朝の水音が静かに響く。
「よいしょ……これで三往復目か」
ライチは水瓶に水を移しながら、呟く。村に来てから、朝の水汲みもすっかり慣れたものだ。
(水道……とまではいかなくても、せめて井戸にポンプをつけたいなぁ……ポンプ作りも極めて、『クラフトポン!水道よ通れ!』、なんちゃって)
ティモとエルノの分の水も受け取って、水瓶に移す。
(水道って、上下水道ものすごく便利だったんだなぁ……維持してくれていた現代の人たち、整備してくれた過去の人たちに、ほんと感謝感謝だ)
みんなの暮らしを良くしたい。未来で子供たちに笑っていて欲しい。
(みんな、考えることは同じなんだな)
実際に日本で最初に各家庭に水道を整備をした人たちにはもう会えなくても、その気持ちはこうして受け継がれて、正しくライチにも届いている。
(にんげんって 良いなぁ……)
予防接種のワクチンひとつ、大きくて甘い種のない果物ひとつ。ライチはそういう日常に溢れた何気ないものを見ては、ふとした拍子に、そこに込められた沢山の人の想いに、ジンと感動してしまうタチだった。
(俺も、頑張るぞ。未来の笑顔を増やすんだ!そして……あわよくば、しっかり仕送りして、リノたちにいい暮らしをさせてやりたい!)
働くことへの意欲に満ち満ちた、その時だった。
「おーい!ライチ!できたぞ、店小屋!」
昨日の男性が、家にひょっこり顔を覗かせて呼びに来てくれた。
「本当に、もうできたんですか!」
素敵な笑顔で「また見に来いよ〜」と言い残し、男性は去って行った。
「ライチの家、もうできたんだ」「うちからは出ていっちゃうんでしょ?」
こころなしかしょんぼりしてくれているようにも見える二人。
「家じゃなくて、物を売る『お店』な。夜寝る時だけ、そっちで寝ようかなって。ホラ、機織りがうるさかったりしてお邪魔しちゃうからさ。ご飯を作る場所がないから、朝昼夜はティモとエルノの家に食べに来るよ」
二人はからっと笑って、
「おかあのごはん、美味しいもんね!」「夜が静かになって寝やすくなるね」
と、さらっと流すと。じゃ、いってくるね〜とさっさと糸切りをしに駆け出していった。
(う〜ん、クセになるドライ具合。子供って前しか見てなくて、ほんといいなぁ)
そう思いながら見送っていると、マーヤが洗濯を終えて、シーラを背負って帰ってきた。シーラに水を触らせてあげたのか、腕も足も服も、泥がついている。
「お店、できたんだってね。今日からさっそくそっちで寝るのかい?」
泥んこのままでシーラを土間の床に下ろしながら、マーヤが尋ねる。
「あ……寝るのは今日を最後にして、明日の夜からは店の方で寝ようなと……。食事は、すみません。かまどもなければ調理器具もなく、貯蔵してるものもないし、畑も持ってないので、もう寄せてもらうしかないんですが……」
申し訳なくてうなだれるライチに、マーヤが笑った。
「家のことも、外の子のことも、村のためになることも、汗水垂らしてやってるじゃないか。食事くらい気にしないで、どんどん食べにおいで」
(八歳くらい年下だろうに、この包容力……!!)
思わず異世界の母と呼びたくなる優しさに、ちょっと涙の出そうなライチであった。
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さっそく村の外れに向かうと、そこには、想像以上の「お店」があった。
外観は立派な木の板で造られた建物。屋根板や壁板に隙間は見えるが、雨や嵐の少ないこの地域では雨漏りなどもそこまで気にしなくてよいようだ。パソコンや電化製品のように、濡れて困るものもあまりない。
玄関ドアは、ここではお馴染みの、左右どちらかの一辺に棒が通っていて、棒ごと回転させる方式だ。店舗だからか、住居より二回りほど扉を大きくしてくれているらしい。
金属加工のできない小さな農村では、釘や、ちょうつがいは無い。ドアは、棒の上は穴にはまっているが、棒の下は地面や鴨居に突き刺してある。このシステムだと、開け閉めで回転する度に下の地面や鴨居などが削れていく。そうすると、ガタつくし、すぐ外れてしまうようだ。それでも、皆で直しながら使っている型のドアである。
中に入る。十畳ほどの土間一間だ。しっかりとした棚と台と藁山がある。奥には窓が一つ。上辺を軸に下辺側が回転する形で窓枠に取り付けられており、下辺を持ち上げて、つっかえ棒で開けておくスタイルだ。
木の香りがまだ新しい。
「すごい……!たった二日で、ここまで?」
「用を足すときは、ちょっと手間だけど、バルゴんちの裏の便壺を使ってくれな。便壺の用意は間に合わなくてよ」
その話に返事をしながら、藁山の上の布団用の布に目が留まる。織り目の細かい、丈夫そうな布。こんな大きな布、すぐには織れないし、高価で、村に余りなど無いはずだ。誰が分けてくれたのだろう?
「そりゃ、ユイ婆が、冬用に使ってた布団だそうだ。『今は使わないし、冬までにはもっと良いものを織り上げるから、持っていきな』だとよ。糸でも持ってって、礼を言っとけよ」
(……!)
