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第43話 ヘアケアの商機


 朝食を食べてすぐに、フェラドとメルカトに案内されて、船着き場のあるマグナラ川とは反対側の、レニス川の下流の方へ向かう。


「この辺っすね。ほら、あの人らも水浴び終わったっぽいっすよ」


 先に人の居ない時間を狙って水浴びに来たご家族が水から上がっている。早朝にバルゴ一家と水浴びをしたことを思い出した。この上流に皆がいると思うと、不思議な気持ちである。


(おお、山の水と違って、ぬるい)


 さっそく、フィルム袋の水筒に水を汲んで、そこに乾燥スイの葉を入れる。あとで髪を中和する用の弱酸性の水作りだ。


(えーと、次は……麻油を頭皮に揉み込むんだったな。バルゴ家にちょっと分けてもらったやつ)


 服と靴を脱いで下着代わりのズボンだけになると、こぼさないように気をつけながら、頭皮にすり込むように油を馴染ませた。ついでに水で薄く伸ばしながら身体にも塗りたくる。髪を中心に、全身がギトギトになった。


「水浴び前に、わざわざ貴重な油をそんな一生懸命全身に塗り込んで、何してんすか? 無駄にテカテカになってるっすよ」


 フェラドが気持ちよさそうに水に全身を浸けながら笑っている。メルカトは興味深そうにライチの行動を見て、ムリーナは草を食んでいる。


「油で浮かせてから次の工程に進むと、汚れがよく落ちるんだ」


 ライチが説明すると、メルカトがさっと水から上がってきた。


「ライチさん、このあと、刃物をそのまま当ててヒゲを剃るつもりでしたが、油を塗ってて、しかも、それをこれから流すなら、今剃った方が、怪我も無駄もなさそうです」


 メルカトが、すっと革包みに包まれた小さな刃物を取り出した。


「刃は、追加で先ほど研いでありますよ」


 キラリとナイフが光る。リンゴの皮とかを剥く感じのやつだ。全然人に向けるタイプの刃物ではない。


(こわっ……こっち向いてるとなんか……普通に漫画とかで脅しなんかに使うやつだ……)


 ひくっ、と顔がこわばるが、こちらがお願いしたことだ。観念する。


「ありがとう。よろしくお願いします」


「追加で少し顔を濡らしていただいて……はい、いいですね」


 メルカトは、その端正な顔を真剣一色に染めて、ライチのぬるぬるの口元の皮をピンと張るように指で押さえた。


「少しこそばゆいかもしれませんが、我慢してくださいね」


(く、くるぞ……。……お? 痛くない……というか、こそばゆっ!……なんとも優し……)


 刃はごく浅い角度で、まるで羽で撫でるように滑っていく。チクリともせず、しょりしょり……と音がして、剃り跡がすっと整っていくのが分かる。


「顎を少し上げて……はい、そこで止まってください」


(ほぼ床屋さんだ……器用だなぁ)


「はい。これで終わりです。少し赤くなってますが、すぐ戻りますよ」


 顔に風を当てながら、ライチはそっと鏡の代わりに、全然映らない川面を覗き込んだ。

 触ってみるとつるつるだ。川面ではシルエットくらいしか見えないが、ヒゲが整っただけで、随分とすっきりした顔になっている気がする。


「すごい。ありがとう、助かった」

「とんでもない。商人は身なりから、ですからね」


 フェラドが脇から覗き込み、「おー、イケてるっすよ!俺も、俺も、メルカト」とねだり始めた。


 フェラドが水とナイフで髭剃りされているのを横目に見ながら、ライチが次に取り出したのはマーヤ仕込みの濃いめの灰汁だ。腐らないようにかなり濃い目に作ってもらったこの小瓶に、水を足して、少しずつ薄める。指が軽くぬるぬるするところで、薄めるのをやめた。


 薄めた灰汁を頭に揉み込む。酸性の油が灰汁のアルカリ性により石鹸化し、油のヌルヌルではなく、石鹸のぬるりとした感触が指先に広がる。やがて白い泡が、髪の間にほんのり浮かんでくる。


(臭いし、泡立ちも悪すぎるけど、慣れてくると灰汁でも十分さっぱりするんだよなぁ)


 しばらく灰汁を足して石鹸化をさせ続けると、油分との反応が終わったのか、アルカリ性に負けて、髪がきしむ感触が伝わってくる。終わりに、身体にも灰汁を伸ばし、ぬめりを取っていく。


