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第16話 機織り

 薄明かりが窓の隙間から差し込み、板間の空気をやわらかく染めていた。

 鳥の声が聞こえはじめた頃、ライチは布団を肩からずらして体を起こす。


 昨夜作った糸の山が、食卓の上で静かに待っている。くねくねと束ねたそれらは朝日をキラキラと跳ね返している。


 隣の布団でエルノが身体を起こす。寝起きの髪があっちこっちに跳ねている。


「わあ……これ、ぜんぶ、糸?」


 開口一番、エルノは目を丸くして、ぱっと土間に下りた。糸の山に近づく。そっと指先で触れた。


「昨日の夜、ひとりでやったの? ぜんぶ?」


 ライチは布団から出ながら、何とも言えない顔で笑う。

「途中で寝たけどな。でも、まあ、なんとか」


 その後ろから、他の四人も土間に下りてきた。


「嘘でしょう……」「どうなってんだ?」「ライチ、すご〜い!」


 かなりの量の糸に、マーヤはシーラを抱いたまま、心配そうにライチを見た。


「ライチ……もしかして、寝てない?」


「いえいえ、ちゃんと寝ましたよ、ほら、こうして元気だし」


「だといいけど……あんまり、無理はしないようにね」


 本当に無理もせず、素材と溢れ出る父性エネルギーだけを使ってぐっすり安眠をしたライチは心が痛かった。



 マーヤとバルゴはシーラをあやしつつ朝の支度を始める。

 ティモとエルノは興味津々で、糸の山の周りをぐるぐると回っていた。


「これ、巻いて使うんだよね?ぼく、手伝っていい?」


「めちゃくちゃに長い二本の糸なんだ。マーヤさんが言う長さに切ってから巻いてくれると、無駄がなくてありがたい」


「この長さで二本なのかい?!それなら、巻かずに機織り機で使う長さで切ってもらおうかな。ティモ、エルノ、朝食までにできる分だけでいいから、いつもの切り方で頼むよ」


「はーい!」


 マーヤが言うと、ティモとエルノは糸の山を持って、そのまま家の外に出て行く。朝食の準備を二人にお願いして、ライチもついていく。


 ティモが手早く、しっかりとした木に、V字に切れ込みの入った木材をくくりつける。エルノは木材を支えるなど、そのお手伝いをしている。

 五メートルほど離れたもう一本の木にも同様に木材をくくりつけると、ティモは糸の端を持って片方の木材にくくりつける。そして、糸山から糸を引いて走り始めた。

 切れ込みに糸を引っかけては五メートル走り、また切れ込みに糸を引っかけて五メートル走る。

 四分の一の二十メートルシャトルランといった様子で、何度も走って往復している。


「二本あるなら二本同時にやりたいけど……もう一本の端がよく分からないね」


 エルノが糸山を見下ろす。確かに、逆にティモがよく一本の端を見つけられたな……という風情の一塊の糸山だ。次にクラフトポンするときは、せめて巻芯も用意して、「ポリエ糸の糸巻き!」と念じてスキルを使ったほうがよさそうだ。


「エルノ〜 交代しよ〜」

 お兄ちゃんとして弟に仕事を譲りつつ、大して息の上がっていないティモが休憩する。


 二人である程度巻けたところで、

「これで、切る前に何ヶ所か結んでおくと、からまらないんだよ」

そう言いながら木材と木材の間にピンと張った糸を紐で束ねていく。最後にはティモが糸の端の木材近くを二ヶ所、ナタでスパッと切った。


(五キロメートル×二 も作っちゃったから……げ。二千回も、五メートルランをするってことか……?!

 二十メートルシャトルランなんて、小学一年なら、二十回とかそんなんだろ……シャトルラン五百回て……。

 うん。責任取って俺も手伝おう)


 そう決意して、ライチも糸切りに参加させてもらった。




---



 久々のしっかりした運動をしたあと、素朴なパンと豆と野菜のスープをいただく。このあと糸切りに忙しくなる子供たち二人の体を早くあけるために、ライチも朝の水汲みの仕事に参加した。

 水場で洗濯する音や薪を割る音があちこちで聞こえる。


「……素材集めかぁ」


 最後の水を水瓶に入れつつ、ライチは呟く。


(まずは村長さんに次のベトノキの樹液がもらえないか聞いてみるか)


