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第14話 ミルクのお試し

 朝、鳥のさえずりとともに、ライチは目を覚ました。


 まだ少し寝ぼけ眼のまま、窓から差し込む光を見つめる。


(昨日も、いろいろクラフトした一日だったな)


 完成したばかりの、半透明の袋たちが頭に浮かぶ。あれは確かに、異世界での発明だ――そう思いながら伸びをして起き上がる。


 やがて、バルゴ家の朝はいつものように活気づく。


 食卓には干し野菜のスープとパンと木の実。スープで温められたパンは、胃に優しく染み渡る。

 今日もシーラにはミルクパン粥だ。声を上げながら、実に嬉しそうに食べている。


 バルゴがパンをかじりながら、今日の予定を話し始めた。


「今日も、午前は畑での作業だな。子供たちはまずは水汲みな。その後畑で合流して、午後は収穫をするつもりだ。昼下がりにはまた、煮炊き場で糸紡ぎをしようと思ってる」


「うん」「わかったー!」と、ティモとエルノが元気よく返事をする。


「じゃあ、行ってくる」そう言って、バルゴたちは出発して行った。


 ライチはそれを見送りながら、ビニール袋もどきたちの入った袋を開いた。


 食卓の上には、昨日作った半透明の袋が並べられていく。


(この村で呼んでもらう名前を考えないとな)



 ビニール袋に近いのは、「ポリエビニール袋」?

 少し厚手で弾力のあるのは、「ポリエシリコンバッグ」?


 ライチはしばらくそれらを見つめ、ひとつ深呼吸をした。


(この袋……いつかは製法を広めてもいいかもしれない。でも、家族にまだ一円も送れていない現状では、製法は伝えず、専売にさせでもらった方が良さそうだ)


 そっと袋のひとつを手に取る。


(この袋に関しては、製法と、製法に繋がる「ポリエ」という名を伏せておこう)


「となると……うーん。

 ビニール袋は【フィルム袋】。

 シリコンバッグは【グミバッグ】と呼ぼうかな」


 名付けの儀式も終わったので、さっそく作業を始める。


 粉ミルクを販売するには、まず袋の選定だ。


 グミバッグよりも、薄く、柔らかく、口が縛りやすいフィルム袋の方が向いている。


「水はこの結び方で密封できたけど」


 袋の口をねじって、ゴムのように引きながら輪を作り、そこに輪を入れながら引き結んで、結び目の中に小さな“輪”を残す。

 紐の端を引くだけで、結び目全体がするっとほどける開閉可能な簡易密封方式だ。


 満足げに頷きながら、小さめのフィルム袋を選び、粉を入れようとするが――


「……風船みたいに口が狭くて、スプーンが入りにくいな。無理に伸ばして入れたとしても取り出しにくいだろうし」


 悩んだ末、少し勿体ないが、刃物を一本借りて、フィルム袋の細くなった口を切り落とす。

 まるで丸底のブランデーグラスのような形になった。


「うん。これなら、匙も粉も入りやすい」


 試しに五日分のミルクをすくって袋に入れる。

 日本にあった粉ミルクと違い、コップ一杯分の200mlを作るのに必要な粉は、ティースプーン一杯というところなので、一日分でティースプーン五杯、つまりこの大きな匙で一杯分が、一日分、という計算だ。


 大きな匙で一度ミルクを入れたら、袋の縁を軽くねじりながら、引っ張って結ぶ。空気が抜けないので、しっかり密閉されたようだ。


 最後に、完成した袋を両手で持って、うっとりと見つめながら、名付けの瞬間を迎える。


「ミルクの名前は……ユキダマミルク……は、だめだ。あいつは猛毒のイメージが強すぎる……」


 一呼吸。


 そして、笑みを浮かべて呟く。


「ユキミルクと、粉ユキミルク。うん、これだ!」



---



 袋に、粉ユキミルクを入れて結んでいく作業は順調だった。


 ぽってりとしたフィルム袋の中に、白く細かい粉がバサリと舞い降りるたび、ライチは小さくうなずく。


(あ、そういえば……)


 ふと手を止め、目の前の袋たちを見渡す。


(昨日寝る前に、試供品を配らなきゃって思ったんだった。いきなり売られても、買う気が起きないよな。布オムツのときと同じように、まずは使ってもらわないと)


 すぐに方向性を切り替えたライチは、梱包された粉ユキミルクを手に取りかけ……


(いや、フィルム袋は商品価値を高めるためにも、試供品には回したくないな……)


