「おぉ〜、平野だ」
カプリナ村を出て、少し歩くと、木々がどんどん減っていき、とうとう平野に出た。
「このレニス川と、太いマグナラ川との合流地点が見えてきましたね。川の間に挟まれているのが最後の村、野菜を街に届ける村、ヴェルディナ村です」
スピネラ村では橋を渡って、川を左手に見ながら下り始めた。その後、レンティッラ村の手前で、また橋を渡って、これまでは川を右手に見ながら下ってきた。その右手の川と、左手から平野を流れてきた太い川が、遠く前方で合流している。こちらのレニス川が吸収されるような形で、視界の左手前から右奥に平野を流れていっている。
川に挟まれた平野には、牛が草を食む場所や、広大な畑が広がっている。日本人のイメージなら、北海道はでっかいどう!って言いたくなる感じの光景だ。
(この川で水浴びかぁ……)
歩けば歩くほど、右手に見える川の幅が広がり、どんどんと砂や土で少し濁った色になっていく。スピネラ村では清流だったので、ちょっとここに身体をつけるのを想像して、尻込みしてしまった。
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ヤギのチーズたっぷりのサンドイッチの昼食後。一時間ほど歩いたら、すぐに村の境界らしき柵が見えてきた。
「お〜し、着いたっす着いたっす!村の中も結構広くて歩くし、泊まらせてもらえるのは、マグナラ川を越える手前のところなんで、まだまだ一息つけないっすけど〜」
柵の扉を開けて、村に入る。
建物は木製で他の村と同じだが、川が増水したときのためか、一段上げて、石づくりの土台の上に建ててある。
その並び方も、道の両側にずらりと露店が並んでいたり、看板に絵が焼き付けてあったりと、急に“村+街”の雰囲気になっており、ライチはめちゃくちゃわくわくしてきた。
「看板だ!お店だ!革靴も買えるかな?」
初めて都会に来た人のようにキョロキョロと辺りを見回して興奮するライチに、メルカトが微笑んでくれる。
「この村から先は、鍛冶屋や、加工屋、革製品屋があるんで、靴も手に入りますよ」
フェラドも優しく乗っかってくれる。
「あとで塩を貸すんで、仲良しの革製品屋で買うといいっすよ!草履で山越え、怖すぎっすもんね〜」
村の中央らしき広場に出る。
「うわっ!賑やかな声が聞こえるなとは思ってたけど、すごい人だ」
「今日は週に二度の市の日ですね。そろそろ店じまいですが、軽く見ていきましょう」
村の広場には人と露店でごった返していた。
布を敷いて大きな声で野菜を売る人、荷車のままパンを売る人、スパイスを売る人、肩に麻袋を担いだ人、木製のかごに野菜を詰めた人、見慣れぬ品物を物色する旅人風の人。子どもたちは裸足で駆け回りながら、ピーピーと葦の笛を鳴らしている。
「そこのロバ連れ!カブのピクルスはどうだい?贅沢に酢と塩味がきいてるよ」
(酢と塩?カブの漬物……ご飯と食べたら美味そう!)
小さな木の台に並べられた野菜の山から声をかけてきたのは、元気な女性だった。干からびた大根やカブが、束になって積まれている。塩と交換したいらしく、ちらちらとムリーナを見ている。
(塩はほぼ通貨だな)
「寄ってきな!川向こう、テュフティアの品だよ!あの鍛冶と細工の領地の品だ!絶対買いだよ!見ていきな!」
隣領と聞いて、ちらっとそちらを見る。フェラドも気になったようで、『ちょっと見ていいっすか?』と吸い込まれた。
「おっ、らっしゃい!ロバのお兄さん」
「こんちはっす。商品の紹介、お願いしてもいいっすか?」
「もちろん!まずはこれ、鍛冶屋マルツの焼き締めクギ!建物建てるなら、これ一本で十年もつって評判さ!」
お次は、この小ぶりの斧の刃!薪割り用によく切れる。柄は好きな木で仕立てりゃいい。
木工も負けちゃいないよ!こっちは“聖樫のスプーン”って呼ばれてるめでたい匙さ。小さい子の祝い事に一本どうだい?ひと彫りひと彫り、心がこもってるんだ。
それからこれ!見なよ、牛骨の柄付きの細工ナイフ!細かい作業にぴったりで、指先の延長ってなもんだ」
彼の言葉のうまいことうまいこと。ここまで来るのに六日も歩いてきたライチである。この世界の隣領の品なんて、とうてい手に入る日は来なさそうに感じて、ついつい欲しくなる。
「なるほどっす!やっぱ、隣領、質がいいっすね!」
フェラドが金属製品を特によく見ながら言った。
「牛骨の柄つきナイフ、何と交換できますか?」
メルカトがにこやかにそこに参入する。
「おっ、いいね。こいつは、苦労に苦労を重ねて、ようやく手に入れた一点ものだ。塩なら五掴みは必要だね」
「おおっ!買いじゃねぇっすか、メルカト」
フェラドが、はしゃぐのを、メルカトが笑顔でぴしゃりと諌める。
「質は良いですが、価格はお話にならないですね。行きましょう」
メルカトがすっと露店を離れようとすると、
「――待ちな!!」
店主が苦しげな顔で引き留めた。
「兄ちゃん、行商人だろ?いくらで目利きしたんだい」
メルカトがその場で振り返る。
「塩なら二掴みが限界でしょう。確かに物は良いですが、この領地での塩の価値を知らないのなら、多方面に迷惑なので、店をたたむのをおすすめします」
普段の温厚さからは想像もできない絶対零度感である。メルカトの彫像のような美しい右目が、冷たく店主を射抜く。
「…………塩二掴みだ。もってきな」
「一掴み半。客に限界ではなく、いい思いをさせてなんぼ、では?」
「……」
「一掴み半より下げましょうか?」
メルカトがにこりと笑って露店に戻ってくる。
「…………チッ。一掴み半だ!店じまい前でよかったな!持ってけ泥棒!」
「ありがとうっす〜!良い人でよかった〜。また是非よろしくっす!」
(いやぁ〜、鮮やかなお手前で!)
