焼き菓子はあっという間に焼き上げられ、手早く荷物をまとめた一家は、再び広場へと向かう。
あちらこちらからも、パンを抱えた人、酒瓶をぶら下げた人、漬物樽をかかえた人たちがぞろぞろと集まってくる。
(みんな、本当に楽しみにしてるんだな)
ライチは胸の中がほっこりと温かくなるのを感じながら、夜の宴の始まりを心待ちにした。
(酒、生ハム、はちみつの焼き菓子……そんなの素敵なオシャレディナーすぎるもんな)
広場には、大きな焚き火――まるでキャンプファイヤーのような火が、ぼうぼうと燃え盛っていた。
適当に椅子代わりの丸太や箱が転がされ、板が渡されてテーブルが作られていく。
そこに、あちこちから持ち寄られた野菜料理、干し肉、生ハム、何かの生肉、焼き菓子、漬物、チーズ、それに秘蔵の酒が並べられ、夜の空気を甘く満たしている。
村長が声を上げる。
「ごちそうを前にダラダラやんのは性に合わねぇ。
今日はよくやった!これからも楽しみだ!
よし!飲むぞ!食うぞ!歌って踊れ!乾杯ッ!!!」
農村の素朴ながらも贅沢な、宴会の始まりだった。
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昼間は家族ごとにまとまっていたが、夜の宴では好きな者同士で集まって、気ままに盛り上がっているようだ。
酔った男たちが肩を組んで歌を歌い出したり、果実酒を飲みすぎて地面に転がる者が出たり。
あちこちで笑い声が絶えない。
ライチも、さっそくとびきりの笑顔で手渡された焼けた謎肉にかぶりついてみる。
「んんっ?!……え、何肉?!うま……うまい!うまいっ!」
「宴会だってんで、男どもがちょっと無理して鹿を狩ってきたのさ。普段は保存食にしか回せない高価な塩もかけてあるよ!目ん玉飛び出るほど旨いだろ!」
鹿肉バーベキューを振る舞っている村人たちが、嬉しそうにライチに声を掛ける。
「鹿……しか……うまい……。なんか泣きそうです」
クセもなく、臭みもなく、柔らかくて旨みが強い。そして塩気が効いてる!好物の牛肉のバーベキューにも勝るとも劣らない旨さである。
隣では、生ハムをそぎ切りにしていた女性が「これもどうぞ」と差し出してくれた。 受け取ってかじると――
「あぁあ〜!!生ハムぅ〜!!これは……ワイン飲みたくなるやつだ……!」
まさに日本で食べた味に、ブルブルと震えが走る。
「はいよ!ワインも飲みな!」「チーズもうめぇぞ!」「木の実のスイの葉漬けもあるよ!」
「これは……ピクルス!!もう……もう……こんなの……フレンチとかのオードブルなのよ……これは……」
思わずオネエ言葉が飛び出るくらい、幸福度が急上昇していく。
普段の食事もあったかくて美味しかったが、故郷の味は、いかん。
火で炙ったパリッとしたパンを齧りながら、ライチは感動に打ち震え続ける。
「旅人さん〜!焼き菓子も美味しいんだよ〜!とびきり甘いよ〜!」
子どもたちに人気の木の実の焼き菓子を、何人かの子が持ってきてくれた。
作るところは見ていたが、砕いたクルミと、蜂蜜、パンに使ってる小麦粉?を混ぜて焼いた素朴なクッキーみたいなもののようだ。
一つもらってかじると――
「ザクザクだ……あまっ……か、甘味ぃぃ……!!素朴だけど、これ、クセになるな……!」
ライチの舌には「とびきり甘く」は感じない。だが、蜂蜜の優しい甘みと、木の実の香ばしさが、じわっと染みる。何より、木の実の甘さ以外の甘味は久しぶりで、とても貴重なものなのが子どもたちの様子からも伝わってくる。
(こんな宴……最高じゃないか……)
ライチは心の底から思った。
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宴会が本格的に始まったころ、バルゴ家の面々はというと、それぞれ思い思いに過ごし始めていた。
バルゴは、昔からの友人たちと焚き火のそばで果実酒を酌み交わし、陽気な声で笑いあっていた。
「お前、あの時、木に登ろうとして落ちただろ!」「こーーんな顔してな!」「普段スカしてんのにそういうとこトロくせぇよな」「うるせぇ!いつまでその話ししてんだよ!」「わはははは!」
そんな昔話に、焚き火の炎のように熱い笑い声が弾ける。
マーヤは、子どもたちや女性たちと、少し離れた焚き火の陰で、料理や木の実の焼き菓子を手に談笑していた。
「この木の実、今年はよく育ったね」「うん、焼くと甘さがぐっと増すよ」「この子ったら最近ね……」
シーラはというと、マーヤの膝の上で、焼き菓子を小さくちぎって水でふやかして食べさせてもらいながら、満足そうに口をむぐむぐさせている。
そして、宴会が始まると、まず いの一番に食べ物へ飛びついたのは、ティモとエルノだった。
「うわぁ〜!鹿の肉だ!」「ハムだ!」「焼き菓子!」「チーズ!」
普段はなかなか口にできない贅沢なご馳走に、二人とも目を輝かせている。
ティモは鹿肉にかぶりつき、エルノは木の実の焼き菓子を両手に掴んで、夢中で頬張った。
「うまっ……!」「おかわり、あるかな!?」
口の周りをベタベタにしながら、次から次へと食べ物に手を伸ばす二人。
果実酒こそ飲ませてもらえないが、果実ジュースをカップ注いでもらい、大喜びで飲んでいた。
(いいぞいいぞ、いっぱい食え……)
その様子を眺めながら、ライチは心の中で微笑んだ。
あっという間に満腹になったのか、ティモとエルノは、お腹をさすりながら「うう、くるしい〜」と芝生にごろんと転がる。
