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第35話 種まき

 今日も村人ほぼ総出での畑耕しが始まった。


 ライチも下手ながらクワを握り、汗を流して村の作業に加わる。日本のリーマンが普段の生活ではまず使わない筋肉に、早々に肩や腰が悲鳴を上げている。手のひらのまめも、すぐに破けてしまった。


「おーい、ライチ。クワ、逆さまだぞ〜。空気耕してんのか〜」

 笑いながら教えてくれるのは、隣で土を返していたバルゴだ。

「あれっ、ほんとだ……!」


 ついついキョロキョロとムカデ……スコルゲジンを探してしまい、手元がおろそかになっていたようだ。足を這われた感覚が、まだ残っている。


 今日はさっそく、足元の対策を万全にしてきている。昨日の思いつきそのままに、以前クラフトしたものの、いまだ使い所が見つかっていなかったシリコン状のグミバッグを、靴下代わりに履いてから木靴を履いてみたのである。

 結果は上々!靴擦れもせず、なかなかのフィット感である。まぁ、ご想像の通り、足裏の汗が蒸れてしょうがないのだが、グミバッグに穴を開けまくったので、通気性もほんのり確保できている。


(これなら、スコルゲジンも怖くない……ことはないけど、足の裏以外が丸出しよりは、かなり防御力が上がってる!)



 そんなこんなで、早朝から日暮れまで土を耕し、夜には藁山の布団に倒れ込む日々を送った。


 そしてバルゴが話していた予定の三日が過ぎ──ついに、川向こうの畑が完成したのであった。


「よくやってくれた!このペースなら大した遅れもなく種まきに入れるだろう!」


 自分も泥まみれになっている村長に讃えられて、皆で達成感に笑い合った。


(前は、文化祭みたいだなぁって村の皆の様子を他人事のように見てたけど……。今回は、皆と成し遂げたことが、ものすごく嬉しい。一緒に耕せてよかったな)


 手のまめにボロ布を巻きつつ、なんとかこれまで食らいついてきたライチ。

 作業の終わりの方には、「なかなか筋がいいな!様になってるぞ〜!」なんて褒められたりもしていたのだ。男三十二歳。いつ褒められても、嬉しいものは嬉しい。



---



 翌朝。種まきの日がやってきた。


 畑の前で、特大の種袋を大量に、オレウム村から背負って帰ってきた小さめの種袋三つを背にして、威厳たっぷりの村長が声をあげる。


「今日からはスピナ麻とオレド麻、両方まくぞ!村の命だ!家族の命だ!収穫まで守り抜くぞ!」


 鋭い声が畑に響く。

 村の北東には、東京ドーム二つ分、川向こうには一つ分に相当するような広大な畑が広がっている。東京ドーム一つ分には既に野菜がわんさか育てられているのでナシとして、種まき作業はドーム二つ分である。


(ものすごい量の種だな……手作業でまくなんて、何日かかるのやら……)


 種が配られるのを待つ間、世話焼きのアニカが畑のことについて説明をしてくれる。


「こっちの畑では、毎年スピナ麻と野菜を育ててる。スピナ麻は、夏には収穫できるから、空いた畑を整えて、秋にはトリブ小麦をまくの。春のはじめにトリブ小麦を刈ったら、今みたいに交代でスピナ麻をまくのね」


 北東の畑の近くに立つライチとアニカ。彼女は以前、村のツアーでも案内役を務めてくれた村長の末娘だ。


「でも畑って、連作はダメじゃなかったかな?」


 ライチの浅い知識からの疑問に、アニカはうん、と頷いた。


「そうだよ。普通の麻は栄養喰らいだから、連作なんてしても次の作物は実らないらしいね。

 でも!うちのスピナ麻は根が浅くて、縦には伸びるけど、そんなに畑の栄養を奪わないんだ。収穫のあとはしっかり糞や植物のクズなんかも混ぜて土を整えるから、続けてトリブ小麦をまいても大丈夫なの。