 袋詰めの粉を見て、ライチは決意する。


(うん、今日はこのまま鍋で粉だけ持って行って、村を回ろう。各ご家庭にあるカップに一回分ずつ、粉だけ入れさせてもらおう)


 台所の隅で干してあった小さめの木製のスプーンを手に取り、出発の準備を整えていると、マーヤが声をかけた。


「どこか行くの?」


「はい。ちょっと村を回って、粉ミルクの試供品を配ってきます。まずは使ってもらって、反応を見ようかと」


 ライチが答えると、マーヤは「そっか」とうなずき、シーラをひょいと抱き上げた。


「それなら、ちょうどよかった。あたしは今まで作った糸を巻き直して機織り機にセットしたくてね。シーラ、連れてってやってくれない?散歩がてら、おんぶして回ってきてくれると助かるよ」


「もちろん。任せてください」


 ライチはマーヤと交代でシーラを抱き上げる。

 オムツは装着済み。お散歩中の悲劇……!も、無くて済みそうだ。


「さ、シーラちゃん。今日は配達員さんだよ。一緒にがんばろうな」


 おんぶ用の紐かけをマーヤに手伝ってもらいながらシーラを背負うと、彼女はご機嫌な顔で「だ!」と声を上げ、ぺしぺしとライチの背を叩いた。


「行ってきまーす」


「いってらっしゃい。よろしくね」



---




「♪あるくぞ あるくぞ おれたちゃ げんきぃ〜 あるくのは だいすきぃ〜♪」


 散歩にふさわしい歌をテンポに合わせてシーラに歌ってあげながら、鍋と匙を持って歩く。

 背中におぶったシーラはとても機嫌がよく、揺れに合わせてきゃっきゃと声を出している。


(いい看板娘だな、ほんと)


 だんだんと見慣れてきた、赤ちゃんのいるご家庭のお家。

 ライチは家にいた母親たちにミルクの説明をする。基本的にどこのご家庭も在宅していて、機織りに精を出しているようだ。

 栄養満点で病気をしない(かもしれない)良いものであること。口当たりの柔らかさ。混ぜやすさ。パン粥との相性。お湯で溶かしてから人肌まで冷やすこと。保存が効くこと。そして――


「こちらのシーラさん、昨日の夜も、今朝も、バクバクこのユキミルクのお粥を食べました。ご覧の通り、元気もりもりご機嫌さんです!」


 そう言って背中のシーラを少し揺すって見せると、どの家でも母親たちが気の抜けた顔で笑った。


「ありがとう、マーヤがシーラに飲ませて、ライチがくれるなら、良いもんなんだろう。さっそくうちでも飲ませたり食べさせたりしてみるね」


 そういったありがたい言葉と一緒にオムツのご感想も届く。


「そうそう、この間の布オムツも、ほんとありがたかったよ!」

「二枚じゃ全然足りないから、結局履かせてない日も多いんだけどね!ははは!」


 それを聞いたライチは苦笑しながら頷く。


(マーヤさんも、よくシーラちゃんに履かせてないもんなぁ……ああっ待って、そこではやめて〜!……って思うこともまだまだよくあるし)


 そんな話の流れで、あちこちの家からぽつぽつと、古い布や雑巾を差し出され始めた。


「じきにポリエクロスができてくるし、うちのボロ布ももういらないから、オムツにでもして使ってよ」

「これ、雑巾用にしてたけど、よかったら役立てて。布オムツや粉ユキミルクのお礼にもなんないけど」


 こんなもんで……と少し申し訳なさそうな顔で差し出されるが、ライチはしっかりと受け取った。


「本当にありがとうございます!必ず大事に使わせてもらいます」



---



 ライチとシーラが保管庫の前を通りかかると、陽の下に出された大きな織り機の前で、カヤがリズムよく布を織っていた。

 トンカシャン。トンカシャン。――織られていくのは、美しいポリエクロス。


(織機ってこんなにスピード出るもんなんだ……。いや、カヤさんがすごいのか)


 ライチはしばらく見とれていたが、布と言えばカヤさんだ。いまだにオムツの量産には至っていない。意を決して声をかけた。


「カヤさん!」


 カヤははっとして顔を上げると、機織りの手を止め、ぱっと笑顔を浮かべた。


「ライチ!シーラ!いいところに来たね! ね♡ポリエクロス、すごいでしょ♡ずーっと布のことばかり考えちゃって、あたし全然寝る気が起きなくてさ!あはは!ちょっと変な感じだったらごめんねー!」


