(テンポよく喧嘩なく配れている……村長、頑張ったね)
ちょっと生徒を見るような目であたたかく見てしまうライチであった。
「おっし、取ってきたぞ〜」『ぞ〜』
バルゴが袋と瓶と外皮の前、ティモとエルノが外皮の後ろを支えて、煮炊き場のバルゴ家のかまどに持ってきてくれた。
皆が一斉に火をおこし、水を張った鍋を吊り下げ、そこに割った外皮を投入しはじめる。
あちこちで煙と白い湯気が立ち昇り、村人の熱気と一緒に、村全体の気温も上がっていくように感じる。
外皮が浮いたらザルで取り除き、ネバリダケを加え、煮込んで……もったりとした粘りが出てきたところで、村の緊張感も最高潮に高まっていく。
いよいよ糸紡ぎである。
穴あき桶へ樹液を注ぐ係以外は、煮汁の中に棒などを入れて準備をしている。
「やるぞ〜!!」「うちもいくぞ〜!」「わぁ〜!ドキドキする〜!」
「それッ!!!」
火の加減や手際で多少の差はあれど、村じゅうあちこちでほぼ同時に、糸が引き上げられる光景が広がった。
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ある家では、年配の女性が、糸を引き上げながら、目に涙をためた。
「……こんなに短時間で、こんなにも細く、しなやかで、美しい糸が引けるなんて……」
孫がにこにこしながら
「ばあちゃん、感動してるのに手が早ぇぇ〜!すげー!」
と褒めて、女性が照れたように笑う。
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また、別の家では――
「みてみてー!ながいよー!」
「すごいすごい!巻ききれないよ〜!」
子どもたちが大はしゃぎしながら、ぐるぐると糸巻きを回していた。
親たちは「高級品だぞ!」とたしなめながらも、にぎやかな光景に目を細める。
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そして、別の家では――
「うおおお、めっちゃ引けてる!ほんと、昨日から不思議だったけど、どうなってんだ?!」
と、感動しすぎた青年が、夢中で糸ばかり見つめていて、次の樹液追加をすっかり忘れた。
シュルンッ!
ぷつりと糸が切れ、巻ききれてしまう。
「……あっ…………ごめ……」
周囲から大笑いが起きた。
「なにやってんだトンマ〜!見とれすぎだって!」
「気持ちはわかるけどな!」
青年も頭をかきながら「すまん!次は絶対忘れない!」と叫び、また笑いが起こる。
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臨時煮炊き場も、ものすごい熱気と笑顔に包まれていた。
「うちの糸がいちばんきれいだぞ!」「うちだが?おっ?やんのか?」「どれも一緒だよ!節穴目どもめ!」
男も女も、子どもも大人も。
それぞれの鍋と桶を囲んで、目を輝かせながら、作業に夢中になっていた。
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時は少し戻り、材料が配られたあと。
バルゴ家はというと。
バルゴ家も、糸作りのためにかまどの前で準備を始めていた。あちこちで火や煙が上がるので、シーラや他の赤ちゃんは、みんな大人に背負われている。
「じゃ、さっそく火を起こして……」
バルゴが焚き付けを組みながら言う。
その時、ライチが声をかけた。
「バルゴさん、ちょっとお願いがあるんですが……」
「ん? どうした」
「昨日、実演説明のあと、村の保管庫に置いた鍋があって。あれ、まだ繊維が残ってるんですよ。
もしよければ、実験として……あの煮汁を使って、一度冷えたあとの再加熱でも糸が取れるか試してみたいんです」
「ほう、それは面白そうだな」
バルゴはニヤリと笑った。
「だったら俺たちはそっちを使おう。鍋を取りに行こうぜ、ライチ!」
「ありがとうございます!」
ライチはバルゴと一緒に、村の保管庫へ向かった。
扉を開き、中に入ると、昨日と一昨日の大鍋が二つ。蓋をされて静かに待っていた。
ライチたちは一つの鍋を慎重に運び出し、煮炊き場の自分たちのかまどまで戻った。
(煮汁はまだしっとりしてる……ちょっと濃くなった気もするけど、水を足せば大丈夫なはず……)
マーヤがおこしておいてくれた火の上に鍋を吊るし、水を少し加えて様子を見ながら、そっと加熱を始める。
ふつふつと、やわらかい泡が出始めた。
「さぁ、どうなるかな……」
ライチは少し緊張しながら、火を弱めると、煮汁内で棒を構え、匙で樹液を注いだ。
ツーーー……
細く注がれる樹液。
すぐに棒を引き上げると、もったりとした煮汁の表面から、糸が立ち上がった!