メルカトの商売にシビアなところを初めて目の当たりにした。
普段はにこにことフェラドやライチのお世話を焼いてるイメージしかないので、取り引きにこんなに断固とした姿勢を貫くのには驚いた。
こっそりライチはATMさんに適正価格を見てもらっていたのだが、その価格、なんと!『二百G』!
塩一掴みが六十Gぐらいらしいので、三掴みちょいが適正価格だったのである。元々店主が安く仕入れていたのかもしれないが、メルカトもめちゃくちゃ買い叩いている。なんとも商売上手である。
どん どん どんどんどん……
るんるんのフェラドの後ろを歩いていると、打撃音が耳に入る。見ると、革の端切れを扱う男性の姿が見えた。地べたに膝をつき、無表情で木槌で何かを叩いている。近寄ると、粗く縫われた靴の山が並んでいた。
(おお、革製品の露店!革靴だ!底が思ったより薄そうだな。紐で留めるだけの簡易的なものだけど、歩きやすそうだし、何より見た目に威厳があるぞ)
フェラドのオススメの革製品屋に後で寄ってくれるらしいが、一応声をかけておく。
「フェラド、あそこにも靴があるけど……」
チラリと見て、フェラドは首を振った。こっそり耳打ちしてくれる。
「(あそこのは、農作業とか用で、登山に向いてないっす。底が薄いから、岩場なんか痛いしすぐ破れるっすよ。仲良しの革製品屋は、露店とか出さないっす)」
なるほど。危うく農作業用を買ってしまうところだった。持つべきものは行商人の同行人である。
「♪おお〜! 神よ〜
我らの唯一神 ヴェルディウス神〜
私は誓う〜 魂にかけ〜」
市の端では、大げさな身振り手振りを交えながら、ボロボロの派手な身なりをした旅芸人らしき若者が、琵琶のような小さな楽器をはじいて歌を歌っている。小さな人の群れができ、歓声と拍手が起こる。
芸が終わると、観客がコインの代わりにパンや干し肉を差し出し、芸人はありがたそうにそれを受け取っていた。
(へぇ……あの、THE!神さま!って人、ヴェルディウスさんっていうのか……)
神様相手に不敬すぎるが、神話とかに出てきそうな大層な名前で、ライチはちょっと可笑しくなった。この村の名前にも似てるし。ふふ。
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「ほんと市って楽しいっすね〜!メルカトのおかげでいい買い物もできたし」
市を抜けて、フェラドが伸びをしている。
その後、今日の夕食と、明日の二食を露店で購入した。確かに、店を巡って物を買う、という行為が久しぶりすぎて、ライチもものすごく楽しかった。
(欲しいものが買えるって、すごいことだったんだなぁ。コンビニ、スーパー、ショッピングセンター、ネット通販……恵まれてたなぁ)
村の市でもこの規模である。河港や城下町なんて、もっとすごいもので溢れているのでは……。今からとても楽しみだ。
市は、『カァン……カァン……』という、鍋でも叩いたかのようなチープな鐘の音とともに、一気に片付けが始まった。
広場に張られた布の日除けがひとつ、またひとつと畳まれ、地面には麦殻や野菜の葉屑が散らばっている。まだ残っていた子どもたちの駆け回る声も、風の中に吸い込まれていった。
(午後の三時くらいだろうに、もう店じまいなんだな)
露店の主人たちは手際よく荷をまとめ、荷車の天幕を引き、くすんだ麻袋をくくっていた。すでに帰路についた者もいれば、村に泊まっていく旅商人や旅人もいるらしい。
村の者らしい格好の人たちは、売れ残った野菜などを物々交換し合っている。
「や〜、売れた売れた」「うちなんて全然よ」「今日の客はさ〜」
そんな会話があちこちから聞こえる。ライチは周囲を見回しながら、祭りの後のような余韻を感じていた。
(にぎやかだったけど、終わると一気に静かになるんだな……日本の朝市もこんな感じだったかも)
陽はまだ高いが、村は夕方の支度に入りつつあった。