 さっそく糸切りに走る二人を見送り、機織りに縦糸をセットしているマーヤと床で遊んでいるシーラをに一言告げて、ライチは村長の家に向かった。


 道中、村の外れに小屋の建設が始まっている場所が見える。すでに何人かの男たちにより柱が立って屋根板が持ち上げられている。

 あれが自分の店になるのだと思い、胸の奥が少し熱くなった。


 村長の家は村の中央にある。広めの木造の家。村長は家の外の椅子に腰を下ろしていた。


「おお、ライチ。よく来るな」


「おはようございます、村長。少し、お話を……」


 ひとまずベトノキの樹液が欲しいことと、このままだと村中ですぐに素材が足りなくなりそうだという話を切り出すと、村長は頷いて立ち上がった。


「なるほど。……実はな、他にも、『この調子じゃ、すぐなくなっちまう』って家がいくつか出てきてんだ」


「やっぱり……」


「樹液もネバリダケも、今回で採れるだけ採った。樹液は切れ込みを入れる場所を変えて瓶を付けて今も集めてはいるが、初めほどは採れねぇな。ネバリダケはこれ以上採りすぎると次が採れねぇ。

 さらに森の奥に入って、生えてるところを探さねぇとだなぁ……」


「素材探しなら、もしかしたら少しはお役に立てるかもしれません。よかったら連れて行ってください」


「……この森に慣れてないだろうに、不思議なことを言う男だな。まぁ、今に始まったことでもねぇか。ついてくるのはいいけどよ、今はお前の小屋を建ててる最中だろ。あそこに男手を使っちまってる以上、探索はそのあとになるだろうな」


 村長は空を仰ぐように言った。


「そっちが落ち着いたら、手の空いた者をつれて、すぐ行く予定だ。樹液の方は切れ込みの入れ方も工夫して、木を傷つけず長くたくさん取れる方法を見つけていかねぇとな」


 そう言うと、村長は保管庫の方を顎で示した。


「とりあえず、少ないが、今採れてる分の樹液は持っていくか?」


「いえ、貴重な森の恵みで、今は村の皆さんの共有の財産なので、次が見つかったらまたいただきにきます」


 そう言って深く頭を下げると、村長は「気張りすぎんなよ」と笑って手を振った。



---



 帰り道、来る時に遠目に見ていた村の外れに向かった。


 そこには、すでに柱が立ち、屋根の骨組みとはめ始めた屋根板が影を落としていた。昨日朝は何もなかった場所に、店の形が見え始めている。


「おっ、来たな、ライチ!」


 屋根の上から男性が手を振り、大きな板をはめ終えて、軽快に降りてきた。


「ここが、お前さんの店になる場所だぜ」


「素晴らしいです。もうここまで……」


 ライチは感嘆の息を吐く。壁の一部にもすでに板がつけられ、陽が板の隙間からまだらに差し込んでいる。


「今日のうちに屋根と壁を張り終わっちまいたいな。午後には商品台や棚を組んで、店っぽくしといてやるよ。寝られるように藁山も、だったな」


「お世話になります……!俺も手伝わせてください。自分の小屋なんで!」


「お、言うじゃねぇか。じゃあこの板、こっちに持ってきてくれ」


 ライチは木材の束から板を一枚抱え上げた。初めての建築作業、しかも自分の店。重さよりも気持ちが前に出て、自然と足が軽くなる。


 若者たちと並んで、ライチは木を運び、柱に彫られた溝に壁板をはめ込んでいく。釘がないこの村での見事な建築技術に触れ、感嘆のため息が、ほぅと漏れる。人へ板を手渡したり、はめ込みを手伝ったりと動き続けた。


 気づけば、壁より先に作業が始まっていた屋根板がすべてはまっており、あっという間に形が整っていく。


「ほんとに……お店になるんだなぁ」


 胸の奥にじんわりとした実感が湧きあがる。


「ライチ、そろそろ帰っていいぞ。俺らも飯にするし」


 男性の声に、ライチは汗を拭いながら笑った。


「はい。午後は布を織るのにチャレンジしてみたくて。――午後もどうぞよろしくお願いします!」


 背を向けて手を振ると、現場から明るい笑い声が返ってきた。



---



 昼食を終え、食器を洗って片付けると、マーヤが立ち上がった。


「よし、布を織れるようになりたいんだろ?やろうか」


「本当に、いいんですか」


「もちろん。せっかくライチも引いた糸だ。ほんの少しでも織って布になったら、嬉しくなるよ」


 マーヤが案内してくれたのは、居間の端に置かれた小ぶりな織り機だった。がっしりとした木枠に、ぴんと張られた糸。これまで自分たちが巻いてきたものが、こうして自宅でも使える形になると、急に“布”が目の前に近づいてきた気がする。


