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第21話 村ツアー 出発前

 朝の光が、板張りの屋根の隙間から差し込んでいる。鳥の声と、どこかで小さく響く子どもの笑い声が混じる。


 昨日に比べて、体が軽い。一人だったが、しっかり眠れたようだ。だが、ふと自分の腕を鼻に近づけてみると、やはりうっすらとあの独特な匂いが残っていた。


「……やっぱ、今日も洗っとこう」


 呟いて身を起こすと、まずは朝食準備のお手伝いに向かう。


「おう、おはようさん。よく眠れたか?」

「おはようございます。ありがたいことに、ぐっすりでした」


 普段通りの光景に、ホッと脱力する。初めての一人の異世界の夜に、知らないうちに肩に力が入っていたようだ。

 バルゴ家の台所には、いつもどおりのあたたかな香りが漂っていた。


「おはようさん」「おはよ〜」「はよ〜」「うー」


 マーヤが煮込み鍋をかき回していて、ティモとエルノは朝食が待ち切れないという様子で座っていて、シーラはライチの足に掴まりにきてくれている。

 みんなに温かく出迎えられて、思わず手を合わせて朝食をいただいた。



---



 朝食後すぐに、バルゴ家の洗浄液をいただいて水浴びに繰り出した。

 村の水浴び場までは、歩いて十分ほどである。川べりに近づくと、せせらぎに混じって、人の声が聞こえてきた。早朝でない時間かつ、森の探索明けというのもあるのだろう。今日は人の気配が多かった。


(……バルゴ家以外と入るのは初めてだな……)


 川の上流側、木陰のあたりに女性たちの姿が見える。みな薄手のワンピースを着たまま、水に腰まで浸かっている。どうやら女性が全裸で体を洗うという風習はないようだ。笑い声が風に乗ってこちらに届いてくる。


 ライチはそっと視線を逸らし、男性が集まっている少し離れた下流側の茂みの陰に入った。

 そこには岩がいくつか積まれており、ちょうど視線を遮るのに都合がいい。


 辺りを確認し、素早く衣服を脱いで全裸になる。日本から共に運ばれてきたボクサーパンツは、洗ってスーツと共に置いてあるため、服を脱ぐと全裸になってしまうのは致し方ない。ズボンを二枚重ねて履いているため、きっと一枚は女性らと同様に下着扱いなのだろうが、男性陣はみんな全裸だったので、ライチも乗っかった。

 冷たい水を手ですくい、肩から何度もかける。


(心臓から遠い順にかけるんだよな。プールで習ったぞ)


 水に慣れてから、川に頭の先まで入り込んだ。そして、すぐに洗浄液をたっぷり掬うと、全身に擦り込み始める。頭や脇の下を念入りに擦って、ざぶんと潜って顔を出してから、ふうっと息を吐いた。


「……取れたのか取れてないのか……。もう何回か洗っておくか……」


 子供から言われる「臭い」は一番正直でグサッとくるワードである。なんとか言われないレベルまで臭いを落としたい。


 夢中になって洗っていると、ふと上流の方から、ぱしゃりと水音がして、はっとした。なんだか音が近いような気がしたのだ。

 ライチは慌てて身をかがめ、岩の影に背を寄せる。じっと耳をそばだてるが、女性が近くに来ているような話は聞かれない。元の場所に戻りながら、ふと、


(上流が女性ってことは、女性が下着も履かずに流したあれやこれやが、こっちに流れてきてるんだなぁ……)


 ちょっと変な妄想をしかけて、「まぁそんな話をしだしたら、魚の糞尿だって流れてるわけだし、川の水の中身なんて気にしないが吉だな」とふと考えて冷静さを取り戻した。よし、もう一回洗おう。



 何度も繰り返して洗い終えると、犬のように体を振って水滴を払う。布は貴重なので、マーヤに借りるのをためらったためだ。カラッとしており、すぐに乾くので、服を身につけた。朝の光の中、まだ濡れた髪からは雫が滴っている。


(綺麗になっていますように)


 上流は視界に入れず、水浴び場をあとにした。



---



 川から戻ると、バルゴ家の前に少年が立っていた。水瓶と袋を下げている。

 マーヤが戸口で対応しており、ライチが近づくと顔を向けた。


「お、ライチ。ちょうどよかった。村長からのお届け物だってさ」


 袋の中身は、昨日、森の奥まで採りに行ったベトノキの樹液とネバリダケを、二十の家庭とライチで分けたものだという。

 それだけではなかった。使いの少年はもう一袋、ライチに差し出した。


「これは……スピナ麻だ」


「村長が、バルゴんちとライチは分けて配るから、これも渡してやれって」


 実にありがたいお心配りだ。しかも、外皮ではなく、刈ったままのスピナ麻だ。秋に収穫したものなので、カラカラに乾いてはいるが、中にある長く引き出せる繊維はそのまま残っている。

 ライチが「もしかしたらそのまま繊維を溶かして糸にした方が、たくさん取れるかも」、と話したからだろう。

 これで糸として取れる量が増えるか検証ができる。ありがたい限りだ。



 ライチはマーヤに洗浄液の残りを返し、臭いのチェックも頼んだ。


「ははっ、臭くない、臭くないよ。よかったね」


 髪や首筋を嗅いだマーヤは、笑いながらそう教えてくれた。この言い方、大人同士だと微妙なところである。また子供たちに会ったら、臭いが取れたか確認しよう……と笑われながら考える。


