目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話 川川の字

 へとへとになりながら皆と席に着き、美味しく食事をしつつ会話をしているところで、

(いい天気だなぁ〜)

なんてふと思い、おもむろにズガーンと忘れていたものを思い出した。


「あーーっ!!ユキダマソウ!干し場に干したまま忘れてた!」


 ライチは思わず立ち上がりながら叫んだ。お粥を食べているシーラが目をまん丸にしている。


「あぁ。それなら、夜にはしまって梁にかけておいて、朝には干し場に戻しておいてるぜ」

と、しれっとバルゴが答える。ティモもエルノも頷いている。


「あ……え……ありがとうございます、みんな。助かります。夜露とかがついちゃってたら大変だと思って……」


 ティモが笑顔で言った。


「ライチも頑張ってるし、これくらいなんてことないよ!」


 ライチは心から感謝し、改めてバルゴ家にお世話になれたことのありがたさを感じた。昼下がりには干し始めてから丸二日だ。夕方にでも回収しておけば、実を砕いて粉にできるだろう。



---



 昼食の片付けのあと、ライチはマーヤにお願いして、店小屋に運んだ機織り機に縦糸をつけるやり方を教えてもらうことにした。


「いい店じゃないか。楽しみだね」


 マーヤがまだ何の商品もない店でも、褒めてくれる。シーラはさっそくはいはいで藁山に突っ込んでいる。楽しそうだし冬用ぶとんでもスカスカで、窒息の心配は無さそうだが、もちろん目は離さないでおく。


「よし。やるか」


 マーヤは気合を入れると、説明をし始めた。


「まずは、長さを切りそろえた糸をそろえて半分に折るよ。この折った長さが、出来上がりの長さね」


 サラリと言われたが、いきなり糸が半分の本数でよくて、半分の長さになるのは驚きだ。

 つまり、できあがりは縦がニ・五メートル。機械の布織ゾーンの横幅が五十センチ弱。

 なるほど、何枚か使えば大人のワンピースなども作れそうな太さと長さである。


「半分に折った部分をこの棒にかけて、奥のビームってローラーにくっつけながら巻き取っていくんだ。

 で、この巻くときに糸が重なったり、交差したりすると織ってる時に地獄を見るから、この棒とか、この櫛とかに一本ずつ重ならないように通しておいて、グイグイ引っ張りながら、全ての糸が広がるようにしつつ、巻き上げる」


 端から一本ずつ、上を向いた櫛のような部品にかけていく。三百本もの糸を端から並べたことないライチには、ものすごくチマチマと面倒な作業に思える。


 それでもライチが慎重に糸を並べると、マーヤは頷いて、次の手順を示す。


「このままだとすぐに糸に掛けたテンションが緩むから、綾返しってかけ方でひねりながら棒にかけて、できるだけテンションが抜けないようにする。

 それができたら、糸の順番を崩さないようにしながら、ビームに巻き取っていくよ。

 糸が緩むとすぐ交差しちまうから、何度も引っ張り直しながら、糸束を揺らして、糸を順番通りにバラけさせるんだ。機械の一番手前に糸がちょうどくるまで巻けたら、ビームに巻くのはストップしてね」


「……そうそう。あんた、器用だよ。筋がいいわ」


 マーヤは微笑みながらも、作業の指示は一切緩めない。


「さて、次は、糸を上下に分けてくれるソウコウね。

 ソウコウは二枚。端の糸から、奇数は上のソウコウへ、偶数は下のソウコウへ、奇数、偶数……と、一本ずつ順番に、交互に通していくよ。ここが間違ってると、布がちゃんと織れなくなるから、順番を見誤らないように、落ち着いてやろう」


「……これ、全部順番に上下に分ける……?!これは気が遠くなりそうだ」


「でも、一番大事なところだよ。慣れたら手が覚えるよ」


 ライチは無言になって、真剣に糸を通し始めた。


 ようやくソウコウに通し終わると、シーラと遊んでいたマーヤに声をかけた。目がチカチカする。


「さて、次はオサ通し。このオサは、最後に糸の間隔を揃える櫛みたいな道具ね。これがないと、結局最後に織り込むときに、糸が重なったまま織っちまうからね。これも、目の数に合わせて、端から一本ずつ順に入れていくよ」


(三百本を端から順に何回通すんだ……)


と、クラクラしながらも、レベルアップを目指して必死に食らいつく。


「よし。できそうだね。こうやって、奥側のビームから、ソウコウ、オサの順番で奥から手前に向かって糸が並んだまま通ると、ようやく織りの準備完了ってわけ」


 二十本ほどオサに通し始めたところで合格が出る。


「なるほど……こうやって、ちゃんと張られた糸が揃うのか」


 ライチが感心すると、マーヤは満足げにうなずいた。


「布織りはね、縦糸を張る時点でもうほとんどできてんのよ。ここまで丁寧にしてあれば、あとは楽しく織れるはずさ」


 機の前に立ったライチは、整然と並んだ縦糸を見て、思わず唸った。


「これを全部……人の手で、って考えると、布って本当にすごいな」


「でしょう?だから高くで取り引きされるのさ。……さ、あたしらは今日はここまでだ。夕食の準備をしに帰るね」


 マーヤは藁山で転がっているシーラをひょいと抱き上げる。


 ライチは頭を下げてお礼を言いながら、また後で!と手を振った。



---



 夕方までオサに糸を通し続け、なんとか縦糸張りが終わったライチは、急いでバルゴ家へ向かった。


 扉を開けると、みんなが揃って声をかけてくれる。


「ライチ、今日はお前が家で寝る最後の夜だろ?