 トリブ小麦も、栄養はあんまりとらないし、冬の間に勝手に立派に育つ、うちの村が大切に守ってるとても良い小麦の品種だよ」


「そっか。皆の服も素敵だし、パンも、毎日食べられてるもんね」


 しっかりもののアニカが、「うちの村、凄いでしょ?」と自慢げに語ってくれるのは、実に微笑ましく、尊い。


 ライチは、畑を見ながら、この村のみんなの父母、祖父母、曾祖父母、もっと前の……と思いを馳せた。


(先輩方が、子供たちがお腹いっぱい食べれるように、未来の皆が少しでもいい暮らしができるように、って工夫してきたことが、ちゃんと今の子供たちにも届いてるんだなぁ……)


 先人たちの想いがなかったら、同じ時に同じ村に落とされたとしても、全然違う生活だったかもしれない。


 異世界に飛ばされてすぐの頃は、見ることも嗅ぐことも拒否したこの村の生活。日本と比べて、汚く、臭く、貧相に思えた。

 しかし、解像度が上がる度に、「すごい」「素敵」「ありがたい」と思うことが多くなってきた。


(これまで俺って……紡いだことのない糸で、織ったことのない服を着て、作ったことのない靴で歩いて、耕したことのない畑の、育てたこともない作物を、加工したこともなく食べて、当たり前に生きてたんだな)


 この村ではみんな自分達でしていることだ。ライチが今までやらなくて済んだのは、全て先人たちのおかげでしかない。なんでもっと感謝して生きなかったのか、その感謝を、次の世界を良くするエネルギーに還元しなかったのか……。今さら後悔してももう遅い。


(この村に落としてもらったのは、神様にもらったチャンスだと思おう。今度こそ、自分も先輩たちのように、未来の子供たちに、『すごいな。ありがたいな』と思ってもらえるような生き方をするぞ!!)


「おし!」


 種を受け取りながら思わず声が出たので、アニカを驚かせてしまった。



---



 ライチはスピナ麻の種の袋の中を覗いてみた。


(こっちも、炒って食べたら美味そうなやつか)


 オレウム村からもらった時にも思ったが、見た感じは七味唐辛子に入っていたあの麻の実である。丸くて、小石サイズで、振るとカラカラと音が鳴る。


 油用のオレド麻と、繊維用のスピナ麻、名前も用途も違うはずだが、種の見た目はとても似ていて、混ぜられたら正直見分けられる自信がない。


「スピナ麻の種は、葉をつけないで茎を伸ばしてほしいから、指四本分くらいだけ空けて、できるだけつめて、ぎゅうぎゅうにまくんだよ。

 そうそう、指で軽く穴を開けて、そこに種を入れて土をかけたらおしまいさ。一気にたくさん穴をあける道具もあるけど……あー。今は、すばしっこいのが使ってるね。こっちは二人組で、穴あけのやつと、袋から種を出してまくやつに分かれて交代ですると、腰も痛めにくいし効率がいいよ。

 このあと、水を絶やさないようにするのが一番大変なんだよ」


 種をまきながら、口は空いているみんなが、あっちからこっちから、優しくライチに教えてくれる。


「オレド麻は、広く離して種まきして、葉をたっぷりつけさせて種を太らせるそうだ。しっかり手のひらの縦の長さくらいの間隔を開けてまくらしいぞ」


 そんな声も聞こえてくる。同じ麻でも、種まきの仕方からして違うとは驚きだ。


 また別の人たちが、収穫時期についても教えてくれる。


「収穫は、スピナ麻は夏に花が咲いたらそれ以上茎が伸びないから、そこで刈り取るのさ。できるだけ長くて柔らかい時に刈って、乾燥させて糸にする。

 どうもどっかの地域では、外皮の外から叩き潰して中身を取り出すやり方をするって聞いたことがあるけど……うちのスピナ麻は乾燥すると外皮がものすごく硬くなるから、収穫時に半分に切れ目を入れといて、中の繊維だけぴーーっと引っ張り出してるな」


