アニカはライチを連れて、土壁に囲まれた家へ向かう。
庭の一角には、粘土と、粘土をこねるための大きな桶と、乾いた陶土の山が積まれていた。
「ここは焼き物を作ってくれる家。焼くのは年に何回かだけど、急ぎなら、交渉したらまとめて作ってくれるよ。普段は農作業が落ち着いたころに焼いてくれる感じ」
ちょうど家の主と思われる男性が庭の草むしりをしている。四十代ごろの、ヒゲがたっぷり生えた人だ。
アニカが「トント、こんにちは〜」と呼びかけると、気さくに応じてくれた。
ライチはトントに軽く頭を下げ、自分が村に来たばかりであること、近くに新しく小屋を建ててもらって、しばらく滞在していること、新生活に焼き物が欲しいことなどを丁寧に伝えた。
「そうか、ライチ、よろしくな。新しい糸の作り方を教えてくれて、ありがとな。嫁が喜んで毎日糸巻きと機織りをしてるよ。
焼き物が必要なのか?何がいるんだ?」
「とりあえず照明が急ぎでして、その他にも水瓶とか、調理に使えそうなものとか……ですかね」
この村での照明は、焼き物のドームに明かり取りの穴が開いたものだ。
一番下には火皿を入れる大きな穴が開いていて、その火皿も焼き物だ。そこに、植物油と麻紐を入れて、紐に火をつければ点灯というシンプルなものだ。
「なるほどな。そこに、ちょっとヒビが入っちまって、気に入らずに転がしてるランプがある。雑に扱わなきゃ壊れんだろう。近くに転がってる、火皿に使えそうなしずく型の小皿と一緒に持っていきな」
お礼を言いながら指差す方向を見ると、庭の片隅に山のように焼き物が置いてあった。
(どれがヒビ割れランプなんだ……?)
身動きできずに固まっていると、トントが笑いながら立ち上がって、ランプと火皿を見繕ってくれた。
「ほらよ。油までは面倒みきれねぇぞ。スピナ麻の種から取るんだ。畑屋のバルゴにでも頼むんだな」
「ありがとうございます!何かお礼を……」
「今回は糸の礼でまけてやる。次の面白いもんを作るときの糧にしてくれや」
ライチはランプを手に心からの感謝を伝えた。
本当に、この村の皆さんにはよくしてもらって、感謝しかない。
(そうか……ランプがあっても、今度は油がないんだよな)
油もとても貴重なものだ。
スピナ麻が夏につける種を集めて、年に数回、村共有のネジ式の木製圧搾機で潰し、一家庭に対して一リットルほどの油を集めているらしい。
傷口にも塗るし、酷い乾燥には保湿として使う。照明にも使うし、貴重な栄養源として少しずつ、スープの風味付けや、パンに垂らして香り付けなどに使ったりもする。
(最初、夜遅くまで照明を使わせてもらったら、バルゴ夫婦に、「本当に必要な時だけ使ってくれ」と嘆かれたっけ……)
何度も分けて欲しいとは、言いづらい。
畑の収穫のお手伝いか、物々交換で得るしかなさそうだ。心の中の買い物リストに、「照明用の油」を追加した。
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「次は木工屋ね」
そうして向かったのは、村の外れ、川沿いに建つ木造の工房だった。
「ここは木工の工房。働いてる人数も多いし、畑仕事と両方をしてる人も多いから、わりといつも忙しくて賑やかだよ。木材の水晒しや火事対策で、川べりのちょっと離れたところにあるけど、修理や依頼で、いつも誰かが出入りしてる。
工房長のリグナスは街の出身で、ここの森が気に入って、わざわざ街に住む権利を捨てて、村に移り住んできた変わり者なんだ。でも、街仕込みで腕がいいからみんな頼りにしてる」
軒先には板材と工具が整然と並び、屋根の下からは木屑とオイルの混じった、あたたかい香りが漂っている。
コン、コン、と心地よい音が響いているのが見える。ライチより少し年上っぽい、三十代後半ごろの男性が彫刻刀のようなものを手に、小さな板を丁寧に削っていた。
「リグナスー、こんにちは。新入りのライチを連れてきたよ」
顔を上げたリグナスは、木屑まみれで椅子に座ったまま、ライチを見て目を細めた。
「おう。ライチ。昨日は森で散々な目にあってたな。笑わせてくれてありがとよ。
店小屋はどうだ?うまく使えそうか?」
「はい、おかげさまで。棚も作業場も広くて、とても使いやすくて助かっています。ご挨拶が遅れてしまいましたが、本当にありがとうございました」
ライチはまっすぐに頭を下げた。
リグナスは ふ、とひとつ鼻を鳴らすと、木の粉を手で払って立ち上がり、ぽんぽんとライチの肩を軽く叩いた。
「気にするな。俺はここの森が心から気に入ってるんだ。新しい糸やらで、森の魅力を引き出してくれて、ありがとうな。他所から来たってのは、俺もお前も同じだ。よろしくやろうや」
とても気さくで是非お友達になりたい人である。
まだまだ生活の基盤が整っていなくて、今後もめちゃくちゃお世話になることをお願いして、ライチは工房をあとにした。
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「あとは、お世話になるなら、産婆……は今は関係ないね。薬屋かな」
どうやら本当に金属加工の施設はないらしい。
「お鍋とか刃物はどうしてるんだ?」
聞いてみると、鍋や刃物などの金属加工品は行商人からの購入で、これもまた、一生で二つも買えば十分、の高級品だった。
(一生で二つ……平均寿命が五十歳くらいだとしても、村人からしたら、車くらいの高級品じゃないか。ほいほい借りてごめんなさい、マーヤさん!)
