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第38話 出発


「種まきの打ち上げだ!新しい品を出した打ち上げだ!ついでにライチの送り出し会だ!」


 元手がほぼ無料で、高級品ががっつりと手に入った村は、大盛り上がりだった。

 村の夜は、焚き火の灯りに照らされて、ひときわ明るく賑わっている。

 広場に並べられた丸太と木の食卓。そこに手作りのごちそうが次々と運ばれ、村人たちがひしめき合うように座っている。


「この村の未来に、乾杯ー!!」


 これまでの我慢を解放するように、村長は早々に乾杯を済ませる。その後も村の大人たちは次々とご馳走を運んできた。ついこの間も宴会をしたところなので、粗食で日々をやりくりしている農村では異例の大盤振る舞いだろう。

 香りだけでお腹が鳴りそうなご馳走が、これでもかと食卓に並んでいく。甘味シートにより、スイーツもかなり充実しており、子供たちの嬉しそうな声がする。


「おお、美味そぉ〜」


 丸焼きのウサギとネズミに興奮するようになってきたライチが、ごくんとつばを飲み込んだ。


 中央の焚き火の周りでは、太鼓代わりの桶をたたく音に合わせて、早々にお腹を満たした子どもたちが輪になって踊っていた。

 手拍子を打つ村人たちの笑顔。笑い声。歌。

どこを見ても、温かさに満ちている。



 一方、焚き火から少し離れた場所では、行商人二人が、明日以降に向けてムリーナの荷を点検しながら、今夜だけはゆっくりと羽を伸ばしていた。


「なかなかこんな場面には出くわさねぇんで、宴……いいっすね!」


 村の甘味に舌鼓を打ちながらフェラドが笑う。


「種まきも物づくりもしてない俺達まで混ぜてもらってしまって……ありがとうございます」


 メルカトが遠慮しながら頭を下げる。


 ムリーナも村中から野菜の不要な部分などをもらって、おいしそうに食べている。


「村の未来はお前たちが上手くやるのにかかってんだ!頼んだぞ〜」


 普段着に着替えた村長が、行商人二人の肩をたたきながら酒を注いだ。


 緊張の面持ちの行商人たちをよそに、いつもの農夫の歌が始まり、宴の盛り上がりは最高潮を迎えていた。


 そして、一人、また一人と、ライチのもとに人が集まってくる。


「楽しんでこいよ、街は広いらしいぞ!」

「旅の人だから釈迦に説法かもだけどな、盗賊に見つからないように、隅っこを歩いて、ひっそり移動するんだぞ」

「小型モンスターには、迷わず棒を振り下ろすんだ。ためらうなよ、こっちがやられるぞ」

「うちの下流には村が三つある。港に近づくほど大きくなるから、見てくるといい。特産品も違うしな」

「街には、うまいもんが山ほどあるらしい。食いすぎて腹壊すなよ!」

「ライチ、うちの背負子、貸すからさぁ。うまいもん、山盛り買って持って帰ってきてくれぇ〜!」


 ライチは笑いながら、一人ひとりに頭を下げ、何度も「ありがとう」と返した。


 やがて夜も更け、焚き火の火が静かにゆらめき出す頃、ライチは少し離れた場所に座っていたバルゴ一家のもとに歩み寄る。シーラがマーヤの抱っこで揺すられ、うとうととしている。

