村に戻ると、各家の干し場や物干しに、クリザ葛の葉とミズヨリグサがたくさん広げられていた。
(すごい。あっという間にここまで)
ライチは、思わず足を止める。村に製法を教えたのは、ほんの数時間前のこと。それがもう、この状態だ。村長に似て、ノリがよくて瞬発力のある村だ。
ライチも残された二日半でクラフトに全力を尽くした。
約束通り、採集隊からは、素材を多めに分けてもらえたし、声をかけて回ったらボロ布もかなりの数が集まった。村の未婚女性が、カヤの真似をしてこぞってワンピースを作っているのもあるのだろう。そのおかげで、クラフトポンの力を存分に活かせた。
(クラフトポン、甘味シート。クラフトポン、布オムツ。クラフトポン、粉ユキミルク。クラフトポン、ポリエ糸)
もはや気分は工場だ。布が作れるようになったら、さらに気分が良さそうだが、機織りのスキルレベルはなかなか上がってくれない。横糸はかなりの手さばきになったが、やはり経験回数の少ない縦糸セットのゴチャゴチャがネックだ。
今回の行商にはスキルレベルの上昇は間に合わなかったが、最後にできたポリエ糸を指でつまんだとき、ライチは頷いた。
「うん。大丈夫。この糸だけで、もう十分に商品になってる」
そして、いよいよ行商人がやって来る日がやってきた。
---
昼過ぎ。広大な畑の水やりを終えて戻った直後、村に知らせが入る。
「来たぞー!!いつもの三つの影が街道の下流から見えた!」
その声が届くと、村は一気に騒がしくなった。それぞれが家へと駆け込んで、物を売り買いする準備を始める。
「塩は絶対。あとは針が欲しいね。それから……」
月に一回の外部との繋がりだ。必要なものを買い忘れないように、何度も不足品を確認する声があちこちから聞こえた。
ライチも広場に店小屋の作業台を運び込み、商品を見てもらう準備を始める。
ふと、広場が一気に騒がしくなる。中心を見ると、カヤたちの姿があった。
カヤが前に見せてくれた真っ白なポリエクロスで仕立てられたワンピース。それを、なんと今日は、村中の年頃の娘が着せてもらっていたのである。
(まるでリゾートウェディングのブライズメイドだな)
花嫁を悪魔から守るために、周りもお揃いのドレスを身にまとう風習。それに近しい雰囲気で、似たようなワンピースに身を包み、お互いがはじける笑顔で手を取り合って褒め合っている。
ドレスのようにフリルやドレープがあるわけではなく、形は至ってシンプルなのだが、動きに合わせて布がふわりと揺れるたび、やわらかく艶のある質感が映える。袖や裾や襟の刺しゅうの色も、草木染の自然な色だが、こだわりを持って刺したのが分かる細かな模様だ。しかも、口もとには赤い何かを塗っているのか、皆そろって唇がほんのり赤く染まっていた。
(あ、あれはエマとミナ)
前に森を案内してくれた二人も、中学生くらいの年頃の娘である。健康的なイメージとは裏腹に、今は自分たちの美しいワンピース姿に、おしとやかに頬を紅潮させている。
「絶ッッ対今日に間に合わせて!って、家族に手伝ってもらいまくっちゃった」「今日は勝負だもんね!ナメられたら終わりよ!」「ワンピース、ちゃんと着られてる?変じゃない?」「大丈夫、すごくきれいだよ……!」
照れ笑いを浮かべながらも、どこか誇らしげな声が飛び交う。それを、物凄く熱〜い目で見守るご両親やご家族の姿が輪の外に見える。
(わかるよ……自分が着飾るのの何百倍も、我が子が素敵な服を着て笑ってるのが、嬉しいんだよなぁぁ……)
元は、『布オムツの布が足りないなぁ』なんて考えから始まった布のクラフト。それが、こんな素敵な笑顔に繋がったのだ。ライチはじんわりと胸が熱くなるのを感じながら、一緒に微笑ましくその光景を見ていた。