 花が咲いたところで刈り取るのも意外だった。なんとなく、収穫と言えば、秋ごろに枯れ草を束ねているイメージがあったからだろう。


「スピナ麻の種からも油を取るから、油用に種を成熟させる株は、はじめからオレド麻みたいに間隔を広めに種をまくんだ。あとは、翌年の種取り用の株もだな。それだけ残して、あとは繊維用で全部刈るんだ。どこが区切りかは、紐が張ってあるから見たら分かるぞ」


 立ち上がって見てみる。全体の三分のニほどは繊維用にぎゅうぎゅうにまいて、あとの三分の一ほどは種用に広めにまくようだ。


「でもさ、今年は、オレド麻があるから油用の株は置いとかなくてもいいとか……?まぁ、今年はどうなるか読めねえから、念の為例年通り、残したほうがいいのか」


「オレド麻からは柔らかい繊維は取れねぇから、秋になって全部の種が熟すまで収穫は待つんだ。川向こうの畑じゃ、水気が多くてどうせトリブ小麦は育たねぇし、次がねぇなら急ぐこともねぇしな。オレド麻の繊維は最後まで成熟させてる分、硬い。麻袋なんかにはもってこいらしいぞ」


 スピナ麻の説明に加えて、みんなが新顔のオレド麻について、あれこれ聞いた話を広げている。

 そのまま炒って食べても美味しい感じの見た目の実だ。たっぷり油が取れるのが、今から楽しみである。



---



 耕すのと違って、肉体労働でもないし、作業は簡単、なのだが……これはこれで、腰がつらくて、いいポジション探しに苦労する。

 そして、クワでガツンガツンと掘るのと違い、まいてもまいても進んだ気がしない。


「腰にくるだろ? こう、背中を丸めすぎないようにしてみな」


 近くで作業していた女性が姿勢を直してくれたおかげで、ぎこちなさも減っていった。


 種まきの合間、耳と口はとても暇である。

 ふと気になって、野菜の話も聞いてみる。


「あっちの畑にはいつごろ何を育ててるんですか?」


 暇つぶしくらいのつもりで聞いたのだが、女性からは、割と記憶力のいい方のライチでも、とても覚えきれない量の知識が返ってきた。

 野菜の名前もよく知らないのに、農村の方にスケジュールをまとめて聞いたライチが悪かった。



「野菜の種まき? そうだねぇ、順を追って教えるよ。覚えることは多いけど、慣れれば身体が覚えてくれるさ」


「まずは雪解けのころ。霜に気をつけながら、ラサ人参、ユリカブ、ベタビーツ、ラクティレタス、ハルリーキ、春まきのスロタマ、それからヴェル豆をまくよ。まだ寒いけど、土の声を聞きながらね」


「春本番になると、トリブ小麦の収穫と畑作り、麻の種まきで忙しくなるさ。ライチが来たのは小麦の収穫のあとだったね。今はこれだけ忙しくしてるけど、同時に、夏用のカペキャベツや、追いまきでラサ人参、ベタビーツ、ハーブなんかもまいてるんだよ」


「初夏は、夏用のユリカブやラクティレタスをもう一度、それに葉物野菜を多めにね。葉っぱは育ちが早いから、ちょこちょこまいて切らさないようにするんだ」


「で、暑くなり始めたら、秋冬用のカペキャベツやハルリーキの苗を育て始める。これがうまく育つと、冬の食卓がずいぶん助かるんだよ」


「夏はね、花がついたスピナ麻の収穫が一番の仕事。そのあとに、秋に穫る用のカペキャベツやユリカブ、暑さに強いラクティレタスもまいておく」


「で、夏の終わりには、秋冬用のラサ人参とベタビーツを遅まきで、それにラクティレタスも忘れずに。

 秋風が吹くころには、トリブ小麦の種まきがあって、スロタマ、アリウニンニク、ヴェル豆、ソラマメを越冬用に。あと、ハーブは株分けして増やしておくと来年楽になるよ」


「晩秋には、ハルリーキ、それにスロタマとアリウニンニクの追い播き。ここまでやって、冬の間、ようやく畑はひと息つく……ってとこさね。……な、簡単だろ?全部覚えたかい?」