「さっそく、貰った材料からポリエ糸をとりたいんで、大鍋を貸してもらえませんか?」

「かまわないよ。根つめすぎなきようにね」


 一つ実験したいことがある。手渡してもらった大鍋と材料を持つと、ライチはすぐに店小屋へと向かった。



---



「大鍋に、いつもの分だけスピナ麻とネバリダケを入れて、と」


 店小屋の戸を閉めて、窓からの明かりしかない部屋で実験を始める。作業台の上に大鍋を置くと、これまでと同じ分量だけ材料を入れてみた。

 スピナ麻は外皮だけではなく、収穫したそのままなので、パキッと折っても中の繊維がつながっている。今回は「折れた外皮をいつも通りの量大鍋に入れたい」という目的なので、中の繊維がつながっている分には問題はない。


「よし。この横にネバリダケの樹液の壺を置いて……」


 これでクラフトポンすれば、スピナ麻に中の繊維がある方が糸がたくさん取れるのかの検証になる。


「ではさっそく。クラフトポン!」


《即時クラフトに対する父性エネルギーが不足しています》

《クラフト 失敗》



「不足??」


(父性って足りなくなるものなのか?)


 とりあえず、実験をすることに夢中で、今回は使用者への愛情が足りなかった気がする。まずはそこから改善してみよう。


「素敵な糸から素敵な布を作って、子供たちを笑顔にしたい……!あとできれば、糸は五メートルでカットしといてください。クラフト、ポン!」



《父性クラフト:ポリエ糸(スピナ麻 仕様)》

《制作数:大鍋一杯分 五・五キロメートル(五メートル×千百本)》

《クラフト 成功》


 ぽんっ。



 鍋の隣に糸山が現れる。広げてもないし、測ってもいないが、おそらく五メートルで綺麗にカットされていることだろう。初めからこうすればよかった。ティモ、エルノ、すまん。


 鍋をのぞき込む。

 なんと鍋の中には「これはいらない」とばかりにスピナ麻の中身が残っていた。割けるチーズを割いたあとのような、長〜い繊維が何本も。


「五・五キロメートルできたって言ってたな。外皮だけだと同じ量で五キロメートル取れるから、一割増し、か……。中身が詰まってる割には、思ったよりは増えなかったな。

 中身はポリエ糸にはならないけど、手作業で中身を取る時に引っ付いていってしまう分の外皮側の繊維が、無駄なくポリエ糸にできる感じか……」


(普通にクラフトポンではなく、鍋で煮ていたら、スピナ麻の中身はどうなるんだろう?)


 もしそれも麻糸になるのなら、中身も取れるし、ポリエ糸が一割でも多く取れるし、みんなこっちを選ぶだろう。その辺は村長にでも試してもらおう。


「おし。残りは全部クラフトポンで……いや、待て待て。フィルム袋とグミバッグにもしないといけないんだ。ポンはすぐできるから、材料は一旦店の棚にしまっておこう」


 棚にはスーツ、布オムツ、粉ミルクの包装、ストローが乗っていて、後ろを振り返れば機織り機が横糸を張ってもらうのを待っている。



(……あ)


 これから自分で機織りをするという実感がわいたことで、今までの思い込みのミスに気づいた。


(そうか。クラフトポンで糸を全部五メートルにしちゃったら、糸が繋がったまま左右に何往復もする横糸の方には、全然長さが足りないのか……。おお、縦糸ばっかり計算してしまってたぞ……糸の必要量も倍になるじゃないか。今気づいた)


 ざっくり計算してみる。


(縦糸と同じ間隔で横糸を張るとして、二・五メートル × 三百本で……七百五十メートルの長い糸……か。全部の糸をパパサーチに頼んで五メートルに切ったら、何度も何度も繋がないとだな……。

 できるだけ継ぎ足ししなくていいように、次のクラフトでは長い糸も作ってもらって、横糸のシャトルに巻ける限界まで巻いて切るようにしてみるか)


「次回は長い糸を作ってもらうのを忘れないように!」


 そう心にメモをして、再度店を見渡す。


「そうだ!昨日の夜、照明がなくてすごく不便だったんだよな。家に入ると月明かりも届かなくて真っ暗で……。今は寝るだけだけど、夜の作業をすることも考えたら、早めに欲しいな」


(となると……)


 また村長へのおねだりだ。

 忙しい人だし、いい加減もらいすぎて断られないか心配だが、村での新生活の困りごとは、現状、村長に頼るしかない。




---



 おねだりのために店を出たライチは、まっすぐに村長宅を訪ねた。


「村長なら畑だよ」


 だが、村長は朝から畑に出ているらしく、家にいたのは掃除中の女の子だけだった。


「そうなのか、いつくらいに帰ってくるかな?」


「お昼を持っていったから、長いんじゃないかな?何?なんか困りごと?」


 小学校中学年、十歳くらいの女の子だが、さすが村長の家にいるだけある。村の声を拾おうとする姿勢が素晴らしい。


「ちょっと新しい家に足りないものを揃えたくて……君は?」


 彼女には、思わず悩みを開示してしまう貫禄が既にあった。


「あたしは、村長の末娘のアニカ。いつも面白い話をありがとうね、ライチ。

 家の中の道具で欲しいものがあるんだね。なら、私がこの村でどんなものが作られているのか、ガイドしてあげるよ。必要なものは、そのときに自分で作ってる人に頼めばいいんじゃない?ついておいでよ」


 アニカのキリリとした声に背中を押されて、ライチは思わず彼女のあとをついて歩き出した。


「じゃあ、焼き物屋のトントの家から行こっか」

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