そこへ、さらなる驚きがやってきた。
「……え、村、長……?」
誰かの小さな声に続き、人々の視線が一点に集まる。ゆったりと威厳たっぷりに現れたのは、これまで一度も見たことのない「村長の晴れ姿」だった。
薄紫に染められたポリエクロスのロングチュニック。その襟元には光を照り返す純白の刺繍がほどこされ、腰には真っ白のポリエクロスに、濃い紫の刺繍が入った帯を巻いている。
髭はきれいに剃られ、髪は整えてオールバックに。足元はいつもの草履サンダルのままだが、日焼けのアクセントにより、まるで異国の貴族のような威厳をまとっていた。
「村長……すげぇ……」「どこのお貴族様かと思ったぜ」「裁縫美人の自慢の奥さんと娘さんだねぇホント!」「きれい〜!」
村中の誰もが、その姿に圧倒されていた。
たかが行商。されど行商。村長は「この村の顔」として、最初にドカンと新商品を背負って売り込もうとしている。そんな強い意志が見て取れた。
(確かに、足元を見られたら負けだ)
ライチは、村の空気そのものに、背筋を伸ばされた気がした。慌てて自慢の製品を作業台に並べていく。布、糸、布オムツ、粉ユキミルク、甘味シート。どれも今の自分の全力だ。
そしてついに、三つの影が村の中央広場へとたどり着いた。
想像していた行商人より、ずっと若かった。
最初に目に入ったのは、軽やかな足取りの青年。どうにもチャラっとした雰囲気で、肩の力が抜けているような立ち姿だ。もう一人は、まだ少年の面影が残るような、温和そうな青年だ。
前者は一般的な顔つきだと思うが、後者の外見はかなりのインパクトがあった。
「ち、彫刻……? イケメンすぎる……」
ゲームのグラフィックかのような、非常に整った顔立ちだ。現実にいるとは思えないイケメンである。
しかし、前髪で隠れた左目の周りには、隙間から時折覗くケロイド状の火傷痕が見えた。表情は穏やかだが、大変な思いをしてきたようだ。
そしてその背後、一歩一歩確かに地を踏みしめていたのは、たくさんの荷を背負ったロバだった。踏みしめる足音が、静かな午後の風にかすかに響いている。
行商人が、ついにこの村へやって来た。
---
「えっ? えっ? 村長、その格好……どうしちゃったんすか? 村の女の子もすごく綺麗にしてあるし……えぇ??」
声を上げたのは、チャラい青年。言葉遣いもついでにチャラく感じる。広場の様子に立ち尽くし、目をぱちぱちと瞬いている。
その隣で、もう一人の青年は周りの様子を注意深く見ながら、黙ってロバの荷を下ろし始めていた。迷いなく、手際がいい。
二人の格好は、丈の長いしっかりとしたチュニックに、革のベルト。フード付きケープ。そして足元には――革靴!
(革靴だ!うわ、いいな、俺も欲しい!)
思わずライチは心の中で叫んだ。厚手のしっかりした編み上げブーツが、丈夫そうで柔らかそうでとても羨ましい。ずっと木靴と草履サンダルを履いていた身からすれば、もはや目の毒だ。
そんな二人を様子をおもしろそうに見ていた村長が、にやりと笑ってある方向を指さした。
「前回お前らが帰ったあとすぐに、あいつが村に来てくれてな。いろいろ変わったんだ。今日は覚悟しろよ」
村長の指の先、そこにいたライチは思わず身を引きつつ、小さく頭を下げた。
「ライチです。旅の途中で、今はここに滞在させてもらってます」
「フェラドっす。行商は五年くらいやってるかな。……でも、こんないい布、この辺のどこでも見たことも聞いたこともないっすよ?」
二十歳くらいに見えるフェラドが首を傾げながらそう言った。思った通りの軽やかな性格だ。