「これが、縦糸?」


「そう。糸を縦糸が通る場所に綺麗に並べたら、奥にあるローラーで手前にある分がほとんどなくなるまで巻いておくんだ。織るときにはどんどんローラーから手前に引いて出していく形だね。カヤが今織ってるような大きな村の織り機じゃなくて、これは家庭用だから、縦糸の数も少なめだね」


 それでもものすごい数の糸が垂れている。カヤの使っているものの五分の三……三百本くらいの数に見える。


 マーヤはピンと張られた縦糸を、手作業で上下に分ける。偶数は偶数で棒に引っ掛けてあり、奇数は奇数で掛けてある。その棒を上下にある出っ張りにかけると、縦糸が上下に分かれ、間にすっと隙間ができた。


(カヤさんが足で踏んでギッコンバッタンやってたからそのイメージだったけど、家庭用のは手動で上下を切り替えて織っていくのか)


「この楕円の木は横糸のシャトル。中央の棒に横糸に使いたい糸を巻いたら、縦糸が上下に分かれてる隙間にシャトルを通すんだ。通した糸をこの棒でぎゅっと手前に引き込むと、ほら、一回織れたよ」


 そう言って、マーヤはシャトルを手に取り、布を織る様子を実演してくれる。


 右から左に通して、打ち込んで、糸の上下を入れ替えて、今度は左から右に通して、打ち込んで……リズムのある動きに、思わず見惚れてしまう。


「やってみる?」


「……はい!」


 ライチは腰を下ろし、手渡されたシャトルを握った。皆が高級品になると褒めそやしている布だ。変によれよれにしてしまったら申し訳が立たない。

 手汗をたっぷりかきながら、ぎこちない手つきで、横糸をそっと通し、木の板で押し込む。


「いいね。もうちょっとしっかりめに押す感じでやってみて」


 マーヤがそっとライチの腕に手を添えた。


「布っていうのはね、糸と糸を信じて結び合うようなもんだから。遠慮しないで、ぎゅっと」


「はい!」


 何度かやるうちに、ほんの少しだけコツをつかんできた。テンポアップし、手汗も減って滑りが良くなり、音が少し柔らかくなった気がした。


「……これ、楽しいですね」


「でしょ?」


 マーヤは笑ってうなずいた。

 光の差す窓辺で、織り機の前に並ぶ二人。少しずつ、白い布が形になっていく。シーラがその下で拍手を送ってくれた。



---



 日が傾き、窓の外が金色に染まり始めても、ライチの手は止まらなかった。


 しゅっ、ぎゅっ。カタン。

 ひと打ちごとに、横糸が布になっていく。手はもう慣れてきて、通して、打ち込んで、入れ替えて……の動作を自然と繰り返せるようになっていた。


「もうすぐ夕飯だよー」とマーヤが声をかけても、「はい」と返事をするだけで、なかなか座を動こうとしない。マーヤが苦笑した。


 夕食のあとは子どもたちと一緒に食器を洗い、片付けを終えると――またすぐに織り機の前に座った。


「まだやるの?」


「もう少しだけ……あとちょっと……」


 居間の片隅で、しゅっ、カタン、と軽い音が響く。子どもたちが眠る布団を敷いても、ライチは立ち上がらなかった。


「……あーもう、ライチー! うるさいぞ!子どもらが寝なくなるから、今日は諦めろ!」


 隣の部屋からバルゴの声が飛んできた。


「す、すみません……!」


 しぶしぶ織り機から離れ、ライチは布の端をそっとなでた。


(でも、楽しい……確実に、クラフトポンに近づいている気がする。これなら、ずっと続けられそうだ)


 ふと、前に保管庫でチラリと見た、小さめの古びた織り機のこと思い出す。


(あれを……今のカヤさんみたいに、俺にも貸してもらえないかな……自分の小屋に置けたら、縦糸張りのスキルも上げれるし、毎晩でも練習できる……)


(連日で申し訳ないけど、また村長に頼んでみよう)


 そんな決意を胸に、静かになった居間で、ライチはそっと深呼吸をした。


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