ライチは心の中で手を合わせて謝罪の念を飛ばした。
「薬屋さんもあるんだね」
「薬屋っていうか、ユイ婆って年長者がいるんだけど、その人が少し病気や怪我が楽になる豆知識を教えてくれる感じかな」
「ユイ婆」さん!ちょくちょく名前は聞くが、お会いしたことのない方だ。是非、いただいた冬ぶとんのお礼を言いたい。
「ユイさんにはお世話になってるんだ。ぜひ案内して欲しい。お願いします」
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アニカはゆるい坂を登ったところにある家を指さした。
石と藁で組まれた小ぢんまりとした家。その裏手には、干された植物が吊るされ、美しい淡い染め物の布がかかっている。
「あれがユイ婆の作業場。その隣がユイ婆が家族と住んでる家。ユイ婆はたいてい作業場にいるから、こっちの家で覚えたらいいと思う」
ライチはうなずきながら、背筋を正す。
ユイ婆さんは、聞くところによると、この村の平均寿命を十年ほど超えて生きている数少ない人の一人だそうだ。「人間五十年」な寿命だとざっくり計算をして、六十歳くらいの方ということになる。
ノックをする前に、軒下からほのかに干し草と薬草の香りが漂ってきた。扉を開けると、石炉の前に置かれた織り機に向かっている女性の姿があった。
「こんにちは、ユイ婆。ライチを連れてきたよ」
アニカの声に、ユイ婆が顔を上げる。日焼けの染みとしわの深い顔に、柔らかな微笑が浮かんだ。
その手は、しっかりと糸を操っている。
「まぁ、よう来たねぇライチ。……この前教えてくれた糸、あれはほんと……心がときめいたよ。この年になって、まさか布を織るのがこんなに楽しくなるとは思わなんだ」
ライチは丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、冬用のお布団をくださって、本当にありがとうございました。とても綺麗に織られていて、暖かいです。朝晩はまだ冷えるんで、あれがなかったら寒くて震えていたかもしれません。何かお礼をさせてほしいんですが……」
「ほほ、あれは孫のマルタが使ってたもんだよ。冬までには新しい布で仕立ててあげようと思ってね。古い方で悪いが、糸のお礼だ。お返しなんかいいよ。気にせず使っておくれ」
マルタ!機織りオタクのカヤに恋する中学生男子!
「マルタのお婆さんなんですね。マルタには日頃からお世話になってます」
ユイ婆が「うちの孫が可愛すぎるばぁばスマイル」で笑みを深めた。
「可愛いいい子だろう。マルタもあんたの話をしていたよ」
多分森の話だろう。ライチは恥ずかしさで思わず笑って誤魔化した。
ユイ婆の手元には、ポリエ糸があった。少し光沢があり、なめらかで、それが織り機に掛けられているのを見ると、何とも言えない嬉しさがこみあげた。
「これかい?本当に、手が喜ぶ糸だよ。また面白いもんができたら、ぜひ持っておいで。あたしは、このときめきでまだまだ長生きできそうだよ」
薬棚には小さな壺が並んでいる。壁や梁から下がる紐には植物がたくさん引っ掛けられている。家全体が、織物と薬草の知に満ちた空間だった。
ライチは深く頭を下げながら、心の中で「染料とかも作れたら喜んでもらえそうだな……頑張るぞ」と決意を新たにした。
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「あとお世話になるなら、食べ物屋だね」
「いつも食べてるお肉やパンが気になってたんだ。パン屋さんがあるってことかな?小麦粉があるの?」
パン屋さんがあるなら是非うかがってみたい。
アニカは広い畑の方へ向かう道を指さした。
「うちの村はスピナ麻と並んで、秋蒔きで冬に育つ【トリブ小麦】をみんなで育ててるよ。ライチが来る前に収穫は終わっちゃったけど」
「秋蒔きで冬に育つ!寒さに強い小麦なんだね」
「冬に外に出られない間にほっといたら育つから、ありがたいよね。
小麦粉で……と言うより、夏に収穫したら、脱穀しておいて、食べる前にまとめて村の水車で粉にするの。粉のままだと柔らかくてすぐ虫に食われるからね」
「その都度、粉を挽くのか」
「そう。パンは、パン焼き屋の女の人たちが週に一回、まとめて焼いてくれるよ。結構な量を焼くから、みんなで手伝うんだ。余った粉は悪くなる前に、焼き菓子や団子、スープに入れたりにも使ってるよ」
(思ってたパン屋と違う……!)