 一緒に火を見つめながら、そっと言葉を紡いだ。


「バルゴさん、拾ってくれてありがとう」

「マーヤさん、美味しいご飯を毎日ありがとう」

「ティモ、エルノ、いっぱいお仕事教えてくれて、ありがとう」

「シーラ、可愛いをいっぱいありがとう」

「……ちょっと、行ってきますね」


 転移から一ヶ月。ついにこの村の外に出る。

 見ず知らずの自分を温かく迎え入れてくれた家族に、一区切りとしてお礼を言う。しばらく沈黙が続いた。

 でもそのすぐ後、バルゴが、ぽん、とライチの肩を叩いて笑った。


「楽しんでこい。気を付けてな」


 マーヤは静かに頷き、ティモとエルノは「お土産!」「待ってる!」と声を揃えた。

 シーラはうとうとしながらも、ライチをじっと見てくれた。


 焚き火の灯りが、家族のような彼らを優しく照らしていた。




---




 朝霧が立ちこめる中央広場。

 わざわざ見送りに来てくれた何人かが見守る中、ライチは背負い袋の紐をぎゅっと締めた。

 袋の中にはユイ婆から譲り受けた冬用の厚手布団が詰め込まれている。毛布なども合わせ、手持ちの大きな布がこれしかないのである。


「ここの次の下流の村、レンティッラ村までは三日くらいです。無理せず、ほどほどにいきましょ!」


 横から明るい声が飛ぶ。言葉の主はフェラドだ。肩から下げた革袋は擦り切れ、何度も繕った跡がある。だが足元は軽く、動きには慣れがあった。


「フェラド、ムリーナの荷のバランスがちょっと悪いかも」


 最終点検をしながら、そう口にしたのはメルカト。とても頼もしい感じに見える。


「……おし、こんなもんか。ムリーナ、帰りもまた、よろしくな。お前なら大丈夫だろうけど、怪我だけ気をつけるんだぞ」


 フェラドが愛するムリーナを撫でながら声を掛けている。荷の最終確認が終わると、バルゴ家がライチに声を掛けてきた。


「ライチ、これ、三日分の食事ね。三日目には次の村に着くはずだけど、少しだけ多めに入れたから、何かあった時に食べてね」


 マーヤが渡してくれた包みには、パンと塩豆と干し肉と干し果実がぎっしりと詰められていた。さらに彼女は、小瓶を二つ、そっと手渡してくれる。


「あと、頼まれてた灰汁と油。灰汁は腐らないように濃いめにしといたから、洗う時はちゃんと薄めてね」


「わ、ありがとうございます。助かります」


 ライチは受け取りながら昨夜のことを思い出す。




--- 



 宴の終わりに、村長がライチのもとに来て、


「俺が着てたこの晴れ着は、街まで持っていけ!街じゃその格好でポリエクロスを宣伝しても、説得力がねぇからな。

 貸すだけだから、必ずまた返しに来いよ。街に入る直前に着るんだぞ!綺麗に使うように!」


と、村長一家の思いがこもった晴れ着を貸すことを、何度も念を押しながら約束してくれたのだ。

 それを聞いて、ライチは、


(ありがたい。でも、こんないい晴れ着を着るなら……このボッサボサの髪や、無精ヒゲも整えないと、確実に浮くな……)


と、自分の野性的な格好を振り返った。


 実は、油用の麻の種をオレウム村でもらった帰り道、ライチの脳内で父性クラフトのスキルが発動していたのである。

 初めての水浴びのとき。「いつか子どもたちのために作りたい」と、クラフト候補リストに入れていたものだった。




《新規項目追加:ヘアケアセット(麻オイル、スイの葉 仕様)》


【使用方法】

・スイの葉(乾燥葉や酢も可)を砕き、水に五分ほど浸して薄い酸性水を作る。

・洗浄用の灰汁を、肌がヒリつかない程度に薄める。

・麻オイルを頭皮に揉み込み、油分を浮かせる。

・灰汁をそこに揉み込み、アルカリ成分で油分を溶かす。

・酸性水で流し、中和することでキューティクルを保護する。

・すすいで水気を拭き取った髪に、麻オイルを少量手に取り、毛先になじませツヤを出す。


【ご注意】

・灰汁に指を入れたときに少しヌルヌルとすれば、皮膚が微量に溶ける状態なので、ちょうど良く汚れが落ちます。かなりヌルヌルとするときは、アルカリ性が強く皮膚が溶けすぎているため、次第にヒリつきます。


《パパの育コツメモに自動保存されました》



(貴重な油で、洗う必要のない髪を洗うなんて……心底意味不明!って言われるに決まってるから、油が大量生産できるまでは記憶だけにとどめようと思ってきたけど……今こそ試す時だな)


 何度も頭を下げながらマーヤ達から灰汁と油を受け取る。

 油が貴重すぎて、まだ一度も実際に試したことはない。このワイルドヘアがどんな風になるか楽しみだ。


(あとは、ヒゲだな)


 ライチは元々もっさりとは生えないタイプだが、この一ヶ月で一センチほどヒゲが伸びている。

 ちらりとフェラドとメルカトを見ると、二人とも行商の旅で一週間は帰宅していないはずだが、ツルリとした顎をしている。何らかのお手入れをしていそうである。


 ライチは、ヒゲについてフェラドとメルカトに尋ねた。


「ヒゲって、街の人は剃ってますか?生えてる方が良いとかあります?」


 フェラドが自分の顎を触りながら答える。


「結構みんな剃ってるっすかね。メルカト、どう思う?」

「そうですね。一応、ヒゲが無いことが “謙虚さ” “禁欲” の表現になるそうで、商売をする者はたいてい整えていますよ」


 メルカトが温和に教えてくれる。見た感じの通り、答えも知的である。


「じゃあ、街に入る前に、俺も整えさせてもらってもいいですか?貴重な刃物だと思うんで、使うところを見張ってもらっててもいいんで」


「いっすよ〜。折りたたみの顔用にしてるやつがあるんで、貸すっす。ただ、髭剃りって、慣れてないと結構肌切って傷口が膿んだりするっすよ?……あ、でもライチさん、あんま生えてないから、慣れてる?」


 フェラドが近くでじーっとヒゲを観察してくる。


「いや……これは……」


(リーマンの朝のミカタ。電動髭剃り跡です)


 本当に続けたい言葉を飲み込む。


「……この村に着く前に、人にやってもらったんです。刃物で剃ったこともあるけど……少し自信はないかも」


 シェービングの泡がないと、怪しい。街に入る前にスパッといっちゃいそうな気もする。

 困ったな……とヒゲを触っていると、メルカトも近くに来て微笑んだ。


「フェラドの刃物はどれも良いものなんですが、不器用でよく切るので、見かねて剃ってあげることも多いんです。人のを剃るのには慣れてるんで、難しいところは剃りますよ」


 なんと優しい。ライチはお言葉に甘えて、頭を下げた。


 これで靴以外の身だしなみ問題は解決である。

 靴は、街道がある程度整備されてるということなので、慣れた草履サンダルで行くことにしている。二人の革靴よりはラフなイメージにはなってしまうだろうが……現状致し方ない。


