待ち合わせ場所の村の中央広場には、すでに村長が腕を組んで待っていた。腰にはぽよんとフィルム袋がぶらさがっている。
「準備できたか、オイルハンター。行くぞ」
「はい!」
村を出て森以外に行くのは初めてだ。
この村の配置は、まず村の西に、北から南に流れる川がある。川には、北から、畑への水路、水車、橋、水浴び場、洗濯場が並んでいる。
橋を渡った川向こうには、森の中に川に沿って行商用の道があり、南の下流に向かうと、街があるそうだ。
方角を正確に測るものはないが、行商人との会話から、中央広場から見て東西南北だけを定めてあるらしい。
村の中央広場には井戸と洗い場と煮炊き場。そこから北にゆるい坂を登ると、ユイ婆の家、その途中には村長家がある。
広場に面した村長家横から北東には、道が伸びており、途中には豚小屋がある。
その道をさらに北上すると、広大な畑が広がっている。何度か見かけただけだが、十ヘクタール……一辺が三百メートルと少しくらいの正方形ほどのサイズがある。東京ドーム二個分くらい。これが手作業の限界らしい。はじめ見たときはめちゃくちゃ広くて驚いた。バルゴたちが、朝から晩まで泥だらけで頑張っている訳である。
中央広場から南に向かうと、煮炊き場、バルゴ家と、そこから少し離れたライチの店小屋もあり、さらに南下すると、いつもの森が広がっている。
ライチたちはそんな村を出て、西に行って川にぶつかったあと、北上した。洗濯場と水浴び場が賑わっている。さらに上流の水車の手前には、川を渡る橋があった。行商人が荷車を引けるように、領主主導なのか、太くて頑丈な橋である。行商人の荷車は、橋を渡ったあと、北東の畑の方を大回りして村の中心に来るようだが、その道は今回通らなかった。
「橋を渡るのは初めてです」
ライチはわくわくして言った。
「採集は南の森に行くことが多いからな。川向こうは隣村とうちの村の共有の部分だ。勝手に採集するなよ」
川を渡る背後には広大な畑が広がり、クワを振るう人たちの姿がちらほらと見える。
「……こっちも、もういつ種をまいてもおかしくないような畑の様子ですね」
「オレウム村も同じような時期だ。交渉するなら、ほんとに今しかない」
「種を少し分けてもらえれば、うちの畑のスピナ麻を一部、オレド麻に変えて試せますもんね」
橋を渡ると、森の中に川に沿って荷車がギリギリ通れそうな道が整備されている。オレウム村と協力して、ここも整備を欠かさないそうだ。
森の中の荷車用の道を二人でてくてくと歩く。
小石の混じった道を踏みしめながら、ライチはキョロキョロとあたりを見回す。
(クリザ葛みっけ。よしよし)
隣村でも、まずは甘い水だけはすぐ作れそうである。安心だ。
そんな確認をしながら、しばらく無言のまま歩く。ふと村長が「昨日の甘い料理の作り方って……」と聞いてきたため、道中の会話時間はレシピ伝達に費やされた。村長もアニカたちのために、油の必要性を更に痛感したようだった。
やがて森の中の道を抜け、地形が少し開けてくると、村長が立ち止まって前を指差した。
「見えてきたぞ。あれがオレウム村だ」
うちの村と同様、広大な畑が、種まきを今か今かと待っている。
「よし、行きましょう。話をつけて、帰り道にはもう植える準備です!」
「その意気だ。口だけじゃないとこ、見せてみろ、オイルハンター」
ライチはうなずくと、一歩前に足を踏み出した。次のクラフトの種は、すぐそこにある。
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グレゴル村長とライチは、畑仕事をしていた若者をつかまえて、村長へ通達を入れてもらう。走って許可を取ってきた若者が、オレウム村の村長の家まで案内してくれた。
村の中央に来ると、スピネラ村とどことなく似たような配置で、規模もよく似ていた。
村長宅は、立派とは言えないが、手入れの行き届いた家だ。通された土間には、木の腰掛けと丸太のテーブルが置かれていた。
