陽が昇りはじめたころ、ライチは藁布団の中で目を覚ました。潰れた豆は痛いし、身体のあちこちに昨日までの疲れが残っているが、それでも不思議と悪い気分ではなかった。
今日は二つの村での甘味シートづくりの実演会だ。
暗いなか、準備の最終チェックをする。
小屋の戸を開けると、澄んだ朝の空気が顔に当たる。鳥の声、葉の擦れる音、どこかの家から立ちのぼる朝食の支度の煙。村の朝は、いつもと変わらない静かさの中に、ほんの少しだけざわついた気配をまとっていた。
「お、今日の主役。おはようさん」
バルゴ家の戸を開けると、バルゴが声をかけてきた。昨日までの過酷さ感じさせず、シーラを抱っこしながら、にっと笑っている。
「おはようございます、頑張ります」
マーヤがちょうど鍋を石炉のフックから下ろしたところだった。朝食の香りが空腹の腹を刺激する。
「おはよう、ライチ。ちょうどよかったね。すぐ食べられるよ」
「ありがとうございます」と言いながら席に着くと、ティモとエルノが並んで手を振ってくれる。
それに笑顔で応えると、皆と美味しい朝食を平らげた。
食事を終えて、広場に向かう頃には、村の空気も賑やかになっていた。
「ライチ、よろしくな〜!」「頼んだよ〜」
あちこちから声が飛ぶ。声をかけてくれるのは、一緒に畑を耕していた男性たち。種まきを教えてくれた女性たち。このひと月ほどで村のほとんどが顔見知りになっている。
ライチは手を振り返しながら、村人の前へと歩み出た。
緊張をにじませながら、ライチは人々の前に立つ。一礼をすると口を開いた。
「おはようございます。村の全ての方が、製法を守ることと、売り上げの二割を製法料として村に納めることを誓ってくれたと聞きました。ご協力ありがとうございます。
ではさっそく、甘味水の作り方について説明します」
ライチの声を聞いて、人々が話を止める。小さな子を抱いた母親や、青年たち、年長者の姿も見える。
「これは、皆さんご存知の、森のどこにでも生えているクリザ葛です。甘味水にはクリザ葛の葉を使います。
そして、これが葉を干したものです。夜露を避けて、晴れた日に一日半以上干し、しっかり乾かしてください」
そう言うと、乾燥葉を各家庭に配った。
「今、家庭に一枚ずつお配りしたのがクリザ葛の乾燥葉です。触ってみてください。このようにパリパリになるまで乾いたら、砕いて粉にします」
近くにいた子どもが「こんなふうなクリザのカラカラの葉なんて、どこにでも落ちてるけど、それも使っていいの?」と声を上げる。ライチは少し笑って答えた。
「それもきっと甘くなると思うけど……たぶんちょっと土の味がするよ」
村人に笑いが広がる。
「粉は細かいほど、甘い成分がよく出ます。摺り石や、石臼などで粉にしてください。
次に、粉末乾燥葉をぬるま湯で煮て、甘味成分を抽出します。街や貴族へ渡すなら品質は揃えた方がいいので、葉の粉が一に対して水が四の割合で作って欲しいです。お椀などで測ってください。水が少なかったり、葉を多くしすぎると甘くなりすぎて、逆に苦みが出るので気をつけましょう」
ライチはお椀で粉末葉と水を量りながら入れてみせる。
「甘味水は足が早く、半日ほどで腐ってしまうので、作るときは小鍋いっぱいくらいから始めてください。大鍋で作ると……」
ライチは机の上で袋を逆さにして、一万五千枚の甘味シートを広げてみせた。
「――?!」
村人から驚きの声が上がる。
「これだけの量になります。半日で甘味水をこの枚数に変えれそうなくらいの人手があるときだけ、大鍋で作るようにしてください」
人々がうなずきながら手元の葉を指でつまむ。ライチはひと呼吸おいてから続けた。
「最後の工程です。粉を混ぜた水を、半日、人肌よりちょっと温かいくらいのぬるま湯で保温し続ければ抽出は完了です。俺は石炉の灰の上に容器を置いて、遠火で加熱しました。みなさんも、それぞれのやり方で“ぬるめの温度”を半日、保ってみてください」
半日もぬるめをキープと聞いて、村人がざわついた。難しい工程だが、ライチとは違って薪での火加減のプロだらけだ。すぐにいい方法を見つけてくれるだろう。
「甘味水だけならこれで出来上がりです。ジュースにしてもお菓子にしても最高です。歯を傷めませんし、摂りすぎが毒になることもありません。しかし、ハチミツのように栄養があるわけでもないので、この甘みは薬になったりお腹が膨れたりはしません。
もし個人的に人に渡すときは、『砂糖とは違って甘いだけの水だ』と伝えてから渡すと、勘違いがなくて良いと思います」
甘くて美味しいのに栄養がない、というのが想像しづらかったらしく、一様に首を傾げている。ライチも同じように首を傾げた存在だ。この辺は慣れていってもらうしかない。
「続いて、この甘味シートについてです。
半日で腐る甘い水、では、手間の割に売り上げを確保しにくいので、腐る前に乾燥させたのがこの甘味シートです。軽くて小さいので、シートなら行商人に買ってもらって、街で売ったり、貴族に売ったりすることができます。
おそらく粉にしても取引できますが、煮詰めるのに薪を物凄く使うか、半日で乾かすために土地を広大に使うか……となるので、難しいでしょう」
村人たちが、なるほど。と頷いている。「は〜〜、よく考えられてんなぁ……」という声も聞こえてきて、ライチはニヤリとしてしまった。
(シート化はパパサーチではなく、俺のアイディアだもんね!)