「うし、汚れと油はこれでオッケー」


 フィルム袋を開け、スイの葉の酸性水で流し、アルカリ性を中和する。これで体に優しい弱酸性だ。髪がサラッとした感触になった。下着を脱いで身体を水に浸けて、最後のひと流しをする。


 タオルの代わりに手でしばらく体や顔の水気を払った後、仕上げに麻油を毛先にほんの少し揉み込んだ。


 手ぐしで髪を整えながら、風に当てて髪を乾かす。

「おぉ、すごい。髪の毛が、ちゃんとサラサラしてる」


 今までも灰汁の洗浄液は使っていたけど、洗うのはお湯ではなく冷水だ。毛穴が閉じていても油で毛穴の汚れを浮かせることと、酸性水で中和すること、水気を切ったあとの保湿が必要だったようだ。


「ライチさん……ちょっと髭剃りで見てない間に……一体何をしてくれてるんですか。何ですか、その髪。何をどうやったら貴族より美しく輝くんですか?!」

「うわ、ほんとだ、いつの間にかギトギトから、サラサラのツヤツヤになってるっす……!」


 商機見出したり……!と髭剃りを終えた二人が目を見開いている。


「いやいや、またまた、大げさな。僻地の農村にあるような素材だぞ? 貴族たちなんて、もっといいもん使ってるでしょ」


 なんかこう、超高級な香油みたいなので、湯船に寝たまま優雅に梳かしてもらってそうなイメージだ。


「ライチさん……そもそも洗髪なんて、貴族でも一ヶ月から数ヶ月に一度しかしません。水も貴重ですしね。だから、そんなサラサラで輝く髪なんて、誰も見たことがないんです」

「髪なんて、洗うというより、油で整えるもんっすよねぇ。日が経つと臭うから、気になる人はハーブを枕に仕込んで香りを上書きしたりっすね」


(洗髪が……数ヶ月に一度……だと?!)


 確かに、山から見下ろした円形の城下町は、川からかなり離れていた。水路を川の上流から引っ張って城壁内に流してはいるらしいが、そもそも洗う文化もないとは……衝撃だ。


「そんなことしてたら……ものすっごい、その、束感とか出てこない……?」


 ライチが想像して尋ねると、


「だから櫛があるんすよ!油を塗って、櫛で梳かすんす。シラミも取れて一石二鳥っすよ」


とフェラドが屈託なく答えてくれた。油……シラミ……ひぃ……。


「ギトギトの金髪巻き髪が最も高貴で美しいとされてるんで、俺も今の今までそういうものだと思ってましたが……。清潔感も見た目の美しさも輝きも、断然今のライチさんの方がよく見えます。触ってみても?」


 メルカトが髪を触りに来る。フェラドも乗っかって触ってきた。


 もともとなかなか育児で忙しくて『もっさいな〜』と思いながらも切りに行けてなかった長めの髪だ。それが転移して、さらに一センチほど伸びている。ここで伸びた根元の一センチ以外は、栄養満点の日本食と、美しい水と泡立ちの良いヘアケア製品により整えられきっている日本産の髪だ。それはもうこの世界の人からしたら、トゥルントゥルンに感じるだろう。ちなみに、ライチは嫁のリノのヘアケア製品をありがたく有料で分けてもらう系の、こだわりのない夫だった。


「こんなサラサラな触り心地、見るのも触るのも生まれて初めてです。くっ……これもめちゃくちゃ売り込んで、ブームにしたい……」


 次々舞い込む商機にメルカトが頭を抱える。ライチがそれを諌める。


「いやいや、ほんと、そんな売るものでもないんだって。もしブームが起きても、皆が持ってるものだから、誰も買わなくて売り上げも出ないだろうし……」


 素人判断でそう言うと、メルカトが普段は隠している左目まで露わにしながら更に詰め寄ってきた。


「ライチさん。それでは素直すぎて、商売のしょの字もありませんよ。そういうときは、原材料をそのまま売らず、ダミーを混ぜ込んで、ここでしか買えない!特別配合!ってことで売り出すんですよ。更に特別な名前なんかをつけると完璧です。


 ライチさんが初めに油を塗り込んでたのは俺も見ていたので、例えば、その油に、塩……ハーブ……果実の皮……花弁、ハチミツ、銀粉!……などなど、何か混ぜ物をするとかね。