続いて、荷下ろしを終えたイケメンの青年がまっすぐこちらを見て、穏やかに口を開いた。
「メルカトです。俺は三年目になります。……何が起こったら、一カ月で村がこんなことになるんですか?」
十八歳くらいに見えるメルカトが美しく頭を下げた。こんなに丁寧な言葉遣いは、転移して初めて聞いた。所作にも品があり、『なぜあなたが行商人を……?』と思わず訪ねたくなるような高貴さが漂っている。
「で、この子が俺の愛するムリーナちゃんっす」
フェラドがくるりと振り向き、ロバの首をぽんぽんと撫でる。
「力持ちであったかくて、賢くて、辛いときも文句一つ言わない。俺の女神っす」
村人たちがくすくすと笑った。
村長が説明をつけ足す。
「前任の行商人は俺と同じくらいの歳のやつでな、寡黙だがしっかり者で、長くいい付き合いをしてたんだが……病気で足をやられちまってな。最後の方は新月が二度来ても来られない時もあったのさ。
……こいつらに交代してからは、約束通りに必ず来てくれるから助かってるよ。若いけどしっかりしたコンビだ。贔屓にしてやってくれ」
「へへへ」
照れたように笑うフェラドが、最後の荷をムリーナから下ろし、さっと布の上に広げた。
ムリーナの背中に載っていた荷は、思った以上に多かった。
ざっと見積もっても五十キロはありそうな量だ。可愛い顔して力持ちである。
丈夫そうな麻布の反物に、染色用なのか、鮮やかな色の粉。
鉄の針、木製のボタンに、鉄のハサミ。
大量の塩、胡椒、スパイス、乾燥ハーブやハチミツ、チーズに干し肉やハム、お酒。
雑貨の中には、小さな鏡やくしもある。鍋は大中小サイズがそれぞれ二つずつ、農具の刃先もある。
(……すごい。村では作れないものばかりだ)
できるだけ荷物が減るように、高級なものばかりを選んでいるのがよく分かるラインナップだ。
後学のために、こっそりATMさんに頼んで価格鑑定をしておいてもらう。
《スキル:ATM が 商品の買い取り の 適正価格を計算しています…………》
《・行商人の粗布(2.5m × 30cm):250G
・染料粉(赤・青・黄 各10g):30G × 3色
・鉄針(10本):80G
・木製ボタン(10個)…40G
・鉄製ハサミ(中型1本)…350G
・塩(100g):40G
・胡椒(20g):60G
・乾燥ハーブ・スパイス(3種×10g):80G
・ハチミツ(小瓶100ml):50G
・チーズ(100g):70G
・干し肉(200g):80G
・生ハム(100g):90G
・果実酒(小瓶250ml):120G
この価格には運送費が含まれています》
(ほうほう。……ついでに、ATMさん、ポリエクロスの行商人への適正販売価格は? カヤの大きい布とか、俺の小さめの布とか、カヤたちのワンピースとか)
《スキル:ATM が ポリエクロス の 行商人への適正販売価格を 計算しています…………》
《・カヤの大布 サイズ:6m × 66cm:3960G
・村人の布 サイズ:2.5m × 30cm:750G
・カヤのワンピース(使用量:大布一枚):4100G》
(た、高っ!……なら、さらに、甘味シートもお願いします……!)
《スキル:ATM が 甘味シート の 行商人への適正販売価格を 計算しています…………》
《甘味シート(1枚):200G
砂糖5gが金と同価値で取り引きされていることから算出しています》
(いや、持ってきてもらった商品が霞むくらい、うちの商品が高級品すぎた……!)
一万五千枚の甘味シートなんて、換金したら三百万Gだ。日本円だとここの十倍にするから……
(え?ワンポンで、三千万円??)