「なんだぁ、そのシートってやつは。持ってねぇし、見たこともねぇぞ」
にやにやのライチに、ごもっともな意見が飛ぶ。
「これは、ミズヨリグサの中身です。ご存知の通り、森の湿ったところに群生しているミズヨリグサは、地面に置くとすぐ根付くので、すぐ加工しない場合は物干し竿などに吊るしておいてください」
ライチは、開きかけの干しミズヨリグサを各家庭に配る。
「ミズヨリグサを少し煮てから、数時間干すと、そのように乾いて外皮が開くようになります。中に、吸水性の高い柔らかい布のようなものがあります。これが“シート”部分です」
ざわざわと村人たちが干しミズヨリグサを調べる。「あの水喰らいの迷惑もんが、数時間でこんな風にカラカラになるなんて……」と驚いている様子だ。
「ミズヨリグサの面白いところは、【お湯につけると水を吐き出す】というところです。この性質のおかげで、甘味を染み込ませても、湯につければ吐き出してくれます」
誰かが「なんか、布オムツみたいだねぇ」と漏らした。ご明察!
ライチはさらに、四センチ角にカットしたミズヨリグサのシートを配布する。
「外に出す商品としては、必ずその小さな見本と同じ大きさに揃えてください。そして、角に一滴ずつ、先ほど作った甘味水を垂らして乾かせば完成です。
ミズヨリグサは、水喰らいなので、たった四滴ですら、重ねてしまうと乾かずに腐ります。重ねないように気をつけて、風通しのよい場所でしっかり乾かしてください」
最後に、完成した甘味シートを掲げる。
「これが出来上がった“甘味シート”です。においも色もつかないので、垂らす前のものと混ざらないように気をつけましょうね。ご清聴ありがとうございました」
拍手とともにたくさんの声が聞こえてくる。
「今回もわかりやすかったぞ〜」「めちゃくちゃ簡単だね」「まさかクリザ葛からできるとは」「ミズヨリグサの使い道にも驚きだ」
ライチは手を挙げてそれを受けると、さらにオマケ情報を付け加えた。
「ありがとうございます。ここからは豆知識と、さらにいろいろ実験した結果の報告です」
ライチは再度、生のクリザ葛を掲げた。
「一番甘みを引き出せるのは、先ほど説明した方法です。外部に出すものは、必ず先ほどのやり方を守って、品質をそろえてください。
……ただ、二日干して半日保温というのは、薪も人手もいりますよね?
そこで、いくつかの抽出方法を試しました。結果はこのようになりました」
ライチは自分が試したことを簡単にまとめて伝えた。
資料を用意できたら分かりやすいのだが……口頭伝達に慣れている村人には特に気にした様子はない。
せめて……と、実物と身振り手振りを交えながら説明した。
一、生の葉を潰さずにぬるま湯抽出 → 甘くない
二、生の葉を潰して抽出 → 甘くない
三、乾燥葉を潰さず抽出 → 少しだけ甘い
四、粉末乾燥葉を水で半日抽出 → ほんのり甘い
五、粉末乾燥葉を熱湯に入れて半日常温放置 → 甘み強いがややえぐみあり
「乾燥葉なら、潰さなくても、ぬるま湯でなくても甘くはなりました!家庭ですぐに甘いものが欲しいときには良いかもしれません。
問題は、その甘みなんですが、『使った葉の量の割には甘くないな』という感じで、とても素材の無駄が多いように感じました。お湯まで熱くすると、えぐみが出てしまって美味しくなかったです。温度調節のときにお気をつけください」
真面目に聞いていた青年が手を挙げて「葉のままで甘みが出るなら、乾燥葉を売ってもいいんですか?」と尋ねた。
欲しかった質問だ。ライチは真剣な表情になる。
「いい質問ありがとうございます。例えば、外部に『甘い汁が出る葉』としてクリザ葛を売ったとします。間違いなく売れるでしょう。
しかし……この“クリザ葛”という植物から甘い水が作れると知った外部の人々は、次にどうするでしょう?」
青年と村人たちの何人かに、ハッ!という気づきが走る。
「そうです。皆さんのように誓いを立てて神様が守ってくれる人間と違って、植物は、高位の者の無理な採集からは守られません。
領主さま主導でクリザ葛が保護されれば、また別かもしれませんが、それまでは『ただの森の雑草』として、欲しいものに奪いつくされるでしょう。森も荒らされるでしょうね」
青年は口を覆って頷いた。
「だから、この【クリザ葛】という名前は、決して口外しないようにしましょう。素材名には触れず、甘味水や甘味シート、という呼び方でお願いします」
空気が少し張り詰める。だが、やがて誰かが「分かった」と頷き、周囲からも次々と同意の声が上がる。
ライチは深く一礼し、村長の話の間に、バルゴ家の元へ合流した。
「使い勝手のいい『砂糖』というものは、お貴族さまや金持ちたちが、こぞって買いあさり、かなりの高価なものとして、取り引きされているそうだ。
俺たちは、そこに新しい風を吹かせるってぇわけだ!しかも、他のやつらには製法は奪わせない形で。三日後に行商人がきたら、おったまげて転げ回るに違いねぇ」
村長の話に、くすくすと笑い声が出て、場の空気が明るくなる。
「ポリエクロスもそうだ!すでにかなりの量を織り上げたな。出来上がった布を、先に自分たちの服に回している者も出てきている。そいつらは、三日後、行商人に『うちじゃ、街よりいい服を着てるんだ』と見せつけてやれ!行商人は、今度は縦に転がり回るぞ!」
(さっきは横に回ってたんだ)
と、思わずライチも突っ込んでしまった。
「行商人には、『全然その荷じゃ足りねぇから、もういっぺん出直してこい』って言ってやろうぜ!
