「フェラドたちはどうして行商人になったんだ?」
初めの頃は敬語を使っていたライチも、いつの間にかフェラドの軽いノリに触発されて、後輩くんと喋るような感じになってきてしまった。もちろん、いくら年下でもこの世界の大先輩なので、ナメた口はきかないが。
レンティッラ村を出て、一泊野営をしたあとの現在。二つ目のカプリナ村までもう少し、というところだ。なだらかな川沿いの道が続くのでどうしても気が抜けてくる。
「行商人っすか? 俺は、実家が城下町の下町……加工屋街の、鉄加工の店だったんすけど……」
「えっ!職人さんの家の子だったんだ」
これは驚きである。刃物や鍋あたりにはこだわりがありそうだなとは思っていたが、そこの生まれだとは。
「そっす。アニキたち三人は、ばりばりの鉄加工師っすよ!……でも、俺、末っ子で、ヒゲもメルカトに剃ってもらうくらい、ぶきっちょだったんで、何度やっても鉄を駄目にしちまって。
あんまりオヤジに叱られるもんだから、『お前らは手で稼げばいい!俺は足で稼いでやる!』って家を出たんすよ。
まとまった金がないと、市民権があっても家を持てないんで、今はムリーナと郊外のほったて小屋に住んで、頑張ってるっす」
確かに、フェラドの手先が不器用そうなのは、しばらく一緒にいたらすぐ分かる。パンを切っては薄く手を切り、火打石では思いっきり指を打っていた。それでも、十五歳やそこらで町中の家から出て、街の外で小屋で暮らすとは、なかなかの苦労人である。
「行商人って、そんな簡単になれるもんなのか?」
疑問を投げかけると、フェラドがニカッと笑った。
「なれねっす!職人は職人、行商人には行商人の縄張りがあって、勝手に参入はできねっす。見習い期間も長くいるし。それに、ちゃんと商人組合を通さないと。あとは、前任にボコられるっすね」
フェラドが、足元の石をポコン!と蹴る。
「俺は、ほんとたまたまで。タキトスさん……前の行商人の人が、足が痛い、足が痛いって言いながら街を歩いてて、手を貸したことがあったんすよ。その人、あちこちの村長と同じくらいの年なんで、そろそろ隠居っしょ?」
ここでの平均寿命は五十歳くらい。村長たちと同じで四十代後半なら、フェラドが行商人になった五年前でも、そう言われても無理はない。
「家出したときに、タキトスさんの家を調べて頼み込みに行ったら、『足のせいで二ヶ月に一回しか行けなくて皆に申し訳なかった。子もいないし、後を頼む!』ってムリーナまで預けてもらって、後任になれたんす。ま、日頃の行いっすかね〜」
へへ、とムリーナを撫でるフェラド。
(やりたいときにやりたい仕事がロバと一緒に回ってくる。確かに、ラッキーボーイだな)
これも、足が痛くて困っている人に手を貸したところから始まっていると思うと、なんともほっこりなお話である。
「でも、行商人て、街の商売でナメられないように服とかにはお金がかかるくせに、移動ばかりで儲けがほとんどないんすよ。農村で手作業で出来上がるやつは、道具の揃った街ではそんなに高く売れなかったりね。そこが困ったとこっすね〜。
ムリーナの餌もあるし、二年前からは儲けもメルカトと折半だから、ほんと日々ギリギリの生活っす。あでも!メルカトのおかげでめちゃくちゃ目利きとかがよくなって、儲けが倍増したんで、プラマイプラっすよ!」