ライチはあまりの価格差に、一旦この結果のことは忘れることにした。
(変に買い叩かれそうになった場合だけ、口を出そうっと)
村人にとっての高級品ばかりが並ぶはずの地面を見下ろすその顔に、今日は確信めいた期待の色が混じっている。
この日のために作ってきた物たちが、どんな風に受け止められるのか。何に替えられるのか。
ライチ自身も、心臓の鼓動が少しずつ早まっていくのを感じていた。
---
「で、結局この村にひと月で何があったんすか?」
改めて説明を求める声に、ライチはそっと手に持っていた布を差し出した。
「実は、新しい糸の作り方を考案したんです。これは、俺が紡いで、俺が織った布です。手に取ってみてください。この布は、美しい白で、摩擦にも熱にも水にも強くて、シワになりません。染色しても、とても綺麗に発色します」
メルカトが、その綺麗に整った指を、ポリエクロスに滑らさせていく。
「……うん……すごく、滑らかだ……」
布を引っ張ったり、透かしたりしていたフェラドも目を丸くする。
「なんだこれ? こんな布、河港どころか、城下町でも富裕層しか着てないぞ?」
ライチは頷きながら、空中で糸巻きの動作を再現してみせる。
「しかも、糸を紡ぐのが、従来のものとは比べものにならないほど速くできるんです。だいたい、このくらいの速さで」
ぐるぐると手を動かすが、糸を紡いでいるというより、巻いてるだけのような速さだ。
「材料も、森のどこにでもあるものです。昨日は村の子供たちが採ってきてくれました」
二人は顔を見合わせたが、口を開く余裕もないようだった。
そんな二人に追い打ちをかけるように、村長が大きく頷きながら口を開いた。
「んでな、この村の新しい目玉はもういっちょあるんだわ。長旅お疲れ様。まずは甘いもんでも食って、飲めや」
合図とともに、アニカがいちごクレープと赤カラジュースを盆に乗せて運んでくる。
「どうぞ」
「お、おお、ありがと……」
二人は戸惑いながらも手に取り、訝しみながらジュースとクレープを一口ずつ口へ運ぶ。
次の瞬間——
「うまっ……あっっま!!!!」
フェラドが叫んで飛び上がり、メルカトは口を押さえて声を張る。
「これ……砂糖っ?!村で砂糖が取れるんですか?!」
「砂糖とは少し違いますが、これまた村にあるもので、とても甘いものが作れるようになりまして」
ライチは、薄い紙のようなものを一枚ずつ差し出す。
「これがさっき食べて飲んでもらった甘さを出した“甘味シート”です。シート素材に、甘味水を染み込ませて乾かしてあるものです。この小さいシート一枚で、さっきのジュースくらいの甘みを取り出せます。お湯でもどして甘味水にしてから使います。軽くて小さいし、乾燥してあるので、運びやすいし、場所も取らずにかなり長く保存できます」
そう言って、大きな袋を掲げて見せる。
「作るのも非常に簡単で……この中に、俺が作った甘味シートがこれだけ入ってます。同じものを、村人のみなさんや、隣村の人たちも作って待っています」
ライチは最後の言葉を付け加えた。
「どうですか? 今回の目玉——糸と布と、甘味シート。買ってもらえますか?」
二人は、しばらく無言で目の前のシートをまじまじと見つめていた。
「……ちょっと、すんません。全然理解が追いつかないっす」
フェラドが額を押さえ、メルカトも苦笑する。
「俺もです。目利きには多少自信があったんですが……等価交換すべき価値が、どれほどか……」
二人は立ち上がり、やがて村の端に移動して、低く声を潜めて相談を始めた。
十五分ほど経ち、戻ってきたフェラドが深く頭を下げる。
「オッケーです。すべてうちが買い取ります。ただ、まさかこの村がこんなことになってるとは思ってなかったので、一度商品を預からせてください。街に持ち帰って、組合と検討して、さばいて、代わりになりそうな物を揃えて、すぐまたここに戻ってきます」
メルカトも頷く。
「商品の説明ができるのは、考案したライチさんですよね? できれば街まで一緒に来ていただきたいです。もしこれを他に売るなら、商人組合にも、布織組合にも、まだできたばかりですが砂糖組合にも話を通さなければいけませんし。
ただ、どんなに急いでも、手前の河港まで七日、城下町までさらに二日。往復なら移動だけで二十日ほどかかってしまうんですが……」
河港や城下町……!魅力的な響きである。道中が安全なら、ぜひとも行ってみたい。
ライチはちらりと、村長とバルゴ家を振り返った。すると——
「いいじゃねぇか、行って来いライチ!」
バルゴがライチの背中を叩き、村長も笑う。
「村の皆がいい暮らしができるよう、思いっきり価値を示してこいや!」