まずはクリザ葛と、ミズヨリグサの採集だ!畑仕事も、種の水は絶対に枯らしちゃならねぇ。分担していくぞ!」
村長の声に、広場じゅうから「おう!」と返事の声が響いた。
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「じゃあ、行ってきます」
実演会の荷物をそのまま持って、配布用の見本を補充し、前回隣村を訪れた装備を揃え、バルゴ家に出発のあいさつをした。
「本当に昼飯はいらないんだね?」
前回お弁当を作ってくれたマーヤが心配そうに声を掛けてくれる。
「説明だけしたらすぐ帰ってくるんで、お昼には間に合うと思います。ありがとう」
最近、その優しさと包容力を【異世界の母】と心の中で讃えすぎて、ポロッとタメ語を使ってしまうことがある。十歳ほども若い子に、何を言ってるんだと思うかもしれないが、毎日美味しいご飯を子供と一緒に振る舞われたら、脳みそも混乱してくるというものだ。ちなみに、泥まみれで帰ってきてくれるバルゴにも、うっかり「おとう、おかえり!お疲れ様!」なんて言いたくなる日がある。
「おし、俺は畑。マーヤは機織り。子供らは採集だな。頼んだぞ」
バルゴたちも準備を終え、それぞれの仕事に向かっていった。
ライチは村長と待ち合わせである。
「よし、さっさと行って村のことをやらねぇとな。向こうも待ってる。行くぞ」
早足で歩き始める村長を、慌てて追いかけた。
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全員が誓いを立てたらしいオレウム村で、先ほどと同様の説明をする。
はじめはよそ者を少し警戒した目で見ていた村人たちも、オレド麻への感謝や、甘味シートのすごさを伝えることで、少しずつ雰囲気が柔らかくなっていった。
説明中に返ってくる反応も、スピネラ村ととても似ていて、ライチは実に説明がしやすかった。
「――以上です。ご清聴ありがとうございました」
こちらの村でも拍手が起こった。なんだか本当にやりやすいなぁ……と改めて大きな拍手の出どころを見てみると、素知らぬ顔で村人に混ざっているグレゴル村長がいた。村人の反応だとライチが思っていたのは、どうもこの人発信のものだったようだ。
ライチはそれがありがた面白くて、皆の前なのに、結構しっかりめに笑ってしまった。
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「種まきで忙しい時期だろうに、わざわざありがとうな。こんなに簡単に作れるなら、すぐに量産できそうだ、って皆も言ってたよ。次の行商が楽しみだ」
オレウム村のノギ村長が、ライチに握手を求めてくれる。
「こちらこそ、命の種をありがとうございました。こちらも種まきまで終わったんで、またオレド麻の育ち具合とか、相談させてください。逆に、甘味シートのことで、分からないことがあったらいつでもいらしてくださいね」
しっかりと握り返して、そう答えると、任せとけ!とノギは笑った。
あと……とライチが付け足す。
「製法料として、俺がもらう誓いになってる売上の二割なんですが、オレウム村に余裕が出てくるまでは、ノギ村長が管理して、村の発展に充ててください。村の発展に充てなかった分を、そのうちもらいに来るんで……できるだけ使い切っておいてくださいね」
冗談めかして言うライチの横で、グレゴルがため息をつく。
「まぁたやってら……そのうち丸裸になってるんじゃねぇか、ライチさんよ」
呆れ顔のように見えるが、嬉しそうにも見える。
ノギの心からの感謝を受け取って、ライチたちはスピネラ村に帰った。