「さて、グレゴル。お前が急に来るってのは、大抵無茶な頼みがあるときだ。一体何の用だ?」
そう言って笑ったのは、オレウム村の村長、ノギだ。年の頃はグレゴルより少し上の四十代後半に見えるが、背筋が伸びており、眼光は鋭い。
グレゴルが笑いを返す。
「お見通しだな。今日は頼みごとっていうか……相談だ。うちの畑でも油をとりたくてな。そっちの村のオレド麻――あれの種を、少し分けてほしいんだ」
にこやかだったノギの表情が一変する。
「……そりゃ、無理な相談だな。あれはうちの村が何代もかけて繋いできた種だ。そう簡単に渡してやるもんじゃない。悪いな」
即答だった。やはり簡単にはいかないか、とライチが息を呑むと、グレゴルがにやりと笑った。
「そうか。じゃあ話を変えよう。ノギ、お前んとこの子どもたちは、ハチミツは好きか?」
ノギが怪訝な顔で眉をひそめる。
「そりゃあ、嫌いな子は少ないだろうが……なんだ急に」
グレゴルが顎でライチを示す。
「まずは、お湯をもらえねぇか。コップに一杯でいい。こいつが、面白いもんを見せるぞ」
ライチが簡単に挨拶をする。ノギが訝しみながらも、家の奥に声をかけ、若い者に湯を持ってこさせる。ほどなくして、湯気の立つコップが運ばれてきた。
ライチが袋から、甘味シートを二枚取り出し、ノギに見せてから、静かに湯に沈める。何も言わず、しばらく待って、シートを取り出した。
「なんだ?何の儀式だ、そりゃ?」
入れて出しただけ。匂いも変色もないただのお湯に、ノギは一層眉間のシワを深くする。
「これで、甘いお湯になりました。よろしければ、味見をどうぞ」
ノギが、意味不明、といった表情で、湯の入ったコップを手に取り、少し冷ましてすする。
「……!?」
目を見開き、口元を押さえる。
「うちのが出したただの湯だったはずなのに……なんでだ?!ハチミツみたいに甘ぇ……!」
ライチが頷く。
「このシートは、うちの村で作っているものです。ほんの一、ニ枚で、これだけの甘味を引き出せます」
グレゴルがすかさず畳みかける。
「子どもたちに、甘いもんを食べさせてやりたいだろ?この甘味シートと引き換えに、オレド麻の種を分けてもらえないか?」
ノギは、コップを置き、黙ってしばらく天井を見た。そして、低く唸るように言った。
「……いや。やっぱり、種は無理だ。あれはな、村の命なんだ。いくら甘いもんでも、代わりにはならん。油なら、量はないがスピナ麻からも採れんだろ。それで我慢しな」
重く、だが誠実な拒否だった。
いよいよ最終局面である。ライチが、静かに口を開いた。
「……それでは、もしこのシートの作り方をお教えする、というのなら……どうでしょうか」
ノギが目を細める。
「作り方だと?」
「はい。これは俺が編み出したものなんで、これもある意味大切な、“命の製法”です。でも、実は、材料は、森のどこにでもある、普段なら見向きもしないようなものでできています。だから、そちらの村でも、きちんと手順を守ればいくらでも作ることができます。乾燥してシート化してあるので、軽くてどこにでも運べて、保存も効きます。皆が喜ぶのはもちろん、街の人も、お貴族さまも欲しがるでしょう」
「ふむ……」
「もちろん、森を荒らされるのを防ぐため、勝手に製法を外に漏らさない、という誓いは立てていただきます。ですが、村の中でこの甘味を好きなだけ作れるようになりますし、行商人相手でも、油以上に価値ある物と交換できるはずです。牛や馬なんかも買えるほどに」
「ふーーーー…………」
ノギは、長く深い息を吐いた。
そして、腕を組み、沈黙。
グレゴルも口を閉ざし、ライチも次の言葉を待った。
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かなり長い時間待ったような気がした後。
ノギは最後にしばし目を閉じてから、ゆっくりと立ち上がった。ライチに手を伸ばす。