なんていい人だらけの村なのだろう。今すぐ森の奥に駆けていって、パパサーチで手当たり次第に素材を見つけてはクラフトポンをしまくって、村中にお礼の糸を届けて回りたい。
「はい、必ず。もちろん、小屋を建ててくださった皆さんにも……!」
「俺たちゃライチのポリエ布で儲けさせてもらうから、気にすんな。新しい群生地探し、一緒に頑張ろうぜ」
村の温かさに包まれながら、小屋を一周見渡す。ふと、あることに気づく。
真剣な表情になって言った。
「本当に素晴らしいです。ありがとうございます。でも、一つだけ、お願いが……」
男性が首を傾げる。
「戸の内側に、かんぬき……鍵を閉められるように、細工してもらえますか? ここは品物を預かる場所だから、少しでも安全にしたいんです」
あと、俺の貞操も。
「あぁ。そんなことならすぐできるぞ。今やってやるから、待ってな」
そう言うと、男性は刃物でちょいちょいと、扉の両側と、そこに続く壁板に溝を掘った。
「ほらよ。この溝に板でも棒でもはめ込めば、扉は回転しなくなるぜ。板なら後で置いといてやるよ。自分が外出してても鍵をかけていたいなら、そこの窓から出入りするんだな」
(はは。まさか、宝物庫で見たにょっきり村長の構図が、自分の店にもやってくるとは、思ってもなかったな……)
ライチはそんなことを考えながら、深く頭を下げた。
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その後、ライチは村長の家に足を運んだ。家に着くと、村長は畑から戻ってきたところだった。
「おう、ライチ!どうだった、小屋の具合は?」
「ありがとうございます、村長!おかげさまで、あっという間に、ものすごく立派なものができました。皆さんからは資材と人手、ユイさんからは、お布団をいただいて……必ずお礼をしに行きます」
喜ぶライチに、村長も嬉しそうに顔をほころばせた。
「で、あの、毎日で申し訳ないんですが、今日はもうひとつお願いがあって……」
ライチは村長に、保管庫に眠っていた機織り機をしばらく貸してもらえないかと頼んだ。村長は少し考えた後、頷いた。
「村の機織り機か……。でかいやつはカヤが熱心に織ってるやつだな。あのもう一個の小さめのやつか。それなら、すぐに貸してやるよ。冬でそれぞれが家にこもらないといけないときのための予備として保管してあるものだ。大切に使ってくれるなら問題ねぇ。村の連中に頼んで、一緒に運んでもらってきな」
村長はいつもライチのお願いを快く了承してくれる。アニキ!と仰ぎ見たくなる風格に、圧倒される。
(精進しよう……)
とライチが心に誓っていると、村長から伝達があった。
「そういや、早速、明日の朝食後から、森への探索に行くぜ。広場南に集まっとけ。昼メシ持参だから、マーヤに頼んどけよ」
ライチは元気よく返事をすると、何度も頭を下げながら村長宅をあとにした。
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村長が集めてくれた村人二人がライチの手伝いを快く引き受けてくれ、三人で保管庫に向かう。
シュッギュッカタン、シュッギュッカタン
保管庫の見張り番のように、今日もカヤが扉の前に機織り機を運び出して機織りをしている。足踏み機能付きの大型の機織り機は、ライチでは足元にも及ばないものすごい速さで布を織り上げている。
「あら、ライチ、と、あんたたち。今朝も世話になったね。また片付けるときもよろしくね」
「俺ら、毎日カヤに言われて、保管庫から機織りを出し入れするのを手伝わされてるんだよ」と、一人の中学生くらいの男性が教えてくれる。
「早く自分の家ので織ってほしいんだけどね」
隣の男性が続けると、カヤが作業の手を止めないままで、
「横幅もでかいし、足踏み式はこれだけなんだからあーだこーだ言わないの!売り上げからお礼するから、楽しみにしてなって!」
男性たちは肩をすくめて笑うと、門番がいるせいで扉が開けっ放しになっている保管庫の中に入っていった。保管庫の扉は、大きなものも出し入れできるよう、二枚扉の両開きになっているようだ。
奥にあるほこりをかぶった小ぶりの機織り機を手に取ると、ひょいと持ち上げる。大人一人でも持ち上げられそうな重量感だが、大きさはあるので二人で運ぶのが無難だろう。
中学生二人にだけ持たせるわけにはいかない。ライチももちろん一緒に持ち、談笑しながら店小屋まで運んだ。
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日が高くなり、ライチはバルゴ家に戻って昼食の用意を手伝っていた。
「糸、切り終わったよー!」「汗かいた〜!」
帰ってきた子どもたちが嬉しそうに報告してくれる。
「長い糸を作り過ぎちゃったから、たくさん走らせちゃったな。ありがとう。そんな君たちには……」
昼食作りの手を止めて、ライチが二人を扉の外へ連れて行く。
「はいっ!スーパー空中ブランコへの特別乗車チケットを差し上げまーす!!」
「どうぞ。どうぞ」とエアでチケットを配るふりをするライチ。
「ご乗車にはチケットが必要です。はい、ここにタッチして」
「ターッチ!」「たっち!」
「はいっ、それでは、スーパーで楽しい空の旅をお楽しみくださいぃぃぃ〜」
「あははは!ぜんっぜん何言ってるか分からないけど、面白い〜!」「もう一回やってぇ〜!」
ライチは二人に自分の両腕を持たせ、腕を上下に上げ下げしながら回転する。
「はい、チケットをどうぞ」「タッチ!」「たっち!」
五回くらい連続でさせられて、完全に目が回ったところで、「昼ごはん、できたよ〜」と救世主のマーヤが呼びに来てくれた。
(二人と体重が軽くて握力と体力が凄いから、現代日本で三十二歳の俺が太刀打ちできる相手じゃないな)
そう思いながら、ライチは汗をぬぐった。