あんパン、食パン、カレーパン、メロンパン、クリームパン……ちょっと想像してしまっただけに、虚しい。どう考えてもそんなパンは食べられないのは分かってはいるが……夢くらい、見たって良いじゃないか。
水車を見たいというライチの要望を聞いたアニカに案内され、川ぞいを十五分ほど歩いて少し上流までやってきた。
木造の建物が水に沿って建っており、外壁の一部から大きな水車が突き出している。水車はゆっくりと回っていた。水車の下流側には丈夫そうな橋も見える。
「ここが水車小屋。粉を挽く時に使うの」
水車を見ながらアニカが注意をする。
「水車は石の歯車とかでできてて村では作れないの。領主さまが貸してくれてるものだから、ライチも大切にしてね。
あたしたちは、水車を使わせて貰う代わりに、小麦粉とか脱穀した小麦を領主さまにお返ししてるよ」
どれくらい納めているか手で示してもらったところ、どうも一割くらいは税として納めているようだ。こうして作られた小麦粉で、貴族たちがゆうゆうとパンを食べているんだなぁ……と、なんとも言えない気持ちになる。
中に入ると、ひんやりとした空気とともに、木の香りが立ちのぼる。水車とつながった歯車の仕掛けが、空回りするように静かに動いていたが、粉を挽いている気配はなかった。
「今日は粉を挽いてないけど、水車は止めないの。止めてばかりだと苔が絡んで面倒なんだよ」
アニカがそう言って、床板の一部を指でつついた。そこから下へ続く穴があり、石臼が見えた。大きな丸い石が重なっていて、上の石がゆっくりと回っている。
「石臼は水車の力で回ってるの。この、一定にゆっくり……っていうのが、小麦にはいいんだ。熱くなるとすぐ駄目になるから」
「水車が挽いてはくれるけど、石臼の挽き加減も調整がいるの。石が擦れすぎたら粉どころか熱で焦げるし、緩いと粒が残るし。そういうのは全部、人の仕事だよ」
アニカが石臼を撫でる。どんな仕事も人の想いがこもっているのは、どこでも同じようだ。
歯車の軋む音が、静かな小屋に響いていた。
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村まで戻り、最後に回ったのが、家畜を育てている家庭だった。
「次は、鶏を飼ってる家ね」
アニカはそう言って二軒の家の庭を指さして案内してくれた。どちらの庭にも、鶏が十羽ほど、のんびりと砂をつついていた。
「卵は、この二軒が一番頼りにされてる。でもなかなか数が取れないから、交換に行っても断られることもあるよ。貴重なんだ」
「……うちには出てきたことなかったな。卵は、食べたことないかもしれない」
「あたしも、ほとんど食べれないよ。だから、卵って聞くだけでテンション上がるよね」
最後は、村長の家の裏手を少し離れたところにある豚小屋だった。柵で囲まれた小屋で、中からぶひぶひと鼻を鳴らす声が聞こえてくる。
「ここは、村で飼ってる豚の小屋。三頭いるんだ。春に生まれた子を行商人から買って、みんなで残飯を出し合って育ててる。今は生後三ヵ月くらいの子だよ」
柵越しにのぞくと、柔らかそうな体を寄せ合って昼寝をしている豚たちがいた。生後三ヵ月で既に三十キログラム以上ありそうだ。衛生的な場所で育てられていないようで、泥だらけで臭いもすごい。
「村で三頭か。ありがたい恵みだな。感謝して食べよう」
「うん。冬の前に『豚解体祭り』ってのがあるんだよ。お肉を、村のみんなで分け合って、保存食にするんだ。生肉でも少し調理して食べれるから、最高の一日なんだよ」
豚肉の解体は全然そそられないが、豚肉の生肉は非常に美味しそうである。
冬の前、半年以上先のことだ。そのころには自分はどうなっているのだろう、空を見上げて思いを馳せた。
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「思ったより長時間になっちゃったな。アニカの午前の仕事は大丈夫だったかな?手伝うよ」
そのまま村長の家まで戻ると、アニカに深く頭を下げてお礼を言った。もう昼食時だ。軽い案内のつもりが、長時間拘束してしまって、申し訳ない。
「いいよいいよ。村の人が困ってたら、力になるのがあたしの仕事だよ。村のことはちょっとは分かったかな?必要なものは揃いそう?」
「ランプももらえたし、いろんな人と顔をつないでもらったから、これから何か困ったら、自分でお願いしにいけるよ。本当にありがとう」
何度もお礼を言っていると、「もういいから帰ってご飯にしてきなよ」と追い払われてしまった。
最後の最後に付け足しで、村長への伝言を頼む。
「村長に、『中身ありのスピナ麻でポリエ糸を作ると、村が小麦粉を納める割合と同じ分くらい、糸が取れる量が増えた。中身の繊維はポリエ糸にはならず、そのまま鍋に残った。』って伝えといてくれるかな?また自分でも言いに来るけど」
結構難解な伝言だったが、一度で覚えて頷いてくれた。本当にしっかりした子だ。