 飯はこれからも家で食うらしいが、独り立ちの一つの節目だ!

 今夜は、ちょっと特別なものを用意したんだ」

と、バルゴがにっこり笑って言った。


「今日は干し肉じゃなくて、おとうが他の家に頼んで、たくさん罠にかかってた春ネズミを分けてもらってきたんだ!」「生肉!春ネズミ肉!」


 子供たちもハイテンションである。


 その言葉にライチは驚き、そして感動した。


「生肉をもらってきてくれたんですか……?!」


「そうさ、今日はお前のために特別だ。ウサギ、ウサギ、宴会……とごちそうが続いてるが、問題ねぇ!ライチがそれだけ村を豊かにしてきてくれてるってことだ!

 大人は少しだが酒を飲むし、子どもたちは果物をつぶしてジュースを作ったぞ。乾杯だ!」


 笑顔が煌めくような乾杯が終わると、授乳のためにジュースを飲んでいたマーヤが、立ち上がってライチに声を掛ける。


「ほーら、旅のお方よ、石炉をご覧あれ。血と内臓を抜いて洗い、毛を焼かれ、塩を振られ、ハーブを揉み込まれ、炭火で皮をパリパリに焼かれた春ネズミが、こちらだよ〜」


「あぁ〜!おいしそう〜!」子供たちが先に耐えきれなくなって身体をゆらゆらと揺らす。


 火から下ろされた春ネズミは、皿に乗せられ食卓へ。

 炭火でこんがりと焼かれた春ネズミの丸焼きに全員が集中する。


 焼き上がった皮は香ばしくパリパリとしており、ところどころに振られた貴重な粗塩が脂と混ざって艶めいている。干し肉とは違う、生肉ならではの香りが立ちのぼって、ライチの鼻を喜ばせた。


「これが……春ネズミ……」


 初めてだと言うと、一口目を譲られ、じっ……と期待の眼差しで見られる。


 お口を大きく開けて絶命しているネズミさんのお顔とこんにちはしながら、恐る恐る太もものあたりを一口かじる。

 皮の香ばしさのすぐあとに、じゅわっと広がる脂の甘みと、爽やかな香りが口いっぱいに広がった。野を駆け回って若葉や木の実を食べて育ったネズミだからだろうか、獣臭さはほとんどなく、むしろ鶏のようにあっさりとしている。


「ライチ!背中のとこが一番うまいんだぞ!食え!」


 待ち切れない!といった様子でバルゴにすすめられる。


「んんっ?!背中、う、うまい!!なに、塩焼き鳥?!」


 焼き鳥屋のちょっと硬めの部位の塩焼き鳥を思い出す旨さである。これは……ビールが欲しい!!


 喜ぶライチに満足した皆が、ライチのかじった焼き春ネズミをどんどん分解していく。パンもスープも木の実も並べられていく。

 さっそくティモが春ネズミにかぶりついて、口の端に脂をつけている。エルノも黙々と夢中でかじっていた。


「ライチとごはん食べるの、美味しいし楽しい!来てくれてありがとう!」


 子どもらしい現金な物言いに、ライチはおもしろ嬉しくて、大笑いしてしまった。





---




 夕食の片付け後。

 ライチはバルゴ家の板間で、いつもの藁布団の準備をしていた。今日でこの家に泊まるのは最後だ――そう思うと、胸の奥がぽかんと空いたような気持ちになる。


 子どもたちは先に布団に飛び込んで、くすくす笑いながらライチを見ていた。「となり、となり!」とライチの分の場所を空けるティモとエルノを、両脇に収納して、ライチは思わず笑ってしまう。


 その後、エルノの隣のマーヤがシーラをそっと寝かせて端に下ろすと布団に入り、最後にバルゴがシーラの更に端にどっかと横になる。

 ティモ、ライチ、エルノ、マーヤ、シーラ、バルゴと、川川の字である。今夜はいつの間にか、家族みんなの布団とライチの布団がくっつけられていた。


「最後の夜くらい、子供らのせいで寝苦しくても我慢してくれよ」とバルゴが言い、マーヤが「あんたが一番大きくてうるさくて寝苦しいのよ。シーラが起きるでしょ」と笑う。


 そのやりとりが、今までよく見た、なんでもない日常の光景のはずなのに、ライチの胸に沁みた。


 酒が入っていたせいもあって、ふわりと眠気が訪れる。けれどその前に、ライチは目を閉じながら、心の中でそっと語りかける。


(ルノ、レント、ロク、リノ……)


 日本の家族の名前を一つずつ思い浮かべた。

 そのたびに、胸の奥にぽつ、ぽつ、と灯りがともるようだった。

 寂しさも、会いたさも、ずっとここにあったのに、できるだけ見ないようにしてきた。泣いてしまっていては、前に進めないから。しかし、今は、それを素直に抱きしめられる気がした。

 温かい、人のぬくもりが、全身のあちらこちらから伝わってくる。


 今この世界で、自分を迎えてくれた家族がいてくれる。それは間違いなく、嘘ではない日々だった。


 そっと目を開けると、両隣で子どもたちが小さく寝息を立てていた。その寝顔を見ているうちに、ライチは静かに、穏やかに、眠りに落ちていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?