フェラドがウインクしながらメルカトにサムアップを送った。
「フェラドはとんでもない物々交換をしてましたからね」
どんなのだろう。鍛冶屋の四男末っ子の、めちゃくちゃトレード。なんとなくだが、ちょっとその光景が想像できてしまって、ライチは笑った。
「ライチさんの発明品で、絶対成功して、オヤジと、アニキたちとその家族と、おふくろをひっくり返らせた後、ご馳走食わせてやるっす!」
家族にいい思いをさせるぞ!と、拳を高くあげる二十歳ごろの青年が、キラキラと眩しい。
ライチは、一度記憶の奥に押しやったATMさんの甘味シートの適正価格設定を思い出す。
(買値と売値は、移動にこれだけの手間がかかるなら、倍にしてもいいくらいだよな)
つまり、甘味シートだけ、更に、ライチがワンポンした一万五千枚だけを計算するとしても、例の適正価格……日本円で三千万円でフェラドたちに買い取ってもらえるのなら、フェラドたちは市場に六千万円で売ることになる計算だ。まぁ現状、彼らにはそんな現金も現物も無いだろうから、どこかに借りるか、売り上げたら返す……みたいな流れにはなるだろうけど。
そうなると、単純にライチのワンポンでの二人の儲けは、メルカトとの折半で、一人千五百万円。百五十万Gである。
『一年の働きを全てかけないと牛は手に入らないんだよなぁ、そんなことしたら死んじまうっての』と村では言ってたから、単純計算で、百G=千円の日給を、冬を除いて一年分だとしたら、牛は一頭二・三十万円ってところだ。よって……
「この甘味シートやポリエクロスが売れたら、ご馳走どころか、ご家族に牛を丸ごと百頭とか食べさせてあげれるよ」
ライチの言葉に、信じたのか信じなかったのかは謎だが、フェラドは笑ってくれた。
「……メルカトは?なんで行商人に?」
チャラっとしてるからつい……という理由でフェラドだけタメ語にすると、さらに年下のメルカトがいる手前、『なんでっすか?』みたいに気になるかもしれないと、しれっとメルカトも同時にタメ語にさせてもらっている。
「俺は……」
(わくわく……)
フェラドがあちこち走り回って稼いでるのは、なんとなく性格に合っていそうだが、このCGのようなイケメンさで、この品の良さで、この知識で、なぜか泥だらけで背負子を背負って山道を歩いている、というのは、どうにもチグハグなのである。聞いていい話なら、是非とも教えてもらいたい。
「三年前にフェラドが拾ってくれたんですよ。郊外村で……その、色々あった時に」
「メルカト、この顔でしょ〜?三年前はイケメンってより、もっと可愛い感じだったし。苦労してんすよ」
郊外村がどんなところかは分からないが、城壁の外の集落だ。治安がいい訳はないだろう。そこに、とびきり可愛い顔の少年がいたら……
「それは……大変だったな」
なんとも言えない気持ちになった。
「大変なのは皆同じですから。あとは……実家は、商家です」
土地の説明はあんなに丁寧にしてくれたのに、メルカト自身の説明になると、随分と言葉少なである。
(左目の火傷は? 商家と言っても、かなりのいいところでは? なぜ十五歳やそこらでそこを出て郊外村に?)