(河港近くの村にあって、甘味シートや布と交換できるなら依頼してみよう)



「……ライチ。持ってきたぞ」


 最後にライチに声をかけてきたのは村長だった。彼は大事そうに包みを抱えたまま、数歩近づいてくる。


「破るなよ。汚すなよ。……村を、頼んだ」


 念の為、包みをほどけば、昨日村長が着ていた、ポリエクロスで仕立てられた薄紫のロングチュニックと、純白の帯が現れる。布と刺繍が美しい、スピネラ村が誇る最高級の晴れ着だ。


「必ず綺麗なままお返しします。いってきます!」


 ティモやエルノ、村の子どもたちが「いってらっしゃ〜い!」と元気に手を振る中、三人と一頭は川沿いの道へと歩き出した。




---




 道の序盤は、川沿いに開けたなだらかな丘陵が続く。川幅は十メートルほど、流れもゆるやかで、鳥の鳴き声と水音が心地よい。お散歩コースである。


「ライチさん、大事にされてるんすね〜!なんかもうイイ人オーラ、めっちゃ出てるっすもんね」


 フェラドが軽口を叩きながら、ムリーナのおしりをぽんぽんと軽く叩いている。


「商売には子供の頃から関わってるんですが、たった一ヶ月の間に、村の技術であれだけのものを作り出すなんて、聞いたことがないです。それも、村の皆さんが誇らしげにのびのびと作ってる。……お人柄ですね」


 フェラドはよいしょ説もあるが、メルカトのような子にまっすぐ褒められると、年長者として悪い気はしない。いや、良い気しかしない。


「たまたま知ってたから伝えただけで、大したことはしてないんですほんと……」


 メルカトはその答えに笑い、三人と一匹はしばらく無言で歩みを進めた。




---




 半日も歩くと、地形は険しさを増す。


「うわ、川、めっちゃ狭くなってる」


 ライチの視線の先では、川幅が一気に半分以下になり、白い激流が岩と岩の間を唸るように流れていた。

 街道も山腹を縫うような形で続いており、一度滑ったらかなりの距離を滑落しそうな斜面に道がある。足元を見ると、ところどころ崩れていた。


「この辺も、一応小麦粉とかの税の徴収のために、荷車が通れるくらいの傾斜と道幅は確保されてるんっすけどね。こっちはムリーナもいて、荷物も少ない徒歩だってのに、スリリングに感じるっすよねぇ」


 フェラドが斜面から離れた山肌側を、足場を確かめながら先に進んでいく。


「ムリーナ、気をつけて歩いてくれよぉ」


 ロバの蹄が砂利を踏む音が、遠くの激しい川音と混ざって響く。


 管轄の村同士で整備し合っているとはいえ、農業が忙しい時期には手も回らないのだろう。道は“街道”というより、”雑草に覆われつつある砂利道”という感じだった。




---




 日が傾きはじめたころ、森の窪みに足を止めた。斜面にできたくぼ地で、周囲は木々が囲んでいる。ムリーナを窪みまで届く長めのロープで木の根元に繋ぎ、布を敷いた上に丁寧に鞍を下ろす。


「ムリーナ、よく頑張ってくれたっすね。今夜はここで一泊っす。焚き火は……うーん、今日はやめとくっす」


 フェラドが辺りを見回しながら、荷袋から干し肉を取り出す。


「獣よけに焚く者もいますが、盗賊の目を引く可能性もあるんで、状況によりけり、ですね。うちは武闘派のチームじゃないので、こっそり行きます」


「獣……盗賊……」


「獣は、このハーブを周りに撒いときゃ、たいてい来ないっす。盗賊は……もう運っすね。目立たないのが一番っす。だから、荷車を引くときは、護衛がいるんすよ」


 そんな素敵ハーブがあるとは、なんとも安心である。ライチは盗賊に怯えてできるだけ声を潜めつつ、寝床の用意を始めた。

 二人を見習って、地面の石をどけ、乾いた枯れ葉を敷き、ユイ婆が美しく丈夫に編み上げだ冬布団に包まれる。人生初野宿だが、大荷物ながらいつもの布団を持ってきただけあって、あたたかく、安心して眠れた。荷物になるので持ってくるか迷ったが、(これしかないから……)と持参してよかった。


 ムリーナが鼻を鳴らし、フェラドにくっつく。眠そうに前脚を折って座った。


「あったけぇ〜。おやすみ、ムリーナ……ライチさんも、メルカトも、おやすみっす」


「おやすみ、フェラド。ムリーナ。……ライチさん、今日はハイキングコースでしたが、明日は悪路と斜面を越えます。しっかり身体を休めてくださいね。おやすみなさい」


「おやすみなさい……が、頑張ります」


 三人は、細い月の光も届かない森の闇の中、それぞれの布に包まれて静かに目を閉じた。

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