しかし、子どもの回復は早い。
ほんの少し休んだだけで、今度は他の子どもたちと合流して、追いかけっこや隠れんぼに夢中になっていった。
「待てー!」「こっちこっち!」
楽しげな笑い声が、夜空に吸い込まれていく。
夜の帷の下りた広場は、焚き火のオレンジの光と、星のきらめきに包まれながら、にぎやかさを増していた。
それぞれが、それぞれの時間を、心から楽しんでいる。
ライチは、そんな温かな光景を、焚火の近くからほのぼの見守っていた。
(……いいなぁ、こういうの)
胸の奥に、じわりと満たされるものを感じながら、またひとつ、この村での思い出が増えていくのだった。
すると――
ライチは、おもむろにぐいと腕を引かれた。
「ねぇねぇ、旅の人!ちょっとこっち来て!」
声をかけたのは、中学生くらいに見える、あどけない笑顔の少女たちだった。
気づけば、四、五人に取り囲まれている。
「どこから来たの?」
「どうやって糸の作り方わかったの?」
「他にもすごいこと知ってるの?」
「好きなタイプは?」
「結婚してる?」
「今夜どこで寝るの?」
矢継ぎ早の質問に、ライチは苦笑しながら答えていった。
「もう帰れない遠いところだよ。
……あの作り方は、俺自身が考えたんじゃない。遠い場所では、ああやって糸を作ってたのを、思い出しただけだ」
「へぇ〜〜!!」
「他にも思い出すかもしれないけど、今はいっぱいいっぱいで、あんまり考えられてないな」
「ふふーん?」
少女たちは、さらに詰め寄る。
「で、好きなタイプは?」
「結婚してるの?!」
ライチは小さく笑って、きっぱり答えた。
「嫁がタイプ。結婚してる。
……それに、愛しくてたまらない子どもが三人いるんだ」
「ええーっ!!」
一斉に上がる不満げな声。
その中の一人が、果実酒の壺を差し出してきた。
「これ一気に飲んだら、悲しさも忘れられるかもよ〜?」
「遠慮しとくよ」
14歳ごろの若いノリに、32歳のライチは冷静に壺を押し返しながら笑った。若くから結婚して子どもを産んでいかないといけない少女たちは、結婚相手を探さないといけないのかもだが……
(18歳差て……親子かよ)
もちろんライチの目には子どもにしか見えない。本人たちも全く本気ではなさそうに見える。
少女たちはぷうっと頬を膨らませ、口々に言う。
「なによー!」
「バルゴ家に隠れちゃってさー!」
「いい加減、小屋でも建てて住んだ方が良いよ!」
「夜に襲いに行けないもんね〜!」
『きゃーー♡』
その中で少し視点の違う子が、ぽつり。
「そうそう。早く別に住んであげてよ。シーラちゃんの次の子が生まれないと困るでしょ」
その一言に――ライチはズガーン、と心の中に衝撃を受けた。
(……そ、そうか……!!)
バルゴとマーヤは二十代前半に見える。
若い夫婦の家に、よそ者が川の字で寝て長居することが、どれだけ気を遣わせていたか――ようやく思い至る。
(俺は……俺は……)
ここは、若くから多く産んで多く死んでしまうのが普通の世界。当然、次のお子さんのことも考えているだろう。
「確かに……この村をいつか出ることになっても、それまでは、寝起きできる小屋くらい……建てた方がいいかもな」
ライチは、そっとつぶやき、教えてくれた優しい子の頭を撫でようと手を伸ばす。
すると、少女たちが「いいなー!!」「ズルい!!」「あたしも♡」と笑いながらわちゃわちゃ集まってきた。
「小屋ができたら夜に遊びに行くね♡」
またも酒壺を押し付けて悪ノリしてくる少女に、ライチはにやりと笑った。
「家の戸には、ちゃんと鍵をかけるからな。来ても入れないぞ、子供は早く寝るのが一番だ。」
「えええー!!」
夜空に、また明るい笑い声が弾けた。
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やがて、宴もたけなわ、という頃。
ライチが村長に促され、締めの一言を任された。
村人たちの注目が集まる中――ライチは、ゆっくりと口を開く。
「……みなさん、今日は本当にありがとうございました!」
今はスーツではないが、まずはリーマンらしく、美しいお辞儀で深く頭を下げた。
「俺は、この村に来て、たった数日ですが……
みなさんがこんなに協力して、一緒に新しい一歩を踏み出すところを見て、胸がいっぱいです」
ライチは焚き火を見つめながら、言葉を続けた。
「新しい糸や布は、きっとこの村を豊かにしてくれます。
……でも、俺が作りたかったのは、糸や布だけじゃありません。
……俺には、故郷に大切な嫁と子供がいて。
もう帰れないくらい遠いんですが、夫婦や親や子ども……家族って、本当にかけがえのない宝だと思っています。
みんなが、安心して子どもを……未来を、育てられる力になるもの……そういうものを、これからも作っていきたいです」
あたたかな空気が、広場を包んだ。
「俺はこの村の人間じゃないし、いつか出ていくかもしれないし、これからもご迷惑をたくさんお掛けするかもなんですが……。
でも、皆さんの未来のためになることはなんだってやりたいと思っています。
それが、のこしてきた家族のためにもなると、信じています」
静かに、でも力強く。
そして、最後に大きく笑った。
「これからも一緒に、がんばりましょう!」
パチパチパチパチ……
次第に大きくなる拍手。
誰かが「ライチー!」と呼んでくれる。
村人たちの、優しい、温かな笑顔。
これにて宴会お開きとなった村の夜は、喜びと希望に満ちた光で、深く包まれていった――。