 そうして、売るときに『洗う手順を他言無用にできるなら売る!』とするんです。買った人しか、物と、洗う手順が分からないので、気になる貴族は買ってみるしかなくなります。そのうち『あれ?これって、もしかして屋敷にあるものでもできるのでは?』と気づくまでは、継続して買わせることができます。


 貴族家が原材料に気づくころには、裕福な庶民がこぞって手を出し始めています。そうしてるうちに、他領にも話が流れて、他領の貴族に売れて……。


 ね?ブームなんて簡単でしょう? あとは芸子などの広告塔を使ったり、試供品をメイドに配って貴族より先に髪を輝かせて貴族側から問い合わせさせたり、他の貴族の名前を出して競争心を煽ったり……の小細工くらいなもんです」


(メルカトの勢いが強すぎて怖い……)


 分かりやすく話してくれているようだが、なにぶん早口なので、理解するよりも早く次の情報が飛び込んでくる。

 とにかく、良いものだから儲けるのはチョロい、みたいなことを言いたいようだ。


「ライチさん、今の洗髪手順と材料、売り込みもダミーづくりも全てこちらがやるとして、売り上げの一割を納める形で売ってもらうことは可能でしょうか?」

「え?? 甘味シートとかとは違って、今回なんて本当に何もしてないのに、一割も……なんかいいのかな……」


 村では二割を村の発展に役立ててもらうことにしたので、ライチ自身の儲けとして何もしないでお金が入ってくるのには、申し訳なさが伴う。


(しかも、ほんとどこの家にもある油と灰汁と、森に生えてるスイの葉だし……スイの葉はお酢とかでいいんだし……)


「さっきお話した通り、売り上げはしばらくするとなくなってきます。他領にも製法がバレるまでの数年が勝負ですね。その後は各家庭で作れるように製法を広めてもいいでしょう。作っても売れなくなる前に、さくっと手を引くので、そこまでの儲けは続きませんよ。お気になさらず」


(いやもうほんと、なんでこのイケメン、こんなところで山道歩いてくすぶってるの……)


 こんなに目をキラキラ……いや、ギラギラとさせて商売をするなんて、商人が天職でしかないだろう。行商人として足で稼がなくても、いくらでも店を構えて儲けられそうなのに。


「わ、わかった。えっと、まず材料は――」


 製法を伝えかけた口を三本の整った指先で優雅に止められた。


「ラ イ チ さん。口約束だけで製法を伝えようとするなんて、俺の目が光ってるうちは絶対に許しませんよ。まずは“誓い”ですよね? ね? はい、復唱しましょう」


「“まずは 誓い!”」


(ひぃ〜 顔は笑ってるのに目は冷たいよ〜 怖いよ〜)


 ライチは引きつった顔で二人と誓いを交わした。




---




「油と、灰汁か……。あとはスイの葉でも酢でも酸っぱければなんでも、と……。ふむ……。

 灰汁は、灰が混じらないようにすれば、かなり臭いがなくなるから、そこに香りの強いものを混ぜ込んで、“浄化の露”なんて呼べば灰汁とはバレないな。

 スイの葉も、汚れを流す際の“まろみの清水”作りに砕いた葉の粉をあらかじめ入れておく、なんて設定にすれば、その粉がスイの葉で、酸っぱい水ができているとまで調べる者は当分現れないだろう。

 あとは油だな。麻油以外に、動物油脂や亜麻仁オイル、ごま油……貴族向けなら高級品もなんとでも調達できる。最も匂いのない油に、ハチミツや花弁を混ぜ込んで“星光の蜜”なんて呼んで、マッサージ美容液として細工をするか……」


 製法を伝えてから、ずっとブツブツと独り言を漏らして思案しているメルカトを応援しつつ、ライチは革靴を履いて、グレゴル村長の晴れ着に着替えた。


 襟元に真っ白の糸で細かな刺繍がされた薄紫のロングチュニックと、濃い紫の刺繍が美しい、真っ白の帯。

 髪はサラサラキラキラ。ヒゲはなくなりつるつる肌。足元はスタッズがワンポイントの革靴。


「おっし!あとは、姿勢を取引交渉のリーマン……いや、それだとなんか腰が低くなるから、社長気分で堂々とするぞ。背筋を伸ばして、凛々しく遠くを見すえる!どうかな、ムリーナ!」


 ライチもほぼ独り言で自分の格好を評価する。


 ぶふぅっ


 優しいムリーナが、『あんた、かなりイカしてるわよ。ぶちかましてやんな』と応援してくれた。

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