「……よし。話はわかった。そっちがそれだけ筋を通すってんなら、こちらも命を分けようじゃないか」
ライチも立ち上がってその手を取った。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
「よくやったな!ライチ!」
二人の手を包むように一緒に握手をして、グレゴルも喜んでいる。
「おっしゃ。さっそく誓いだな。すまんが、うちの村は、自家用はともかく、他に売り上げた場合は、その二割を納める誓いにしてるんだ。揉めないように、合わせてもらってもいいか?」
さっくりと徴収率を決めていくグレゴル。
「そう言われると、合わせないわけにはいかんな」
ノギも苦笑しながら同意する。
ライチとノギは自然に、正面から向き合った。
声を合わせるようにして誓いの言葉を述べる。
『ライチは、この甘味水・甘味シートを 作ることに関して、 オレウム村に寄与すること。
オレウム村は、 甘味水・甘味シートの作り方を教わるにあたり、 作ったものを外部に売る際は 売り上げの二割を ライチに届けること。
ライチと オレウム村 村長:ノギは、神に対し、魂に誓う』
胸の奥が、ふわりとあたたかくなる。
破る気など微塵も起こらない、確かな感覚がそこにあった。
ノギがうなずき、若者を走らせる。すぐに若者は種の入った袋を抱えて戻ってきた。
「おらよ、オレド麻の種だ。失敗できるように、たっぷりめに渡しといてやるよ。
そっちがスピナ麻を育ててるような普通の畑でも育つが、もし畑が足りないなら、いっぺん川辺で育ててみると良い。
水気を嫌って腐っちまう作物が多い中、このオレド麻は特別でな。油分が水気に勝つから、かなり湿潤な土地でも立派に育ってくれるんだ。川に近けりゃ、水路で水やりも簡単になるぞ。
確か川に近い畑があった、よな?……まぁ、頑張りな」
それを受けて、グレゴルがにんまりと笑った。
「ライチ。いいことを聞いだぞ!
スピネラ村には、川、街道と渡ったあたりに、拓けた土地があるんだ。領主さまに申請して、畑として使うことを許可されてる畑なんだがな、どうもスピナ麻が水気を嫌うんで、だんだんと使われなくなってる畑なんだ。でも、許可は残ってるから申請なしですぐ植えても許されるぜ。
こりゃ、俄然、試すのが楽しみになってきたな!」
ライチは、軽く頷いて言った。
「では約束通り、製法をお伝えします」
ライチはグレゴルに伝えたときと同じように、ノギにも伝えた。
誓いを立ててくれた村人には、ここまで来て実演で教えますね。という説明も添える。
「まさか……クリザ葛でこんなに甘いものができるなんて……ミズヨリグサだって、必死に駆除してたぞ」
ライチはうなずき、持ってきた甘味シートの残り二十九枚を全て差し出した。
「こちらが持参した甘味シート全てです。スピネラ村には、まだまだこれと同じ物があります。
これを使って、村の人達を説得してみてください。次来るときには、種を分けてやってよかった、ようこそ!って思ってもらえるように。よろしくお願いします」
ノギは、しげしげとそれを見つめながら受け取り、にっこりと目を細めた。
「任せとけ。コレだけありゃ、説得には困らねぇよ。ありがとな」
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スピネラ村への帰り道。昼ご飯をかじりながら、グレゴル村長と二人で歩く。
「いや〜、オイルハンター、見事な手腕だったな。正直、ここまで来てなんだが、無理だと思ってたぞ」
「いえいえ、子供に美味いもんを食べさせてやりたい!って気持ちをくすぐってくれた、村長のおかげです」
「村に帰ったら、すぐに集会だ!甘味シートのこと。誓いのこと。オレド麻のこと。新しい畑のこと。みんなに伝えることは山ほどあるぞ!」
意気揚々とフィルム袋の水筒を煽る村長。揚々すぎて、結構な量の水を服にこぼしていたが、ご愛嬌だ。