「……な、なるほど……」


 早口だし、知らない名前だし、情報量も多いしで、正直何一つ頭に入ってこなかったが……とりあえず一つだけ理解した。


「俺がこの村に来たのは、小麦の収穫が終わった後だったんですね」


 畑を整えて麻の種をまく、そのちょうど狭間の時期だったようだ。


 女性は『そうそう!小麦はねぇ……』と話を流してくれたので、ライチが全く理解できなかったことはバレていないようだ。……たぶん。




---




 畑の土づくりに三日半かかっていたが、二つの麻の種まきには更に三日かかった。

 老若男女、七十人ほどが汗を流し、地道に指先で命を埋めていった結果である。

 最後の方は、村の仕事をしていた三十人ほども加わって、百五十人ほどの村の、幼児と動けない人以外のほぼ総力戦となっていた。


 ライチはこの三日で、三十代の腰が崩壊しそうになり、夕食の後にちょっとバルゴに腰を押してもらったりなんかした。

 次は是非マーヤに頼みたいくらいの剛力であったが、かなり楽にはなった。感謝である。



「終わった〜!!終わったぞ〜!!」

「酒〜!」「宴だ〜!」

 皆で広場に集まり、やいのやいのと大盛りあがりである。

 そこに、冷静な村長の声が響く。


「打ち上げもしてぇが、布も甘味シートも作っていかねぇといけねぇ。この間が月のない夜だったから、行商がもうあと三日ほどで来るぞ!」


『!!!!』


 すっかり忘れてた!という風なリアクションで皆が固まる。


「うわ〜、そうだった!」「月を見て思ってたんだよ。嫁はポリエクロスの準備万端だぜ」「行商に売る用の野菜の収穫もしねぇとだな」

「こりゃ忙しい!」


 一気に気持ちが切り替わる村人たち。

 ライチは村長の鋭い目に射抜かれる。


「ライチ!慣れねぇ作業で疲れてるとこ悪ぃが、明日は朝からうちの村と、隣村での実演会だ!頼んだぞ!」


「はい!準備は万端です!」


 予定していた実演会はともかく、あと三日ほどで行商人が来るとは、初耳である。

 粉ミルクとか、布オムツとか、売ってみたいものはたくさんあるのだ。今は七十Gしか持ててない現金も、もしかしたら増えるかも……?

 行商は新月になったらそろそろ、らしい。覚えておこう。


(新月といえば……最初に異世界に来たあたりも、月がかなり細かった気がするな。こっちの月は、向こうよりなんかちょっと小さく見えるなと思った気がする。……そうか……もう一ヶ月くらい経つのか……)


 ドカッ!


 そんなしんみりとした気持ちを吹っ飛ばす勢いで、唐突に肩を組まれた。

 見ると、男衆が輪になって円陣のようなものを組んでいる。


「♪お〜お〜

 おれたちゃ〜農夫〜 土の子〜

 種まきゃ〜芽吹き 水やりゃ〜伸びる

 掘りゃぁ〜出る出る 宝の山よ!(ほい!)

 そら見ろ大カブ!赤ビーツ!(ほい!)

 大地のリズムで 歌うんだ!(はい!)

 お〜お〜 お〜お〜

 おれたちゃ 農夫〜♪」


 大糸紡ぎ会の打ち上げのときも、無限ループで歌っていた歌である。ライチですら、もう少し歌えるほどに。

 合いの手を入れながら、子供は踊り、女性や年配の者も、手を叩いて一緒に歌い、一様にご機嫌そのものだ。


「ほんと、十日はかかると思ってたがね……まさか三日で終わらせるなんて……できた子たちだよ」


 歌が落ち着いたあと、村中を見渡してそう言って笑う年長者の顔にも、誇らしげな光があった。


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