「すごいです。まさかここまでの布になるとは……」


 目をうっとりとハートにさせながら織れた布を撫でるカヤに、ライチが続ける。


「……あの、実はちょっとお願いがあって。布オムツってやつを、何枚か作りたくて。高級品なんで、無理にとは言わないんですが、もし、使ってないボロの布があれば、いただけないかと思って…」


 カヤはぱちんと手を打った。


「布オムツね!ボロ布でできるらしいね。そりゃそうか、布はまだまだ欲しいよね。ニ枚じゃ全然足りないものね」


 ふふ、と笑ってから、軽く首をかしげて言った。


「今ね、ポリエクロスをたくさん織ってるところなんだけど……これがあれば、あたし、もう前のボロ布なんていらないの♡」


 そう言って、くるりと踵を返す。


「ちょっと待ってて!家にあるやつで、すぐに使わないのはぜーんぶ持ってくるから!」


「えっ、いいんですか……!ありがとうございます!」


 カヤは嬉しそうに軽く手を振って、風のように家へと駆けていった。


 ライチは、シーラを背負ったまま、織機のそばに腰を下ろす。


(これで……また何枚か作れる。助かるな)



 やがて戻ってきたカヤは、両腕いっぱいに布を抱えていた。


「これでたぶん、オムツがたくさんできると思う!使って!」


「こ、こんなに?!まだまだ着れる服とかもありますよ?!一生に二着とかの高級品なんですよね?!」


 予想をはるかに超えた大盤振る舞いに、渡されたライチの方が尻込みしてしまう。


「そうよぉ、その服はあたしがちゃちゃっと織って作ったやつだけど、糸を撚るのはほんと大変だったわ……。

 でも!あたしってば今は別のカ・レに夢中なの♡前のコは思い出として大事に胸に取っといて、サクッと次の目的に使っちゃお!」


 カ・レ、は、もちろんポリエクロスのことだ。つつーっと色っぽく布を撫でながら熱く語っている。


「ありがとうございます。必ず良いものを作って、みんなに届けます」


 ライチは深く頭を下げて、丁寧に受け取った。



---



 試供品配り兼、古布集めを終えて家に戻ったライチは、食卓の上に粉ユキミルクの入った鍋と、大量の布を置き、マーヤに声をかけた。


「ただいま帰りました。試供品の配布も全部終わりました」


「おかえり。シーラは、どうだった?」


 背中のおんぶ紐からそっとマーヤにシーラを託しながら、ライチは笑った。


「と〜ってもおりこうでしたよ。ずっといい子で」


「そう、よかった。……えらかったね、シーラ。おりこうさん」


 頭を撫でる母と、心地良いトーンのライチの声に、シーラはくすぐったそうに笑い、小さな手をパタパタと振った。


 そこで、マーヤがようやくライチの持ち物にツッコミを入れる。


「……で。どうしたんだいその服とか布の山は。買ってきたの?」


「いえ、いろんな人が、思った以上に分けてくれて」


「これは、昔にカヤがうまくできたって自慢して回ってた服だね。このまま丸ごとくれたって?」


「そうです。『もうポリエクロスが織れるからいらないの♡』って」


 マーヤは目を丸くして、それからぱっと笑顔になった。


「ははは、さすがカヤ!忙しそうなライチに頼めてなかったけど、布オムツ、全然足らないんだ。これで作ってくれたらありがたいよ。あたしも手伝うからさ」


 その言葉に、なんだか胸がふわりと軽くなって、ライチは「ありがとうございます」と少し照れながら頷いた。


「もし手に負えなかったら、助けてやってください。じゃあ、ちょっと材料のミズヨリグサの様子を見てきます」


「あぁ、行ってらっしゃい」


 ライチは布を全て抱えて、家の裏に回り、軒下に干していた未加工のままのミズヨリグサの前に立つ。


(……ミズヨリグサに、布も揃った。父性エネルギーも、十分なはず……よし)


 ライチは深呼吸して、心の中で赤ちゃんたちの笑顔を、そしてプリティな桃のお尻を思い浮かべた。


「みんなの桃は俺が守る!!クラフト……ポン!」


 ふっと周りの風が止み、視界にあたたかな光が広がった。


 次の瞬間、頭の中に文字が浮かび上がる。


《父性クラフト:布オムツ(ミズヨリグサ仕様)》

《制作数:五十三枚》

《クラフト 成功》


 目の前に、ふわふわの布オムツがずらりと五十三枚も並ぶ光景は、圧巻だ。

 何回やっても『俺はSUGEEE魔法使いだぜ!』感が強い。


「良いぞ、良いぞ!」

 ライチは思わず拳を握った。


(これでまた、たくさんの赤ちゃんのお尻を守れる……!)


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