聞きたいことはたくさんあるが、なんとなくそれ以上聞きづらい雰囲気である。
「商家!だから目利きがいいんだね」
ライチは無難な返事を返すことにした。
「どんなものにどれくらいの価値があるのかは、割と知っている方ですね。
ライチさんの作った甘味シートは、一枚三百〜四百G、ポリエクロスの大布は七千〜八千Gあたりで売れるはずです。買い叩かせませんよ」
ATMさんばりに目利きも正しくて、なんとも頼もしい。自分の話が流れると、途端によく喋るメルカトと、村ではできなかった数字の話なんかをしながら歩いた。
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「なんだか……獣っぽいにおいがするような……」
「おっ、そうっす。あれ、見えるっすか?」
傾斜地に、木の柵で囲われた草地と、小さな白い影がたくさん――ヤギだ。
「ヤギ!乳製品!酪農だ!……すごい、あちこちにいる」
「山ヤギの村、カプリナ村っす」
フェラドが満足げにうなずくと、ムリーナがここで一段落、とでも言うように、低く鼻を鳴らした。
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この村でも、第一村人は女性だった。
「や、行商の」
「こんにちは。またお邪魔するっす!今回はニューフェイスが一人いるっすよ〜」
フェラドがいつもの調子で手を振り、ライチを指さした。
「街への道に同行している、スピネラ村に滞在中のライチといいます。よろしくお願いします」
「そうかい。街にね。今夜はここでゆっくりしていきな。しばらくしたら、夕方のミルクの絞りが始まるよ」
女性の言葉尻は優しい感じなのだが、にこりともしていないので、脳が混乱する。不快な感じは出されていないので、それはありがたいのだが……。
「(ちょっとだけ、慣れるのに時間がかかる村なんす。出てくる料理を見たら、ものすごく歓迎してくれる優しい人たちだって、分かるんすけどね)」
「(夜に毎日一緒に寝るくらい、ヤギを大切にしている村なんです。ライチさんがヤギの味方だと分かると、受け入れてもらえるかもしれません)」
フェラドとメルカトが左右から耳元でひそひそと説明してくれる。その言葉通り、村に入ると、みんな忙しく何かの作業をしているが、視線だけがライチにチクチクと刺さる。
干し棚のそばでは、数人の女性たちが黙々と何かの作業をしていた。一人が、手を止めてこちらを向く。
「行商の。今日は三人になったのかい?」
「そっす!いつものところを貸してほしいっす。あと、美味しい美味しい晩御飯と、一日分……朝と昼用の携帯食も」
「交換の塩です。三人分、お願いします」
フェラドの注文にメルカトがていねいに包みを差し出すと、女性はそれを受け取り、ひとつ頷いた。
「チーズ作りにゃ塩はかかせないからね。いくらでも泊まっていきな。これは村長に渡しておく。いつもの小屋が空いてるよ」
ライチは礼を述べながら、二人に続いて村の奥へと歩く。
小屋は、村の奥、ヤギの草地から一番遠いところにあった。中は、レンティッラ村と同じで、板間一間に藁山が置かれている。
「うぉ〜、部屋〜 布団〜」
荷解きに忙しい二人には申し訳ないと思いつつ、いそいそと荷物から自分の布団だけ出して、藁山にかぶせて、草履サンダルを脱いで飛び込んだ。
(おふぉ〜……しみるぅ〜)
今回は一泊野宿しただけだが、この数日、とにかく朝から晩まで歩き通しなのである。その前からの疲れもたまってきている。足だってボロボロだ。布団の柔らかさが染み渡る。ちょっとでいいからゴロゴロさせてほしい。
誰にだって、ホテルの部屋に着いたら、まず堅苦しい装備を脱ぎ捨てて、手洗いうがいをして、一目散にベッドに飛び込んだ経験があるはずだ。無い人は、旅館でお茶とお茶請けでホッと一息つく派かも。
(俺は今は、藁山に飛び込む派だ〜)
ゴロゴロしながら目を瞑る。二人の会話と、たまに室内に荷物を置きに来る気配とを感じながら、身体と脳を休めさせてもらった。
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しばらくすると、村長の使いだと言う若い男が顔を出した。