「きた!」
ライチが小さく叫ぶ。手で引いて反対の手に巻きつける。入れた樹液が少なかったため、糸はすぐに途切れた。
マーヤも、それを見て笑顔を浮かべた。
「よかったね。昨日の煮汁でも、ちゃんと取れるんだ。最高!」
「ね……!」
「再利用もできるし、まだまだ取れそうでいいね。無駄にならないって、ほんとありがたいよ」
その言葉に、ライチも思わず顔をほころばせた。
(この村の人たちにとって、無駄が出ないってことは、本当に大事なんだな)
マーヤに背負われているシーラは、いつもと違う村の雰囲気に目をパチパチと瞬かせている。
こうして、バルゴ家のかまどでは、昨日の煮汁を再利用した糸作りが、順調に始まったのだった。
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昼が近づくと、村長が煮炊き場の真ん中に立ち、大声で呼びかけた。
「いったんキリのいいところで作業を止めて、昼食をとれー!昼食後は一度広場に集まるぞ!」
既に注いだ分の糸を引き終えた家庭から、自然と火を囲んで、その場に座り込んでの昼食が始まる。
昼食は、パン、干し肉、木の実。
適当な棒に突き刺して、軽く火であぶって柔らかくすると、思い思いに頬張り始めた。
ライチもパンをかじる。
「このパン、スープ無しだとかたいけど、焼くとパリッとして食べやすいよね!」「木の実、こっちの色のほうが甘いよ!」「糸、めちゃくちゃできたな!ライチすげーよ!」
大興奮の子どもたちの無邪気な会話に、自然と笑みがこぼれる。
暖かい陽射しと、にぎやかな笑い声。
素朴だけど、最高に幸せなひとときだった。
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昼食を終えたあと、ライチは再び広場の前に立った。
「みなさん!午後の作業の前に、糸紡ぎ終了後の鍋や煮汁の扱いについて説明させてください!」
村人たちが注目する中、ライチは続けた。
「鍋の中身は、使い切らなかった分も蓋をして保管すればまた糸が取れます!鍋が足りないご家庭は、壺などに保管ください。
先ほど試しましたが、冷えた煮汁も、再度軽く沸騰させてから、火を弱めて保温すれば、次の日も同じように糸を引けます。あまりにドロドロの場合は、水を足してください。桶はそのまま乾くとベタベタするので、水で洗います。
煮汁を捨ててしまわないようにだけ、気をつけてください!」
村人たちから、驚きと喜びのどよめきが広がった。
(よかった……捨ててしまう前にちゃんと伝わった)
ライチは胸をなでおろす。
さらに、村長が前に出て告げた。
「これからもうしばらく糸紡ぎを続ける!合図があったら、作業は終了し、片付けをする。
巻き終えた糸は、各家庭に持ち帰ってもらって構わない!
糸のまま売るもよし、他の家庭から買い増して布に織り上げるもよし!」
おおっと声が上がる。
(糸として売りたい家庭は、いくらで売るんだろうか……)
家族のATMとして、仕送りを目指して日々働いているつもりのライチには、非常に気になるワードである。
(外から来た人がいくらで買い取るか、だよなぁ。それも、ある程度布や服になっていないと、売り出しにくいし……)
(うん。まずは価値を高めて、それからか。村人同士が糸だけで取引するときは、「布として売り上げたら、その何割か返してね!」みたいなやりかたで取引するのかもしれないな)
儲けが出るまではもう少しかかりそうである。そんな考えに思いを馳せるのに被さって、村長の声が高らかに響いた。
「そして、日が傾いたら、広場で打ち上げの宴会を行う!
ポリエ糸が、ポリエクロスや服になったら、この村は儲かってしょうがなくなる……はずだ!
『取らぬ狸の皮』も儲けに入れとけ!!
今夜は酒も秘蔵っ子もたんまり持ってこい!
村の備蓄の酒やチーズやハチミツも、大盤振る舞いだァ!」
おおおおお という歓喜の声がライチの生き別れた家族への思考を吹き飛ばした。
(え、『取らぬ狸の皮算用』ってめっちゃ日本の……そうか、異世界語が日本語みたいに俺に理解できる言語で翻訳されてるから、今までも普通に会話できでたのか。今更になって気づいた)
宴会がどれほどレアキャラで、秘蔵の酒やハチミツが振る舞われることがどれほど喜ばしいことか分からないライチは、少しズレたところに思考を飛ばすのであった。
「それまでに、しっかり後片付けと準備を済ませておくぞ!」
「おう!」「了解!」
大きな返事があちこちから上がり、再びそれぞれの作業場へと人々が散っていった。
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解散後、鍋の火を整え直しながら、再び糸引きが続いた。
ただ、さすがに朝からぶっ通しで働いているため、ペースはゆるやかになり、子どもたちは交代で休憩を取りながら手伝っている。
(そりゃ、疲れるよな……俺も腕が……。でも、みんなほんとに嬉しそうだ)
ライチも合間に、バルゴたちと交代しながら、穴あき桶を見守ったり、糸を巻いたりしていった。
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昼下がり、太陽が西に傾き始めた頃。
村長が煮炊き場の中央で声をあげた。
「よし、今日はここまでだ!鍋の火をしっかり始末して、三脚や桶を片付けるぞ! 臨時煮炊き場にも声をかけてきてくれ」
村人たちがすぐに動き出す。
ライチも、バルゴ家の片付けに参加する。
鍋を保管庫に戻す。炭をならし、焚き火に水をかけて完全に鎮火する。三脚を畳み、樹液のついた穴あき桶もよく洗う。
「宴会だ!宴会だ!」
自然とそんな声があがり、村人たちがそれぞれの家へと散っていく。
「さて、うちは……何を持っていこうか」
家へと向かう道中、バルゴが腕を組みながら考える。マーヤが笑いながら提案した。
「冬の間に干しておいた果実と、それから……あの生ハムも、いっちゃうかい?」
「ああ、あれか!いいけど、ちょっとは残しといてくれよ!」
バルゴの顔がぱっと明るくなる。
「なら俺は、あの小瓶の酒を持っていくか」
マーヤがティモとエルノの頭を撫でながら、
「なら、ハチミツとクルミの焼き菓子も焼いていこうね」
と言うと、エルノとティモが飛び上がる。
「うそっ!」「とびきり甘いやつだ!」と目を輝かせた。