「ようこそ、カプリナへ。塩の交換、受け取ったってさ。夕食が用意できたから、どうぞ」
少し高台にある村長宅へと案内された。
カプリナ村もスピネラ村と同じく、村長の家は一回り大きな平屋だったが、建物の前には木の台が並び、ざるに広げた白い塊がいくつも干されていた。ほのかに甘酸っぱいような乳製品の香りが漂い、近づくと、それがチーズだとわかる。
「……よく来たな。まあ座りな」
出迎えたのは、他の村長より少し若めの四代前半っぽい男性だ。値踏みするような目で見ているが、不躾な感じはしない。慎重さが表れたような様子だ。
「村長、ミラルだ」
「ライチです。旅の途中でスピネラ村にお世話になっている者です。今は街に向かっています」
ライチが挨拶して腰を下ろすと、ちょうどそのとき、窓のすぐ近くから「メエェ〜」というヤギの鳴き声と、ちょーっ、ちょーっ、という搾乳の音らしいテンポの良い水音が聞こえてきた。夕方の涼しさが広がると同時に、あちこちの家のそばで搾乳が始まったらしい。
「すごい。搾乳の音ですよね?」
ライチがヤギに心からの関心を持ったのが分かったのか、言葉少なだったミラルが、少しニッとしながら、丁寧に教えてくれる。
「うちは斜面が多くてな。牛よりもヤギがちょうどいいのさ。秋発情、冬は妊娠、春出産って歌の歌詞があって、今の時期は子ヤギの世話と搾乳で大忙しよ。どんどんチーズにしなきゃ腐っちまうから、毎日チーズづくりさ。売りもん用の防腐の塩はいくらあっても足りねぇ。ありがとな」
そう語る言葉を裏づけるように、軒下の梁にも、干しかけの布に包まれた白いチーズがいくつもぶら下がっていた。できたてのチーズ……なんともおいしそうな響きである。
「はいよ、旅の人。搾りたてのミルク。こっちのチーズは家庭用の塩のないやつだけど、ミルクの甘さが残っててこれも最高だよ。いい時期に来たね」
食卓には、木のコップにヤギの乳。スライスして炙ったパンと、山菜と干し肉のスープ、そして白くふわっとしたフレッシュチーズが並べられた。
「ぐ……甘い!美味しい……!」
さっそく一口飲んで食べたライチは、思わず声をあげた。
ヤギの乳は、まだほんのり温かく感じるほどの搾りたてだ。牛乳よりサラッとしていて、甘みが強く、どことなく草っぽい香りがするが、とても美味しい。
チーズは、ミルクの風味がしっかり残っていて、ほんのりとした酸味が後を引く。水切りヨーグルトやクリームチーズという感じだが、もっと素朴で、濃い。カリカリのパンにぴったりである。
「搾ったミルクを温めて、固まりはじめたら布で包んで、水を切って干すだけさ。あんたもスピネラで山ヤギを飼うなら、すぐ作れるようになるよ」
そう説明して笑う女性に、是非とも村にヤギ連れで帰りたくなった。
(ミルクやチーズがあるなら、作れるスイーツがあれもこれもそれも……甘味シートが火を吹くぞ、くくく……)
わくわくしてしょうがない。
帰り道で、春生まれの子ヤギを買い取れないか聞いてみようかな。そんな風に考えながら、美味しい夕食を平らげた。
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「めぇぇ、めぇぇ……」
「メェェ」「メエェエ」
子ヤギから大人のヤギまで、鳴き声を響かせながら、夕食後の各家庭に吸い込まれていく。
本当にヤギと寝るようだ。家を荒らされたり、布団で糞尿をされたり……は、なんとなくこの村だとしなさそうだなと想像できた。長年ヤギを育ててきた人たちと、生まれたときから人の家で寝るヤギたちだ。お互いの寝方も堂に入っていることだろう。
「野宿は昨日で終わってるっすからね。後は朝から昼過ぎまで歩いたら次の村。さらに次の日も歩いたら、もう昼過ぎにはオスティア河港街っす!」
布団に入りながらフェラドが教えてくれた。
「いよいよ商売の時が近づいてきましたね。気合が入ります」
真ん中で寝るメルカトの目がキラリと光る。
(豆の村、ヤギの村。そして、次は“野菜の村”らしくて、さらに次は川岸の港町、か……。どんなところだろう。楽しみだな)
商売なんて、村とフリマアプリくらいしかしたことのないライチは、ひとり呑気に観光客気分で次の出会いに思いを馳せるのだった。